第40話「ジン、海賊問題に頭を悩ます」
結婚式を終え、日常が戻ってきた。
といっても、以前とは異なり、マリーとケイトという家族がいる。
店は三階建てなので、三階を俺たち家族のスペース、二階を弟子であるジェイク・スティールの部屋と空き部屋を倉庫に使っている。
客の入りは以前と同じく順調で、売り上げ的にも問題ない。そのため、新たな弟子を探していた。
結婚式から一ヶ月ほど経った5月初旬、ランチの営業が終わった後に一人の若者が店を訪れた。
「弟子を募集していると聞きまして……」
年齢的には十代半ばで、背は高く、ひょろっとした感じで、そばかすのある顔と相まって少し頼りない印象を受ける。
「募集中だ。俺はこの店の店主のジン・キタヤマ。ここに座ってくれるかな」
そう言って椅子を勧める。マリーとジェイクも集まってきた。
「フランク君、どうしたの?」とマリーの知り合いらしい。
知り合いがいたことで少し緊張がほぐれたのか、僅かに笑みが見えた。
「こんにちは、マリーさん」とマリーに頭を下げ、
「フランク・ポッターといいます。ここから北に10分ほどいった場所にある食堂の息子で、マリーさんとは店の手伝いをしている時に何度かお会いしたことがありました。それに先日もここで食事をした時に少しお話もさせてもらっています」
マリーは前の夫であるビリーと共に食料品店を営んでいたことがあり、その時に顔見知りになったようだ。俺は気づかなかったが、食事に来た時に話をしたらしい。
「それでここで働きたいということでいいのかな」
「はい! キタヤマさんの料理に感動しました! 僕もあんな料理を作ってみたいと思って弟子にしてもらおうとお願いに来ました」
やる気は充分にある。
「フランク君のご実家は安くておいしいお店として有名なんですよ」
マリーが笑顔で教えてくれた。
「実家では雑用ばかりですけど、3年以上働いています。まだ料理を作れるほどではないですが、野菜の皮むきや魚の鱗取りなんかは割と得意です」
更に詳しく聞くと、年齢は17歳で実家には跡継ぎの兄がおり、いい店で修業して将来自分の店を持ちたいと語ってくれた。
マリーとジェイクに目で確認すると、二人とも迷わず頷く。
「では、試しに働いてみるか。いつから来られるかな?」
「今日からでも大丈夫です!」
そのやる気に笑みがこぼれるが、
「家族に話をしなくちゃいけないだろう。明日の朝、8時にここに来てほしい。そこでいつから働けそうか教えてくれるか」
「すぐに親父に確認してきます!」と言って大きく頭を下げると、そのまま店から走って出ていった。
意外に行動力があることに驚く。
「マリーは彼のことをどれくらい知っているんだ?」
「2、3回会ったことがあるだけですけど、真面目で元気な子という印象ですね。こちらが新しい素材があるというと、お父さんに積極的に説明してくれましたし」
「なるほど。ジェイクはどうだ? おとうと弟子になるが、やっていけそうか」
「大丈夫だと思います。師匠の料理に感動したんですから、俺と同じで頑張ってくれると思いますよ」
それから30分ほどすると、息を切らせたフランクが帰ってきた。
「はぁはぁ……親父の許可をもらってきました。今日からでも大丈夫です!」
「そうか。なら、今日は雰囲気を掴んでもらうために裏方で見てもらおうか。マリー。フランクに作業着を用意してやってくれ」
こうして二人目の弟子を得た。
フランクだが、思った以上に才能があった。
下拵えの時の手際はいいし、物覚えもいい。トーレス料理、日本でいうところの洋食の知識もあり、即戦力として十分に使えた。
料理スキルレベルを聞いてみると既に4もあり、レベル5のジェイクが少し焦っていたほどだ。
「一年でレベルを2つ上げたけど、すぐに追いつかれてしまうかもしれないな」
ジェイクは一年ちょっとで、レベル3から5に上げている。宮廷料理長のサッカレーに聞いた話では、これほど短期間に3から5に上げた事例はないとのことだった。
「私もキタヤマ殿に日々指導していただきたいものだ」と真面目な表情で言われている。
三ヶ月ほどでフランクのレベルは5に上がり、普通に店を出しても問題ないレベルになった。
それでも和食に関しては一日の長があるジェイクには及ばず、出汁の取り方で苦戦している。
フランクが戦力になったことで、ずいぶん楽になった。
繊細な味付けのものはともかく、焼き物や揚げ物は二人に任せることが多くなったためだ。
そのため、盛り付けに回す余裕が生まれ、ちょっとした飾り切りを施すことができるようになった。
他にも下拵えの多くを二人に任せることができ、王宮やレストラン・クロックタワーサイドに指導に行く時間に余裕ができた。
二人の名料理人と料理談義を交わす時間ができ、俺自身、いろいろと勉強になっている。特に地元の食材や酒については、最上のものを教えてもらえるなど、こちらの方が助かっていると思えるほどだ。
時間に余裕ができたため、家族との時間が増えている。
