第16話「ジン、蔵元へ行く:後篇」

 マシア共和国の首都アーサロウゼンの蔵元、エンバリー酒造を訪問した。

 思った以上に近代的な施設と管理方法に、伝説の醸造家ナオヒロ・ノウチ氏の美味い酒を造るという執念のようなものを感じている。


 しかし、あまりに偉大な先駆者を持ったことから、杜氏や経営者が保守的になっていることが気になる。

 時代に合わせて作り方を変える必要はないが、美味い酒を追求し続ける姿勢は絶対に必要だ。


 エンバリー酒造を出た後、水田を見ながら散策する。

 八月の後半ということでまだ黄金色に色づいてはいないものの、稲穂は大きく垂れており、収穫時期が近いことが分かる。


 そんな水田の脇に立ち、先ほど立ち寄ったエンバリー酒造の話をする。


「あの考え方では今以上に美味い酒は望めませんね。まあ、若手が作っている純米や本醸造なら個性的なものができるかもしれませんが」


「確かにあの社長と杜氏は保守的でしたな。王国が買い付けると言っても乗ってこないことには驚きました」


 ダスティンが俺の言葉に頷く。

 今回、ダスティンは産業振興局長という肩書で見学している。その彼が買い付けると言ったということはトーレス王国が責任を持つということに等しい。


「若手の蔵人と話す機会があったらよかったですね。彼らが現状に満足していなければ、この先、新たな醸造所を作って自分たちの酒を造るかもしれませんから」


「なるほど。ノウチ翁の指導を受けた世代は今の三十代後半以降でしょうから、それより若い世代が同じ考えとは限らないということですか」


「ですが、難しいかもしれませんね」とゴードン酒店のシェリー・ゴードンが話に加わる。


「どうしてでしょう?」


「ノウチ翁の名声は、マシア共和国内では絶大なものがあります。その教えに反した酒造りをする人が現れるのか、現れたとしても資金を出す人がいるのかという問題があると思うんです」


 確かに若手が独立するには資金が必要だ。酒造りには高価な魔導具を大量に使用するため、必要な資金も膨大になる。出資者を募るには成功を約束しないといけないが、そこでもノウチ翁の教えが呪縛となりそうだ。


「いっそのことトーレス王国が金を出しますか? 陛下にお願いすれば、大規模な醸造所は無理でも小規模なものなら難しくないと思います」


 ダスティンにどの程度の予算執行ができるのかは不明だが、小国とはいえ一国がバックに付けば作ることは可能だろう。


「まだ本場のマーデュに行っていませんから、そこを見てから考えましょうか」


 そう言って話を打ち切った。

 この時、若手の醸造家を引き抜くことを考えていた。マシア共和国では難しくとも、日本酒造りを行っていないトーレス王国なら自由に作ることができる。


 米はマジックバッグを使って輸入すれば大量輸送はそれほど難しくない。水も王都ブルートン周辺もきれいな水が多く、酒造りに適した場所が多い。

 ただ、この場にはシェリーがいるため、大使館に戻ってから提案しようと思って話を打ち切ったのだ。


 水田を見下ろす高台で弁当を食べた後、次の目的地であるガウアー酒造場に向かう。

 場所はエンバリー酒造から二キロほどしか離れておらず、すぐに到着する。


 こちらの方が規模も小さいのか、こぢんまりとした感じだ。

 エンバリー酒造のように出迎えはなく、シェリーが事務所に入り、若い男性と共に戻ってきた。


「ニック・ガウアーさんです。ここガウアー酒造場の社長の息子さんです」


 ニックは細面の長身で、眼鏡を掛け白衣を纏っていることから蔵人というより研究者のように見える。


「ニック・ガウアーと申します。父マーティンから対応を任されております」


 自己紹介をすると、すぐに蔵に入っていく。

 ここも規模は小さいものの設備に魔導具が多数使われており、近代的なイメージの醸造所だった。


「弊社の主力商品は“ノローボウ”という銘柄です。基本的にはノウチ翁の教えを守り、ジュンマイのみですが」


「本醸造や吟醸は作っておられないのですか?」


 本醸造や吟醸はアルコールが添加されている日本酒だ。大昔は“三倍増醸酒”と呼ばれるような粗悪なアルコール添加の酒があったが、適切にアルコールを加えることによって飲み口がライトになり、料理を合わせやすくなる。


「はい。ノウチ翁の教えを受けた父の言葉ですが、本来サケはジュンマイに限るのだそうです。酒精と水を加えて調整する安易なやり方ではなく、コメを醸して同じように飲みやすいサケを作るべきだと考えています」


 本醸造が安易だとは思わないが、言わんとすることは分かる。二十一世紀の日本でも“純米至上主義”でもないが、アルコール添加、いわゆる“アル添”は邪道という人は結構いた。


