第55話「ジン、流れ人に出会う」
大陸暦1085年10月10日。
今日は店の定休日でブルートン醸造所に行く予定もなく、家族で過ごす。
天気もよく、気持ちいい風が吹いていたので、ブルートンの城壁の外にピクニックに行くことにした。
城壁の外と言ってもすぐ近くの練兵場にも使われる草原で危険はない。
練兵場だが、演習が行われていなければ、自由に入ることができるので、ブルートン市民の憩いの場にもなっているところだ。
秋空の下、家族5人でのんびりと弁当を食べ、子供たちと遊ぶ。午後3時頃になり、家に帰ると、ダスティン・ノードリーが待っていた。
「何かありましたか?」と聞くと、
「お休みと聞きましたが、少し急ぎの用件がありまして」と言って頭を下げてきた。
「ここでは何ですので、家に入りましょう」と言うが、
「このまま役所に来ていただき、会ってほしい人がいます」
俺が首を傾げると、
「ニホンからの流れ人が現れました」
「日本からの流れ人ですか? 分かりました。すぐに向かいます」
妻のマリーも横で聞いていたため、「役所に行ってくる」とだけ告げ、ダスティンと一緒に歩き始めた。
「私と同じようにここに現れたのですか?」と歩きながら聞いてみると、
「すみません。少し言い方を間違えましたね」とダスティンは笑い、
「6年ほど前にアレミア帝国に迷い込んだそうです。帝国では生きづらくなったので我が国に移住してきたと言っています。我が国に来た理由がジンさんなんです」
「私が理由ですか?」
「はい。最初は流れ人を優遇しているスールジア魔導王国に行こうと考えたようなのですが、ジンさんが和食の店をやっていることを聞いて、我が国にしたと言っています」
「なるほど」
同郷の者がいる方が安心だというのは分からないでもない。
「お休みのところ無理を言ったのは、その人物が本当に流れ人か確認していただきたいんです」
「確認ですか?」
自分の時に確認された記憶がないため、疑問が口を突く。
「ええ。流れ人を騙って補助金を得ようとする不届き者が時々いるんですよ。レベルが1なら判別もつくんですが、6年前に迷い込んだと言われると、レベルも上がっていますし、持ち物や服装では判断できないことが多いんです」
「確かにそうですね」というものの、俺がいるところにわざわざ来たということは、その可能性は低いだろう。
「私も偽物だとは思っていないんですが、相手もジンさんに会いたいと言っているので、無理を言わせていただきました」
詳しく聞くと6年前、15歳で迷い込み、それからアレミア帝国でシーカーをやっていたそうだ。剣道部だったらしく、21歳と若いのに
役所の応接室にその人物はいた。
短く刈り込んだ黒髪とがっしりとした身体つきの若者で、日本なら警察官か自衛官だと思ったかもしれない。
「ジン・キタヤマ……いえ、北山仁です」と言い直し、右手を差し出す。
「
そう言ってニコリと笑った。
彼の妻は帝国人で、金髪碧眼の美女だ。背は高いが華奢な感じで、長旅で疲れている感じがした。オクタヴィアという名の1歳くらいの乳児を抱いており、名前はシルヴィアだと紹介される。
「月島さんは6年前に迷い込んだと聞きましたが?」
「はい。中学3年の時の春なんですが、部活の練習中に、突然別の場所に出たんです……」
彼は関西の西の県の下町育ちで、ある日の放課後、剣道部の練習をしている時、トイレに行った帰りに転移したそうだ。
そのため、ほとんど何も持っておらず、中学生ということで大した知識や技能もなかったこと、たまたま助けてくれた人が
「……帝国では特別な知識や技能を持っていないと補助金を受け取れないんです。まあ、今まではシーカーとしてほどほど稼げていたんで気にしていなかったんですが、このままシーカーを続けていてもいつか命を落とすでしょうから、何か別の商売でもと考えたんです」
「なるほど。それで何か思いついたのですか?」
