第13話「ジン、吟醸酒に失望する」

 マシア共和国の首都アーサロウゼンの朝市で和食に使えそうな食材を多く見つけた。

 更に米と日本酒を手に入れ、上機嫌で朝市を回っている。


「あれは乾物ですかね?」とチャーリー・オーデッツが少し先のテントを指差した。


 指し示された方を見ると、そこには干した魚や野菜などの保存食らしきものが山積みされていた。


 木の枝のような大きな干し鱈が吊るされており、よく見ると煮干しのような小魚の干物やサクラエビのような小さな海老の干したものがあった。


「この辺りはほしいですね。あっ! これは……」


「それはシイタケだ。水でもどして使うと美味いんだぜ」と三十歳くらいの店主が一つ手に取らせてくれた。


 干し椎茸は傘の表面にきれいにひびが入った見事な冬菇どんこだ。


「これはいい冬菇ですね」というと、店主はニヤリと笑い、


「そうだろ。マシアの北は森が多くて椎茸の栽培が盛んなんだ。これだけの品はなかなかないぜ」


「ここにある以外の乾物ってありますか?」と聞くと、


「これなんかどうだ? 結構いい値はするが、水で戻して細切りにして使うと歯ごたえがあって美味いぞ」と言って後ろから木の箱を出してきた。


 ふたを開けると、そこには真っ黒な板状のもの、昆布があったのだ。


「ようやく見つけた……これで出汁で困ることはなくなった……」と思わず安堵の息を吐き出してしまう。


「これが昆布なんですか?」とダスティン・ノードリーが聞いてくる。


「ええ、これと鰹節、それに干し椎茸があれば料理のバリエーションが一気に増やせます」


「それほど重要なものなんですか……店主、これはどこで作られているものなのだ?」


 ダスティンの質問に「スールジアの北の港町ショームだよ」と答え、


「わざわざシャンドゥまで言って買い付けてきた高級品さ。本当は朝市に出す物じゃないんだが、たまにほしいっていう奴がいるから置いているんだ」


 シャンドゥはスールジア魔導王国の王都で、ここから直線で1200キロメートルほど離れている。

 値段を聞くと、高級品ということだけあって、昆布一枚で三百ソル、日本円で三万円ほどする。物としては日高昆布に近い感じで悪くはないが、日本なら二千円ほどで買える程度の品だ。


「とりあえず、二枚もらえませんか」


「毎度あり」と満面の笑みで昆布を取り出している。一見の客で六万円の売り上げなら笑いたくもなるだろう。


 乾物屋で買い物を済ませたところで、ダスティンに相談する。


「マッコール商会に頼んでも昆布は見つかりませんでした。そろそろあそことは取引を辞めるべきだと思います」


 昆布については半年以上前に依頼してあったが、一向に見つけてこない。最近は鰹節や醤油などの調味料の質も落ちており、そのことを言うと値上げさせろと言うようになってきていた。


「そうですね。我々が一日、それも本場ではないマシアで見つけられたのに、本場であるシャンドゥで探しているマッコール商会が見つけられないのは怠慢でしかありません。王宮との取引も全面的に停止させるよう内務卿閣下に進言してみます」


 そんな話をしたが、朝市で思った以上に時間を使い、昼食時になっていた。


「近くで昼食を摂ってから、ゴードン酒店を見に行きましょうか」


 俺の提案に全員が頷く。

 商業地区の定食屋に向かった。メインは味噌を使った焼肉で、ホイコーローに近い感じだ。これに炊いた米と魚の出汁のスープが付いており、和食と中華の中間のような料理だった。店を出た後に大使館の書記官ヴィンセント・シアラーに聞くと、


