第41話「ジン、新たに作られた日本酒を飲む」

 大陸暦1075年が明けた。

 秋頃から問題となっていた海賊騒動は鳴りを潜め、東方諸国との航路は復活した。


 王宮の事情に詳しいダスティンに話を聞いたが、モーリス・マッコールとウィスタウィック侯爵が関与しているらしいという噂があるが、結局何も分かっていない。


 すっきりとした解決ではないため、何となくモヤモヤとするが、久しぶりに到着した船便の中に日本酒が入っていたことから少しだけ気が楽になった。


 チャーリーのオーデッツ商会とハンフリーのマッコール商会の双方の在庫が不安になっており、あと2ヶ月解決が遅れていたら、日本酒の提供をストップせざるを得なかったのだ。


 夜の営業が始まる前、チャーリーが一升瓶を持って店に入ってきた。


「前のサケとは違うようですが、ロートンさんのところのサケが手に入りましたよ」


 その言葉に妻のマリーと弟子のジェイク、フランク、そしてフィルの4人が奥から顔を出す。


「試飲しましょう」と言うと、フランクが蛇の目を用意する。


「説明にはノウチニシキのジュンマイダイギンジョウとありました。熟成期間を1年にしたナマザケだそうです」


 純米大吟醸の生酒の長期熟成もので、蛇の目に注ぐと、仄かに琥珀色をしていた。


「凄い香りだな……」


 口を付けた瞬間、花のような甘く爽やかな香りが広がる。舌の上で転がすと、更に香りが高まり、米独特の旨みの中に華やかさを感じた。

 雰囲気としては、協会9号系酵母の華やかさで、今までの大人しい感じとは違い、華やかさが勝っている。


「これの搾り立てもありますけど、飲みますか?」


 そう言ってチャーリーが収納袋マジックバッグからもう1本一升瓶を出してきた。


「ここまで来て味見をしないという選択肢はないだろう」


「そうですよね」と笑い、フランクに「もう一つずつジャノメを」と頼んでいた。


 搾り立ての方は生酒らしい炭酸を僅かに含んだものだが、酸味はそれほど強くない。


「こいつもいいですね!」とジェイクが声を上げる。


「師匠、これにはどんな料理が合うんですか?」とフランクが聞いてくる。


「難しいな。無難なところだと、魚のすり身を蒸したものにちょっとだけ醤油を垂らし、ワサビを載せたものかな」


 イメージとしては板わさ、すなわち蒲鉾だ。


「白身魚の昆布締めに柑橘を少し絞っても美味いかもしれないな」


 俺の言葉を聞き、二人の弟子はすぐにメモを取る。


「今日はダスティンさんも来るそうです。この酒を出してくれると嬉しいとおっしゃっていましたよ」


「ダスティンさんはもう飲んだのか?」


「いえいえ。見せただけです。王宮に同じものを持っていったのでその時に説明しただけですから」


 チャーリーは王室御用達で日本酒が送られてくると、一番に王宮に持っていく。これは彼が持つ大型のマジックバッグが王室から貸し出されているもので、王宮の食材や酒を適切に管理するために貸与されたという建前があるからだ。


「口開けのお客様はダスティンさんですね」とマリーは笑っているが、蛇の目を手放してはいなかった。


「前に飲んだものより美味くなっていますね。こんなに華やかな香りでしたか?」と普段無口なフィルが聞いてきた。


「多分酵母を変えたんだと思う。2年前に行った時に酵母を変えてはどうかと言ったことを覚えていて、しっかり実行したんだろうな」


「そういえば、そんな話をしていましたね」


 ちなみにフィルについては、昔は敬語で話していたが、今はため口になっている。これは俺の方が年上であることと、雇い主であるためで、彼の方からそうしてほしいと言ってきたからだ。