「最初は何も思いつかなくて、とりあえず流れ人が優遇されるスールジアかトーレスに行くことだけを考えていました。それで港のある町に行ったのですが、その時、北山さんの話を聞いたんです。トーレス王国で和食の店をやっていると……」
彼が行った港町はマシア共和国からの中継地点で、たまたま俺の噂を聞いたらしい。
「……僕の家はお好み焼き屋だったんです。休みの日には手伝いもしていました。もちろん中学生の時なんで、大した手伝いはしていません。ですから、北山さんに料理を教えてもらって、ある程度お客さんに出せるくらいの腕になったら、ここでお好み焼き屋を開きたいと考えています……」
一通り話が終わったところで、ダスティンに顔を向ける。
「話を聞く限り、月島さんは間違いなく、日本からの流れ人ですね。それも私も大好きな日本の下町料理の店の息子さんです」
「それはよかった。ジンさんが保証してくださるなら、すぐに流れ人としての手続きに入れます」
真面目な顔でそう言うと、後ろに控えていた役人に「すぐに手続きを」と命じる。
役人が出ていくと、いつもの笑みを浮かべた顔になり、
「ジンさんが好きな料理が気になりますよ。それはどういった物なんでしょう?」
相変わらずだなと思いながらも説明していく。
「お好み焼きは溶いた小麦粉に出汁などを加え、細かく刻んだキャベツなどの野菜と豚肉や海鮮と一緒に鉄板で焼く料理です。仕上げに専用のソースを掛けるんですが、このソースの甘酸っぱさと小麦粉の焼けた香ばしさ、豚肉の脂のコクがビールによく合うんです」
俺の説明にダスティンがゴクリと唾を飲む。
「よい人材が我が国に来てくださったようですね。ですが、専用のソースと言いましたが、それはできるんでしょうか?」
「お好み焼きのソースはウスターソースがあれば作れないことはないと思います。他の材料もほとんど揃っていますし、再現はそれほど難しくないと思いますよ」
俺が迷い込む前からウスターソースは存在している。と言っても日本のウスターソースよりスパイシーで、アンチョビを使っている分、独特の癖がある。
作っているのはブルートン近郊の村なので、そこにお好み焼きに合うソースを作ってもらうことはそれほど難しくないだろう。
「それは楽しみだ……」と言ったところで、ダスティンは主役を忘れて話していたことに気づいた。
「すみません。ツキシマ殿のことを忘れて盛り上がってしまいました」
「気にしないでください。ですが、トーレス王国の役人の方は帝国に比べて話しやすいですね。帝国だと下っ端の役人でも偉そうにしていて、こんな風に話してもらえることなんてなかったですから」
「ダスティンさんは特別話しやすいですけど、他の方たちもいい人が多いですよ。この国を選んだのはいい選択だと思います」
俺がそういうと、ダスティンは照れ笑いを浮かべていた。
「長旅でお疲れでしょうし、手続きが終わったのなら、休んでもらいましょうか」
帝国の港町セリアロから海路で2500キロ、陸路で150キロほどの長旅だ。それも乳飲み子を連れての旅なので、相当疲れているはずだ。
月島君は隣に座る妻の様子を見て、同じことを思ったようだ。
「そうしていただけると助かります」と言って頭を下げるが、
「宿はどうしたらいいんでしょうか。手持ちも少なくなっているので、安いところがいいんですが」
不安そうな表情で聞いてきた。
「うちに泊まってもらいましょう」
俺の言葉にダスティンが「いいんですか? うちでも大丈夫ですが」と言ってきた。
「私のところは無駄に部屋がありますから」
市民カードができたため、用意されたゴーレム馬車に乗って家に向かう。
「北山さんにお会いできて本当によかったと思っています。仕事の相談なんかもさせてもらいたいんですが、後で時間をもらえませんか」
馬車の中でそう言ってきた。
