第63話「ジン、天才と出会う」
大陸暦1093年2月15日。
マシア共和国から帰ってからバタバタとして日々を過ごし、ようやく少し落ち着いた頃、うちの店に新しい弟子が入った。
16歳になったばかりの少年だ。きれいな金髪にグレーの瞳、背はこの世界の人間、
店にやってきた時、はにかんだような笑顔の中に緊張感を漂わせていたが、それでも真剣な表情できちんと挨拶をしてきた。
この少年とは何度か顔を合わせたことがある。
彼が初めてうちに来たのは2年ほど前。彼の父はチャーリーのオーデッツ商会の従業員で、港町ポスコムの支店から本店に異動になり、平民街に引っ越してきた。
それから彼がケンやリュウが通う学校に入り、同い年のケンと気が合ったため、何度かうちに遊びに来ていたのだ。
たまたま家にいた俺が料理を作ってやったが、その時に食べた料理が美味かったと言って、すぐにうちの店に入りたいと言ってきた。
両親の許可がいると言ったが、オーデッツ商会の従業員ということで、俺のこともよく知っており、俺が認めるなら問題ないと言われたらしい。
俺としては14歳の少年を預かる気はなかったので、16歳になってもまだ料理人になりたい気持ちがあるなら認めると言って一旦保留した。
修業は早くから始めた方がいいが、14歳の子供が深く考えているとは思えず、冷却期間を置くことにしたのだ。これは彼だけではなく、他の弟子入り希望者にも言っていることだ。
それからその少年は父親の仕事の手伝いという名目で、うちの店によく来るようになった。そこでサイモンやジョーから料理の手ほどきを受けていたらしい。
もちろん、本格的な修行というわけではなく、下拵えの手伝いをさせた程度だ。
店に来るようになって半年ほど経った頃、サイモンが「彼は天才ですよ」と言ってきた。
その時は誰のことか分からず、首を傾げた。
「弟子入りを希望しているマシューですよ。オーデッツ商会のロスさんの息子の」
そこでその少年、マシュー・ロスだと分かったが、サイモンほどの腕の職人が天才と言ったことが気になった。
「まだ15歳にもなっていない子供だろう? どうして分かるんだ? それとも本格的に教えていたのか?」と俺が聞くと、サイモンは慌てて大きく首を横に振る。
「師匠が弟子入りを認めていないのに、俺もジョーも教えることはありませんよ。ただ、料理を作るところは見せていましたけど」
「じゃあ、なんで天才だと言ったんだ?」
「あまりに真剣に見ていたんで、賄いでも作ってみるかと言ったんです。そうしたら物凄く嬉しそうに頷いて料理を始めたんです」
サイモンも軽い気持ちで料理をさせてみただけのようだ。
「作ったのは牛スジの玉子とじ丼と豚汁でした。技術的にはまだまだなんですが、火の入れ方もよかったですし、出汁も利いていて美味かったですね。それよりも気になることがあったんです」
「気になること? 何なんだ?」
「味の雰囲気が師匠のものによく似ていたんです。それで誰に教えてもらったのかと聞いたら、師匠が一度作ってくれたと言ったんですよ」
そこで記憶を探ると、あることを思い出した。
「ああ、そう言えばうちに遊びに来た時にちゃちゃっと作ってやった気がするな。だが、その時は俺が作っているところなんて見ていなかったぞ」
「ええ、そのことは彼も言っていました。その頃は出汁も知らなかったでしょうし、師匠の料理を食べただけで、ほぼ同じものを作ったんです。味覚の鋭さと再現力から天才だと思ったんです」
食べただけの料理をレシピなしで、一発で再現することは一流の料理人でも難しい。
サイモンもそのことは分かっているから、天才と言ったのだ。
その後、俺がマシア共和国に行ったため、弟子入りの話は保留したままだったが、マシュー少年は店にちょくちょく来ていたらしい。
そして今日、マシューが店にやってきた。
「16歳になりました。気持ちは変わっていません。ぜひともここで修業させてください」
そう言って大きく頭を下げた。
「分かった。サイモンからある程度仕事はできると聞いているが、下働きからやってもらう。最初は辛いと思うが、大事な仕事だから真面目に取り組んでほしい」
「はい!」と少年らしい元気な声で答えた。
その日は彼の歓迎会ということで、ランチタイムの後の賄いは俺が作った。
といっても夜の営業もあるし、大したものではない。普段の賄いより豪勢に、鯛の味噌漬けを焼き、あさりの味噌汁を作って、マシアで手に入れた一番美味い米を炊いている。
マシューはその料理を見て驚きながら、満面の笑みを浮かべて食べていく。
「本当に美味しいです! いつか僕もこんな料理が作れるようになりたいです!」
