第14話「ジン、鮎を焼く」
マシア共和国の首都アーサロウゼンで食材と酒を見つけた。食材は昆布や干し椎茸などが見つかり、今後の継続的な購入にもある程度目途がついた。また、日本酒もゴードン酒店という管理が行き届いた店を偶然見つけている。
ゴードン酒店で応対してくれた店主の娘シェリー・ゴードンは、日本酒の知識が豊富な女性だった。彼女はマシアの酒、特に高級酒の個性がないことを愁い、俺に改善を依頼するほど酒を愛している。
シェリーが蔵元の見学を提案してきたため、明日近くの蔵元に行くことになった。
今日の用事が終わったため、世話になっているトーレス王国の大使館に戻ることにした。大使館に戻った後、大使であるロバート・トランセル男爵に報告を行った。
王国の役人であるダスティン・ノードリーが確認する意味で話を振ってきた。
「とりあえず目的の物は手に入ったということでいいんですね」
「ええ、最低限必要なものは手に入りましたし、探していた昆布の産地が見つかったのは大きいですね。あとは良質なものを定期的に購入できるようにする方法を考えないといけませんが」
「それにしても少し話をしただけなのに、流れ人だと気づかれるとは思いませんでしたね」と俺が言うと、ダスティンが小さく頭を下げる。
「どうやら初めての外国で浮かれていたようです。本来なら私が気付くべきことでした」
「仕方ないですよ」と慰めると、男爵が話に加わってきた。
「キタヤマ殿が流れ人だと気づかれたということですか?」
「ええ、私が調子に乗って話をしていたので、見抜かれたようです」
「ノードリー局長、手を打たねばならない案件だと思いますが、いかがか」
「私も早急(さっきゅう)に手を打つべきだと思います」とダスティンも真剣な表情で頷く。
俺としてはそこまでする必要はないと思っているが、ダスティンたちにとっては国王からの勅命ということで真剣にならざるを得ないようだ。
ダスティンとトランセル男爵、書記官のヴィンセント・シアラーの三人は協議するため、別室に向かった。
「夕食の準備をしましょうか。フィルさんは適当に休んでいてください。チャーリーは済まないが、食材を持って、ここの厨房に一緒に来てくれないか」
商人であるチャーリー・オーデッツは王国から預かった
ちなみにマジックバッグだが、軍用の収容能力三百立方メートルの大型の物が二つと十立方メートルの中型の物が三つ用意されていた。これだけでも四十フィートコンテナ十個分ほどあり、食材探しというレベルの話ではない気がしている。
「私もいっしょに行きます。一人でいても暇なので」とフィルが言ってきた。
ということで、三人で厨房に向かう。
厨房の場所は朝食の時に聞いており、迷うことはない。
厨房には専属の料理人がいるが、男爵から話を聞いていたのか、こちらから話をする前に笑顔で頭を下げられる。
「ご自由にお使いください。必要なものがあれば、ご用意します」
料理長は三十代半ばで俺と同じくらいの年齢で、真っ白な調理服とコック帽を身にまとっており、“フレンチのシェフ”という出で立ちだ。
昨夜と今朝、料理を食べているが、宮廷料理長とまではいかないものの、十分に腕の立つ料理人だ。
「炭火を使いたいのですが、裏庭を使ってもいいでしょうか?」
「裏庭を使うことは問題ありませんが、炭火を使われるのですか? ここには最新式の魔導コンロやオーブンもありますが?」
「ええ、魚は炭で直に焼いた方が美味くなるものもありますから」
これで今朝買った鮎が焼けると安堵する。
まだ午後三時にもなっていないため、下ごしらえから始めることにした。
と言っても今日のメインは鮎と米、そして日本酒なので、それほど凝った料理を作るつもりはない。
「まずは昆布と野菜を出して……」
必要な食材をチャーリーに出してもらう。
野菜は今日買ったカボチャやキュウリなどだ。
作るのは俺たち四人とトランセル男爵夫妻、ヴィンセントら書記官を加えた五人分なので十人前ほどだ。
大した量ではないが、今日買った食材の味を見ていないため、まずは味見用に少量作る。
作ると言っても味を見るので、夜の物とは別の料理になる。
かぼちゃは味を見ているので、太キュウリとオクラ、それにミョウガや大葉などの香味野菜の味を確認する。
キュウリは薄切りにして塩揉みし、オクラは軽く湯通ししてから刻み、刻んだミョウガと大葉を載せてから、醤油と酢、砂糖で簡単な酢の物を作る。
キュウリは瓜に近い感じで甘みがあるが、浅漬けにした方が美味そうな感じだ。
野菜の味を確認した後、野菜の下拵えを行っていく。
四時くらいになったので、チャーリーに米を出すよう頼む。
「分かりました。それではどっこいしょ」と言いながら、ミカン箱くらいの木箱を取り出した。
この世界には米袋がないため、米は木箱に入れてあり、結構重そうだ。
「ありがとう」と言ってから、借りたボウルに米を入れ、丁寧に洗っていく。