「構いませんよ。でも、当面は身体を休めた方がいいですね。これからのことは落ち着いてからゆっくり考えてもいいですから」
「ありがとうございます」と言って僅かに鼻声になる。
これまでいろいろあり、ようやく落ち着けるということで感情が抑えられなかったのだろう。
屋敷に到着し、馬車を降りる。
「ここが北山さんの家なんですか?」と驚かれる。
「広すぎるとは思っているんですが、いろいろと便利ですから」
料理人と聞いていたので、ここまで大きな屋敷に住んでいるとは思っていなかったようだ。
家の中に案内し、マリーに事情を簡単に説明する。
「もちろん問題ないですよ。あなたと同郷の方なんですもの。部屋も余っていますし、いつまでもいていただいても大丈夫です」
笑顔で了承してくれた。
夕食は元々フランクの居酒屋ポットエイトにいくつもりだったので、娘のケイトに2人追加できるか聞いてきてもらう。ケイトも12歳になったので、このくらいのお使いは問題ない。
ポットエイトまでは少し離れているが、30分ほどで戻ってきた。
「フランク兄さんに聞いたら大丈夫だって」
夕食まで時間があるので、月島君たちにシャワーを浴びるよう勧めた。
「ありがとうございます。船と馬車の旅で身体を拭くくらいしかできていなかったので」
「今日は時間がないですが、明日は風呂に浸かれますよ。うちには湯船がありますから」
「そうなんですか! 帝国には貴族の屋敷にもなかったはずですよ……6年ぶりに風呂に入れる……」
気持ちはよく分かる。俺も最初の店の時には浴槽がなく、湯船にゆっくり浸かることができなかった。そのため、ここに住み始めてから風呂を改造していた。
スールジア魔導王国の最新の造水の魔導具を付けており、井戸まで汲みに行く必要はなく、手間は少ない。ただ、燃料である
「北山さんにお願いがあるんですが」
「何でしょう?」
「僕の方が圧倒的に年下なんで、敬語をやめてもらいたいんです。親世代の人に敬語で話されると落ち着かなくて。それに僕自身、あまり敬語を上手く話せませんし」
「なるほど。確かにそうだね。では、月島君、いや、風太君と呼ばせてもらうよ。まあ、修業するなら呼び捨てになるがね」
「ありがとうございます」
自分では敬語が上手く話せないと言っているが、荒くれ者の多いシーカーだった割にはきちんとしたしゃべり方ができている。中学生だったとはいえ、武道系の部活をやっていたためだろう。
夕方になり、手配しておいたゴーレム馬車でポットエイトに向かう。
到着すると、フランクが出迎えてくれた。
「師匠、お待ちしておりました。奥の個室にどうぞ」
そう言った後、小声で「ケイトちゃんから流れ人だと聞きましたが」と聞いてきた。
「ああ、帝国で苦労したみたいだから、日本の料理を食わせてやりたいと思ってな」
「何か特別なものが必要なら言ってください。僕にできる物なら何でも作りますから」
「そうだな。最後に飯は食べさせてやりたいが、要望は聞いておくよ」
ポットエイトにはカウンター席とテーブル席がメインだが、8人用の個室もある。その個室に入ると、すぐに店のスタッフがおしぼりを持ってきた。
飲み物を頼んだ後、風太がおしぼりをまじまじと見ていた。
「文字を見なければ日本だと思ってしまいますよ」
「メニューも日本にあったものが多いから、好きなものを頼んでくれ。味は俺が保証するから」
「ありがとうございます」と言った後、メニューを見ながら、妻のシルヴィアに説明していく。
「これは鶏肉を揚げた料理だ……これはマヨネーズを使ったサラダで……ハムカツもあるんだ……」
最後の方はメニューを見て喜んでいた。
「こっちも適当に頼むから、好きなものを頼んでいいぞ」
そのタイミングで飲み物が出てきた。
俺とマリー、風太はビールを、乳児を抱えるシルヴィアはオレンジジュースだ。子供たちはそれぞれ好きな飲み物を頼んでおり、全員の前に飲み物が揃った。
