第60話「ジン、新たな酒米を探す:中篇」

 大陸暦1092年4月21日。

 俺たちは新たな酒米を探すため、マシア共和国の港町ヴェンノヴィアに来ている。

 今日の目的地はヴェンノヴィアの北、ハディン河という大河を少し遡ったところにあるヴェンノヴィア醸造だ。


 チャーリーの息子、マーク・オーデッツに馬車を手配してもらい、それに乗り込む。

 今日は護衛を含め、全員だ。

 子供連れというのもどうかと思うが、米作りが本格的に始まったら、ヴェンノヴィア醸造に世話になる予定であるため、顔見せの意味もある。


 米作りだが、ギリギリ間に合ったという感じだ。この辺りの田植えは5月下旬から6月上旬だそうで、田植えの1ヶ月くらい前に種まきをする必要があるためだ。


 ちなみにマシア共和国の米作りは日本のやり方に近い。100年ほど前に日本の農家の流れ人がいたため、日本式の米作りが導入され、そのお陰もあって収穫量は一気に増大したそうだ。


 ヴェンノヴィア醸造への道すがら外を見ていると、前回来たときは稲刈り前の黄金色だったが、今は何も植えられておらず黒っぽい土が見えている。田んぼでは牛や馬を使って土おこしをやっていた。


 ヴェンノヴィア醸造に到着すると、事前に連絡が入っていたためか、多くの従業員に出迎えを受ける。

 馬車から降りたところで、俺と同世代のやや小太りで頭が薄くなった中年男性が前に出た。前社長のハリス・ロートンの面影があるので、親族なのだろう。


「ようこそおいでくださいました。ミノル・ロートンと申します」


「ジン・キタヤマです。今回もお世話になります」と言って右手を差し出す。


 彼とは面識はないが、オーデッツ商会を通じて酒を買い付けるだけでなく、情報交換もしていることから知らない仲ではない。


 20年前は北部の酒どころ、マーデュの蔵元で酒造りをしており、ここにはいなかった。また、俺がマーデュを訪問した時はまだ杜氏になっていなかったため、話をする機会がなかったらしい。


 ちなみに“ミノル”という名だが、日本人の名に似ているなと思ったら、酒造りの偉人ナオヒロ・ノウチ氏に付けてもらったものだと教えてくれた。

 ごく短い期間だが、ノウチ氏の下で酒を造ったことがあるそうで、知識も経験も十分な蔵人だ。


 挨拶を終え、応接室に向かう。

 蔵は20年前より更に大きくなり、設備も最新のものが導入されていた。


「キタヤマさんのお陰で資金が潤沢になりましたので」とミノルは笑いながら説明してくれる。


「ハリスさんをはじめとする蔵人の皆さんの努力の結果ですよ。私は何もしていません」


「いえいえ。ノウチニシキとオールド・ノウチの品質向上のお陰で、共和国一番の酒蔵という評判になりましたので。父もキタヤマさんにはずいぶん助けられたと生前言っていました」


 ノウチニシキは山田錦に似た酒米で、ハリス氏がノウチ氏から引き継いで完成させたものだ。それを使った純米大吟醸がオールド・ノウチで、ヴェンノヴィア醸造の最上級ブランドの酒だ。


 前トーレス国王のヘンリー王に献上したところ、おおいに気に入り、オーデッツ商会を通じて大量に購入している。美食の国の国王御用達ということで、マシア共和国内でもずいぶんと話題になったと聞いている。


 応接室に着き、自己紹介を終えると、早速仕事の話になる。


「今回は新たな酒米を探すということですが、ノローボウ河の方で見つかりましたか?」


「いや、ほとんど成果がありませんでしたね。一応、種籾は大量に手に入れたので、これを試験的に育てて、酒造りに使えそうなものを見つけるしかないかと思っています」


「それをうちで行いたいと」


「ええ。大変なことをお願いすることになりますが、ノウチニシキを育て上げた、ここでしかできないと思っています」


「光栄なことです。ノウチ先生、そして父の跡を継いだ私としては、先人に負けない物を作りたいと思っておりますので、この件については私にお任せください」


 やる気に満ちた目で大きく頷いている。

 簡単な打ち合わせを行った後、蔵の見学を行い、昼食後に自社農場を見せてもらう。


「うちの蔵の田は100ヘクタールほどあります。年間の米の収穫量は200トンほどになります」


 100ヘクタールということは1キロメートル四方ということだ。思っていたより広く、試験農場というより、自社農場という名称なのも当然だろう。


 ちなみに米の収穫量だが、1ヘクタール当たり2トンというのは酒米だからだそうだ。一般的な米の場合、この倍以上収穫できるらしい。俺は農業に疎いから、日本と比較はできないが、結構多い気がする。


