第38話 欲しいのは一つだけ

「それでは一度父様と会ってきます。公平くん達が顔を合わせるのは、夕方頃になると思いますからそれまで休んでいて下さい」


「それじゃまた後でね。この部屋には誰も近寄らないから、安心してくつろいでね」


「うう~、さっちゃん。また後でお姉ちゃんと一緒に遊びましょうね~。」


 と、三者三様の言葉を残し部屋から出て行った。

 昼食の時間が近くなり、流石に不在ではよろしくないとの判断だ。

 高坂さん、馬場さん、そして遥ちゃんのお付の内藤さん達使用人一同も一緒に移動している。


 その代わり、俺達には真田さんという使用人が付けられた。

 まだ二十歳過ぎくらいであろう若い女の子だが、見事な仕事ぶりだ。

 そして用意してもらった昼食を食べて、真田さんにお願いして書斎から絵本などを持ってきてもらい、俺と幸は時間を潰した。



 そしてそろそろ四時になろうかという頃


「お待たせいたしました。旦那様がお待ちになっておいでです。ご案内いたしますので、私の後についてきて下さいませ」


 と、高坂さんが声を掛けてきたので案内してもらった。


 場所は本館の二階の応接間だそうだ。

 高坂さんの後をついてゆく事三分、応接間の扉の前に到着した。


「こちらになります。……旦那様、橘様をお連れいたしました」


 高坂さんに襖を開けてもらい部屋に入る。

 和風の応接間にはほのかさん、巴さん、遥ちゃん以外に五十前後くらいと二十歳前くらいの初見の男性がいた。

 若い男性がほのかさんの弟の光輝くんで、年配の方はほのかさんの父親、つまりはこの水本家の当主で間違いない。


「……まずは席に着きたまえ。話はそれからでも遅くないだろう」


「公平くん、さっちゃん、こちらにどうぞ」


 お父さんに促され、ほのかさんに呼ばれたのでほのかさんの隣に座る。

 構図としては上座にお父さん。そのお父さんの向かって右側に巴さん、光輝くん、遥ちゃんが座り、机を挟んだ反対側にほのかさん、俺、幸という並びだ。


「はじめまして。橘公平と申します」


「橘幸です。よろしくお願いします」


「水本家当主、水本頼彦よりひこだ。大体の事情は妻から聞いている」


「長男の水本光輝です。姉がご迷惑をかけたようで申し訳ありません」


 正月だからなのか、頼彦さんが茶色、光輝くんが紺の着物を着ている。

 頼彦さんは名家の当主らしく、落ち着いた雰囲気の威厳がある方だ。

 光輝くんの方は、年齢よりも大人びた雰囲気のイケメンだ。

 ……というか、水本家の人間は全員美形なんだよな。


「それで橘くん。確認させてもらうが、君はほのかと交際しているという事で間違いないかね?」


 頼彦さんが不愉快そうに俺を睨みながら問いただしてきた。

 ……まあ、可愛い娘が前触れもなく恋人連れてきたら、普通いい気はしないよな。


「はい。先日からお付き合いさせて頂いています。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありませんでした」


 それでも、ここで退く事も、口先で誤魔化す事も出来ない。

 俺は、ほのかさんを妻に貰おうとしているんだ。

 どこの世界に、臆病者や嘘吐きに娘を任せようとする親がいる?

 ほのかさんが欲しいなら、娘を任せるに値する男だと認めてもらう他ないのだ。


「君は、ほのかのどこに惹かれたかね?」


「魅力なら数多くありますが、強いて挙げるなら幸の事を本当に大事に思ってくれたからだと思います」


「ほのかが水本家の娘だから、という気持ちは無かったと?」


「はい。お恥ずかしい話ですが、今日ここに来るまで水本家の事は全く知りませんでした。……それに、例えそれを知っていたとしても大きな違いはありません。ほのかさんが、自分にはもったいないくらいの女性である事には変わりありませんから」


「……では、交際の条件として『ほのかに水本家の財産を贈与も相続もしない』とあっても問題ないな」


 頼彦さんが意地悪そうに言うが、そんなもの考えるまでもない。


「構いません。俺が欲しいのは水本家の財産じゃなく、ほのかさん自身です。その程度で交際を認めて貰えるのであれば、むしろありがたいですね」


「……簡単に言うが、それがどれほどの額か理解しているのか?はっきり言って、君では一生お目にかかれないほどの金額だぞ?」


「金額の多寡の問題ではありません。俺も人間ですからお金に魅力を感じない訳じゃないですが、ほのかさんと比べられるものじゃないというだけの話です」


 お金なんて無くてもいい、とは思っていない。

 少なくとも現代社会においては、お金があるというのは幸せな事だろう。

 だけどそれは、贅沢さえ望まなければ俺でも手にする事ができるものだ。


 でも、ほのかさんはそういうものじゃない。

 本来であれば『水本の姫』でなくとも、俺とは不釣合いな人だ。

 そこに『水本家』の名前が加われば、逆に結婚する為には何億、何十億というお金を積んでも惜しくない人間だって多いはずだ。


 ほのかさんを妻に迎えられれば、『水本家』との強いつながりができる。

 その政治的、経済的価値を知る人間にとっては、きっとお金に換算する事ができないほどものなのだろう。

 ……だけど俺にとってはそんなものどうでもいい。

 俺が本当に欲しいのはほのかさん自身であり、そして……

 

「もし貰えるのであれば、お金ではなく『家族』を下さい。俺と幸の『家族』としてほのかさんを俺に下さい。お願いします」


 そう言って頭を下げた。

 ……俺に出来るのは、ただ真摯に思いを伝え頭を下げるくらいの事だ。

 『水本の姫』の価値を知る人間が見れば、『無謀だ』『豚に真珠だ』と言われる事かもしれない。

 だけど、俺が欲しいのは会社の先輩で、料理が上手くて、一緒にいると幸せを感じられて、幸の事を本当に大事に思ってくれて、こんな俺でも好きだと言ってくれる、俺と幸の恩人であり俺の最愛の人でもある『水本ほのか』という女性だけなんだ。


 他には何も要らない。

 『水本家』に関するものなんて何も要らない。

 ……いや、違う。もし貰えるのであれば


「……もし贅沢を言っていいのなら、『水本家』の方々も『家族』になって下さい。俺と幸の『家族』でいて下さるのなら、他に望むものはありません」


 そう言って頭を下げ続けるのだった。

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