第38話「ジン、決断をする」

 大陸暦1074年が明け、二月一日になった。

 今日は“和食屋 北山”のオープン一周年記念日だ。


 国王派とウィスタウィック侯爵派の政争、いわゆる“クロトー事件”があってからもいろいろなことがあった。


 食材の輸入に関して大きな影響があったアレミア帝国での内戦だが、秋頃にようやく落ち着いた。

 落ち着いたと言っても帝国内での戦闘は続いているらしいが、少なくとも南部は帝国軍が完全に掌握し、港が使えるようになり、貿易海トレード・オーシャンの航路が再開されたのだ。


 これによって東方諸国産の食材に対する不安が解消された。ただし、未だに内戦は続いており、予断を許さないらしい。

 情報通のマッコール商会のハンフリー・アスキスに聞くと、


「北部の獣人族・鬼人族連合ですが、魔人族の支援を受けているという噂があります。実際、魔術が苦手な両種族軍が強力な魔術で攻撃したという話もありました……」


 獣人族セリアンスロープ鬼人族オーガロイドは強靭な肉体を持った種族だが、森人族エルフはおろか普人族ヒュームより魔術の才能はない。そのため、これまでは大規模な城塞都市への攻撃は少なかった。


 しかし、今回の内戦では北部の城塞都市が魔術による攻撃を受けて、いくつも陥落している。当初は国境を接し、エルフの魔術師を多く擁するハイランド連合王国やアレミア帝国を脅威に思っているヴィーニア王国が支援していることが疑われたらしい。


 帝国からの詰問の使者が送られたが、両国は関与を否定した。更にレベル600を超える魔術師が関与していることが分かった。レベル600を超える魔術師はスールジア魔導王国の“七賢者セブンワイズ”と呼ばれる者たちか、魔人族デーモロイド以外には存在しない。


 遠く離れたスールジア魔導王国がアレミア帝国で内戦を起こす必然性はないことから、魔人族関与の可能性が浮上した。


「以前から噂はあったのですが、今回ほど明確な証拠が出てきたのは初めてのようですね。こうなると帝国も迂闊に討伐軍を出せませんから、長期化は避けられません」


 魔人族がいるのは大陸中央部のストラス山脈と言われ、率いる魔王はレベル700を超えていると噂されている。

 俺自身よく分かっていないのだが、レベル700は一国の軍隊に匹敵するほどの戦闘力を持っているらしい。ダスティンにも聞いてみたが、


「レベル700だと、一流のシーカーである魔銀級ミスリルランク1万人分に匹敵すると言われています。王国の戦士だと平均してもレベル200に届きませんから、10万人いても勝てないでしょうね」


 そんな魔王が関与している可能性があることから、帝国も不用意に攻め込めないというのが、ハンフリーやダスティンの見立てだった。


 きな臭い話以外では、宮廷料理人に対する講習会が軌道に乗った。

 料理長のレナルド・サッカレーやベテラン料理人だけでなく、若手料理人も俺の指導を受けるようになった。

 まだ料理長やベテランたちの料理スキルレベルは上がっていないが、若手はグングンレベルを上げており、今後が楽しみだ。


 店の方も順調で、役人だったフィル・ソーンダイクが11月に正式に従業員になった。肩書は経理部長兼総務部長としたが、現状では雑用を担当するいわゆる何でも屋だ。

 それでも正式に働けることになり、フィルはとても喜んでいた。


「面白そうな仕事で楽しみです。それに給料もいいですし」


 今のところ十分に儲けが出ているため、役人時代より給料は出せているが、家族持ちなのに安定している公務員を辞めさせていいのかと、こちらの方が不安になる。


 従業員だが、彼以外には弟子であるジェイクとパートタイマーのマリーだけで、まだ増やしていない。

 何人か弟子入りを希望してきたが、ジェイクほど情熱を持っている者がおらず、見送っている。


 弟子入り希望者たちに情熱がないとこぼすと、「ジンさんの噂を聞いてきた連中ですね」とチャーリーが言ってきた。


「どういうことだ?」と聞くと、


「国王陛下が絶賛されているという噂は下々まで広がっていますから。何年か修行して、“ジン・キタヤマの弟子”として店を出せば、まず間違いなく成功しますから」


「だが、うちには貴族や金持ちはほとんど来ないぞ。高級店で修業した方が出資者を集めやすいんじゃないか?」


「貴族や大金持ちが来ないのは警戒しているからですよ。王宮で聞いた話ですけど、クロトー事件で貴族たちはジンさんに関わってはいけないと思っているみたいです」


「どうしてだ?」


「陛下の逆鱗に触れるかもしれないからだそうです。王家が金を貸して店を出させ、宮廷料理人に指導まで頼んでいるのですから、下手に自分たちからアプローチして引き抜きを疑われたらと思っているらしいです」