マリーの連れ子であるケイトと遊ぶようになり、最近では“パパ”と呼んでくれるようになった。娘を嫁にやりたくないという話を聞いたことがあったが、今ではその気持ちがよく分かる。
マリーとの間にまだ子供はできていないが、あまり焦っていない。彼女はまだ27歳で、日本なら独身でも全然おかしくない年齢だからだ。
ただし、彼女自身は少し焦っている感じで、早く次の子供が欲しいと言っている。
公私ともに充実した毎日を過ごしていたが、好事魔多しと言うように、こういう時はトラブルがやってきやすいようだ。
秋になった頃、チャーリーのオーデッツ商会の荷を運んでいる船が海賊に襲われたという情報が入ってきた。
船自体は何とか港に到着したが、荷物は根こそぎ持っていかれたらしい。
「予定より遅れているから心配していたのですが、仕入れる予定の食材と酒が全滅です」
チャーリーは肩を落として報告してきた。
「損害はどのくらいなんだ?」
「10万ソルくらいです……」と絞り出すように告げる。
10万ソルは日本円で1千万円に相当する。ここ2年ほどで中堅どころの食品卸業者になったオーデッツ商会にとって致命傷になるほどではないが、結構痛い損失だ。
「金もそうですが、それ以上に悔しいのはマシアから届く予定だったサケです。今回はロートンさんが新しいサケを作ったと前回教えてもらっていたので楽しみにしていたのですが……」
ヴェンノヴィア醸造のハリス・ロートン社長から伝説の醸造家ナオヒロ・ノウチが育てた酒米、“ノウチニシキ”を使った新しい酒が届くと連絡を受け、一升瓶で100本もの大量購入をしていた。
俺も話を聞いており、楽しみにしていたのだが、それが駄目になった形だ。
「他にもマーデュの若手の職人が作ったサケもあったんです……」
マシア共和国のマーデュは日本酒造りで有名なところで、ノウチ氏が直接指導した職人が多数いる。その職人たちはそれまでの作り方に固執しており、大した酒をつくっていなかったが、ロートンがやる気のある若者に声を掛け、新たな酒を造り始めたところだった。
「一応、ジンさんが使う分の食材は確保できていますけど、次の便も襲われると結構やばいかもしれないです。さっきマッコール商会にも確認してみたんですが、向こうもやられたみたいですから」
「そうか。まだアレミア帝国が落ち着いていないのか」
アレミア帝国は元々海軍に力を入れておらず、長い海岸線のすべてを掌握していない。そのため、
内戦では海軍の軍船にも被害が出ており、内戦がある程度終息したにもかかわらず、海賊による被害は増える一方だ。
それでアレミア帝国領内で襲われたと思ったのだ。
「それが違うんです。生き残りの船乗りの話では王国の領海に入ってから襲われたそうです」
「王国内で? 今まで海賊の話なんて聞いたことがないが」
「私もそうですよ。ヴィーニアやアレミアは結構危険なんですが、トーレス王国の海では魔物はともかく、海賊なんて出たことがないんですから」
ヴィーニア王国はアレミア帝国の東、マシア共和国やマーリア連邦の西にある国家だ。マーリア連邦とは国境紛争が起きており、マシア共和国とも友好的な関係ではない。そのため、ヴィーニア王国の海軍が商船を襲うことがあるらしい。
「今回の件は王宮も重要視しているみたいで、騎士団に警戒を強めるよう指示を出したらしいんですが、海のことは青騎士団ですからね……」
青騎士団はトーレス王国の海軍だ。しかし、規模は小さく、遭難した船を捜索する沿岸警備隊に近い組織であり、遠洋に出られる船はほとんどないらしい。
これほど青騎士団の規模が小さくて済むのは、商船側が警戒しているからだそうだ。特に高価な魔力結晶や魔導具を運ぶスールジアの船は高速であり、更に戦闘力も高い。そのため、海賊であっても満足な装備がない船であれば、返り討ちにできる。
チャーリーの荷を運ぶ船はマシア共和国から主に食材を運ぶ船で、速度は遅いし、防備も弱い。これは単価が安い食材しか積んでいないため、海賊も狙わないためだ。
「しかし、なんでこのタイミングなんだろうな。航路が復活してからずいぶん経つが」
「それが分からないんですよ。ハンフリーさんに聞いても首を傾げていました」
マッコール商会のハンフリー・アスキスは40年近い経験を誇るベテランの商人だ。彼自身、マシア共和国の港町ヴェンノヴィアにいたことから、海のことは俺たちより遥かに詳しい。
「そうなると、王国政府に頑張ってもらうしかないということか」
「そうですね。まあ、ジンさんが飲みたがっていた銘酒が奪われたとランジー伯爵様に訴えておきましたから、国王陛下も本腰を入れるんじゃないですか」
「それはないだろう」と笑い飛ばすが、チャーリーの目は意外に本気だった。
それから二ヶ月後、次の便も襲われたという情報が入り、俺は先行きに不安を持った。
■■■
国王ヘンリーは海賊問題を解決するため、海軍である青騎士団の団長、オットー・フラムスティード男爵を呼び出した。