「田植えの時期は蔵人も総出なんですが、人が全然足りないので、近くの農家に手伝ってもらっています」


 一応、魔導式の田植機もあり、見せてもらったが、日本にあるような乗用式の物ではなく、人が押していくタイプのもので、人に頼る部分が多いそうだ。


 その後、種籾と情報が書かれた用紙を渡す。


「ずいぶん集められましたね」とミノルが感心する。


「恐らくこの中にいい酒米はないと思うのですが、交配することで個性的な酒米ができないかと期待しているんです」


 最初から見つかるとは思っておらず、ここのノウチニシキと交配させることを考えている。有名な酒米である山田錦も“山田穂やまだぼ”と“短稈渡船たんかんわたりぶね”の交配によってできたものだ。


 他にもガンマ線を当てて突然変異させた米もあったはずだが、さすがにそこまでは無理だ。しかし、太陽光でも突然変異は起きるし、この世界には“魔力”というものもあるから、土地によって突然変異で美味い米ができる可能性はある。


 今後の進め方などを話し合った後、懇親会を行った。

 俺たちはゲストだが、せっかくなので料理を作らせてもらう。

 蔵人の家族も参加するため、100人以上になるから、手の込んだものは作れない。


 また、冷めても美味しく、子供も食べられる上につまみになるものがいいということになり、江戸前のちらし寿司を作ることにした。


 作るといっても予め準備はしてあり、目の前で合わせるだけだ。

 準備はヴェンノヴィアに来る前のラクチュヴィンという港町で行っているが、大量に作るため、結構大変だった。


 妻のマリー、息子のケンとリュウにも手伝ってもらい、魚の下ごしらえや椎茸を炊くなどは終わっている。


 二人の息子だが、小さいうちから包丁を握っているため、大きな魚でなければ捌くことができる。また、結構器用なので刺身や簡単な煮付を作ることもできるので、思った以上に戦力になってくれた。


 米はここで炊いてもらい、炊きあがったものから持ってきた寿司桶で混ぜていく。

 この作業もケンとリュウに任せており、二人とも張り切って混ぜていた。


 一度にはできないのでできた分から配っていく。


「これは美味いですね。うちの酒にもよく合います」と蔵人が絶賛している。


「特にこのハディンリバーの純米には最高に合います」とミノルがグラスを上げている。


 ハディンリバーは米の旨味が前面に出るタイプの純米酒で、少し重い感じがするが、甘めのシャリと海鮮がたっぷり入った江戸前ちらしとは相性がいい。


 蔵人側も屋台のようなものを出し、料理を振舞ってくれる。

 毎年、新酒の時期に祭りを行うため、こういったことには慣れているのだそうだ。この辺りもノウチ氏が始めたことらしい。


 懇親会も無事に終わった。

 翌日からここにゴーレム馬車で通うことになったが、数日経ったところでミノルが提案してきた。


「昔ノウチ先生が使っていた家があります。そこを使われてはどうですか」


 見せてもらうと立派な一軒家で、部屋の数は寝室だけで5つもあった。更にノウチ氏が書いたメモや使っていた道具などがリビングに飾ってある。


「ここ記念館のようなものじゃないんですか?」


「そんなことはないんですが、先生が使っていたところなんで、遠慮して誰も使わないんです。寝室が多いのは先生を訪ねてくる蔵人が多かったからなんです」


 ノウチ氏は晩年ここで酒造りと酒米の開発を行っていた。


「メモがあるんですが、大昔の物は私たちには読めない文字で書かれているのもあって、できればキタヤマさんに読んでもらえると助かります」


 俺もそうだが、流れ人は“言語理解”というスキルを持ち、この世界の文字は日本語と同じように書ける。しかし、個人的なメモには慣れた日本語を使うことが多く、ノウチ氏も俺と同じように日本語で書いていたようだ。


 それからそこを拠点に酒造りを学ぶことにした。

 と言っても素人の俺にできることは少ないので、新しい酒の試飲をしたり、この蔵のサケに合う料理を作ったりしていた。


 官僚のルイス・ノードリーは俺たちとは別にアーサロウゼンに戻り、ヴェンノヴィア醸造とガウアー酒造で行われる新しい酒米作りについて、共和国政府に説明しにいった。


 共和国政府が酒米の開発に乗り気ではないため、トーレス王国政府が代わりに援助することを認めさせる交渉を行うのだ。


 これは王国が乗り出すというより、共和国が本気になるように仕向けることを目的としている。


 俺が言うのもなんだが、ノウチ翁の再来と言われた俺が手を貸しているという事実を突きつけ、成功の可能性が高いと思わせるとともに、日本酒サケ造りでトーレス王国に後れを取るのではと思わせるとルイスは言っていた。