「なるほど。確かにブラックドラゴンは純米の美味さを残しながらも飲みやすい酒でしたね」


「うちの看板商品もご存じでしたか! トーレス王国の方に飲んでいただいているとは思っていませんでした」


 自分たちの作った酒が三千キロも離れた国でも飲まれていることに思いの外喜んでいる。

 ブラックドラゴンはマッコール商会が入手したものだ。蔵から直接買い付けるようなことはしていないだろうから、トーレス王国に送られたことを知らなくてもおかしくはない。


 蔵を見学していき、エンバリー酒造と同じように搾り立てを試飲させてくれた。


「ブラックドラゴンは冬にしか作りませんので、ノローボウのジュンマイギンジョウになります」


 そう言ってワイングラスに注いだ酒を手渡してくれる。


「蛇の目ではないんですね」とダスティンが聞くと、


「ええ、蔵人が味を見る時には使いますが、白ワインに親しんでいる方にはこちらの方がいいと思いまして」


「ジンさんもよくワイングラスを使いますね」と商人のチャーリー・オーデッツがグラスを透かして見ながら話しかけてきた。


「ノローボウもそうですが、ブラックドラゴンは香りがいいですから。華やかなだけではなく、米の香りも感じられるワイングラスの方が合うんですよ」


「特別調査官ということでしたが、とてもお詳しいのですね。ワイングラスで提供する店はアーサロウゼンにもなかったと思いますが」


 ニックには料理人であることは伏せてある。肩書とのギャップがあり過ぎて違和感があるためだ。


「トーレス王国は美食の国ですから」とダスティンが助け舟を出すと、


「なるほど」とニックは簡単に納得した。


 話を変えるためにグラスを掲げ、


「昨日ひやおろしを飲みましたが、搾り立ても美味いですね。ひやおろしの熟成感とは違って、フレッシュな米の香りと仄かな炭酸が醤油を使った料理に合いそうです」


「ええ、この酒は私も気に入っています。私も売ってもいいのではと思っているのですが……」


「それは未完成だと何度も言っているだろう」と後ろから声が聞こえてきた。


 振り返るとニックに似た五十代くらいの男性が腕を組んで立っていた。


「父さん……」とニックがいい、シェリーが「ご無沙汰しています。社長」と頭を下げている。


「この蔵の杜氏をやっているマーティン・ガウアーだ。トーレス王国から来たそうだが、サケの味がちゃんと分かるのか?」


「父さん、失礼だよ」とニックが慌てる。


「トーレス王国で産業振興局長をやっているダスティン・ノードリーです。我が国は美食の国として有名だがご存じないですかな?」


 先ほどの言葉に温厚なダスティンもカチンと来たようだ。


「知っているが、サケを飲むとは聞いたことがないからな。味の分からん奴らにうちの酒をどうこう言ってほしくない」


 そう言うと、シェリーに向かって、


「ジェフリーのところで生の酒を売れと言ったそうだな。無論、うちでも売るつもりはない」


 エンバリー酒造で話を聞いたらしい。


「ですが、この酒は非常によくできています。米の甘い香りに酵母の爽やかな吟醸香、それに加えて微炭酸の刺激的な舌触り。脂の強い魚、いえ、バターを使った料理にもとてもよく合うと思います」


