第39話「ジン、結婚する」

 この世界に迷い込んで2年。店を持って1年。この世界に骨を埋める覚悟を決めた。

 マリー・ベイカーにプロポーズしたのだ。


 思った以上に迷いはなかった。彼女に魅かれているというのが一番の理由だが、日本にあまり未練を感じていないことに僅かに驚いている。


 親兄弟はいたが、店をオープンしてからは忙しさもあって年に一度程度しか顔を合わせていなかった。また、結婚しておらず、同居している家族がいなかったことも大きい。

 それでも親しい友人や知人はいたし、苦労して開いた店のことは気になったが、既に2年以上この世界で暮らしたことから、その思いはあまり強くなかった。


 二月一日にプロポーズし、すぐにマリーの両親に挨拶に行った。チャーリーから話を聞いていたためか、よい雰囲気で話ができた。その後、諸々の手続きを行っていたため、結婚式は四月になった。


 結婚式を行うことはこの世界でも一般的であり、神殿で神の祝福を受け、自宅もしくはレストランなどで披露宴を行う。


 ちなみにこの世界の宗教だが、ギリシャ神話に似た多神教だ。庶民の結婚式は非常に簡素で、主神フォスと豊穣の神である農耕神セルモスに祈りを捧げ、神殿に幾ばくかのお布施を支払うだけで終わる。


 四月十日の正午前。

 俺は燕尾服のような正装に身を固め、清楚な淡い色のドレスを纏ったマリーとかわいらしい子供用のドレスを着た娘のケイトと共に、ゴーレム馬車に乗って神殿に向かう。


 神殿は貴族街の中にあるが、思いの外、質素だった。

 外見はパルテノン神殿のようなものではなく、キリスト教の教会に近いが、主神フォスの石像が門の上に立っていなければ、ただの貴族の屋敷と勘違いしそうなほどだ。


 神殿にはダスティンら関係者が待ち構えており、祝福を受けながら中に入っていった。

 最初に聞いていた通り、神官に付いていき、神々の像が並ぶ聖堂で祈りを捧げる。神官から結婚が認められたことが告げられ、それで儀式は終了した。ちなみにお布施は事前に渡してある。


 披露宴会場は町の中心に近い場所にある高級レストランで、宮廷料理長のレナルド・サッカレーが貸し切りにしてくれた。そのレストランのオーナーシェフは元宮廷料理人で、サッカレーの後輩に当たるそうだ。


 レストランの名は“クロックタワーサイド”。ブルートンのシンボルになっている時計塔に近いことから付けられたらしいが、貴族街と商業地区に近いメインストリートにある立派なレストランだ。


 店に入ると、ピシッと決めた給仕たちが出迎えてくれる。これだけでも高級レストランであることが分かるほどだ。

 給仕たちの真ん中にコック帽をかぶった壮年の男性がにこやかな笑顔で待っていた。


「ご結婚おめでとうございます。本日は当レストランでの食事をお楽しみください」


 一礼してから厨房に入っていく。

 俺たちはそのまま奥に案内されるが、今日は立食形式であり、すぐに酒が配られていく。

 酒は地元ブルートンのスパークリングワインで、子供たちにもフルーツのジュースが配られていた。

 全員にグラスが行き渡ったところで、チャーリーが声を上げた。


「ジンさん! 一言お願いします!」


 予想していたので慌てることなく、簡単な挨拶を行う。


「本日は私たちのためにお集まりいただき……」


 一分ほど話し、マリーと共に頭を下げる。

 次の瞬間、拍手と歓声に包まれた。

 拍手が収まったところで、再びチャーリーが声を上げる。どうやら進行役をやるらしい。


「ダスティンさん! 乾杯の音頭をお願いします!」


 ダスティンも話が通っていたのか、慌てることなく頷いた。


「では、ジンさんとマリーさんの結婚を祝して、乾杯!」


「「乾杯!」」と唱和する。


 その後は堅苦しい挨拶もなく、和気あいあいとしたパーティが進んでいく。

 今回の披露宴に呼んだ王国関係者はダスティンとサッカレー料理長だけだ。ランジー伯から国王が祝いの使者を出すと言ってきたが、丁重に断っている。その話が伝わったためか、他の貴族からも何も言ってきていない。


 料理はフランス料理に似たトーレス料理だが、食べやすいものが選ばれている。

 カナッペなどのフィンガーフードがきれいに盛り付けられ、更に切り分けられたキッシュやパイが並んでいる。


 カリカリに焼いたフランスパンの上にスモークサーモンが載せられたものを手に取る。隣にいるマリーとケイトにも同じように一つずつ取り、一緒に食べる。


「美味しい!」とケイトが笑顔で声を上げ、「美味しいね」とマリーが答えている。


「本当に美味しいな」と声が出た。


 サーモンは香りのいい桜で軽くスモークされており、青い感じの香りがするオリーブオイルとごく少量のビネガーがいいアクセントになっている。僅かに醤油の香りがする気がした。


