第59話「ジン、新たな酒米を探す:前篇」
大陸暦1092年2月10日。
酒米を探しに魔導飛空船に乗った。
最初の目的地はマシア共和国の首都アーサロウゼンだ。
空の旅は順調で、今回はアレミア帝国北部の都市を見ることができた。しかし、大陸最大の国家の割には貧しく、食材なども探したが、変わった香辛料が少し見つかったくらいで、ほとんど収穫はなかった。
それでも初めての長旅ということで、2人の息子は終始興奮気味で、最近感じていた距離が少しだけ縮まった気がしている。
トーレス王国の王都ブルートンからアーサロウゼンまでは約3500キロメートル。18日後の2月28日に到着した。
アーサロウゼンに到着後、大使館に向かった。さすがに前回から20年も経っているので大使館に知り合いはいなかった。
大使館に到着後、今回の責任者であるルイス・ノードリーが共和国政府を表敬訪問した。
戻ってきたルイスが俺たちを集めて報告を行う。
「ジンさんの名前を出したら、共和国も全面的に協力してくれると即座に言ってくれましたよ。ただ、農務省の長官がジンさんと話をしたいと言っていました」
「ややこしい話でもなければ、会うのは構わんが」
「勧誘はされると思いますが、問題はないでしょう。ナオヒロ・ノウチの再来と言われた人に会いたいという感じでしたから」
翌日、行政府のある建物に行き、農務長官に会ったら、こっちに住んで日本酒の品質向上に力を貸してほしいと頼まれた。力を貸すのは構わないが、住むことはできないと断っている。
その日の午後、以前世話になったゴードン酒店に行った。
当時、俺たちの相手をしてくれた一人娘のシェリーは婿を取って店を切り盛りしていた。彼女も40歳になり、ケンやリュウと同じくらいの子供を持つ母親になり、貫禄も付いてきたという感じだ。
「ご無沙汰しております」
以前と変わらぬ笑顔で挨拶を受けるが、手紙ではやり取りをしているので、近況を全く知らないわけではない。
「新しい酒米を探すというお話ですが、何か当てはあるんですか?」
「一応、米屋を見て回ろうと思っている。この時期なら去年収穫した米はほとんど残っているだろうからな」
前回は夏の終わりに到着し、冬になる前に出発した。
米の収穫時期ではあったが、バタバタとしていたため、米自体はあまり見ていない。その後、チャーリーのオーデッツ商会に頼んでいろいろな米を探してもらったが、産地の差こそあるものの、酒米として使えそうなものは見つかっていない。
今回は突然変異の米がないかを探し、見つかればガウアー酒造やヴェンノヴィア醸造など、協力的な醸造所に試験的に酒を造ってもらうつもりでいる。
「お米屋さんなら私の紹介で何とかなります。それにそのお話なら、ここには何ヶ月か滞在されるんですよね」
「ああ、年末にはブルートンに戻るが、それまではこちらにいるつもりだが」
「なら、私の方でもいろいろ探してみます。その代わりにジンさんの料理を食べさせてください!」
以前、ガウアー酒造で料理を作ったことがあり、それから帰国までの間に何度か食べ、俺の料理に嵌ったらしい。
翌日、ガウアー酒造に向かった。
同行するのは妻のマリー、ルイス、マーク・オーデッツ、護衛のレイ・ルガードたちとシェリーだ。息子のケンとリュウは大使館の職員の案内でアーサロウゼンの町を見にいっている。さすがに15歳と13歳の子供に酒蔵見物は退屈だと思ったためだ。
以前話をした社長兼杜氏のマーティン・ガウアーは数年前に亡くなっており、息子のニックが跡を継いでいる。
主力の銘柄のノローボウはもちろん、大吟醸のブラックドラゴンも以前より格段に美味くなっているが、研究熱心なニックの手腕によるところが大きい。
「ようこそ。今回もいろいろと教えてください」とにこやかに挨拶される。
当時24歳の若者だったニックも44歳になり、蔵人として自信が付いたのか、以前のオドオドとした感じは全くない。
「こちらこそ頼むよ。新しい米を探すには蔵人の知識がどうしても必要だからな」
今回の調査では、ここガウアー酒造と南東の港町ヴェンノヴィアにあるヴェンノヴィア醸造で試験的な醸造をしてもらうつもりでいる。
理由としては、作り手が新しいことにチャレンジする気質であることが一番だが、最新の設備が整っていることもあった。
ニックもヴェンノヴィア醸造で“ノウチニシキ”という酒米を作り出したと知り、自分でいろいろと試していたらしく、何種類かの米で酒を造っていると教えてくれた。
