【ラスボスグルメ外伝】 ジン・キタヤマ一代記~異世界に和食と酒を普及させた伝説の料理人~

愛山雄町

第1話「ジン、異世界に立つ:前篇」

 俺の名は北山仁きたやまじん。三十二歳独身、仕事は一応和食の職人だ。


 一応と付けたのは俺の料理を和食と認めないジジイたちがいるからだ。

 確かに俺の料理は和食で使う食材や技法を外しているところがある。だが、和食=日本料理はさまざまな国の料理を、日本人に合うようにアレンジしながら発展してきた料理であるはずだ。

 天ぷらなんて、その最たるものだろう。


 ならば、俺の料理にバルサミコ酢やオリーブオイル、パスタやベシャメルソースなんかを使っても、和食といっていいはずだ。


 まあ、そんなことはどうでもいい。今、俺は人生最大の異常事態に陥っているのだから。


■■■


 今日は年末年始の繁忙期を終えた後の店の定休日だった。

 その休みを利用して、久しぶりに大阪の南、堺市に来ていた。ここは刃物の町としても有名で、包丁を買い替えるために訪れていたのだ。


 堺市の中心街に俺の馴染みの刃物店がある。そこに頼んでおいた包丁などを引き取った後、そろそろ正午が近づいてきたと思い、昼飯でも食べようと思った。

 特に目当ての店があったわけではないが、堺東駅と堺駅を繋ぐ大小路通から適当な路地に入った。


 その時、ふと眩暈を感じた。

 最近忙しかったから疲れでも出たのかなと思いながら、右手でこめかみを揉む。

 眩暈が消えたところで目を開けると、そこにはどこかのテーマパークのような、レンガ作りの欧州風の家が立ち並んでいた。


「何だよ、これ……」と思わず呟いてしまった。


 さっきまでいたのは堺の中心街だ。

 確かに堺は古い町であり、昔ながらの商店街や古い民家もないわけじゃないが、間違ってもテーマパークのようなヨーロッパ風の街並みがあるところじゃない。


 道路もアスファルト舗装ではなく石畳だ。

 それもきれいに成形された石畳ではなく、大きさもまちまちの石を削って敷いてあるだけのものだった。


「兄さん、そんなところに立っていたら危ないよ」と後ろから声が掛かる。


 振り返ると白人の中年女性が野菜の入った籠を持って立っていた。

 着ている服はややくすんだ感じのワンピースに灰色のエプロン、肩にはグレーのストールが掛かっている。化粧っけはないが、笑みを浮かべた顔は世話好きのおばちゃんという趣だ。


 謝罪のつもりで小さく頭を下げる。


「いいんだよ。でも、道の真ん中にボォっと立っていると、スリにやられるから気を付けるんだよ」


 そう言って片手を上げて立ち去っていく。

 そのおばちゃんを見送っていると、知り合いでも見つけたのか、同じくらいの年の女性と立ち話を始めた。その様子を見ながら、道の端に寄る。


「で、ここはどこなんだ? というか、これは夢か何かか?」


 夢ではないかと思ったのはおばちゃんたちが流暢な日本語で世間話を始めたからだ。

 もちろん、白人の女性でも流暢な日本語を話す人はいる。実際、俺の店に来るお客さんにもそんな人はいるからおかしなことじゃない。


 しかし、よく聞いてみると、日本語ではなく英語に近い別の言語で話している気がしてきた。

 俺の店にも外国からのお客さんは結構来ていたから、英語ならある程度は聞き取れる。だが、母国語である日本語と同じように聞き取ることはできない。


 スマホの地図アプリで位置を確認しようとしたが、圏外となっており、位置情報が更新されない。


(どこなんだよ、ここは……)


 もう一度スマホの画面を覗き込もうとした時、再び後ろから声が聞こえてきた。


「もしかして、“流れ人”では……」


 振り返ると、そこには四十歳くらいのややぽっちゃりした男が立っていた。ぴったりとしたズボンに白いシャツ、そしてベストとジャケットを着ており、紳士という言葉が頭に浮かぶ。


「流れ……」と質問をぶつけようとした。しかし、自分が日本語をしゃべっていないことに驚き、それ以上言葉が出てこない。


 自分が知らない言語を操っていることに驚くが、今は情報収集をすべきと疑問を頭の片隅追いやって話を聞くことにした。


「失礼しました。流れ人とはいったい何のことなのでしょうか?」


 その紳士は俺の問いに笑顔で答えていく。


「流れ人というのは、こことは別の世界から来た人のことを言うのですよ」


「別の世界から来た……」


 そこで再び言葉を失ってしまったが、今は情報を集めなければならないと気合を入れ直して質問を続ける。


「ど、どうして、私が流れ人だと思ったのですか?」


「あなたの服は明らかにこの国のものとは違います。それにあなたのような人種はこの辺りでは珍しい。第一、その手に持っているのは“すまほ”ではありませんか?」


 紳士はぶしつけな質問にも笑顔で答えてくれた。

 確かに俺が着ている服はモスグリーンのダウンジャケットにジーンズ、ニットの帽子と安物のスニーカー、背中には迷彩柄のバックパックという組み合わせで、周りの人々とはあまりに異質だ。


