第7話「ジン、国王に料理を作る:前篇」
四月二十五日。
この世界に来てから三ヶ月ほど経った。
トーレス王国の役人ダスティン・ノードリーとフィル・ソーンダイクに世話になりながら、ようやくこの世界にも慣れてきた。
住まいもダスティンの家を出て、独身者用の小さなアパートに移っている。もっともダスティンやフィルの家から一分ほどのところであり、未だに毎日顔を合わせている。
フィルは俺の護衛ということで街をブラブラする時にもついてくるが、ダスティンの方もできる限り一緒にいるように言われているのか、役所にいる時間より俺と一緒にいる時間の方が長いくらいだ。
正直うっとうしいと思わないでもないが、まだこの世界の常識を完全に理解していないし、私を守るためだと感謝している。
この三ヶ月でいろいろなことが分かった。
まず、米と日本酒は割と早い段階で見つけている。
米は最初にマッコール商会に行ったからあることは分かっていたが、長粒種、いわゆるインディカ米しかなく、短粒種であるジャポニカ米はなかった。但し、マッコール商会で話を聞くと、マーリア連邦にはジャポニカ米もあるということで取り寄せてもらった。
米としてはややあっさりした感じだったが、二ヶ月半ぶりのご飯に目頭が熱くなった。これほど米を食わなかったことは今までなかったからだ。
地域によって味が大きく違うという話なので、コシヒカリのようなもっちりとした米も見つかるのではと期待している。
日本酒だが、これはすぐに見つかったというか、マッコール商会に置いてあった。
ただ、名前が“ニホンシュ”ではなく、“サケ”であったため、違う種類の酒だと思われたようだ。いろいろ話をするうちに“サケ”が日本酒であることが分かったのだ。
ちなみに生産地はマシア共和国で、銘柄名は“ブラックドラゴン”だった。
マシア共和国の他にもスールジア魔導王国に“サケ”があることも分かっており、これも現在取り寄せてもらっている。
驚いたことに“純米”や“純米吟醸”、“本醸造”などの区分もあり、味も日本のそこそこの蔵元並みで、十分に店で使えるレベルの日本酒だった。
ブラックドラゴンだが、名前の由来は分かっていない。酒の質の高さから蔵人が流れ人として迷い込んだのだと考えているが、その人物が福井県の出身だったのかもと考えている。
他にも醤油が見つかっている。但し、マシア共和国にあった物は“たまり”に近い濃いものだった。これも地域によっていろいろあるそうなので取り寄せてもらうよう頼んでいる。
味噌も同様に見つかっている。こちらは大豆を使った赤味噌系の物で、中華の
出汁を取るために重要な鰹節と昆布だが、これはまだ見つかっていない。
鰹節だが、鰹自体は見つかっており、荒節に近い燻製があると聞いている。ただ、枯節のようなカビ付けを行ったものはないそうで、荒節を使うしかないと考えている。
昆布だが、この辺りでは海藻を食べる文化がなく、最初はそこから説明しないといけなかった。昆布に近い種類の海藻はあるそうだが、食用ではないらしい。
地理的にスールジア魔導王国の北部ならありそうなので、探してもらっているところだ。
何とか和食らしきものを作れる目途は立ったが、和食がこの国に受け入れられるのか自信がない。
その理由だが、やはり食文化が地球の欧州に近く、バターやオリーブオイルといった油を好む傾向にあるためだ。
また、ハーブやスパイスなども結構使われており、中華の四川料理に似たスールジア料理はあるものの、淡白な和食の味は受け入れられそうにないと感じている。
そのため、この国ではなく、マシア共和国やマーリア連邦、スールジア魔導王国などに移ろうかと考えているが、この国に世話になっているため、義理を欠くことになるのでためらっている。
恩返しはしたいが、今の状況ではその方法すらなく、近いうちに王宮で料理を作ることになっているため、俺の料理にがっかりされてから出ていくのもありかなと結構弱気になっている。
今日は国王に出す料理の素材を確認することになっていた。
国外の物はマッコール商会に発注してあり、それが今日届くことになっている。それを見てから国内の素材をオーデッツ商会で頼むつもりでいた。
これはマッコール商会がいまいち信用できないためだ。国の依頼ということで一見すると最上級の客として対応しているように見えるのだが、素材の管理が甘く、味噌にカビが生えていることがあった。