「まずは乾杯しよう。風太君とシルヴィアさん、それにオクタヴィアちゃんの今後を祝して、乾杯!」
「「カンパイ」」という声が響く。
料理が出てくると、風太は泣き笑いのような顔でそれを箸で食べていく。
「箸を使うのも久しぶりです。それに本当に美味しいですね。家族でファミレスに行った時を思い出しました……」
それまで緊張気味だったシルヴィアもこの場に慣れたのか笑顔が見えるようになる。
ケイトがオクタヴィアを抱きたがり、笑顔で抱かせてくれている。
そのため、シルヴィアが話に加わったが、逆に風太がケンとリュウの2人に捕まった。
2人はシーカーに憧れがあり、目の前にいる現役のプラチナランクシーカーに興奮していた。
「どんな魔物と戦ったの! 強かった?」と7歳になる次男のリュウが聞いている。
「そうだね。最後の方はオークが多かったかな」
「剣術を教えてほしいんですけど、明日お願いできますか」と9歳の長男、ケンがキラキラした目をして頼んだ。
「構わないよ」
「じゃあ、僕も!」とリュウが立ち上がる。
「無理を言っちゃいけないぞ。風太君も気を使わなくていいからね」
「大丈夫です。弟ができたみたいで僕としても楽しいですから」
そんな会話をしながら食事が進む。
シルヴィアはマリーと意気投合して話に夢中になっていた。子育てのことで悩んでいるらしい。
「そう言えば、何か食べたい物はあるかい。カップ麺とかスナック菓子みたいな物は無理だが、料理なら大抵の物は作れるが」
そう聞くと、風太は少し悩んだ後、
「ご飯が食べたいです」
「白飯でいいのか? かつ丼や牛丼も作れるが」
「えっ! そんな物まで食べられるんですか! メニューになかったんですけど」と驚かれる。
ポットエイトのメニューにはご飯ものは書いていない。炭水化物系だとパスタとトーストくらいだ。これは米の料理がなかなか認知されないためで、知っている客が頼めば作るというスタイルになっている。
「大丈夫だ。まあ、飯が炊けるまで時間は掛かるが、親子丼でも鰻丼でも大丈夫だ。カレーライスはないが、食べたいなら明日にでも食わせてやるぞ」
「カレーまで……では、牛丼をお願いします。近所にチェーン店があったんで親が忙しい時によく食べに行っていたんです」
牛丼を頼み、その後もいろいろな話をした。
シルヴィアとの馴れ初めを聞くと、彼女もシーカーをやっており、同じパーティにいたことから付き合い始めたらしい。女性のシーカーも少なくないそうだが、槍使いだったと教えられ、驚いてしまった。
「魔術は使えませんし、弓も得意じゃなかったので……」
「店で働くとか安全な仕事もあると思うんだが?」と聞くと、
「いろいろあって、気づいたらやっていたって感じですね。それに帝国は治安が悪いですから身を守る術があった方がいいんですよ」
レベルを聞くと250を超えているそうで、赤ん坊を愛おしそうに抱く姿とのギャップに驚く。
食事も終盤に差し掛かった頃、フランクがトレイを持って現れた。
「ギュウドンです。アカダシもご一緒にどうぞ」
テーブルの上に丼とお椀が置かれる。
「味噌汁に紅生姜もある……」
そう言いながら紅生姜を丼に入れる。
肉と一緒に汁をたっぷり含んだご飯を箸で取る。それを口に入れ、咀嚼する。
「牛丼だ……もう絶対に食べられないと思っていたのに……ぐすっ……」
感極まったのか、涙を浮かべていた。
一心不乱に箸を動かし、牛丼を食べていく。
あっという間に食べ終え、涙を拭いた。
「ありがとうございました。北山さんのお陰で忘れかけていた日本のことを思い出すことができました」
そう言って大きく頭を下げた。
「気持ちは分かるよ。日本の味が食べたくなったら、いつでも言ってくれ」
「ありがとうございます。本当にここに来てよかったです……」
そう言ってもう一度大きく頭を下げた。
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