第54話「ジン、弟子の独立を見守る」

 大陸暦1085年の夏。

 今年は年明けに大きなイベントがあった。

 国王ヘンリーが退位し、王太子ジェームズが即位したのだ。


 ヘンリー王は55歳。特に健康問題を抱えているわけではないが、トーレス王国では王太子が30代のうちに譲位する風習があるらしく、慣例通りだということだ。

 ヘンリー王はブルートンの郊外にある離宮で隠居生活に入ると聞いている。


 大規模な式典が行われ、国外から多くの賓客が訪れた。

 俺もその式典の後の晩餐会で料理を作っているが、今回は黒子に徹し、宮廷料理人が作ったように見せている。

 これは新王ジェームズの指示だ。


「キタヤマ殿の存在が他国に知られると引き抜き工作が行われるかもしれんからな。特にアレミア帝国は強引な手を使ってこないとも限らぬ」


 アレミア帝国はトーレス王国の東にある大国で、王国の数倍の国力を持ち、領土的な野心を持っている。ここ10数年は比較的平穏だが、以前は国境紛争が何度も起きていたらしい。


 寿司と粕漬の焼き魚などを出したが、目玉料理としてコカトリスの照り焼きを作っている。


 非常に好評だったため、誰が作ったのかという問い合わせがあったそうだが、王宮が全面的に俺の存在を秘密にしたため、マシア共和国の料理人を入れたと思われ、俺に影響はなかった。


 ジェームズ王は“美食の都”を広めるということに、前王ヘンリーより更に積極的だった。俺も関わった王立ブルートン醸造所で作った酒を積極的に各国の要人に勧めていた。


「マシアから酒造りの職人を招聘して、ようやく出来上がったサケなのだ。まだ本場には及ばぬが、私の代でマシアに追いついてみせる」


 出した酒はブルートンホマレと新たに作ったフェニックスバイデンだ。

 フェニックスバイデンはマシアの酒米ノウチニシキを使った純米大吟醸で、香り豊かなだけでなく、力強い日本酒だ。

 この酒に各国の要人たちも「ワインだけでなく、サケも素晴らしいですな」と手放しで褒めていた。


 名前の由来はバイデン地区が行政区として認められたことを記念して付けた。

 バイデン地区は以前、バイデン村と呼ばれていたが、水害で完全に廃村になった。そこにブルートン醸造所が作られ、多く人が住むようになり、ブルートン市の特別行政区、“バイデン地区”として復活した。

 そのバイデン地区の復活を祝って、不死鳥と名付けたのだ。


 特別行政区は国王の直轄地であるだけでなく、税の優遇などもある開発重点地区のことで、ブルートン醸造所に続き、新たな醸造所が作られている。今では完全に“サケの町”という感じになっている。


 式典の後、ジェームズ王に呼び出され、労いの言葉を掛けてもらった。


「此度も見事な料理であった。今後とも父の時と同じく、よろしく頼む」


 ちなみに晩餐会などで料理を作るが、報酬はもらっていない。

 適正な値段の報酬をもらうという選択肢もないわけではないが、最初にその話をした時、とんでもない額が提示され、その調整が非常に面倒だったためだ。


 前王ヘンリーだが、離宮で隠居生活とはいえ、すぐに国政からすべて離れるわけではなく、しょっちゅう王宮に来ているらしい。俺が料理を作りにいくと必ずいるから、もしかしたらその日に合わせているだけかもしれない。



 国王の交代というイベントがあったが、王国は平和そのものだ。


 妻のマリーはもちろん、子供たちも元気だ。長女のケイトは12歳になり、学校に通っている。ここブルートンでは平民の子供が通う学校があり、10歳くらいから15歳くらいまでの子供が読み書きなどを学んでいる。


 長男のケンは8歳、次男のリュウは7歳になり、やんちゃ盛りだ。2人とも元探索者シーカーのフィルに剣術を習っており、兵士かシーカーになりたいと言っている。俺としては危険な職業はあまり勧めたくないが、本人たちの希望なら仕方がないと思っている。


