第6話「ジン、ウイスキーを味わう」
夕食のあと片付けを終えると、ダスティンの子供たち、ケイティとルイスは自分たちの部屋に入っていった。
この世界には魔力で灯る安価な照明器具があるので、暗くなったらすぐに寝るということはないが、俺たちの邪魔をしないようにと、母親であるイルマに言われたのだろう。
ダスティンが「一杯やりますか」と言って、琥珀色の液体が入ったボトルを掲げる。
「内務卿閣下から褒美としていただいたハイランドのウイスキーなんですよ」
そう言いながら封を切る。
ハイランドはトーレス王国の北にある王国で、ウイスキーの生産が盛んなところだと教えてもらっている。
「ロックにされますか? それともストレートで?」と聞いてきたので、ストレートで飲ませてもらう。
普段はそれほど高いウイスキーは飲まないのでロックが多かったが、大臣である伯爵が渡したものなら、ストレートで味わうべきだと思い直したのだ。
ウイスキー用のグラスは持っていないということで、小さめのワイングラスに注がれる。
コッコッコという小気味のよい音と共に、スコッチウイスキーのような麦の香ばしさを感じる香りが漂ってくる。
乾杯をしてから口を付けると、思った以上に香り豊かなことに驚く。
長期熟成によるまろやかさとオーク樽から生み出されるバニラのような香りが上質なスコッチのそれに近い気がする。
俺自身はそれほどウイスキーに詳しいわけでもなく、普段はボトルで二千円程度のリーズナブルなウイスキーを飲んでいた。但し、職業柄、店の常連客がときどきバーに連れていってくれたので、多少はいいものを知っている。
「これはいいウイスキーですね。熟成期間も長そうですし、結構高級なものじゃないですか」
「お分かりになるのですか! さすがは凄腕の料理人。ウイスキーにも造詣が深いとは!」と驚かれる。
「そんなに詳しいわけじゃないですよ」と照れ笑いが出る。
「私の給料じゃ、いいウイスキーなんて飲めないので、これがどれくらい良いものなのか全く分からんのですよ」
そう言いながらラベルを見せる。
そこには“サウスハイランド ヘストンベック”という地名と、“メイフィールド23年”と書かれていた。
昔飲んだグレンリベットの18年でも結構美味かったので、23年物ならこの味でも納得だ。
「ヘストンベックというのは有名なところなんですか?」
「我が国との国境に近い町で、蒸留所が多いところと聞いています。私が知っているのはその程度ですね……明日にでも詳しい者に聞いてみます」
「そこまでしていただかなくてもいいですよ。私もウイスキーは嗜む程度なので。それよりも教えてもらいたいことがあるんですが」
「何でしょうか?」
「ウイスキーはイギリス系の流れ人が作り始めたものなんでしょうか? だとすると、既に四百年くらい前からあるということになりますが」
俺の質問に「そのようですね」と頷き、
「伝承によるとイギリス系の流れ人がハイランド連合王国で始めたとされています」
「もしかしたら、“ハイランド”という地名も流れ人が付けたのでは?」
スコットランドの北部には“ハイランド地方”があったはずだ。
「それは違います。ハイランドは千年以上前からある名前ですから。でも、流れ人の方はよく勘違いされるみたいですね。そんな話を聞いたことがありますよ」
「そうなんですか。他の国の名前はあまり馴染みがないんですが、ハイランドは割と有名な地方なので、そう思ってしまいました。“高い土地”という意味ならどこにあってもおかしくはないんですけどね」
そんな話をしながら、ゆっくりとメイフィールドを味わっていると、イルマがつまみを出してくれた。
「簡単なものですけど」と言って、チーズとクラッカーが載っている皿を置いた。
チーズはチェダーのようなハードタイプで、クラッカーは素朴な感じのやや厚めのものだ。
「うちではこんな高級なお酒を開けたことがなかったので、何が合うのか分からなかったんですけど、大丈夫ですか?」
「私もウイスキーのストレートに合うつまみは知らないんです。ハイボールなら何となく分かるんですが」
「では、ハイボールにしてみますか?」とダスティンが言ってきた。
「これではもったいないですよ」
「もちろん、うちにある安い奴です」と笑顔で言われてしまった。
さすがにそのくらいは知っているようで少し失礼だったようだ。話題を変えるため、炭酸水や氷について聞くことにした。
町のカフェでは普通に氷を使っていたし、炭酸水も何度か目にしている。
今が冬だから氷がふんだんにあるのか、それとも別の方法で作っているのかで今後の方針に関わってくる。
「そう言えば氷も炭酸水も結構見かけましたけど、どうやって供給しているんですか?」
「氷は魔術師がいる氷屋があるんですよ。家庭でも普通に使いますよ」
主婦であるイルマが普通に使うということは、それほど高くないということなのだろう。
「炭酸水も魔術師が作っていたはずです。こっちは少し高いので毎日飲むというわけにはいきませんが」
ダスティンがそう言いながらイルマの顔を窺っている。
「高いといっても一本銅貨五枚くらいですから遠慮なさらないでくださいね」
そう言って台所の奥からワインボトルくらいの大きさのアンカートップボトルを持ってきた。
「この瓶を持っていくと、銅貨一枚分、値引きしてくれるんです。ですので、実質は銅貨四枚分ということになりますね」
この世界でもリターナブル瓶があるようだ。
ハイボール用のウイスキーをダスティンが持ってきた。
「ハイランドの中心近くにあるキトンフォード市のリトルバーンです。安い割にはハイボールにすると結構いけるんですよ」
「ハイボールにする前に少しだけ味を見させてもらえませんか」
