幸多き人生を
藤見 正弥
第1話 お帰りなさいのある光景
定時となった途端、俺は帰り支度を始めた。
さっさと荷物をまとめ席を立ち、鞄を肩に掛けタイムカードを押す。
「すみません。お先に失礼します」
職場の皆に声をかけ、急いで目的地に向かう。
(ここからだと、どんなに頑張っても着くのはギリギリだから急がないと)
逸る気持ちを抑えつつ、俺は職場を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼が帰って少ししたら、別の部署の男性社員がやってきた。
「あれ、橘は?」
「あいつならもう帰りましたよ。何か用事ですか?」
「いや、今度合コンやるから誘おうかと思ったんだが……」
「あ~、無理っす。あいつ最近飲みの誘いにも全然応じませんから」
「ん、何だ?何かあったのか?」
「……本人曰く『この間引越ししてまだ余裕がない』って言ってましたよ」
「いやいや、確か引っ越して三ヶ月は経ってるだろ?おかしくないか?」
「……いや先輩。あいつ三ヶ月前に……」
私は荷物をまとめ席を立ち、そんな話をしている二人に
「貴方達、もう定時を回ってますよ。残業するならちゃんと申請してくださいね?」
と、声を掛けた。
「悪い悪い。ちょっと話したら帰るよ」
「す、すみません。もう帰ります」
「はい、お疲れ様でした。それじゃまた明日」
「おう水本、お疲れさん」
「お疲れ様でした、水本さん」
タイムカードを押して会社を出る。
(今日は何にしようかな?確か前に鮭が好きって言ってたよね。……うん、それじゃメインは鮭で決まりで、他はどうしようかな~)
二人が喜ぶ顔を思い浮かべつつ、私は商店街へと足を向けるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会社を出て、俺が家へと辿り着いたのはその一時間半後の事だった。
少し前まで真っ暗だった家には、明かりが灯り俺達の帰りを待っているようだ。
玄関の扉を開け家の中に入り
「ただいま帰りました」
「ただいまかえりました~~!!」
と、二人で声を掛けるとパタパタという足音と共に
「お帰りなさい。もう食事の準備は出来ていますよ。さあ、二人とも洗面所でうがい手洗いをして席に着いてください」
そう言って微笑んで出迎えるエプロン姿の水原先輩がいた。
その姿を確認し
「えへへ~、ほのちゃんだ。ただいまのぎゅう~」
「はい、さっちゃん。お帰りなさいのぎゅう~、ですよ」
小柄ながらも、人並み以上にボリュームのある水本先輩の胸に抱きとめられる幸。
……いや、羨ましいか羨ましくないかで言えば死ぬほど羨ましいけどさ。
「幸、お前お腹がペコペコだって言ってただろ?ほら、洗面所にいくぞ」
「……そうだった!!幸先にいってる。こうちゃんも早くしてね~」
幸は水原先輩から離れ洗面所に向かう。
よっぽど水原先輩の手料理が楽しみなようだ。
「すいません水本先輩。幸の奴がご迷惑を……」
水原先輩に話しかけるが、何故か顔を
「……あの、水本先輩?」
「……………ったのに」
「え?あ、あの水本先輩、今何て……」
「だから、家では水本先輩は禁止だって言ったのに」
頬を膨らませてこちらに抗議の視線を送ってくる。
……畜生、こういう表情も可愛いのは本当にズルい人だな。
だがここで訂正しないと、食事中に呼びかけても返事してくれないのは以前に経験済みだ。
ここは死ぬほど照れくさいが、ここでの呼び方に改めよう。
「……すいません、まだ慣れないもので。機嫌直してください、ほのかさん」
「……少なくともさっちゃんのいるところでは止めてくださいね?」
「はい。今後は気をつけます」
「よろしい。では公平くんも洗面所に行って下さい。お味噌汁温め直しますから」
微笑みながらキッチンの戻る背中に見惚れていたら
「も~う!こうちゃんが早くしないと、みんなでいただきますできないでしょ~」
と、洗面所から戻ってきた幸に呆れたような声をかけられた。
「……悪い。すぐ行くから、幸はほのかさんの手伝いしててくれ」
「は~い。ほのちゃ~ん、幸もお手伝いするね~」
「ありがとう、さっちゃん。それじゃこれをテーブルに……」
二人の嬉しそうな声に胸が詰まりそうになる。
……いかんいかん。ここでぼーっとしていたら、また二人に怒られてしまう。
俺は急いで洗面所に向かい、うがい手洗いを済ませるのだった。
「幸、ほのかさん、お待たせしました」
「おそ~い。もうじゅんびは終わってるよ~」
「それじゃ晩ごはんにしましょう。席についてくださいね」
食卓の決まった席に腰を下ろす。
幸の真向かいが俺、ほのかさんが幸の隣だ。
幸と二人の時は俺が隣だったのだが、ほのかさんが家に来るようになってからは、この形で落ち着いている。
幸はほのかさんにとても懐いているし、俺と二人の時に見せていた塞ぎこむような姿は最近では殆ど見せなくなっていた。
そういう意味でも、食事の面でもほのかさんにはお世話になりっぱなしだ。
だが、これでお礼を言うと
『私が好きでやってる事ですから。それに私はさっちゃんの友達ですからね』
と返され、お礼を全く受け取ろうとしないのだ。
元々食費さえも受け取らなかったのを
『その分、幸に美味しい物を食べさせてあげてください。お願いします』
と頼み込んで、ようやく食費だけは受け取ってくれるようになったのだが、まさかそれまで週三だった来訪がほぼ毎日になってしまったのは誤算だった。
……いや、幸はもの凄く喜んでるし、俺だって嬉しかったけど。
「それじゃ公平くん。お願いしますね」
「はい。それじゃ全員手を合わせて……」
俺の合図に全員が合わせて
「「「いただききま~~す」」」
こうして今日の晩ごはんが始まったのであった。
これは俺こと橘公平と姪の橘幸、そして俺の会社の先輩である水本ほのかとの生活の物語である。
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