「バターだと……」と唸り、ニックに顔を向ける。


「分かったか。トーレスの奴にサケの美味さなんぞ分かるわけがないんだ。この酒にバターが合うと思うか?」


 その言葉にニックが俯く。


「では、本当に合わないか、食べてみませんか? 厨房を貸してもらえるなら、合う料理を作りますよ」


 俺も少し熱くなっていた。

 職人気質かたぎの頑固親父だとしても、頭から否定することはない。それが正しくないなら尚更だ。


「いいだろう。お前が作る料理が合わなかったら、二度とうちの酒は売らん」


 このやり取りにシェリーとニックがオロオロとしている。一方、ダスティンたちトーレス王国組は余裕の笑みを浮かべていた。


「ジンさんの料理を食べて納得しないほど頑ななら、取引する価値なんてありませんからね」


 温厚なチャーリーも腹に据えかねているらしく、そう言いながらニヤリと笑っていた。


「ニックさん、この酒のよく冷やしたものを用意してください。他にも少し温めたいので、その分もいただけると助かります」


「わ、分かりました」と言って蔵人に準備を命じる。


 厨房は蔵の裏にあるガウアー家の住居の物を借りることになった。一応魔導コンロはあり、使い方を確認する。


「これなら十分です。チャーリー、済まないが食材を出してくれ」


 チャーリーは俺の指示通りにマジックバッグから素材を出していく。

 更に包丁やフライパンを出し、手早く下処理を行う。


 選んだ食材はニジマスだ。小型のものではなく、四十センチ近い大物で、それを三枚に卸し、軽く塩を当てる。

 味をなじませる間にキャベツと玉ねぎをみじん切りにし、舞茸に似たキノコを手早くちぎっていく。


 マーティンが厳めしい顔で見ている。


「すぐにできますから」と言って塩胡椒を振った野菜を炒めていく。それにバターと醤油で軽く味を付け、いったん取り出しておく。


 次はメインのニジマスを焼いていく。

 両面をバターで焼き、醤油を少し振る。最後に野菜を戻し、そこに少量の味噌を加える。鮭のちゃんちゃん焼きでもないが、それに近いイメージにしてみた。


 すぐに皿に取り出し、取り分けていく。

 グラスに入った酒と取り分けた料理を手渡し、


「どうぞ。ニジマスだけでもいいですし、野菜と一緒でも合うと思います」


 そう言いながら、鍋で湯を沸かし、徳利に入った酒で燗を付ける。


「これは美味い!」とダスティンが声を上げている。


「確かに生酒とこのバターの香りが合いますね」とニックも父親の目を忘れて声を出していた。


「本当に料理人だったんですね。それにしてもこんなに美味しい料理は初めてかも……」


 シェリーはそう言いながら料理ばかり食べていた。


「つまみなので酒と一緒にどうぞ」


「そうですね……えへへ」と笑う。


「どうでしょうか? 私にはこの酒が合うと思うのですが」


 マーティンに問い掛けるが、料理と酒を交互に口にするだけで何も言わない。


 そこでぬる燗を差し出す。


「ジュンマイギンジョウをヌルカンにしたのか」と睨んでくる。


「これだけ米の旨みがあればぬる燗にしても負けませんから」


 本来、純米吟醸や純米大吟醸は冷やで飲む方が美味いものが多い。しかし、米の味がしっかりしているものは軽く温めた方が香りも立ち、料理に合うようになる。


「といってもこの酒はやはり冷やですね。特にこの料理には。ぬる燗に合わせるならシンプルな塩焼きか、海の魚の干物の方がいいかもしれません」


 マーティンは俺の話を聞かずにニジマスと酒を交互に口にし、取り分けた分を完食する。


「いかがでしたか?」


 全員の視線がマーティンに集中する。

 そこで頭をガシガシと掻き、


「俺の負けだ。確かにこの料理は俺が醸したノローボウのジュンマイギンジョウの生に合った。今まで食ったつまみで一番だ。これで文句はなかろう!」


「勝ちも負けもないんですが……」と苦笑した後、


「ノウチさんという方は流れ人だと聞きました。それも日本から来た。だとすれば、こういう飲み方を否定されることはないと思います」


「なぜ分かる」


「日本人は貪欲なんです。どんな料理や酒でも自分たちに合うように必ず工夫する。そういう民族なんです。だから、ノウチさんも実際に食べて飲んで美味ければ、これはありだと答えたと思いますよ」


「ってことはお前も流れ人か……何となく、師匠に似ている気がしたが……」


 今回はばれるように話したので意外ではないが、大使館の書記官ヴィンセント・シアラーは苦笑を浮かべていた。


「……確かに師匠が言っていたな。“ニホンならもっと美味いサケを造る奴がいる。新しいことに挑戦しなくちゃダメなんだ”と……俺は自信を失っていたのかもしれんな」


 その言葉に息子のニックが「父さんが自信を失っていた?」と驚く。


「ああ。師匠のサケを初めて飲んだ時、これほど美味いものがあるのかと衝撃を受けた。だから師匠の背中を追い続けたんだ。だが、師匠と同じように人を感動させるサケが造れるのかってな。そう思うことが多いんだ」


「では、挑戦してみますか」と俺が言うと、


「ああ、面白そうだ。だが、それは俺じゃねぇ。ニック、お前がやれ」


「僕が!」


「そうだ。まずはお前が俺を納得させてみろ。やりたいことがいろいろあるんだろ」


「ええっと……」と逡巡するが、すぐに決意を込めた表情に変える。


「分かった。父さんを納得させる酒を提案してみせる!」


「俺も考えてみる。だが、師匠のサケを守ることをやめるつもりはねぇ。師匠が何を目指していたのか、それを考えながらできることをやってみる」


「では、我々に新しいサケを提供してくれるということでよろしいでしょうか?」


 ダスティンがそういうと、マーティンは大きく頷き、


「賭けにも負けたし、新しいサケは優先的に回してやる。もちろん、今の自慢のサケもな」


 こうしてガウアー酒造場から日本酒を買うことが決まった。

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