 俺の店の方も以前のようなトラブルはなく順調で、弟子たちもメキメキと腕を上げている。

 元宮廷料理長サッカレー氏の店で修業したサイモンだが、1年で戻ってきた。

 名人サッカレー氏から直接手ほどきを受けたこともあり、料理に幅ができた感じだ。本人も自信に満ちている。


「師匠のおっしゃる通りでした。ワショクとの違いがよく分かりましたし、師匠が時々、オリーブオイルを使う意味も何となく分かった気がします」


 さすがにレベルは上がっていないが、近いうちに宮廷料理長並みのレベル8になるのではないかと期待している。


 サイモンはまだだが、先輩に当たるフランクがレベル8になった。

 まだ28歳であり、史上最速のレベル8到達者だそうだ。

 本人も驚き、少し戸惑っていた。


「僕がレベル8……何かの間違いじゃないかと思います……」


「そんなことはないぞ。お前の料理は間違いなく本物だ。自信を持て」


 戸惑ったのには理由がある。

 宮廷料理長と同じレベルということで、いろいろなところから勧誘されているのだ。


 王家からは副料理長と和食部門長の地位が提示された。

 更に凄かったのはフォーテスキュー侯爵家だ。

 侯爵家の料理長か、領都フォーテスキューの一等地に店を用意すると言ってきただけでなく、騎士爵の地位まで提示しており、その破格の待遇に、フランクは困惑していた。


「独立する気があるなら、金は用意してあるからな。まあ、ゆっくり考えろ」


 フランクは元々それほど気の強い方でもないし、のんびりした性格だ。そのため、この境遇の変化に戸惑うのは仕方がないが、長く引きずらないように注意しようと思っていた。

 しかし、意外に早く彼から話があった。


「店を持ちたいと思います」としっかりとした口調で俺に告げる。


「そうか。それがいいだろう」と俺が言うと、横で聞いていたサイモンが「おめでとう!」と声を掛ける。


 2人はライバル関係だが、互いに切磋琢磨している仲間でもあり、心の底から祝福しているようだ。


「で、どんな店を考えているんだ? うちみたいな感じか?」と聞いてみた。


 そうすると少し言いづらそうな表情を浮かべ、


「居酒屋をやりたいんです。若い人から家族連れまで楽しめるような……」


「居酒屋か。問屋街店のような感じか?」


「もう少し砕けた感じを考えています。師匠に教えてもらった安いチェーン店みたいな……」


「それはおかしいだろ。師匠に教えてもらったことを無駄にするつもりか」とサイモンは不服そうだ。


「まあ、待て」とサイモンを宥め、フランクに話を聞く。


「チェーン店みたいなっていうと、揚げ物や焼き物がメインの店になるが、そんな感じか?」


「はい」と頷き、意外に力強い声で自分の考えを話し始める。


「唐揚げや串カツ、焼き鳥なんかを若い人たちがワイワイ言いながら食べて飲める店にしたいんです。子供がいてもいいような雰囲気にもしたいです」


 フランクも2年前に結婚し、子供が1人いる。そのため、家族連れが楽しめる店がいいと思ったのだろう。


「それはいいな」というと、サイモンが「師匠!」と声を上げる。


「師匠の料理は味の分かる人が食べるべきものです。その味を引き継いだ弟子も同じだと俺は思います」


「俺のことを尊敬してくれるのはうれしいが、俺はいろんな人に楽しんでもらいたいと思っている。それにフランクくらいの腕があれば、安い素材を使ってもみんなが満足できるはずだ。そういった店を作るのもいいと思うぞ」


「師匠……ありがとうございます」とフランクが頭を下げる。


「で、メニューなんかは決めているのか? お前が目指しているのは多くの料理を出す店なんだろ。だとしたら、結構大変だぞ」


「一応考えています。これが僕の考えたメニューです」


 そう言って一枚の紙を取り出した。

 そこには枝豆や茹で落花生、煮込みなどのスピードメニューから、焼鳥や一口ステーキ、ニジマスの塩焼きなどの焼き物、鶏の唐揚げや串カツ、チーズフリットなどの揚げ物、更には一人鍋などもあり、日本の居酒屋と見紛うばかりだ。


「サシミがないが?」とサイモンが質問した。その声は先ほどと違い落ち着いており、俺の言葉で納得してくれたようだ。


「海の物は値段の設定が難しくてね。チャーリーさんに頼めば安く仕入れてもらえるんだけど、とりあえず師匠の力を借りずにどこまでできるかやってみたいから」


 海産物は収納袋マジックバッグを使った輸送が必要であり、美食の都ブルートンでも比較的高い。


「まあ、今はそうだが、そのうち安くなるはずだ。ダスティンさんが頑張ってくれているからな」


 産業振興局長のダスティンは食文化の発展のため、食材の輸送に補助金を出す制度を作り出した。


 トーレス王国は比較的治安がいい国だが、それでも町から離れると盗賊や魔物が現れるため、護衛が必要になる。また、マジックバッグは小さなものでも500万円以上する高価な道具であるため、購入できるのは一部の大手だけだ。