 蛇の目を置き、「あまり飲みすぎるなよ」と釘を刺しておく。

 チャーリーを含め、全員が蛇の目を置く。


 これは半分以上、自分に言った言葉で、あまりの美味さにまだ飲み足りないと感じていたのだ。


 その日の夜の営業では予想通りダスティンが一番にやってきた。


「チャーリーの持ってきたサケは出してもらえるんですよね」


 開口一番でそう言ってきた。


「もちろんですよ。ちょっと値は張りますけど」


 卸値で80ソル、日本円で8千円だ。日本より輸送費が高い分、値は張るが、これでも良心的な価格だ。


 それでも一合24ソル、2400円と結構いい値段になる。もっとも、マシア共和国の日本酒は一番安いものでも一合1000円でしか提供できない。

 地元のそこそこのワインでもグラス一杯120ミリリットルが200円くらいで飲めるので、日本酒は高級酒というイメージになっている。


 ワイングラスに注いだノウチニシキの純米大吟醸、“オールド・ノウチ”をダスティンに渡す。


「ロートン社長が新たに作ったサケですか」としみじみとグラスを見た後、ゆっくりと口を付けた。


「こ、これは凄い! 素晴らしい香りですね!」


「私も一口飲んで驚きましたよ。元の世界でもこれほど良質な酒は少なかったですから」


 そう言いながら、突き出しを出す。

 この酒を飲むと聞いていたから、板わさを用意した。


「これは合いますね。サケを邪魔せず、ワサビの爽やかな香りが広がる感じです……」


 その後、ダスティンは酒を楽しみながら、つまみを食べていく。他の客も入り始めたため、あまり話せていないが、幸せそうな感じは板場からもよく分かった。

 少し落ち着いてきたところで、ダスティンが話しかけてきた。


「王宮からこのサケに合う料理を作ってほしいという依頼が来そうですね」


「これはサケだけを楽しんでもいいですから、無理に料理に合わせる必要はないと思います。まあ、陛下にはお世話になっていますから、作りに行くことはやぶさかではないのですが」


 そんな話をした後、表情を引き締めたダスティンが小声で話してきた。


「モーリス・マッコールの居場所が分かりました」


「どこにいたのですか?」


「ハイランドの王都ナレスフォードです」


 北の隣国、ハイランド連合王国にいたことに驚くが、マッコール商会ではハイランドの食材も扱っていたから、土地勘はありそうだ。しかし、なぜ今頃その話になったのかが気になる。


「そうですか。でも、なぜその話を?」


「チャーリーが仕入れたサケがハイランドで見つかったんです。というより、王宮に献上されていたらしいんですよ。それで誰が献上したのかということになって調べたら、モーリスがいたということが分かったんです」


「つまり、海賊の黒幕がモーリスだと」


「そこはまだ分かりません。一介の商人があれほど大規模な海賊に伝手があるとは思いませんから」


 結局、分かったのはモーリスがヴェンノヴィア醸造の純米大吟醸を手に入れ、ハイランド王宮に献上したという事実だけだ。


「本当にモヤモヤする事件ですね」というと、ダスティンも大きく頷く。


「まあ、陛下が本気になられるでしょうから、近いうちに判明するでしょう」


 そう言ってから二コリと笑い、


「これだけ美味いサケを奪われたんですよ。陛下がお許しになるとは思いませんよ」


 チャーリーが運ぶ酒の八割は王宮にいく。もちろん、王族だけが飲むわけではなく、晩餐会などで大量に消費されるためだ。

 美食家である国王はそのすべての味を見ている。前回来る予定だった酒の中には、今日届いたものと別の試作品があり、それを飲めなかったことになる。


「いくらなんでもそれはないでしょう」と笑うが、ダスティンは小さく首を横に振り、


「最近の陛下はジンさんの料理とサケに夢中ですからね。全くあり得ない話ではないですよ」


 その後、再び海賊が活動し始めた。そのため、東方からの荷が入りづらくなったが、備蓄分で何とか凌いだ。

 ダスティンが言った通り、王国も無策ではなかったようで、半年後、海賊が討伐されたと聞かされる。

 更に関係者としてモーリス・マッコールが検挙されたことも知った。


■■■


 私モーリス・マッコールはハンフリー・アスキスとチャーリー・オーデッツ、そしてジン・キタヤマに復讐するため、機会を窺っていた。


 本来ならもっと早い時期に実行するつもりだったが、クロトー伯爵が騒ぎを起こしたため、一年以上の待機を余儀なくされた。

 しかし、この待機時間は悪いことばかりではなかった。


 クロトー事件で力を失ったウィスタウィック侯爵派の貴族ウッドヴァイン子爵と繋がりを持てたからだ。

 しかし、ウッドヴァインは思った以上に小心者で、私の計画になかなか乗ってこなかった。


「貴様の計画が失敗すれば、私だけでなく、侯爵閣下まで窮地に陥る。先年のことと合わせ、2年連続で不祥事があれば、ウィスタウィック家といえども存続が危ぶまれるのだ。そのような賭けに出ることはできんぞ、マッコール」


