第56話「閑話:月島風太:前篇」

 中学3年生の時、僕はこの世界に飛ばされた。

 飛ばされたのは5月の連休が終わった頃で、剣道部の練習をしている時だった。休憩時間にトイレに行った帰り、目眩がしたと思ったら、見知らぬ街の中にいた。


 道は舗装されておらず、茶色い壁の家が並んでいた。何となく埃っぽく、霞んだ感じがして現実のものとは思えなかった。

 特に犬や猫の耳を付けた獣人が鎧を身に着け、剣や槍を持って歩いている姿が現実感を無くしていた。


 何が何だか分からず、呆然としていると、見上げるほどの大男が目の前に立っていた。

 額には2本の角らしきものがあり、鋭い犬歯も見える。


「鬼……」と思わず呟いていた。


「邪魔だ」


「す、すみません」と謝り、すぐに道の端の方に寄った。


 その鬼はそのまま立ち去ったが、僕には現実のこととは思えなかった。


(ここはどこだ……僕は夢を見ているのか……)


 その場に立ち尽くしていると、近くの露店のおばさんが声を掛けてきた。


「変わった格好をしているね。どこから来たんだい」


 僕の着ているのは剣道着で、周りの人から浮いている。


「ここはどこなんでしょうか?」


「ここは亜人街だよ。あんたみたいな普人族ヒュームが来るところじゃないんだ。すぐに家に帰りな」


 おばさんもよく見ると垂れた犬の耳が生えていた。


「亜人街……ヒューム……」と呟くが、頭が付いていかない。


「ただの迷子じゃなさそうだね。おばさんが話を聞いてやるから、何があったのか言ってみな」


 僕は言われるまま突然ここに来たことなどを話していった。


「……流れ人って奴か。初めて見たよ。なら、一緒に役所に行くよ。あんた! 店番を頼むよ!」


 それだけ言うと、僕の手を引き、歩き始めた。

 僕はどうしていいのか分からず、泣きそうになるが、夢を見ているのだと思い込み、引かれるまま歩いていった。


 それからのことは正直あまり覚えていない。

 偉そうな感じの役人が面倒臭そうに手続きをし、僕は流れ人のヒュームとして、この国、アレミア帝国の国民になっていた。


 おばさんは「あんたのお陰で儲かったよ。何かあったら、あそこに来な」と言って、立ち去った。


 役人から説明を受けたが、正直理解できなかった。


「……パーソナルカードを出して、どんなスキルを持っているのか説明しろ。それによってお前の待遇が変わる……」


 パーソナルカードが自分の手から出てきた時には驚きで声にならなかった。


「何が書かれている。スキルのところを読み上げろ」


 言われるまま読み上げていくと、剣術のスキルを持っていることが分かった。


「スキルレベル1か。ただの素人だな。他のスキルも数こそ多いが、レベル3程度。子供じゃ仕方がないが、外れだな……」


 今なら言っている意味は分かるが、その時は不安と情けなさで涙が零れてしまった。


「我が国は無能な奴を支援することはない。まあ、他の流れ人への手前、無一文というわけではないがな」


 そう言って革でできた袋をテーブルの上にポンと投げた。


「金貨が10枚入っている。それで仕事が見つかるまで食いつなげ」


 それだけで僕は役所から放り出された。


 泣きそうになりながら町を歩き、食べ物の匂いに誘われて一軒の建物に入っていった。

 中に入ると、映画に出てくるような鎧を着た人たちがたくさんいた。中には魔法使いみたいな三角形の帽子にローブを着ている人もいる。


 よく分からない食事を摂り、支払いをしたところで5人の男に絡まれた。全員顔に傷があり、身体も大きい。

 その中の一人がニヤニヤ笑いながら、「結構持っているようだな。俺たちに奢ってくれよ」と言ってきた。


 そこで僕は自分の失敗に気づいた。金貨しか持っていなかったから仕方がなかったのだけど、革袋からそのまま金貨を出して支払いをしてしまったのだ。不良がたむろする中で、一万円札が何枚も入った財布を開いたようなものだ。


「勘弁してください。これで生きていかないといけないんです」と言ってみるが、全く聞いてくれない。


 諦めようかと思った時、「子供相手にちんけなことをする奴だな」と言う声が後ろから聞こえてきた。


 振り向くとそこには30歳くらいの虎柄の尾を持つ獣人の男が男たちを睨み付けていた。更にその後ろに5人の武装した男女がおり、一緒になって睨んでいる。


「邪魔をするな。お前らには関係ないだろう」


「いや、関係ある。お前のような奴と同じ探索者シーカーで括られたくないんだよ。こういうことをやるなら、シーカーカードを外してからやってくれ」


「て、てめぇ!」とその男は凄むが、すぐに「行くぞ」と言ってその場から立ち去っていった。


「どこから迷い込んできたのか知らんが、これに懲りたら二度とこんなところに来るんじゃない。分かったな」


「あ、ありがとうございました」と頭を下げるが、恐怖が去って気が緩んだためか、その場でへたり込んでしまった。


「大丈夫か」と僕を支えてくれた。


 それからその獣人、データスさんたちに僕の話をした。今にして思えば、簡単に人を信じてはいけないと思うのだが、その時は僕の話を聞いてくれるというだけで、涙が出るくらいうれしく、流れ人であることと役所から相手にされなかったことを話してしまった。