この世界には
これが現地では一般的と言えば、流れ人である俺には分からないと思っている節があり、質の悪さを具体的に指摘すると、悪びれた様子もなく言い訳をする。
このことはダスティンを通じて王宮にも伝えているが、輸入食材はマッコール商会がほぼ独占している状態であり、選択肢がない。
マッコール商会にダスティンとフィルと共に向かっている。
新たな醤油と日本酒、頼んで当たった荒節が入荷したと連絡があったためだ。
マッコール商会に到着すると、商会長であるモーリス・マッコールが揉み手をしながら待っていた。
「ようこそお越しくださいました。キタヤマ様のお探しの食材はこちらでございます」
そう言って奥の応接室に通される。
応接室に入ると、白い壺が三つ置かれ、その横に鰹の荒節が五本ほど、更にその横には一升瓶が五本置かれていた。
酒はマシア共和国のブラックドラゴンとスールジア魔導王国のビッグセブンだが、こちらについてはあまり不安はない。
「
そう言ってマッコールが若い従業員に目で合図を送る。
テーブルに醤油が入った白い小皿とスプーンが置かれた。
「ご試食していただいた方が速いかと思いまして」
それに頷くと、一つ目の皿を手に取る。色はやはり濃い目で醤油の赤い感じはない。香りも味噌に近く、味は塩分が強過ぎ、正直使えないと思った。
二つ目も同じような感じだが、たまりとしてなら使える。
三つ目はそれまでの二つに比べ、赤みがかった透明な液体だった。大豆と麦の発酵した香りがあり、塩分は強めだが使えないほどではない。
「これがいいですね」と俺が言うと、マッコールは「さすがにお目が高い!」と声を上げる。
「これはマーリア連邦のバイライという港町近くで作られる最上級のものだそうです。首都ダイラリオンで探したのですが、私の伝手を最大限に使って何とか見つけられたものなのですよ……」
そう言って自慢を始める。
ダスティンがその自慢を遮るように、「これは定期的に輸入が可能なものなのか?」と聞くと、
「もちろんでございます。ただ、港町と申しましても定期航路に入っておらぬ小さなところでございまして、その輸送費もなかなかに……」
値を上げるためにいろいろと言っている。
「とりあえず値段の交渉は後日させてもらう」と言ってダスティンがその言葉を遮った。
荒節は思ったより上質で、香りはいい。出汁の取り方に注意すれば十分に使えるだろう。
「他に頼んであったものはどうなっているんですか?」
「申し訳ございません。スールジアの王都シャンドゥで探しておりますが、海藻も茸もまだ見つかっておりません」
探してもらっているのは昆布と干し椎茸だ。
昆布はともかく、干し椎茸は同じものがあるのか微妙だと思っているのであまり期待していない。
マッコール商会を後にしたが、手に入った素材で作れるものは限られている。
「どうしましょうか? 今の素材では私の作っていた料理を再現することは難しいんですが」
「そうですか……」とダスティンが思案顔になる。
「陛下に満足いただける料理を作っていただき、ジンさんの腕を認めさせたかったのですが……」
今回国王に料理を出す理由だが、一部の貴族が俺の腕を疑問視しているという話があったためだそうだ。俺としては別に貴族に認められる必要はないが、王家として保護した以上、無能な者と言われるのは避けたいとのことだった。
「別の料理でもいいのではないですか」と普段無口なフィルが口を挟んできた。
「別の物ですか? 例えば?」
「カラアゲなんてどうでしょうか? あとカバヤキでしたか、あの甘い魚の焼いたものです」
ダスティンやフィルには礼を兼ねて何度か料理を作っている。
特に最近たまり醤油が手に入ったので、醤油風味の鶏の唐揚げや鰻に近い魚の蒲焼きなんかを作っていた。
「私も賛成です。確かにジンさんの本来の仕事とは違うのでしょうが、あのカラアゲとカバヤキは陛下もきっと気に入られるはずです」
「あれですか……」と正直乗り気ではない。
理由だが、まず味に納得していないことが一番だ。
唐揚げはたまりとニンニクで味を付けているが、香りのバランスがよくない。鶏自体も筋張った親鳥であり、美味いとは言い難い。
蒲焼きは焼きが問題だ。
質のいい木炭が見つからず、魔導コンロで焼いている。そのため、蒲焼きというより照り焼きに近い感じになっている。
「納得できないという顔ですね」とダスティンが笑うが、すぐに真剣な表情に変え、