フラムスティードは肥満した身体と全く日に焼けていない肌で、海の男とは程遠い印象を受ける普人族の男だ。
元々トーレス王国はアレミア帝国との国境紛争はあるものの、ここ数十年戦争の危機は遠のいており、国軍である騎士団の地位は相対的に低い。
精鋭であり近衛である白騎士団は別格として、アレミア帝国との国境を守る黒騎士団と
そんなこともあり、彼は騎士団の団長という地位にありながらも、国王に謁見する機会は数えるほどしかなかった。そのため、ひどく緊張していた。
国王の前で片膝を突いて頭を下げたが、額から流れる汗がポタポタと落ち、じゅうたんにシミを作っていた。
「此度の海賊の件、いかがいたすつもりか!」
宰相から問われるが、フラムスティードはモゴモゴと口を動かすだけで言葉にならない。
「東方諸国との交易は我が国の産業の根幹だ。同盟国ハイランド連合王国の商船に被害が出れば、国際問題にもなりかねん。どうすべきか早急に答えよ」
宰相の更なる問いにフラムスティードは「早急に対処いたします」としか答えられない。否、答えたくても答えられないのだ。
彼は世襲で団長になった。そのため、王都で予算や人事について決裁を行うだけで船に乗ったことはほとんどなく、実務に疎いというより無知だった。
「白騎士団と魔導飛空船を派遣してはいかがでしょうか」
白騎士団団長のアンドリュー・チェンバースが提案する。
「海岸線だけで500キロ以上ある。魔導飛空船を派遣するとしても王家所有の船だけでは到底足りぬ」
国王がそういうと、チェンバースも頭を下げるしかない。
「海賊は50名程度ということでした。囮の商船に精鋭を載せ、返り討ちにしてはいかがでしょうか」と内務卿のランジー伯爵が提案する。
「うむ。問題は海の上での戦いに慣れた者が少ないということだ。フラムスティードよ。レベル300以上の者は青騎士団にどれほどいるのか」
「10名もおりませぬ」
人事については一応把握しており、何とか答えることができたが、国王の望む答えではなかった。
「それでは役に立たぬ。チェンバースよ。白騎士団と赤騎士団から精鋭を抽出せよ」
国王の命令に従い、チェンバースはレベル300を超える騎士を50名抽出し、海賊討伐隊を編成する。
討伐隊はフラムスティードに従って港町ボスコムに向かい、借り上げた商船に乗り込んでいった。
一ヶ月後、何の成果もないまま、討伐隊は帰還した。
原因を探った結果、情報が漏れていることは分かったが、いつどこから漏れたものかは分からなかった。
更に一ヶ月が経ったが、その間、更に5隻の商船が被害を受ける。被害を受けたのはマシア共和国のヴェンノヴィアを出港した船ばかりだった。
「おかしい。海賊が狙うなら、高価な魔力結晶を積んだスールジア行きの船を狙うはずだ。マシア共和国から来る船を狙ってもかさばるだけで金にしにくい食材ばかりだ」
指揮を任されたチェンバースはその疑問を王宮に送った。
ランジー伯はその情報を得て調査を開始した。
今回の海賊騒動で最も損害を受けた者と、最も利益を得た者が誰かということを調べたのだ。
その結果、マッコール商会とオーデッツ商会が大きな損害を受けていることが分かった。
その一方で利益を受けている者は見つからなかった。
ランジー伯には思い当たることがあり、それを国王に報告する。
「二つの商会に恨みを持つ者の犯行のようです。恐らくですが、マッコール商会の前商会長モーリスが海賊どもを操っているのではないかと」
その推理に宰相が疑問を呈した。
「金持ちとはいえ、隠居させられた商人に海賊を使いこなせるとは思えぬが」
「マッコールはブルートンから姿を消しております。足取りは不明ですが、ウィスタウィック侯爵領に潜んでいるのではないかと思われます」
「ウィスタウィックか……あり得ぬ話ではないな」
国王はそう言って頷く。
二つの商会だけではなく、国王が進める東方諸国の食材を使いブルートンの食文化を向上させるという計画に大きな支障が出ていた。
ウィスタウィック侯爵は昨年の春に起きたクロトー事件で大きく力を削がれた。身から出た錆とはいえ、王家に恨みを持ってもおかしくはない。
「ウィスタウィックに密偵を放て。マッコールは処分されておらぬかもしれぬが、奪った食材の情報が出てくるかもしれぬからな」
国王の命令に従い、調査が行われた結果、港町ウィスタウィックでマシア共和国産のサケや食材が大量に発見される。
この事実に対し、ウィスタウィック侯爵は「商人から購入したもの」と関与を否定する。
更にふてぶてしく、「必要でしたらお売りいたしますぞ」と付け加えた。
国王らはその言葉に怒りを覚えるが、証拠もなく二大侯爵家の当主を処分するわけにはいかない。
ランジー伯の指揮の下、調査が行われたが、結局モーリスを始め、証拠になるものは何も見つからなかった。
大陸暦1075年が明ける頃になると、海賊は全く姿を見せなくなった。
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