「作ってはいるんですが、ノウチニシキみたいに劇的に美味くなるわけじゃないんです。どうも個性がないというか……」
俺も飲ませてもらったが、同じ印象だった。
「ノウチニシキの酒に比べると旨みが平坦な感じだな。これはこれで悪くないが」
俺とニックの会話をルイスとマークが真剣な表情で聞いている。
「飲み比べてみるか?」と2人に振ると、同時に頷く。
2人ともうちの店にはしょっちゅう来ているから、この世界で最上級の日本酒を飲んでいることになる。
蛇の目ではなく、ワイングラスにノウチニシキを使ったブラックドラゴンの純米吟醸と一般的な酒米を使ったノローボウの純米吟醸を飲み比べてもらう。
マリーとシェリーにも同じように渡し、味の感想を聞くと、4人ともその違いに驚いていた。
「単体で飲むとノローボウも美味しいんですけど、飲み比べるとこれほど違うんですね」
マリーの感想に3人が頷いている。
「ここの酒は、元々酵母がそれほど華やかじゃないから、米の味の違いがはっきり出るんだ。出汁に合わせるともっと違いは分かると思う」
「それは料理を食べたらもっと違うということですか?」とシェリーが食いつき気味に聞いてきた。
「ああ。試しに何か作ってみるか? 簡単なものしかできんが」
「ニックさん、いいですよね!」とシェリーがニックに確認する。
その勢いにニックも押され気味になる。
「か、構いませんが……私も気になりますし」
以前と同じように母屋に行き、厨房を借りる。
「マーク、アジを出してくれ」
「分かりました!」
仕入れ担当のマークが大型の
旅行中に料理を振舞うため、素材は割と持ってきている。
アジの鱗を取り、三枚に卸し、細切りにしていく。
味噌などの調味料類も出してもらい、細切りにしたアジを混ぜ合わせ、更に包丁で少し叩く。
作ったのはアジのなめろうだ。
酒の味を見るためなので手早くできて、魚と調味料の味がはっきりとしたものを作ってみた。
マリーたちは食べたことがあるので、すぐになめろうと気づいたが、シェリーとレイ、ニックは変わった調理法に興味津々だ。
「アジのなめろうという料理だ。見ての通り、味は付いているからスプーンに少し取って食べてみてほしい」
シェリーとニックがなめろうを口に運ぶ。
レイは「護衛だから」と断ってきたが、「試飲程度なら大丈夫だし、ここは安全なところだから」といって試食させる。
レイは豪放磊落という感じの傭兵だが、生真面目な性格らしく、飛空船での移動中はほとんど酒を飲んでいなかった。しかし、話を聞くと酒好きらしく、ずいぶん我慢していたようだ。
「こいつは美味い!」とレイが唸る。
「本当に美味しいですね! お酒のつまみにピッタリです」とシェリーは満面の笑みだ。
ニックはなめろうを食べた後、何も言わずに酒に手を伸ばしていた。
「なるほど。ジンさんのおっしゃりたいことがよく分かりました。確かにノウチニシキの方は旨みが増すという感じですが、普通の酒米の方は魚の出汁とミソの旨みに負けてしまう感じです」
「負けるというほどでもないんだが、旨みの相乗効果が少ないな。まあ、この酒も食中酒としては味をきれいに流してくれるから悪くはないんだが」
日本ならブランド米でない、いわゆる酒造好適米でも旨みは充分に引き出せるが、この世界の酒米は心白が少し大きい程度の食用米だ。日本で言うところの“酒造適正米”に近いだろう。
純米吟醸や純米大吟醸はその中から精米が楽な粒の大きいものを選んで作っている。そのため、どうしても旨みが足りず、強い出汁に負けた感じになってしまうのだ。
「こんなにお米で味が変わるんですから、やっぱりナオヒロ・ノウチという人は偉大だったんですね」とシェリーがしみじみと言った。
「酒米の重要性は蔵人が一番分かっているが、日本でも農業にまで手を出そうっていう人はそれほど多くなかった。そう考えると、この世界で日本酒を普及させた上に酒米まで作り出そうとしたんだから、凄い人だと思うよ」
結局、この日の調査では新たな発見はなかった。
翌日、ガウアー酒造が酒米を仕入れている問屋に行って話を聞いた。
「酒米は農家に依頼して作ってもらっているだけなんで、違うものがあるのかは分からないですね」
更に近くで酒米を作っている農家を紹介してもらい、話を聞きにいったが、