 自分が異質だと気づいたが、それにも増して気になることがあった。

 それはこの紳士がなぜ異世界からやってきた俺に、笑顔で話しかけてきたかということだ。普通なら自分とは違うコミュニティーから来た存在はあまり歓迎されない。地球でも国や地域だけじゃなく、地区が違うだけでも警戒されることはある。

 それにスマートフォンの存在を知っていることも気になった。


 俺が黙っていると、「警戒される必要はありませんよ」と言ってきた。


 そう言われても、この状況に楽観的になれるはずもなく、口を開くことができない。


「我が国では流れ人の皆さんを保護する政策を採っています。そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね」


 そう言って笑い、軽く会釈をする。


「私はこの国、トーレス王国で役人をしております、ダスティン・ノードリーと申します」


「トーレス王国ですか……」と呟くが、すぐに相手が名乗ったことを思い出し、


「北山仁といいます。キタヤマがファミリーネームになります」と反射的に名乗ってしまった。


 ダスティン・ノードリーと名乗る役人から悪意を感じなかったためだが、名乗った直後に後悔した。この状況で個人情報を伝えてしまったのは失敗だったのではと思ったためだ。


「キタヤマさんですね。立ち話もなんですし、その辺りで座ってお話しませんか?」


 そう言って近くのカフェの方を見た。


「いきなり役所と言われても行きづらいでしょうから」と言いながら笑い、


「もちろん、私がおごりますから、代金は心配しなくても大丈夫ですよ」


 このダスティンという人物を一度だけ信用してみようと思った。

 この状況で別の選択肢がないこともあるが、長く接客業をやってきた俺の勘がこの男は信用できると言っているためだ。


 カフェに入ると、ダスティンが「コーヒーでよろしいですか? それともお酒の方がよろしいですか?」と聞いてきた。


 この訳の分からない状況に、酒でも呷りたい気分だが、そんなわけにはいかない。


「コーヒーでお願いします」と無難に答えておく。


 店の中には割と人は多いが、比較的人が少ない場所を選んで座る。

 白いエプロンを付けた若いウエイトレスが注文を取りに来たが、俺を見て不思議そうな顔を一瞬するが、ダスティンに注文を聞いた後は何も言わずに下がっていく。


 すぐにコーヒーカップが置かれ、よい香りに心が少しだけ落ち着く。口を付けるとやや酸味はあるものの、普通のコーヒーだった。


「では、キタヤマさん。まずは私の方からお話ししましょう」


 そう言ってダスティンは話し始めた。


「流れ人というのは先ほど説明した通り、この世界とは別の世界から突然やってくる人のことを言います。なぜやってくるのか、どうやってくるのかについては、我々も、そして流れ人の皆さんも分かっていません。ただ、“チキュウ”という魔術のない世界から来るということだけは分かっています……」


 地球に魔術がないということはこの世界にはあるということだ。だからといってどうリアクションしていいのか分からず、黙って頷くしかない。


「……流れ人を保護する政策を採っていると言いましたが、その理由は流れ人がこの世界にない技術や知識をもたらしてくれるからです。その技術や知識によって、我々の世界は多大なる恩恵を受けているのです」


「技術や知識ですか……私は一介の料理人に過ぎませんから、お役に立てないかもしれません」


 俺がそういうとダスティンは目を大きく見開き立ち上がった。


「料理人ですと! それは素晴らしい!」と大声で叫ぶ。


 その声で周囲の視線が俺たちに集中した。

 視線に気づいたダスティンは俺に向かって頭を下げ、


「申し訳ございません」と謝罪するが、すぐに満面の笑みを浮かべ、


「料理の技術を持った方に来ていただけるとは、思っていなかったのですよ」


「料理人がそれほど珍しいのですか?」


「いえ、それは違います」と答え、説明を始めた。


「この街は美食の都と呼ばれているのです。そう呼ばれるようになったのは、流れ人の方々がさまざまな技術や知識をここにもたらしてくれたためなのです。新しい料理を伝えていただけるなら、この街は更に発展するでしょう。ですから、年甲斐もなく興奮してしまいました」