そう言って飯を頬張る姿はただの少年だ。
話は変わるが、うちの店には見習いが多い。
常時、本店で3,4人、ジェイクの問屋街店で2,3人はいる。見習いは客に出す料理は作らないが、下拵えや洗い物などを担当し、仕事の合間に料理を学んでいる。
見習いの指導は本店ではサイモンとジョーに任せている。
俺が教えてもいいんだが、サイモンが「師匠に直接指導してもらえる腕になるまでは俺たちで教えます」と言ってきたためだ。
別に見習いたちの指導が嫌だというわけではないのだが、サイモンやジョーは自分たちの指導にその時間を使ってほしいということらしい。
教えること自体は自分の腕を上げることになるから、サイモンたちが教えることも悪いことじゃないし、二人ともこの町でも有数の腕の料理人だから、全く問題はないが、そこまでしなくてもと思わないでもない。
ちなみに“ある程度の腕”は、料理スキルで言ったらレベル5くらいらしい。そのくらいになったところで、俺が料理の腕を確認し、見習いから昇格するという感じだ。
レベル5というと、普通の料理店の店主くらいの腕なので、もう少し前でもいいと思うのだが、サイモンは“ジン・キタヤマの弟子”と名乗るにはレベル7以上は必要と思っているらしく、そんなシステムになっていた。
マシューだが、弟子入りした当時の料理スキルレベルは3だった。
しかし、半年もしないうちにレベル5に上がり、兄弟子たちを一気に抜き去って、俺の指導を受ける腕になった。
サイモンたちが言うように、マシューは天才だった。
本当にあるのかは知らないが、“絶対味覚”という言葉がある。微妙な味の差を感じたり、一度食べた料理を再現できたりするというものだ。
マシューはその“絶対味覚”というものに近い能力を持っている。
俺が作った料理の素材を言い当て、更にはそれを再現できるのだ。もっともまだ腕の方が付いていかず、俺の料理の完全な再現とはいかないが、味のバランスはほぼ完璧に合わせられる。
腕の方も天才と呼ぶに相応しい。
弟子入り後、主にジョーの指導を受けていたが、魚の捌き方や盛り付けなどの技術がいる部分はともかく、焼き物や煮物の火入れのタイミングなどは、一度教えれば完璧にマスターしたそうだ。
「この調子なら来年にはレベル6ですね。5年もしないうちに追いつかれそうです。俺も精進しないと」とレベル7のジョーが危機感を持ったほどだ。
レベル5になったので客に出す料理を作らせることになる。そのため、最初のうちは俺がつきっきりで見ていたが、サイモンやジョーが言う通り、俺が言った通りの料理を作り上げた。
その時作らせたのは青菜のお浸しだ。
茹で加減、出汁加減、塩加減ともに、俺が作ったものをほぼ完璧に再現していた。これでレベル5というのは間違いじゃないかと思うほど美味い。
味を見ていると、マシューが不安そうに俺を見ていた。
「よくできている。青菜の火入れ加減も問題ないし、味のバランスもいい」
俺がそう言うと、安堵の表情を見せ、「ありがとうございます」と言って、はにかむような笑みを見せた。
「店には慣れたか」と聞くと、「はい!」と元気のいい声で答え、
「サイモンさんもジョーさんも、他の先輩たちも丁寧に教えてくれます。女将さんやケイトさんも優しくしてくれます」
「そうか。この調子で頑張れよ」
「はい!」ともう一度、返事をした。
それから包丁捌きを見てやったり、盛り付けのコツを教えてやったりした。
さすがにこういったことは一朝一夕ではできないが、それでもメキメキと上手くなっていく。
その姿に確かに天才だと改めて思った。
しかし、心配なことがある。
それはあまりに早く腕を上げているので、増長しないかということだ。
何といってもまだ16歳、日本でなら高校一年生というところだ。俺やサイモンはあまり褒め過ぎないようにしているが、店の常連客たちは彼のことを手放しで褒めている。
「その若さでジンさんの味を覚えられるなんて凄いもんだ」
「あと10年もしたら、ジンさんの後を継げるんじゃないか」
といった具合に俺の後継者になれると言い始めている者までいた。
褒めること自体は悪いことじゃないが、他の見習いたちより苦労することが少なく、将来が不安になる。
それに対してマシューは、「まだまだです」と言っているので大丈夫だと思うが、増長し始めたらどこかでガツンと言ってやろうと思っている。
他にも心配な点があった。
それは俺の料理をコピーすることに注力しているように見える点だ。これについては、以前、サイモンにも同じ傾向があったが、彼は自分なりに工夫しているし、サッカレー元宮廷料理長の店に修業に行かせてから、新しいことにチャレンジするようになった。