「分かりました。では、私はこれにて失礼します」


 そう言って腰を浮かせた後、


「私が捕らえられた場合、子爵閣下、あなたも連座するでしょう。私の計画に乗り気だったと証言しますから」


「貴様! 私を脅す気か!」とウッドヴァインは激高する。


「脅しなどしません。私はあなたの協力がなくとも実行する気でいます。ただ成功率は著しく下がるでしょうから、私が捕らえられる可能性が高いと申し上げただけです」


「貴様をここで殺せば、その心配はなくなるのだ。それを分かって言っているのだな」


 ウッドヴァインは30代半ばで、日々鍛錬しているのか、50歳を目前にした小男の私より遥かに強いだろう。

 腰に差している細剣を使えば、すぐにこの世から消え去るはずだ。


「私がその危険性を考えずにここに来たとでも思っていらっしゃるのですか?」


 そう言って嘲る。

 ウッドヴァインは「な、何……」とつぶやき、私を睨みつけた。


「商人は用心深くなくては生き残れないのです。私はそのことを嫌というほど思い知りましたから」


 そう言って笑うと、ウッドヴァインは一瞬怯えたような表情を見せた。

 実際、私が殺されたら、ある文書が出回るように手配してある。その中身はウィスタウィック侯爵が国王の計画を妨害するため、貿易海トレード・オーシャンの航路を往来する商船を攻撃するというものだ。そこにはウッドヴァインが手配した傭兵が海賊に扮しているということも書いてある。


「ではどうしろと言うのだ! お前の計画に乗れば、私だけではなく、侯爵閣下も破滅する! その割には得られる利益が少なすぎる」


 確かに言う通りだ。


「では、こうしましょう。今回得たものをハイランドに持ち込むのです。かの国の王は酒に対して金に糸目を付けぬ方と聞きます。キタヤマが選んだサケを我らが見つけ、献上したことにすれば、ハイランド王のコネクションができます。あとは継続的に取り引きすれば、膨大な利益が得られるでしょう」


「た、確かに……いや、いつかはばれる。このようなことを何ヶ月も隠し通すことはできない……そうなれば、ハイランド王から国王陛下に情報が行ってしまう。それで終わりだ……」


 怯えている割にはきちんと頭は回っているようだ。


「では仕方ありませんな。私一人でやることにします」


 そう言って立ち上がる。


「ま、待て!」と止めるが、意に介さず、歩き始める。


 そしてドアのところで立ち止まり、


「いいことを思いつきましたよ」と言ってから、笑みを浮かべる。


「傭兵を紹介してもらうだけというのはどうですか? その傭兵と私が何をするのかはあなたの与り知らぬこと。いや、もし私が捕らえられ、あなたとの関与をしゃべったとしても、脅されたということにしては。もちろん、紹介料はしっかりお支払いしますよ」