 この交渉は上手くいき、二つの醸造所にはそれぞれ補助金が出ることになった。


 マーク・オーデッツも時々別行動を取っている。

 彼は隣のマーリア連邦に行き、マーリアの米を片っ端から買ってきた。


 これは酒米だけでなく、食用米として今までの米より美味いものがないか探すためだ。マーリア連邦はマシア共和国より温暖で降水量が多く、米作りには更に適した土地であり、いい米に出会える可能性は高い。


 酒米は見つからなかったが、割と美味い米がいくつか見つかっている。



 ここに来てよかったことは家族との時間が増え、朝昼晩と一緒に食事ができるようになったことだろう。

 今まで夜はほとんど一緒にいられなかったが、それを取り返した気がしたほどだ。


 と言っても俺たち家族の他に護衛のレイ・ルガードら5人の傭兵も一緒に住んでおり、食事も一緒だ。


 特に隊長のレイとは気が合い、ここの酒を酌み交わしながら晩飯を食うことが多い。


「美味い酒に美味い料理。これが仕事だなんて信じられねぇな」と笑った後、真剣な表情になる。


「ジンさんの料理って言えば、国王陛下も絶賛するものなんだよな。それを毎日食うってことは逆に金を払わないといけない気がしてきた」


「構わないよ。作るといっても大したものじゃないし。まあ、ブルートンより魚が豊富に使えるのはここのいいところだがね」


 そんな話をしているが、護衛たちは毎日真面目に訓練も行っているし、夜も交代で不寝番もしている。安全だからいらないんじゃないかと言ったが、仕事だからと言って全く手を抜くことがなかった。


 ケンとリュウは彼らから剣術や体術を学んでいる。これは俺が頼んだことで、成長期なので身体を動かした方がいいと思ったためだ。


 そんなことをしているうちに春が過ぎ、夏が終わった。


 9月に入り、青々としていた稲も黄金色に変わり、稲刈りが近いことを感じさせる。

 この頃になると、ヴェンノヴィア醸造の“ノウチやかた”は我が家のような感じで、ここに永住してもいいと思うほど気に入った。


 肝心の米作りだが、今年は天候に恵まれたため順調らしい。

 水害や旱魃、嵐によって大きな損害が出ることもあるそうだが、稲に被害が出るような災害はなく、病気や害虫もほとんど発生しなかった。


 9月の中旬頃に稲刈りを行った。

 稲刈りも一応魔導具があるが、刈った稲を集め、干す作業は完全に人頼りとなる。そのため、俺たちも手伝うことになったが、これが重労働で50歳を過ぎた俺にはきつかった。


 半月後の10月に入ったところで、ようやく天日干しが終わり、脱穀する。


 酒造りはそこから始まるが、大体2ヶ月は掛かるので、新酒は12月初旬にならないと飲めない。

 しかし、12月に入ったらブルートン行きの魔導飛空船に乗る必要があり、今回収穫した米で作った酒はあとで送ってもらうことになっている。


 俺の希望としてはここで試飲をしたいのだが、年末年始の国王主催の晩餐会の料理を作る必要があり、12月25日頃にはブルートンに到着しておく必要があるためだ。


 収穫した米を精米し、確認していくのだが、この世界には分析装置のようなものはなく、酒を造って味を確認していく必要がある。しかし、初めての米を使う場合、水分量や発酵具合なども手さぐりになるので、一度では分かりづらい。ここは蔵人の勘に頼るしかない。


 試験醸造も含め、10種類以上の米を使って酒を造っている。さすがにそれ以上一度に作れないためだ。


 11月の中旬、名残惜しいが、ヴェンノヴィア醸造を出発する。

 ミノルたち蔵人が総出で見送ってくれた。


「今回は本当に勉強になりました。ノウチ先生のメモの翻訳までやっていただきましたし、このご恩は決して忘れません」


 そう言って全員が大きく頭を下げる。


「大したことはしていませんよ。ぜひとも美味い酒を造って送ってください」


「任せてください。今年収穫した米は春までに全部酒にする予定ですから、ジンさんの感想もぜひとも聞かせてください」


 別れを済ませ、ヴェンノヴィアの港から首都アーサロウゼンに向かった。

 12月に入ったところで無事到着し、魔導飛空船を待つ。


 待ち時間を利用してガウアー酒造の状況も確認している。

 杜氏のニックも今回の試験醸造には期待しており、話し始めると時間を忘れることが多かった。


 12月10日に魔導飛空船が到着した。

 予定より5日ほど遅れたため、ルイスがやきもきしていたが、12月25日に無事、トーレス王国の王都ブルートンに到着した。

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