何度か水を替えながら、手の平を使って優しく洗う。
「そうやって洗うのですか。勉強になります」と料理長が言ってきた。
「米が割れないように注意しながら表面の糠を丁寧に落とすと香りが違うんです」
そんな話をしながら、「土鍋を二つ頼む」とチャーリーに指示する。
土鍋はトーレス王国の王都ブルートンで特別に作ってもらったものだ。炊飯器という便利なものがないため、最初は鍋を使っていたが、いまいち美味くなかったためだ。
ザルで水を切った米を土鍋に入れ、水加減を調整しておく。
「すぐに火にかけないのですか?」
トーレス王国の料理人は向上心に溢れているのか、料理長が再び質問してきた。
「はい。米は一時間ほど水につけておいた方が美味しく炊けますから」
更に昆布を取り出し、表面を軽く拭いた後、水に浸ける。
その後、料理を手際よく作っていく。
夕食は午後六時から始まるが、この世界にはマジックバッグという便利な道具があるため、食事の進行に合わせて調理の調整を行う必要がない。
給仕たちに指示を出しておけば、一緒に料理を食べることすら可能だ。もっとも料理人としての矜持があるので、そうするつもりはない。
そのため男爵はしきりに申し訳ないと言っていた。国王の賓客を働かせることに恐縮していたのだ。
「これが本職なので気にしないでください。それよりも料理で気になったところがあれば、遠慮なくおっしゃってください」と伝えている。
ブルートンでは評判がよかったが、マシア共和国に長くいる男爵の好みに合うとは限らないし、今日見つけられなかった食材のヒントが得られるかもしれないからだ。
土鍋ご飯は既に炊き上がっており、その他の料理もほぼ出来上がっている。
今はメインディッシュとなる鮎を焼いているところだ。
鮎は持ち込んだ炭火用のコンロでじっくりと焼く。
鮎はうねるような形の“おどり串”にし、適度に塩を振ってある。もちろん、ヒレには飾りとなる化粧塩が施されている。
今回の鮎は夏の盛りを過ぎた“落ち鮎”であるため、骨が固い。本来なら落ち鮎の頭は食べないのだが、じっくりと火を通すことで食べられるように焼いている。
焼き方は少し特殊で、通常通り水平にして焼くだけでなく、頭を下にして鮎の持つ脂を頭に集め、頭を揚げ焼きにする。そのため、通常より時間が掛かるが、鮎本来の香りが頭に集中するため、日本酒のいいつまみになるのだ。
この要領で鮎を焼いていき、焼けたものからマジックバッグに保管していく。
すべて焼きあがったところで、食堂になっているホールに持っていった。
■■■
私ヴィンセント・シアラーは上司であるロバート・トランセル男爵の命令で、流れ人ジン・キタヤマ氏の案内役となった。
キタヤマ殿は国王陛下の賓客という立場であり、話を聞いた時は気が重かったが、実際会ってみると思った以上に腰が低く、懸念が一つ減った。
私はここアーサロウゼンに三年以上住んでいるが、未だにここの料理が好きになれず、食材の案内役と聞いて困惑した。しかし、ここで成功すれば国王陛下の覚えがめでたいと考え直し、できる限りの準備を行い、街を案内した。
とりあえず探していた食材が見つかったようで自分の役目が果たせたことに安堵している。
キタヤマ殿は私がコメを苦手にしていると知り、美味いコメを食べさせると言ってくれた。正直なところ、あまり乗り気ではないが、陛下が感動したというキタヤマ殿の料理が食べられるので、その点だけはありがたく思っている。
夕食は男爵閣下ご夫妻、一等書記官ご夫妻、それにダスティン・ノードリー産業振興局長、キタヤマ殿の護衛のフィル・ソーンダイク殿、オーデッツ商会のチャーリー・オーデッツ商会長、そして私を入れた八人だ。
「ジンさんの料理は素晴らしいですよ。今回は流れ人の世界に近い食材らしいので、ずいぶん気合が入っていましたから特に楽しみです」
ノードリー局長が男爵閣下に説明している。
すぐに給仕が現れ、グラスに入ったサケを配っていく。
「本日購入したマーデュのオータムディアのジュンマイダイギンジョウだそうです」
給仕が下がったところで、男爵閣下が「では、キタヤマ殿の料理を楽しみましょう。乾杯」と言ってグラスを上げる。
私もそれに合わせてグラスを掲げ、口をつける。
「これは!」と男爵閣下が声を上げる。奥方様も「これほど美味しいものがあるのですね」とおっしゃっていたが、私も同感だった。
ほのかな酸味と僅かに癖がある香りがあるが、全体的に柔らかく、安酒のイメージは全くない。
「コメを半分以下にまで磨いているそうです。ジンさんの話ではジュンマイの旨みがもう少し残っていればもっと美味いそうです。私には全く分かりませんが」
ノードリー局長の説明に私も頷いてしまった。
「ヴィンセントはサケが苦手だったが、これはどうだ?」と男爵閣下が聞いてきた。
「これは軽めの白ワインのようでとても美味しいと思いました。これならば毎日飲んでもよいくらいです」