「そうか……なんて言っていいのか分からんが、これも何かの縁だ。お前が一人前になるまで面倒見てやるよ」


 運がよかったことにデータスさんたちは皆いい人だった。

 彼らは魔銀級ミスリルランクのシーカーで、帝国内で起きた内乱騒ぎで故郷を失い、この町、アクラムに来たそうだ。そのため、同じように故郷に帰れない僕に同情してくれたのだ。


 データスさんたちに魔物との戦い方を教えてもらった。更には武具まで用意してもらい、僕はシーカーになった。

 一年ほど世話になったが、僕は再び一人になった。データスさんたちが迷宮から戻ってこなかったのだ。


 詳しいことは分からなかった。

 いつも安全には細心の注意を払っている人たちだった。それでも全滅した。日本と違うということを僕は嫌というほど思い知った。


 彼らとは家族のように付き合っていたから悲しみが大きかった。

 僕はここアクラムの町を捨て、別の町でやり直すことにした。


 その頃、僕はレベル90にまで上がり、白銀級シルバーランクの上位になっていた。この世界にもなじみ、流れ人と思われることもほとんどなかった。


 次の町は300キロほど離れたサーミウムという名前で、ここでパーティメンバーを探した。ここは主要街道にある町で迷宮もあり、一旗揚げようとする同世代が多いためだ。


 話は変わるが、アレミア帝国は世界最大の国だけど、決して住みやすいところじゃない。

 ヒュームと獣人族・鬼人族との間で絶えず内紛が起き、その結果、内乱で故郷を失った者が盗賊に身を落とすことが多く、一部の大都市以外の治安は非常に悪い。

 また、ヒュームの貴族たちは帝国の法律を無視し、好き放題やっている。


 そんなこともあり、辺境の村から一旗揚げるつもりで迷宮のある町に出てくる若者は少なくない。しかし、その多くがまともな訓練も受けずにシーカーになるため、最下級の青銅級ブロンズランクのまま命を落とすことが多かった。


 帝国にも迷宮を管理する役所はあるが、税金を徴収するだけで、シーカーたちを育成しようという気が全くない。これは優秀な戦士である獣人族や鬼人族が多いため、放っておいてもある程度は稼ぐことができるためだ。


 僕は16歳でもうすぐ黄金級ゴールドランクになるというレベルの高さを利用し、同世代の若者を勧誘していった。


 村を追い出されたような者が多く、真面目な者はほとんどいなかったが、元々の数が結構いるから、パーティメンバーはすぐに集まった。そして、データスさんから教わった迷宮で必要な技能を教えた。


 男5人、女5人の計10名のチームを作った。

 迷宮に入れるのは一度に6人までだが、体調の良し悪しや、拠点とした家の管理などがあり、常に誰かが残っていた方がいいと思ったためだ。


 男女の比率はあまり意識していなかったが、村から出てきた女の子はならず者に食い物にされやすいので、助けているうちに5人になっていた。

 その中に僕の妻になったシルヴィアがいた。


 彼女は親に奴隷商に売られそうになり、夜逃げ同然で村を飛び出したそうだ。

 最初はどこかの商店で働こうと思ったようだが、紹介もなく雇ってくれるところはなく、ようやく見つけた勤め先も、彼女の身体が目当てだった。そのため、逃げ出し、僕と出会った。