「うちの爺さんから聞いたんですが、ノウチ翁がいいと言った米を作っているだけなんです。まあ、普通の米より面倒なんで、いろいろ工夫はしなくちゃいけないんですけど」
詳しく聞くと、この辺りの酒米は普通の米より病気に弱く、成熟が遅いそうだ。背も高くて風に弱いため、刈り入れ前に倒れてしまうことが多く、稲刈りも面倒なのだと教えてくれた。
農家を回り、来年用の種籾を分けてもらう。
「ブルートンで栽培するんですか?」とルイスが聞いてきた。
「いや、ヴェンノヴィア醸造に持っていこうと思っているんだ。あそこは昔から酒米の研究をしているから」
ヴェンノヴィア醸造はノウチニシキを作り出した蔵元で、前社長のハリス・ロートンはノウチ翁から酒米作りを引き継いでいる。
ハリスは10年ほど前に他界しているが、彼の弟子たちは師匠の遺志を継ぎ、酒米の開発から酵母の研究まで行っている。
「ニックさんのところではやってもらわないんですか?」とマークが聞いてきた。
「まあ、ニックにも話はするが、田んぼがないからな。契約農家に依頼するという方法もないわけじゃないが、直接自分でやれるヴェンノヴィア醸造の方が確実だろう」
ヴェンノヴィア醸造はハディン河という大河の下流にあり、自社の田んぼを持っている。ノウチ翁仕込みの管理も行われており、米の栽培の研究という点ではこの世界で一番だ。
「マシア共和国政府に協力依頼はしないんですか? 農務長官も興味を示されていましたが」
ルイスがそう言ってきたため、農務省の担当者に会いに行ったが、酒米の研究の必要性を理解できないようだった。
「今のままでも酒は造れるんです。国の予算まで掛けてやる価値は感じません」
ルイスがトーレスでは農業試験場まであると説明すると、
「さすがは美食の国ですな。我が国ではそこまで拘ってはおりませんよ。ハハハ!」
米はマシア共和国とマーリア連邦、スールジア魔導王国の一部でしか作っておらず、ほとんどが地産地消で産地間の競争はない。気候も安定しているため、冷害に強い品種や早熟の品種の開発にも興味がない感じだった。
10日ほどアーサロウゼンの近隣の農家を回り、種籾を手に入れた。
更に米どころと言われているノローボウ河下流にも行き、1ヶ月ほどで100種類以上の種籾が集まった。ほとんどが食用米で、ニックに聞いても仕入れたことがないものが多かった。
4月に入り、アーサロウゼンから次の目的地ヴェンノヴィアに向かう。
以前は隣国ヴィーニア王国が戦争を仕掛けるという噂があったため、陸路を使ったが、今回はノローボウ河を下り、海路を使ってヴェンノヴィアに行くことになった。
4月20日、ミスト湾の北にあるヴェンノヴィアに到着した。
前回と同じように領事館に行くが、今回はオーデッツ商会のヴェンノヴィア支店を拠点にする。
オーデッツ商会は東方3ヶ国の物産を扱うことが多く、18年前に倒産したマッコール商会のヴェンノヴィア支店の建物をそのまま買い取った。また、その際、マッコール商会の支店長だったハンフリー・アスキスの育てた従業員も継続して雇用しており、酒や食材に詳しい人材まで確保できたと言っていた。
支店に着くと、俺と同世代のよく日に焼けた男が出迎えてくれた。
マークがその男を紹介する。
「支店長のジミー・ラサムです。元々はマッコール商会のヴェンノヴィア支店で働いていたのですが、父が引き抜いたそうです。もしかしたら以前お会いしているかもしれませんね」
右手を差し出し、握手をしながら挨拶をするが、記憶にはなかった。
正直にそのことを告げると、
「仕方ないと思います。キタヤマ様がアスキス支店長とお話ししている後ろにいただけですので」
当時はマッコール商会のハンフリー・アスキス氏の下でマーリア連邦の仕入れ担当をしており、味噌や鰹節の買い付けに行く際の情報提供をしてくれた人物らしい。
「私も大のサケ好きですので、ぜひとも今回の調査にお供させていただきたいと思っております」
翌日からの調査に現地に詳しい人が欲しかったため、ちょうどいいが、支店長自らだとは思わなかった。
マークに大丈夫なのかと聞くと、
「今回の調査はうちにとって一番大事な仕事ですから」
酒米の調査が食品卸会社の一番の仕事というのはおかしな気がするが、いろいろと伝手ができることは重要だから分からないでもない。
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