「最初に飲んだサケが不味かったのだろうな。私はそこまで嫌いではないが、これは非常によくできていると思う。だが、これでもキタヤマ殿は満足できないということか」
私も同じ気持ちだ。これほど美味いのにと思わないでもない。
そんな話をしていると一品目が出てきた。
「里芋の味噌餡に、イワナのマリネ風、オクラの出汁餡だそうです。里芋の味噌は甘く、イワナにはワサビを使っているため、少し刺激があるそうです」
給仕が説明すると、奥方様が「手が込んでいますね」と微笑んでおられる。
そこにもう一人の給仕が現れ、小さなカップを置いていく。
「オータムディアのジュンマイの“ヌルカン”だそうです。料理に合わせてお好みでお飲みいただければとのことでした」
「ヌルカンというのは少しだけ温めたサケのことです。香りが立つ飲み方で、料理によく合うのですよ」
ノードリー局長が給仕に代わって説明する。
里芋を口に入れると、ねっとりとした食感に味噌の塩と甘さが合い、これだけで完成した料理だと分かる。
そこでヌルカンを口に含むと、サケの香りが華やかになった。
「これがレベル9の料理か……陛下が最上級の待遇を約束された理由がよく分かった」
男爵閣下の言葉に私を含め、大使館側の人間は全員頷いている。
イワナのマリネやオクラの出汁餡も酒との相性は抜群で、サケ嫌いだと言っていたことを忘れそうだ。
その後、料理が続いた。
かぼちゃの煮たものは今まで食べたことがないほど香りと甘みがあり、ほくほくとした食感と相まって別の野菜だと思ったほどだ。
更にワンモノと呼ばれる魚のスープは油が全く使われていないのに旨みがあって、幻術の魔術が掛けられているのかと思ったほどだ。
キタヤマ殿が料理を持って現れた。
「では、本日のメインの鮎の塩焼きです」
そう言って細長い皿に載せられた焼き魚をテーブルに置いていく。
「これは美しい! まるで泳いでいるようだ」
男爵閣下の感嘆の声がテーブルに響く。
おっしゃる通り、鮎は体をくねらせた形で焼かれており、どのヒレもピンと立っており、泳いでいる状態で焼いたかのようだ。
「酒はノローボウの純米ひやおろしです。それをぬる燗にしています」
「この鮎はどうやって食べたらよいのでしょうか?」と奥方様がおっしゃられた。
「男性の方はそのままかぶりついてください。頭も骨も食べられるように焼いておりますので。女性のお二人は私が食べやすくしますので、少しお待ちください」
そう言って箸を持ち、鮎の尾びれを切り落とすと、側面を優しく押さえていく。そして、頭の後ろの皮に切れ目を入れると、ゆっくりと引き抜いていった。
「頭も食べられますので、お好みでどうぞ」
キタヤマ殿はそれだけ言うと、一等書記官の奥方の鮎も同じようにしていく。
どうやったらあんなに簡単に骨が抜けるのか不思議だが、目の前の鮎から良い香りが上がってくるため見ていられない。
言われた通り鮎の頭にかぶりつくと、サクッとした食感で思った以上に硬くない。
川魚の独特の香りはあるが、今まで食べた魚より優しい感じだ。
サケを口に含むと、ふわっと広がる香りの中に甘みを感じた。朝市でもキタヤマ殿が言っていたことを思い出した。
「ひやおろしと焼き魚はとても相性がいいんです。もっとも鮎は季節外れなのですが」と言って苦笑している。
「この魚を買い占めた理由が分かりましたよ。これほど美味い魚だったのですね」
ノードリー局長の言葉にキタヤマ殿は頷く。
そして、最後の料理が出てきた。
今度もキタヤマ殿が現れ、丸い形状の器をテーブルに置いていく。その上には器の直径と同じくらいの揚げ物が載っていた。
「最後はかき揚げどんぶりです。かき揚げとは小さく切った具材を粉でまとめて揚げた料理で、今回は野菜がメインにサクラエビを散らしています。かき揚げだけ食べてもいいですし、スプーンで崩してごはんと一緒に食べても構いません。ご飯には丼つゆで軽く味が付けてありますので、それだけでも美味しいと思います」
まずはかき揚げだけを食べてみた。思ったより軽く、サクッとした食感の中に野菜の甘みとエビの香りがあって、これだけでも充分に美味い。
その下のコメを食べ、驚きのあまり思わず声が出た。
「これがコメ……今まで食べていたものと全く違う……」
いつも感じる臭みは全くなく、香ばしいかき揚げに負けない香りが立ち、噛むほどに甘みを感じる。
「そうでしょう。ジンさんの炊いたご飯は本当に美味しいんですよ。私なんておかずなしでもいいって思うくらい好きですね」
ノードリー局長の言葉に大きく頷く。
「確かにこれなら何もなくても美味しくいただけます。これが本物なんですね」
「これで分かったでしょう。私がジンさんのコメを食べたら考えを変えると言った意味が」
私はその言葉に大きく頷いた。
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