「そのまま飲むには大して美味くないですよ。メイフィールドを飲んだ後だと特に」
確かに高級ウイスキーを飲んだ後に大衆向けのウイスキーを飲めば美味くないだろう。だが、少しでも味を見ておきたいと無理に頼んだ。
「料理人の拘りですね」と笑われる。
「そういうわけでもないんですが、やっぱり気になりますから」
これもこの先のことを考えてのことだ。
和食に合う酒は日本酒が一番で、他にはビールやワイン、焼酎なんかも合う。しかし、今のところ日本酒はなさそうだし、焼酎のお湯割りや水割りも合うが、焼酎も
そうなると提供できるのはビールとワインだが、ビールは麦芽の味で飽きが来やすいし、ワインは相性の問題がある。
ハイボールが和食に合うかと言われても即答しがたいが、全く合わないわけでもない。選択肢の一つとして、確認しておきたかったのだ。
グラスに二十ミリリットルほどウイスキーが注がれる。
「味見なのでこれくらいにしておきますね」と言って私の前に置いてくれた。
口を付けると、ガツンという感じのアルコールを最初に感じ、その後に麦芽の仄かな甘みが舌に残る。スモーキーさは全くなく、確かにそれほど美味い酒ではなかった。
「私がお作りしましょうか?」とダスティンが聞いてきた。
「お願いします」
自分で作ってもいいが、ここは彼の家なので顔を立てるためにお願いしたのだ。
ウイスキーを氷の入ったグラスに注いだ後、慎重に炭酸水を注いでいく。そして、ゆっくりとマドラーで二、三回氷を上下させる。意外に慣れた手つきに感心する。
「お上手ですね」
「仕事が終わった後にビール代わりによく飲むので」
ビールを飲めばいいのにと思ったので、「ビール代わりですか?」という疑問が出る。
「ビールは意外に高いんです。だから、炭酸を感じるハイボールを代わりにするんです」
「そうなんですか?」
日本人の感覚だとウイスキーの方が高く感じる。
「瓶に詰める手間が大変なんだそうです。それに日持ちもしませんから」
「なるほど」と頷く。
二十一世紀の地球のように瓶詰が大量にできるならコストは下がるだろうが、この世界では樽で買うのが普通なのだそうだ。カフェや飲み屋なら大量に消費できるから樽買いは可能だが、個人では難しいというのは理解できる。
「それにこっちの方が身体にいいと聞いたので、普段はこいつを二杯くらい飲んで終わりにしているんです」
流れ人がプリン体の話を広め、肥満気味のダスティンが気にしているのだろう。
ハイボールに口を付けると、意外に美味い。プロのバーテンダーとまではいかないものの、素人にしては充分な味だ。
「美味いですね」
「ありがとうございます。ジンさんにそう言ってもらえると嬉しいですね」
その後、チーズとクラッカーを摘みながら、雑談に興じる。
いろいろなことを話した後、気になっていたことを切り出した。
「ところで先ほど聞きそびれた“大災厄”について教えていただけませんか」
ダスティンは「分かりました」と言ってからゆっくりとした口調で話し始めた。
「大災厄というのは“
彼の話では自分の力に驕り高ぶった魔王が自らの民と
その対象に竜も含まれ、竜の一族の長、今では災厄竜と呼ばれる古代竜に戦いを挑み、完膚なきまでに叩きのめされた。
「……魔王を倒して満足してくれればよかったのですが、災厄竜は自分に挑んできた魔人族と神人族を滅ぼすべく、二つの種族がいる可能性がある都市をその強力なブレスで焼き尽くしたそうです。トーレス王国や隣のハイランド連合王国の都市も多くが焼かれたと伝承に残っています……」
都市を焼き尽くすということは戦略爆撃か核兵器並みの攻撃力だ。
「……他にも武器を作った
「たった一体の竜が人類の上位種を滅ぼしたんですか。そんな強力な存在が今もどこかにいるということなんでしょうか」
「ええ。災厄竜は神ですら滅することができなかったとされ、封印されたと伝承には残っています。ただ、どこに封印されたのかはよく分かっていません」
「だとすると、突然現れるかもしれないということですか?」
「どうなんでしょう。ただ、千年以上も姿を見せていませんから、神の施した封印を解くことができないんではないかと思うんです。私が生きている間に災厄竜が現れるようなことは起きないんじゃないかと思っていますよ」
千年前と言えば、日本なら平安時代だ。そんな時代の話なら尾ひれがついてもおかしくはない。
「千年ですか。もしかしたらその伝承自体間違っているかもしれないということですね」
「それはありません」ときっぱりと否定する。
「どうしてでしょうか?」
「流れ人の方にはピンと来ないかもしれませんが、この世界には千年以上生きる種族がいます。実際、
「なるほど……」
ここがファンタジーな世界だと頭では何となく分かっても、まだ完全に理解できていないようだ。
「エルフも長命の種族ですので、五百歳くらいの人なら結構見ますよ。一度、そういった人と話をしてもいいかもしれませんね」
「五百歳ですか……」と絶句する。
五百年前と言えば、日本で言えば室町時代の末期に当たる。つまり、信長や秀吉を見たことがある者がまだ生きているということなのだ。
「エルフには酒造り、特にウイスキー作りの職人が多いと聞いています。ですから、これから会う機会があると思いますよ。流れ人に興味を持っている人が多いという話ですし」
「それは楽しみです。何百年も酒を造っている職人と話ができれば、私の勉強にもなりますから」
地球ではあり得ない何百年もウイスキーを作っている職人がいる。
面白い話が聞けそうだと楽しみにすることにした。
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