第3話 一緒にお風呂という贅沢な環境

 時計の針がもうすぐ九時を指そうかという頃、幸に声を掛けた


「幸、そろそろ寝る時間だ。一緒にお風呂に入るぞ」


 お風呂は俺が途中で入れておいたのだが


「ええ~、まだほのちゃんとあそびたいよ~」


 と、嫌がられた。

 いや、お前の生活リズムの問題もあるけど、これ以上ほのかさんを拘束する訳にもいかないんだよ。明日も仕事だし。

 

「ほら、我侭言うな。また今度遊んでもらおう。な?」


「やだやだやだ~。まだほのちゃんとあそぶの~」


 ……駄目だ。幸の奴全然聞く耳持たねえ。

 ほのかさんと仲良くなったのは良いが、その分甘えが生じてるな。


「明日も保育園行くんだろ?夜更かししてたら起きられなくなるぞ」


「……じゃあ、ほのちゃんといっしょにおふろ入る!」


「無茶言うなよ。ほのかさんが着替え持ってきてる訳ないだろ?」


「……いえ、替えの下着は持ってますので一緒に入れますよ」


「やった!それじゃほのちゃん、いっしょに入ろ!」


 嬉しそうな幸だが、これ以上ほのかさんに迷惑を掛ける訳にはいかない。


「駄目だ。ほのかさんもそろそろ帰らなきゃいけない時間だ。あんまり我侭を言ってほのかさんを困らせるな」


「……やだ。ほのちゃんといっしょにおふろ入りたい」


「……幸、あのなあ……」


 俺が幸に強く言い聞かせようとした瞬間だった。


「公平くん、今日だけさっちゃんとお風呂に入っちゃ駄目ですか?帰ってもシャワー浴びるくらいですし、私としてもちゃんと湯船に浸かれるのは嬉しいんですけど」


 目で俺に合図を送りながら、ほのかさんがそう言ってきた。


「……幸、お風呂では騒がないでほのかさんの言う事を聞く。約束できるか?」


「うん!ちゃんとおふろに入ってほのちゃんのいう事ききます!」


「……ほのかさん、悪いんですけど幸と一緒にお風呂お願いできますか?」


「はい、任せてください。それじゃさっちゃん、一緒にお風呂に行きましょう」


「は~い。ほっのちゃんとおっふろ!ほっのちゃんとおっふろ!」


 ほのかさんとお風呂に入る事が決まり、幸は上機嫌だ。

 手を繋いで風呂場に向かう途中、ほのかさんがこちらに振り向き


(ごめんね)


 という意味を込めてウインクをしてきた。

 ……いえ、むしろご迷惑をおかけしてるのはこっちなんですが。



 二人の背中を見送った後、ソファーに座り天井を見上げる。


(はあ~、何やってんだ俺は。幸相手にキレそうになってどうすんだよ?)


 あの時ほのかさんがフォローしてくれていなかったら、俺は幸を怒鳴りつけていただろう。

 あの位の我侭すら上手くあしらえない自分に、軽く自己嫌悪する。


 それにほのかさんに迷惑を掛けるとはいえ、幸が我侭を言えるようになったのは俺からしたら喜ばしい事だ。

 ずっと沈んだままの幸なんてもう二度と見たく無い。


(……難しいな、親代わりって。ほのかさんの助けがなかったら、無理を重ねて体か心のどちらかを壊してただろうな)


 そういう意味では、幸と同様に俺もほのかさんに甘えてる。


(いい加減自立しないとな。ほのかさんがずっと居てくれる訳じゃないんだから)


 いつまでも彼女の優しさに甘える訳にもいかない。

 その時がきたら幸は泣くだろうが、このままうちに通い続ける事が彼女の為になるとは思えない。


 彼女には彼女の人生がある。その貴重な時間を俺と幸の為に消費させるなんて事、いつまでも続けて良い訳がないんだ。

 そう考えると胸の奥が少し痛んだ。


 ……勘違いするな。彼女がここに来てくれているのは、本部長に頼まれたからだ。

 決して俺に好意を抱いたからじゃない。

 そもそもほのかさんのような人が俺を好きになる訳が無い。


 やや小柄とはいえ、美人でプロポーションも抜群で仕事も出来る。家事全般だってそつなくこなし、料理は文句なしに美味い。性格だって優しく面倒見も良いし子供にも好かれる人格者だ。

 実際会社の内外を問わず、多くの男性から好意を寄せられているのは周知の事実だ。

 その彼女にほぼ毎日家に来てもらって手料理を振舞ってもらった挙句、休日も家事を手伝ってもらっているなど、周りの連中に知られたら俺が殺されかねない。


 だがこうなったのには理由がある。

 そもそもこの家は俺と幸の二人で住むには少々大きすぎる。

 それでも引越しを考えないのは、ここに幸の思い出がたくさん詰まっているからであり、この家が幸の両親、つまり俺の姉夫婦が残した遺産だからだ。




 事の起こりは今から三ヶ月前。携帯にかかってきた一本の電話からだった。

 見た事も無い番号だったが、あまりにしつこいので主任に断りを入れて廊下で出てみたら


『橘公平さんでしょうか?私は〇〇警察署の△△と申します』


 と言われたものだから


(……詐欺か?警察に電話かけられる覚えなんて無いぞ)


 などと思っていたが、相手の口から次の言葉を聞いた瞬間頭が真っ白になった。

 

『……どうか落ち着いて聞いてください。貴方のご親族である橘正彦さん橘綾音さんご夫妻が、交通事故でお亡くなりになられました。同乗されていた娘の幸さんは◆◆病院に運ばれましたが、外傷はなく命に別状はないそうです。ご連絡の取れる親族の方が貴方しかおらず、ご本人かどうかの確認をお願いしたいのですが……』


 俺の、そして幸の幸せだった時間は、こうして何の前触れもなく終わりを告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る