 チームを作った最初の頃は結構大変で、ギリギリの生活が続いた。それでもみんなで少しずつ強くなっていくのが楽しかった。

 ある程度強くなると、報酬を公平に分配していることや話し合いで物事を決めるということが噂になり、魔術師や神官が加わった。

 それを機に、僕たちは一気に強くなった。


 この世界に来て4年が経ち、白金級プラチナランクになった。この頃には生活にも余裕ができ、僕たちのチームは結構な人数になっていた。

 そうなると、いろいろと人間関係がややこしくなり、面倒ごとが増えた。


 その頃、僕とシルヴィアは恋人関係になり、彼女に子供ができたところで、シーカーを辞めようと相談し始めた。


 たまに現れるスールジア魔導王国の商人に話を聞くと、スールジア魔導王国、マシア共和国、マーリア連邦、トーレス王国が住みやすそうだと分かった。

 移住の準備をしていくと、結構な金がかかることが分かり、金を貯め始めた。


 1年ほどで移住できるだけの金を貯めた。

 その間に情報を集め、トーレス王国に国王の寵愛を受けている流れ人の料理人がいるという話を聞いた。


 他にもトーレスでは流れ人を優遇する政策を採っており、生きていくだけなら何となるらしいという話も聞いた。


 陸上を移動するのは危険が多いので、船を使うことに決めていた。そのため、港町に移動し、トーレス王国行きの船に乗った。

 赤ん坊と一緒の旅は大変だった。特にシルヴィアは船酔いと子供の世話で体調を崩しかけていた。


 その船はマシア共和国のものだったが、その流れ人の料理人、ジン・キタヤマ氏の食材を扱うオーデッツ商会の商品を運んでいることが分かった。

 そのお陰で、ボスコムという港町に到着すると、オーデッツ商会の商会長、チャーリー・オーデッツ氏に会うことができた。


「ジンさんと同郷だと聞きました。ここからは私が責任をもって王都にお連れしますから、安心してください」


 チャーリーさんは大企業の社長さんで、僕たちのために最上級のゴーレム馬車を用意してくれた。

 王都ブルートンに到着した後も、産業振興局の局長ダスティン・ノードリー氏に紹介してくれ、そのお陰でややこしいことは全く起きず、それどころか着いたその日に北山さんに会うことができた。


 それからは驚くことばかりだった。

 まず、北山さんの家は屋敷というくらいの大きさで、貧乏暮らしが続いていた僕には同じ流れ人だと思えなかったほどだ。

 その後、ポットエイトという居酒屋に行った。


「ポットエイトっていう名前はどう思う?」と北山さんに聞かれたが、正直あまりピンとこなかった。


「やっぱり若い子には分からないか」と北山さんは苦笑し、「ポットとエイトを日本語にしてみたら分かるよ」と言われ、ようやく理解できた。


「中学生に居酒屋の名前は思いつきませんよ」と思わず言ってしまったが、「でも、この雰囲気は懐かしいです」と答えた。


 その後、懐かしい日本の味に思わず涙が零れるほど感動した。

 僕がいた町はパサパサのパンと脂っこい肉料理ばかりで、美味しいと思えるものはほとんどなかった。甘い物も少なく、この世界に美味しいものはないんだと思っていた。


 しかし、北山さんのお弟子さん、フランクさんの料理は日本のファミレスより遥かに美味しく、美食の町というのは大袈裟ではないと思った。


 その翌日、北山さんの店、“和食屋北山”に行った。

 高級な和食の店なんて行ったことがなかったから、どう言っていいのか分からないけど、ドラマとかで見た和服の女将さんが現れそうな高級な感じで、僕には場違いなところだというのが第一印象だった。


 周りを見ると、貴族や大商人のような付き人がいるような人ばかりで、北山さんのお弟子さんのサイモンさんに話を聞くと、侯爵や伯爵が来るほどの高級店だと教えてもらった。


 料理は前の日に言っていた通り、カレーライスを出してもらい、この雰囲気には合わないなと思いながらも、食べ始めると、日本のカレーライスに再び涙が流れた。


 その日の午後、北山さんの仕事の合間に今後のことを相談させてもらった。


「昨日は北山さんのお店で修業したいみたいなことを言いましたが、こんな凄い店だと思っていませんでした」


「凄いというほどでもないし、和食を知らない素人の若者が何人も修業しているぞ」


 そう言われるが、僕は気後れしており、どうしても無理だと答えることしかできなかった。


「なら、昨日行ったポットエイトならどうだ? 庶民的な料理が多いし、君が目指す店のイメージにも近いんじゃないか? フランクなら腕は確かだ。教え方も上手いし、いいと思うんだが」


 フランクさんとは少し話したが、とても話しやすい人だったし、ああいう雰囲気の店の方がいい気がした。

 それからフランクさんのところに行き、弟子入りさせてほしいとお願いした。


「もちろん大丈夫だよ。師匠と同郷の人なら、本物の味を知っているんだし、僕にとっても助かるから」


「本物の味なんて知らないです。まだ子供だったんですから」


 そう言うものの、「師匠と同じ国にいただけで充分さ。僕たちの憧れの国なんだから」と言われるだけだった。


 家は平民街に借りた。ダスティンさんの紹介ということで安く借りられたが、ダスティンさんが偉い人だとその時に知った。


 ダスティンさんと一緒に不動産屋に行くと、すぐに社長が出てきて、揉み手をしながらペコペコと頭を下げている。

 あとで話を聞くと、


「先王陛下のお気に入りの官僚で、今の陛下の信頼も厚い方として有名なんです。特にここ数年の好景気は局長の手腕によるところが大きいと言われていますから。ツキシマ様からも私のことをよしなに伝えてくださいね」


 ダスティンさんは話しやすいおじさんという印象しかなく、失礼だけどそんなすごい人だとは思わなかった。


 フランクさんの店で働き始めたが、初めてのことばかりで戸惑うことが多かった。それでも日本で慣れ親しんだ料理が多かったから、味のイメージは分かるし、すぐに慣れることができた。


 ただ、このまま北山さんやフランクさんの世話になりっぱなしでいいのかと思い始めていた。

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