「なかなかのものでしょう」とサッカレー料理長が話しかけてきた。


「素晴らしいですね。ビネガーに醤油を混ぜている気がしますが?」


「さすがはキタヤマ殿。やはり気づかれましたか」と言って笑い、


「料理長のグランディは元宮廷料理人でして、若い頃、一緒に修業をした仲なのです。その関係で彼に東方の調味料を使ってみるよう勧めてみたのです……」


 サッカレー料理長とこの店のシェフ、オービル・グランディとは5年ほど前まで王宮で一緒に働いていた仲で、今でも二人で切磋琢磨しているらしい。


「キタヤマ殿から教えていただいた技をオービルにも伝えていますし、この後もいろいろ見せてくれるかもしれませんよ」


 そう言って他の招待客に場所を譲るため、離れていった。


 料理長の言う通り、トーレス料理の基本を押さえながらも、隠し味に醤油や味噌を使ったり、出汁の取り方を繊細な方法に変えたりしている。

 最も驚いたのはその盛り付けの美しさだった。


 トーレス料理では今まで盛り付けにこだわることは少なく、色合いのバランスを整えるために漬け合わせを変える程度のことしかしていなかった。


 しかし、この店の料理では大皿に盛られているにもかかわらず、全体の配色がよくなるように素材の切り方に工夫を凝らしている。また、冷製のものではガラスの器を使い、ソースにジュレを使うなど、涼しさを演出していた。


「ジンさん、料理を気にしてばかりじゃないですか。今日の主役は花嫁ですよ」


 チャーリーに注意されるほど、料理を楽しんでいた。


「そうだな。放ったらかしにして済まなかった」と言ってマリーに謝罪する。


「気にしないでください。あなたのそういうところも好きですから」


「完全にマリーに手綱を握られていますね。まあ、その方が安心できるからいいんですけど」


 チャーリーがそういうと、近くにいたダスティンたちが「しっかり手綱を握ってくれよ」とはやし立てる。


 そんな感じで招待客と話をしながら料理と酒を楽しんでいた。

 酒の方はブルートンらしく、トーレス王国産のワインが主体で、その品質は非常に高かった。


 予算的には庶民の域を出ない範囲なので、サッカレー料理長かチャーリーがいいワインを持ち込んだのかもしれない。

 その話をすると、給仕が理由を教えてくれた。


「サッカレー様、オーデッツ様が素晴らしいワインを持ち込まれましたが、ランジー伯爵様からの届けられたワインも素晴らしいものでした」


「ランジー伯爵閣下から?」と聞くと、


「はい。最高級のフォーテスキューワインが届いております。この後、肉料理に合わせて供される予定となっております」


 ランジー伯には贈り物は断ると伝えていたが、手違いがあったらしい。

 そのことをダスティンに話すと、小声で説明してくれた。


「陛下から贈られたものです。せっかくの料理に良いワインがないのは寂しかろうとおっしゃられたそうです」


「陛下から……」


「はい。直接贈れば大ごとになるかもしれないからと、ランジー伯が贈ったことになっているんですよ」


「なるほど……」


「伯爵閣下に伺ったのですが、20年物の素晴らしいワインだそうです。それもここ50年で一番の当たり年のものと聞いています。私も楽しみで仕方ありませんよ」


 この世界には収納袋マジックバッグという優れた保存用の道具があり、時間を止めることで完璧に劣化を防止できる。そのため、最高の状態で熟成を止めておけるため、長期熟成にありがちな、へたったワインはほとんどない。


 フォーテスキューの赤ワインは地球でいうところのボルドーに近い濃厚なもので、20年物は香りと味のバランスが最も良いとされている。王家が保管していたということはその中でも最上級のもので、どれほどの価値かは全く想像がつかない。