 そのため、護衛を雇う費用やマジックバッグの購入費に対して補助金を出し、足りない分は低利の融資も行っている。

 他にも街道の整備や迷宮都市への投資なども計画しており、それが軌道に乗れば、ブルートンに食材が集まることになるはずだ。


「そこでお願いがあるんですが、店の名前を師匠に付けてもらいたいんです」


「俺が付けるのか! お前の店なんだぞ!」


「はい。師匠が名を付けたサケや酒米はニホンに因んだものだと聞いています。ですので、僕の店もニホンの居酒屋をイメージできるような名を付けてもらえれば嬉しいです」


「日本の居酒屋をイメージと言ってもな……」


 居酒屋の名前はいくつか頭に浮かぶが、どれも独特な名前でこの世界にあっていないような気がした。


(普通に居酒屋ポッターでいいような気がするんだが……)


 そんなことを考えながら、フランクの顔を見ると、期待に満ちた目でこっちを見ていた。そのため、安易な名前を提案できなくなる。


「ポットエイトでどうだ?」と切り出してみる。


「ポットエイトですか? どういった意味があるんでしょうか?」


「ポットはポッターから採った。ポッターエイトでは少し語呂が悪いから、ポットとしてみた。エイトはそのまま8番目の数字だが、これには3つの意味がある」


「3つもあるんですか!」とフランクは前のめりで聞いてくる。


「ああ、1つ目はレベル8という意味だ。それだけの腕を持った料理人が始めたという意味だな。2つ目は日本語の“八”にはすべての方角、八方という意味もある。いろんな人に食べてもらいたいという意味を込めている。最後は日本で8という数字はこう書くんだ」


 そう言いながらテーブルに指で“八”の字を書く。


「見て分かるように下に行くほど広がっている。つまり、これを末広がりといって、将来大きくなるという意味がある。今後、大きくなってほしいという意味も含めてみた」


「つまり、いろんな人に食べてもらって繁盛するという意味なんですね」


 あるチェーン店の名前をもじって、無理やり意味を付けた感じだ。流れ人が聞いたらすぐにあの店を思い浮かべるだろうが、あの店の由来は最初の店の面積だったはずだから意味は全然違う。


 こんな名前の付け方でいいのかと思わないでもないが、フランクが思った以上に喜んでいるので、よかったと思うことにした。



 フランクは居酒屋、“ポットエイト”を商業地区ではなく、平民街に作った。家族連れを意識したためだが、最初の1ヶ月ほどはあまり客が入らなかった。


 理由は凄腕の料理人が始めた店ということで、値段が高いのではないかと警戒されたためだ。

 また、入った客は料理に満足したらしいが、比較的高額な日本酒を頼む者が多く、それで値段が高いという話が伝わったらしい。


「どうしたらいいんでしょうか。まさかレベル8になったことが裏目に出るとは思いませんでした」


 フランクが愚痴をこぼしたので、アドバイスをした。


「店の前にメニューを貼り出したらどうだ? 値段が分かれば客は安心するだろう」


 それまでも店の中にメニューはあったが、中に入ってもらえなかったので、見てもらえなかった。これで客の入りは上々で、すぐに有名店の仲間入りを果たした。


■■■


 ポットエイトは2年後の1087年に2号店をオープンした。その際、フランクはジンのアドバイスを受け、調理や接客のマニュアルを作った。


 この当時、そういったマニュアルはなく、出される料理には作る者の個性が出ていたが、それを排し、どの店でも同じような料理が味わえるようになった。


 また、素材の一括購入などのコストダウンを図り、安くて美味い店としてポットエイトはブルートン市民に認知されていく。


 ジンの弟子サイモンはこのマニュアル化に対し、料理の個性がなくなると言って反対したが、ジンはこう言って彼を納得させたという。


「確かに画一的な料理になって個性はなくなる。だが、マニュアル化することで、腕がそれほどでもない職人でも作ることができるようになるから、人件費を抑えることができる。それに味も大きく変わらないから、食べに来る客は安心できるし、フランクの店より高くて不味いところは淘汰されて全体としてレベルは上がる。決して悪いことばかりじゃないんだ」


 その言葉にサイモンは納得したが、ジンは決してマニュアル化が最良とも思っていなかった。そのことをフランクに話している。


「最初はそれでいいが、職人を育てることを忘れるなよ。マニュアルに従っていたら、いい料理人は育たないからな」


 その忠告を受け、フランクは料理人に新たなメニューを開発することを奨励し始める。また、店が増えていった後はその店独自のメニューを認めるなど、様々な工夫を行った。

 ポットエイトの躍進により、日本の食文化がブルートン市民に急速に浸透していった。

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