 その言葉にウッドヴァインは考え込む。


「海に詳しい傭兵を紹介してほしいと頼んできただけということか……で、紹介料はいくらくれるのだ」


 欲に目が眩んだようだ。選択肢がないから腹を括ったのかもしれない。


「優秀な傭兵なら1人につき1万ソル。50人なら色を付けて60万です。これでいかがでしょうか」


「ろ、60万ソル……」と言ってゴクリと唾を飲み込んだ。


「傭兵の雇用条件は支度金として1人1万ソル。あとは成功報酬として1回1万ソル。奪った船はボーナスに付けましょう」


 商会こそ息子に譲り渡したが、個人が持つ資産までくれてやったわけではない。

 父の代から貯め込んだ金は数千万ソル(日本円で数十億円)ある。そのすべてをつぎ込むつもりでおり、子爵が驚くほどの破格の条件が提示できた。


「分かった。その条件で声を掛けてみる」


 ウッドヴァインは思ったより顔が広かった。

 帝国領内にいた海賊に声を掛け、ウィスタウィックの町にいる私に引き合わせたのだ。

 更に拠点となる入江もそれとなく教えてくれ、準備が整った。


「オーデッツ商会とマッコール商会が使う商船を襲ってくれ。可能な限り証拠は残さないように皆殺しにしてほしい」


 海賊の首領は「分かった。船も奪ってもいいのだな」と確認してきた。


「構わないが、帝国まで運ぶことが条件だ。間違っても王国内で使わないでくれ」


「分かっている」


 最初の襲撃は運のいい船乗りが生き残ってしまったが、海賊たちは思った以上に仕事ができた。というより、王国に入ったことで商船側が油断し、簡単に襲えたようだ。

 船乗りから情報を受け白騎士団が派遣されてきたが、すぐに海賊たちに連絡し、帝国の領海に引き上げさせることで事なきを得ている。


 その期間を利用して、ハイランドに行った。

 そして、ハイランド王にキタヤマが指導したサケを献上した。その際、ハイランドの役人にトーレス王国が独占しようとしていると伝えている。


「これほどのサケをトーレス王国は独占するつもりのようです。オーデッツ商会は蔵元に対し、自分たち以外には売らないように圧力を掛けていると聞きました」


「圧力? その商会より高く買うと言えば、商売なのだ。蔵元も売るのではないか?」


「今回、ジン・キタヤマなる流れ人がこのサケ造りに関与しております。マシアでは酒造りの神と呼ばれるナオヒロ・ノウチの再来と言われており、そのキタヤマを通じて圧力を掛けているため、蔵元は他に売れなくなってしまったのです」


「なるほど。陛下は殊の外このサケを気に入られたようだ。そういう事情ならトーレス王に注意してもらうよう親書を送られるかもしれん」


「それはあまり意味がありません」


「なぜだ?」


「国王ヘンリー陛下はキタヤマの料理を気に入っており、キタヤマの機嫌を損ねるようなことはされぬはず。間違って去られては困るためです」


「なるほど。では、そなたに任せるから、何とかこのサケを定期的に送ってくれ」


 これでハイランドから問い合わせる可能性は低くなった。といっても完全ではないから、これ以上ここに来ることはやめた方がいいだろう。


 ウィスタウィックに戻ると、白騎士たちが引き上げたことが分かった。そして、再び海賊たちに連絡を付けた。

 順調に奴らの船を襲い続けたが、調子に乗った海賊が下手を打ってしまう。

 海軍である青騎士団を侮り、私が命じていない商船まで襲い始めたのだ。


 確かに青騎士団は侮っても問題ない。だが、スールジアの商船は警戒すべき相手だ。

 そのことは海賊たちの方が分かっていたはずだが、調子に乗ってしまったのだ。


 スールジアの商船はトーレス王国の領海内が危険だという情報を得ると、帝国の傭兵を雇った。その傭兵は内戦騒動で締め付けられた獣人の戦士たちで、海賊たちより強力でやる気に満ちていた。


 あっさりと失敗し、生き残りが捕らえられてしまう。

 そのことを知ったのは私自身が捕らえられた後だった。


 捕らえられたものの、覚悟はできていたので焦りはなかった。あとはこの国に混乱を与えてやることしか考えておらず、積極的にウッドヴァインとの関与を話した。


「ウッドヴァイン子爵は殺された。見つかったメモから貴様に脅されていると書いてあった」


 ウィスタウィック侯爵家にも優秀な人材がいたようだ。恐らく私とのつながりを断ち切るため、ウッドヴァインにメモを書かせた上で殺したのだろう。


 その後、私は尋問に対し、大人しくすべてを話した。逆らっても拷問を受けるか、黒魔術で証言を強要されるだけだからだ。

 しかし、一つだけ事実と違う証言をしている。


「……我が商会の荷を奪えば、疑われないと思ったのです。ですが、無駄な努力でしたね」


 これは私を裏切った息子フレッドとアスキスに対する意趣返しだ。これでマッコール商会は信用を失い、潰されるだろうから。

 しかし、私がその結果を知ることはないだろう。海賊行為は死刑と決まっている。


 10日後、私は笑いながら処刑台を上っていった。

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