まだ若いから当面は俺のコピーでも問題ないが、そのうち、どこかに一度修業に出そうかと思っている。
残念なことにサッカレー氏は一昨年に引退しており、現在の宮廷料理長くらいしか思いつかないので、修業先を探す必要がある。
話は変わるが、俺の後継者は今のところ、問屋街店のジェイクと本店のサイモンだ。ポットエイトを開いたフランクは純粋な和食の職人ではないし、ジョーも寿司屋を開きたいと思っている節があるから、和食専門という点では違う気がする。
その後継者であるジェイクとサイモンだが、2人とも俺を超える気がない。
何度も発破をかけているが、「師匠を超えるなんて無理ですよ」と言って、新たな挑戦に踏み出そうとしないのだ。
だから、この天才に俺のすべてを叩きこんで、この世界の和食文化を更に開かせたいと思っている。
もちろん、マシュー本人の希望を優先するつもりだが、俺も既に55歳だ。残りの人生を賭けて、自分を超える職人を育て上げるのもいいんじゃないかと思い始めている。
それから俺は店に立つより、弟子たちの指導に重点を置き始めた。
板場に立つ回数を減らし、厨房でマシューを始めとした若い弟子たちと一緒に料理を作るようにしたのだ。
カウンターはサイモンとジョーがいれば充分なので、料理の質的には問題ない。まあ、客の中には俺の料理を食べに来たという者が多く、クレームに近いことを言われているらしいが、そんな時は厨房の中で少し凝ったものを作り、俺自身が出すようにしている。
そんな感じで半年ほど過ぎた頃、マシューは僅か17歳という年齢で、料理スキルレベルが6に上がった。
美食の町ブルートンでも料理スキルレベル6の料理人はそれほど多くない。町にある料理屋の料理人でもレベル6になっている者は少なく、宮廷料理人でも中堅クラスに入る腕だ。
この腕になれば、カウンターの中の板場に立たせてもいいんだが、17歳という若さが気になり、その話はしていない。
「若いと言っても奴は真面目だから大丈夫ですよ。俺の助手として横にいさせてもいいですし」
と面倒見のいいサイモンが言ってきたほどだ。
「腕は充分だが、まだ早い。まあ、煮物と焼き物はある程度任せるつもりだが」
「あいつが付け上がらないか不安なんですか? まあ、若いから不安っていうのは分かりますが」
サイモンも36歳になり、20も歳が離れた若い連中より、俺に近い考え方になっているようだ。
「お前たちに教えた頃は俺一人で余裕がなかったが、今はお前もジョーもいる。あいつ自身が希望したら別だが、じっくり育てたいと思っているんだ」
「そう言うことでしたら、何も言いませんが、俺もまだまだ教えてもらいたいんで、そのことは忘れないでください」
最後は真面目な表情で言ってきた。
「レベルが上がらなくて焦っているのかもしれんが、正直なところ、お前に教えることはほとんどないぞ。相談にはいつでも乗るが、あとは自分の腕を磨くだけだと思うがな」
サイモンがレベル8に上がったのは7年前だ。それまで順調だっただけに焦っているんじゃないかと思ったのだ。
「焦ってなんかいませんよ」とサイモンは苦笑いを浮かべる。
「あのサッカレーさんでも50歳を過ぎて、ようやくレベル9に上がったんです。最低あと10年は必要だと思っていますから」
「そんなに待たなくても上がりそうな気はするがな。俺がこの世界に来た時よりお前の方がいい腕をしていると思っているから」
サイモンの料理人としての腕は日本でも一流と呼ばれるレベルだ。俺が32歳でこの世界に来た時より、腕はいいと思っている。
「それはないですよ」とサイモンはいい、俺が気を使っていると思ったようで笑っている。
「まあいい。いずれにしてもマシューは今のまま修業を続けさせる。お前も気になったことがあったら、ドンドン言ってやってくれ」
マシューはその後も不平を言うことなく、板場ではなく厨房で料理を作り続けた。
そして、更に1年半後の1095年10月に18歳でレベル7になった。
その頃、次男のリュウも問屋街店に入っており、1年でレベル5になっていた。
まだ17歳になったばかりで凄いことなのだが、マシューが1年でレベル6になり、2年半でレベル7になったことから、ほとんど話題になっていない。
リュウにその話をすると、屈託のない笑顔で答えてくれた。
「正直助かっているよ。マシューさんが注目された方が“ジン・キタヤマの息子”っていう話が出なくて。これなら兄さんも料理人なってもよかったのに……」
プレッシャーから解放されたためか、その後、リュウも順調に腕を上げていった。
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