「ジンさんの料理はこの国になかったものです。もちろん、ニホンで作っていらっしゃった物の方が美味しいのでしょうが、あの二品は陛下が召し上がってもきっと満足されるものです。他にもできるものがあるのであれば、そこから納得できるものを選ばれてはどうでしょうか」
「確かにそうですね。材料がないから作れないでは……分かりました。今あるものでどこまで満足いただけるものが作れるか考えてみます」
十日後の五月五日に王宮で料理を作ることが決まった。
■■■
私ジェームズ・トーレスは今日、流れ人の料理人の料理を父ヘンリー王と共に食べることになっていた。
レベル九という宮廷料理長を凌ぐ腕の料理人がどのような料理を作るのか興味は尽きないが、私としてはその腕が本物であってほしいと切に願っている。
話は変わるが、今の王国の状況は三つ派閥に分裂している。
一つは私たち王家を中心としたトーレス王家派、中部の大貴族フォーテスキュー侯爵家を中心としたフォーテスキュー派、南部のウィスタウィック侯爵家を中心としたウィスタウィック派だ。
特にフォーテスキュー侯爵家はワインの生産で財を成すだけではなく、交通の要所という地理的な条件を最大限に生かし、ハイランドやアレミア帝国の珍しい食材を使った料理を出し、王都ブルートンの美食の都という評判を相対的に落とそうとしている。
ブルートンは王都ではあるが、ワインやブランデー以外に特産品がない。その特産品も美食の都という“売り”がなければ、付加価値は小さくなり、競争力は一気に低下するだろう。そうなると、王家に入る収入も減る。
グリーフやシカトリスといった迷宮からの税収があるから、すぐにフォーテスキューに後れを取ることはないと思うが、迷宮にだけ頼ることは危険だ。“
そのことを父も一応理解しているが、あまり積極的に動いていない。確かにブルートンの料理はフォーテスキューに比べて洗練されているが、古臭いというイメージもある。特に最大の顧客であるハイランド連合王国では侯爵の売り込みが激しく、最近ではブルートンよりフォーテスキューのワインの方がよいとされているらしい。
この状況を何とかするために、醸造家や料理人を育成しているが、後手に回っていた。
そこにレベル九という数十年に一度現れるかどうかという凄腕の料理人が現れた。父はあまり乗り気ではなかったが、私が王太子としての権限で内務卿であるランジー伯に命じ、その料理人、ジン・キタヤマに協力させている。
そして今日、そのキタヤマの料理を食する機会が訪れた。
「ジェームズ殿下、料理の準備ができましたのでホールにお越しください」
執務室に呼びに来た近侍の一人と共にホールに向かう。
父ヘンリーも同じようにホールに向かっており、途中で合流した。
「今日の料理は流れ人が作るという話であったな、ジェームズ」
「その通りです。料理のスキルは料理長以上とのこと。とても楽しみにしております」
保守的な父は新しい料理に対し、あまり興味を持っていないため、私はあえて笑顔を作って気持ちを盛り上げようとした。
ホールに入ると、既に母と我が妃がテーブルについていた。
更に内務卿のナイジェル・ランジー伯爵が控え、その後ろには官僚と見慣れない男が待っていた。
男は襟が開いた白い服を身に纏い、小さめのコック帽のような帽子をかぶっている。三十四歳と聞いているが、見た目は三十歳になるかならないかというところだ。
「流れ人ジン・キタヤマ殿でございます」とランジー伯が紹介すると、男は大きく頭を下げる。
「キタヤマ殿は流れ人の国の料理、“ワショク”なるものの料理人であったそうです。ワショクは素材の味を最大限に生かすことを目的とした料理ということで、さまざまな専用の調味料があるそうです。今回はまだその調味料が揃っておりませんので、本来の味とは異なるとのことです」
最初から言い訳を聞かされ、内心で溜息を吐く。
「しかしながら、私が試食した限りではこれほどの美味なるものは滅多にないと断言できます。言葉で説明するより、食していただいた方が速いでしょう。では、キタヤマ殿。料理をお願いします」
キタヤマは一礼すると、ホールから調理場に向かった。
美食家のランジー伯が美味と言い切ったことに驚きを感じながら、彼の後姿を眺めていた。
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