 クロトー事件では大派閥の領袖ウィスタウィック侯爵の縁者が暗黒魔術を使って尋問され、領地を没収された上に処刑されている。それまで温厚だと思われていたヘンリー国王のあまりの変わりように、もう一つの大派閥であるフォーテスキュー侯爵だけでなく、国王派の貴族までもがビビったらしい。


 俺にとっては静かに暮らせるのでいいことだが、そんな俺を利用しようと弟子入りを希望する者が多いというのだ。


 そして、今日は一周年記念としてパーティを企画した。

 昼の営業を終えた後、夜の営業を取りやめ、知り合いだけを招待した。

 知り合いと言ってもいつも通り、ダスティン、フィル、チャーリーの家族とサッカレー料理長、毎日のように通ってくれる常連客5人、そしてマリーの家族だ。


 料理は予め作っておき、マジックバッグに保管してある。と言っても、子供が多いため、揚げ物や焼き物がメインで、後は大人たち用の酒のつまみ程度だ。


 サッカレー料理長が差し入れとして見事なケーキを持ってきてくれ、それに子供たちが大興奮している。

 マリーの一人娘ケイトも3歳になり、ずいぶん大きくなったと感心する。


「ケイトちゃんにもずいぶん情が移っているみたいですね」とチャーリーがからかってきた。


 マリーが住んでいる実家は店から100mも離れておらず、夏頃から頻繁に店に顔を出すようになった。そのため、常連客らからマスコットのような扱いで、俺自身もかわいいと思っている。