 詳しく聞くと、ここはトーレス王国の王都ブルートンという町らしく、フランス料理に似たトーレス料理が有名で、多くの旅行者が訪れるらしい。


「話が逸れてしまいましたが、流れ人は国に保護されます。具体的には月に金貨十枚が支給され、住居も無償で与えられます。ちなみに金貨十枚、この大陸の通貨で言えば一千ソルとなるのですが、これだけあれば独身の男性なら充分に暮らしていけます。もちろん、住居の費用が掛からないという条件は付きますが」


 家賃の負担がない状況で充分に暮らしていけるということは、金貨十枚で十万円というところだろう。

 そう考えると、次の疑問が浮かんでくる。


「優遇されるにはそれ相応の技術なり知識なりがいるのでは?」と聞くと、


「いいえ」と大きく首を横に振り、


「どなたでも優遇措置は受けられます。もちろん、技術や知識を国のために提供していただければ、更に多くの助成金を受けることはできますが」


「なぜなんですか? 言っては悪いですが、私のいたところの知識では役に立たないことの方が多いと思うのですが」


 俺にはよく分からないが、コンピュータ関係の知識がこの世界で役に立つとは思えない。他にも精密機器の技術者や気象予報士なんかもあまり役に立たない気がする。


「そんなことはありません」ときっぱりと否定する。


「私が聞いた話ですが、ある流れ人の方は“私はただのサラリーマンですから、大した知識は持っていません”とおっしゃっていたそうなのです。ですが、その方は我が国の商業を革命的に変えてくださいました……」


 ダスティンの話では百年ほど前に四十代後半のサラリーマンがこの国に迷い込んだそうだ。その人物は営業職だったらしいが、手形を使った商取引を提案し、それまで実際の貨幣でしか取引していなかったものを劇的に変えたらしい。


「……手形の他にも契約書の書式を統一して、契約に関わるトラブルを大幅に減らしてくださいましたし、発注方法の改善などもしてくださいました。他の方でも残っている資料を見る限り、皆さん何らかの貢献をされているのです……」


 ダスティンは更に説明を加えていく。


「……この国に現れる流れ人の方は、ここ二百年ほどに限れば、三十年に一人くらいの割合です。それもチキュウという世界のニホンという国から来られる方がほとんどです……」


 日本から来ているという事実に驚きを隠せない。


「……ニホンの方の名前は子音と母音が交互に並ぶことが多いという特徴があるそうですね。キタヤマさんもニホンから来られたのではありませんか?」


 そこまで分かるのかと更に驚き、思わず頷いてしまう。


「やはりそうでしたか……」と言ったところで大きく頭を下げる。


「私ばかり一方的にお話してしまい、申し訳ございません。先ほどもお話しましたが、流れ人の方は数十年に一度しか現れないのです。それもこの国全体での話ですので、偶然出会えたことに興奮しておるのですよ」


 宝くじに当たるより確率は低そうだ。興奮するのも分からないでもない。


「気にしていませんので」というと、


「聞きたいことがございましたら、何でもおっしゃってください。私に答えられることでしたら、お答えしますので」


 聞きたいことは山ほどあった。


「私は元の世界に戻れるのでしょうか?」


 一番気になっていることだが、今までの話の流れから言って帰られない気がしている。

 俺の問いにダスティンは表情を暗くする。


「記録に残っている限りでは、行方不明になられた方はいらっしゃいますが、戻られたという話は残っておりません」


「行方不明ということは戻った可能性があるのでは?」


「その可能性は否定できませんが、行方不明になった方はいずれも絶望されていたそうです。自殺未遂も起こしており、遺体が発見できなかっただけではないかと考えられております」


「そうなると戻れないと考えておいた方がいいと……」


 それ以上言葉が出てこない。

 俺は独身で、家族は田舎にいる両親と兄、結婚して東京にいる妹だけだし、恋人もなかった。


 心残りがあるとすれば、両親の他には大阪の店のことだけだ。

 二年前にオープンしてようやく軌道に乗ってきたところだった。従業員はバイトが二人いるだけだが、突然の失踪となれば多くの人に迷惑が掛かるだろう。


「希望がないことをお伝えすべきではないと思わないでもないのですが、いずれ分かることですので、最初にお伝えしました」


 希望を失って、さっき言っていた人物のように自ら命を絶たないとも限らない。正直に言ってくれた彼に誠実さを感じていた。


「私としては最初に言ってくださってよかったと思っています。ただ、心の整理は全然できていないですが……」


「私には想像もできないことですが、すぐに切り替えられるというものでないことは分かります。ですが、人は生きていかなければなりません。そのためのお手伝いを、私にさせていただけませんか?」


 先ほどまでの笑みは消え、真摯な表情でそう言ってきた。


「そうですね……お任せいたします」


 この時はまだ夢ではないかと心のどこかで思っており、意外に冷静だった。

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