 その後も料理が続き、肉料理のメインになった。

 シェフが現れ、説明を始めた。


「本日のメインはミノタウロスのグリルになります」


 そう言ったところで、歓声が上がる。

 ミノタウロスは牛頭人型の魔物で、迷宮の深いところにしか現れない。そのため、魔銀級ミスリルランクと呼ばれる凄腕の探索者シーカーが狩ることになり、非常に高い。


 また、迷宮の魔物は倒された際に戦利品をドロップするが、毎回肉を落とすわけでもなく、更に一度に5キロしか手に入らないため、金を積んでもなかなか手に入らない素材だ。


「今回はサッカレー料理長から提供していただきました。十分な量がございますので、存分にお楽しみください」


 そう言うと、その場で切り始める。

 肉は一つ500グラムほどの大きめのステーキ肉くらいあり、表面はしっかりと焼き目が付いているが、中は美しいロゼ色のレアになっている。


「ワインはフォーテスキューの20年物です。こちらも非常に希少なワインですので、お楽しみください」


 給仕たちがワイングラスを配っていく。

 俺とマリーは最初に受け取り、二人でグラスを掲げてからゆっくりと口を付ける。


「これは!……」と言葉にならないほどの衝撃を受けた。


 香りはカベルネ・ソーヴィニョンの最上級のものに匹敵し、ブドウの甘い香りが鼻をくすぐる。しかし、口を付けると、その香りはしっかりとしたコクに変わり、爆発的に広がっていった。


「凄い……フォーテスキューの赤ワインってこんなに美味しいんですね」


「確かにそうだが、これは別格だと思う。王宮で飲んだ中でも一番美味い」


 その間に切り分けられたミノタウロスの肉が届いた。

 食べやすい一口サイズになっており、ベリー系のソースが少量掛かっていた。


「最初は肉だけで食べることをお勧めします」と給仕に言われ、その通りに食べる。


 以前、王宮でのパーティの際にミノタウロス肉の叩きを作っているから味を知っているが、魔物とは思えないほどの旨みと脂に頬が緩む。

 そこに最上級の赤ワインを含む。


「これはいい。素晴らしいマリアージュだ」


 思わず声が出るほど、肉との相性は抜群だった。

 周りでは肉とワインが渡されるたびに感嘆の声が上がっていた。


 最後にデザートが出される。

 直径50センチほどある大きなホールケーキで、真っ白な生クリームにイチゴなどのフルーツがきれいに飾り付けられている。


「流れ人の世界では披露宴でケーキをカットする風習があるそうです。結ばれた男女が最初に行う共同作業として。では、ジンさん、マリー。こちらへどうぞ」


 チャーリーがそう言って俺たちを手招きする。


「よく知っていたな」と聞くと、


「割と有名な話ですよ」といい、他の面々も頷いていた。昔の流れ人が広めたらしい。


「それじゃ、ケイトちゃんもこっちに来て」と言って手招きする。


 マリーが少し首を傾げたので、


「せっかくだから三人でやった方がいいかなと思ったんだが……」


 二人だけの方がよかった可能性に思い至り、不安になる。


「ありがとうございます。ケイトも家族ですから一緒の方がいいですよね!」


 問題がなかったようで安堵し、三人でナイフを持つ。


「では、ケーキ入刀!」と日本の披露宴そのままだ。


 三人でゆっくりとケーキを切ると、会場は拍手に包まれた。


 その後はほろ酔い加減でケーキを食べコーヒーを飲む。

 そこにシェフのオービル・グランディがやってきた。


「ご結婚おめでとうございます」と言って頭を下げる。


「少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 柔らかい表情の中に真剣なものを感じたので、「もちろん大丈夫です」と頷く。


「サッカレー料理長からいろいろと聞いているのですが、直接お伺いしたいと思いまして……」


 それから料理の話を5分ほどした。

 レナルド・サッカレー料理長と同じく、料理に対して真摯な人物で、常に更なる向上を目指していることがよく分かる。特に知識については貪欲だ。


「……今後、私にも指導をお願いできないでしょうか。レナルドさんと同じで私もスキルレベルが上がらず焦っているのです。弟子の方はもちろん、宮廷料理人の若手も今までにないほどの速度でスキルを上げていると聞きました。是非とも私にも指導をお願いします」


「今日の料理は素晴らしいものでした。私が教えることなど何もないと思うのですが」


 正直、サッカレー料理長に教えるだけでも僭越だと思っている。


「何とかなりませんかな」とサッカレー料理長まで話に加わってきた。


「この二年で私もずいぶん知識が増えました。未だにレベルは上がりませんが、以前のような停滞した感じは全くありません」


「そうですか……しかし、時間が……」


「教えて差しあげてはどうですか」とマリーが言ってきた。


「今でも余裕がないんだが」


「店の方はジェイク君と私で頑張ればいいですし、そろそろ新しい人を雇ってもいいと思っています。あなたの料理をいろいろな人に広めるにはいいことだと思うのです」


 マリーに背中を押され、決断する。


「分かった」とマリーに言い、オービルに向かって「長時間は無理ですが、私の知識でよければお教えします」と伝える。


 オービルは「ありがとうございます!」と言って俺の手を取って頭を下げた。


 結局、披露宴といいつつ、料理と酒を楽しみ、最後には料理の話で終わったが、俺らしいと笑いが込み上げてきた。

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