「まあな。子供とは縁がない人生だったから余計にそう思うのかもしれないが」


「ケイトちゃんもジンさんに懐いているみたいですし、そろそろ結婚されてはどうですか?」


「マリーの気持ちが大事だろう。前の旦那と死別してからまだ一年ちょっとなんだから、気持ちの整理がついているかも……」


「そんなこと考えているのはジンさんだけですよ。マリーもジンさんからプロポーズしてくれるのを待っているんですから」


 そんなことを言われても“はい、そうですか”と言うわけにもいかない。


「そうですよ。いい機会じゃないですか。ここでプロポーズしちゃいましょうよ」と少し酔っているダスティンまで言ってくる。


 正直なところ、俺自身マリーに魅かれている。

 控え目な感じだが、思った以上に芯が強く、俺のことをしっかりと支えてくれる感じがいい。


 自惚れかもしれないが、彼女も俺に対して好意を持ってくれていることは何となく分かっている。

 今までは店を軌道に乗せることで余裕がなかったが、一年が過ぎ、やっていけることが分かった。このタイミングで踏ん切りを付けるのもいいかもしれないと腹を括った。


「そうですね。分かりました」と言って、ダスティンの妻イルマと談笑しているマリーの下に向かう。


「少しいいかな」とマリーに声を掛ける。


 主役である俺がいなくなるのもどうかと思うが、ここで決めなければズルズルと行きそうで勢いに乗るしかない。

 ダスティンたちが意味ありげな笑みで見送る中、店の外に連れ出した。


 比較的温暖な気候のブルートンだが、今日は珍しく雪が降っていた。

 既に午後六時を過ぎており、街路灯の光が降り続く雪を照らしている。


 雪が降っているからか、まだ早い時間だが人通りはほとんどない。降り続く雪に僅かに足跡が残っているだけだ。

 凍てつくような寒さだが、酒で火照っており、寒さは感じない。


「話があるんだが」と切り出す。


「はい」と酒を飲んでほんのりと赤みが差した顔でこちらを見つめる。


「俺と結婚してほしい」


「はい。喜んで……」


 即答されるとは思っていなかったため、次の言葉が出てこない。

 ただ、俺を見つめる彼女の目が潤んでいることには気づいたので、抱きしめることだけはできた。


「苦労を掛けるかもしれないが、よろしく……」


 次の瞬間、拍手が沸く。

 いつの間にか、友人たちが入り口から覗き込んでいたのだ。


「覗き見なんて趣味が悪いぞ」と言うが、


「ジンさんのことだから、なかなか切り出さないんじゃないかって気になったんですよ」


 チャーリーの言葉に同意の声が上がる。


「さあ、中に入ってお祝いをしましょう! 二人だけでこの幻想的な風景を眺めたいかもしれませんが」


 ダスティンの言葉に笑いが起きる。


「そろそろ寒くなってきたし、中に入って熱燗で暖まろうか」とマリーに言うと、


「はい」と小さく頷いた。


 それから先は店の一周年記念というより、俺たちの婚約パーティになってしまった。

 二人で横に並んで座り、みんなから祝福される。


 ケイトはまだよく分かっていないようだが、他の連中に釣られるように「ママ、おめでとう」と言って笑っている。


 どんちゃん騒ぎというほどではないが、夜遅くまで陽気な声が続き、俺もいつも以上に飲みすぎてしまった。


 翌日、久しぶりに二日酔いになった。

 それでもいつも通りに開店の準備を行っていく。

 いつもなら俺より先に起きて外の掃除を行うジェイクが青白い顔で現れた。


「すみません……寝坊をしてしまって……」


「気にするな。それより大丈夫か? できるだけ水分は摂っておけよ。味噌汁が作ってあるから飲めそうなら飲んでおけ」


 しじみの味噌汁ではないが、アサリに似た二枚貝の味噌汁は作っておいた。二日酔いにこの貝の味噌汁が効くかは知らないが、多少は楽になるだろう。


「ありがとうございます。いただきます」と言いながら、厨房に入っていった。


 痛む頭で外に出ると、真っ白に雪化粧された路地があった。

 凛とした空気が未だに火照っている身体に心地いい。


 昨日プロポーズした場面を思い出し、何となく気恥ずかしさを感じる。


(俺も所帯を持つのか……)


 5センチほど積もった雪を道端に集め、店に戻る。

 ジェイクは多少楽になったのか、店の中の掃除を始めていた。


「今日はどうされるんですか?」と唐突に聞いてきた。


「どうとは?」


「マリーさんに結婚を申し込んだんですから、いろいろとやることがあるのかと思ったんですが」


「確かにやることはあると思うが、何も考えていないな」


 ジェイクに言われて考え込む。


(マリーの実家に挨拶はいるな。それにランジー伯にも報告が必要だろう。それ以前に流れ人って普通に結婚していいのだろうか? まあ、ダスティンが焚きつけたんだから大丈夫なんだろうが……)


 そんなことを考えていると、ダスティンとフィルがやってきた。


「おはようございます」と言いながらもいつもの元気がない。彼らも二日酔いのようだ。


「貝の味噌汁がありますから、飲んでください。私の国では二日酔いに効くと言われていましたから」


「それはありがたい」と言って、ジェイクが渡すお椀を受け取る。


 味噌汁を啜りながら、ダスティンが話し始めた。


「結婚の手続きをご存じないかと思いまして。まあ、それほど難しい手続きがあるわけじゃないんですが……」


 そう言って説明を始めた。


「……法的には役所に届け出れば終わりです。ですが、ブルートンの市民が結婚する場合、双方の親の同意を得てから神殿に行き、神官の祝福を受ける必要があります……」


 双方の両親の同意と神殿での祝福後に役所に行って届出る。日本でのやり方と大した違いはない。


「……ジンさんの場合、流れ人ですから、国の許可がいります」


「許可ですか?」


「はい。初めてお会いした時にも話しましたが、流れ人が騙されないようにするための処置です。結婚という手段で流れ人を確保しようとする者がいましたので、相手のことを調査し、問題ないことが確認できるまで結婚の届け出は受理されないということです」


「どのくらいの時間が掛かるのでしょうか」


「ジンさんの場合、許可はすぐに出ますよ。役人である私が問題ないと証明するのですから。あくまで相手の正体が不明な時の処置です」


 そう言って笑う。


「一応、届出用の書類を持ってきました。既に問題ないことを証明する書類も付けていますから、必要事項を書いて出していただければすぐに受理されます」


 そう言って紙を2枚渡してきた。

 その準備の良さに驚いてしまう。


「私たちはジンさんに幸せになってほしいと思っています。マリーさんならジンさんを幸せにしてくれると思っているんですよ」


 友人たちの気持ちに目頭が熱くなる。


 ダスティンは説明を終えると、「内務卿閣下には私から報告しておきます」と言って店を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る