「マシア料理という名があるわけではありませんが、地元でよく食べられる料理です。私はコメよりパンの方が好きなので、あまり食べませんが」


 確かに今食べた米はいまいちだった。

 精米がいい加減で更に洗米も適当なため糠臭いし、炊き方も火力調整がいい加減なため僅かに芯が残っている。


「確かにあのご飯は駄目ですね」とチャーリーが頷いている。


「ジンさんが炊いたコメはもっと美味しかったと思うのですが、何が違うんですかね」


 ダスティンの質問に精米と炊き方が悪いと指摘し、


「今日買った米は精米の状態も良かったですし、夜にでも炊いてみますか」


 俺の言葉にダスティンが「それはいいですね」と言い、


「ヴィンセント君もジンさんの炊いたコメを食べたら好きなるかもしれないよ」


「そうですか……」とヴィンセントはあまり乗り気ではなかった。


 定食屋を出た後、ゴードン酒店に向かうが、地図をもらっていたのですぐに見つかった。

 外観は日本の酒屋という感じはなく、石造りの重厚な感じの建物で倉庫のような印象を受ける。

 中に入ると陶器製の瓶が並び、ここでようやく酒屋らしさを感じた。


「いらっしゃいませ!」と朝市で売り子をしていた女性、シェリー・ゴードンが明るい声で出迎えてくれる。


「ジュンマイギンジョウやダイギンジョウは奥にありますから、こちらへどうぞ」


 そう言って店の奥に向かった。


 店の奥は重厚な作りの木製の扉があり、中に入るとひんやりとしていた。更にその奥にはいくつもの扉があり、銘柄が書かれた紙が貼ってある。


「あの奥に保管しているんです。温度管理をしっかりしないと、すぐに味が落ちてしまいますから」


 詳しく聞くと魔術師に氷を作ってもらって冷やしているそうだ。きちんと温度管理をやっていることに好感が持てる。


「本当はスールジアの最新式の冷蔵庫が欲しいんですが、高くて手が出ないんです」


 既に試飲の準備はできており、何種類かの陶器のボトルが冷やされていた。


「基本的には先ほど飲んでいただいた銘柄の上級のものになります。値段的には倍以上しますが、それだけの価値はあると思っています」


 そう言って自信を見せる。

 試飲をしていくと、彼女の言っている通り日本でも通用しそうなものもあった。


 しかし、全般的にきれいなだけの酒が多く、純米酒や本醸造にあった個性が感じられない。俺にとってはあまり満足いくものではなかったが、ダスティンやチャーリーは気に入ったようで、


「これならいくらでも飲めそうですね」


「白ワインの代わりになるんじゃないか? いや、魚に合わせるなら、こっちの方がいい気がするな。本格的に輸入することを考えてもいいかもしれない」


 などと話している。


「お気に召しませんか?」とこちらを窺う感じでシェリーが聞いてきた。


「十分に美味しいと思いますよ」


「気になるところがあるのでしたら教えていただきたいのですが」と更に聞いてくる。


「そうですね。個性があまり感じられないところが少し気になります」


「個性ですか? 味は洗練されていると思うのですが?」


「ええ、米を磨いている分、癖がなくて美味しくなっています。ですが、米の旨味があまり感じられなくて、印象に残らないんですよ」


「確かにそうですが……」


「日本酒、いえ、サケの味や香りは主に米の旨みや香りと酵母の香りでできています。本来であれば、米を多く磨いている分、米本来の旨味と各蔵の酵母の個性が強く出るはずですが、ここにある純米吟醸や純米大吟醸は同じような香りのものが多かったように思います。酒母あるいはもろみが同じものなのではないでしょうか?」


「蔵元に聞いてみないと分かりません」とシェリーはシュンとしている。


 日本酒もそうだが、酒は個性が重要だと思っている。確かに美味い酒を模倣し、安く提供するということを否定する気はないが、それは経営者としての視点だ。

 一流の職人なら模倣で留まらず、そこから踏み出すべきだろう。


「技術的には十分だと思いますが、職人たちがどなたかに習った方法から踏み出していないことが原因のような気がします」


 日本酒を伝えた流れ人のやり方を踏襲し続けている気がする。下手に冒険して失敗するより、ほどほどの酒を造っておけば評価もされるし、商売にもなるからだ。


「どうしたらいいのでしょうか?」


「難しいですね。まあ、一番いいのは自分が工夫して作った酒が評価されるような手立てがあればいいのですが」


 最初に考えたのは品評会だが、それを行えるだけの土壌があるのか分からない。審査員に確たる信念がなければ、当たり障りのない“きれいなだけの酒”が評価され、今より酷いことになるだろう。


「キタヤマさんに指導していただくことはできないんでしょうか?」


「わ、私がですか!」と驚く。


「これだけの知識と味覚をお持ちなのです。蔵人たちもキタヤマさんの言葉なら聞くのではないかと思ったんです」


 必死な感じでそう伝えてきた。

 そこで違和感を覚える。さっきまでは特に不満を持っていなかったはずだ。それなのに昨日この国に入った旅行者に指導してほしいというのは理解しがたい。


「私は料理人に過ぎません。もちろん、常識的な範囲で酒の作り方は知っていますが、実際に酒づくりに携わったことなんてないんです。それに今の酒でも不満をお持ちではなかったように感じましたが、なぜ急に?」


「はい。味自体には不満はありませんでした。ですが、このままでいいのかっていつも思っていたんです。さっき、キタヤマさんがおっしゃった個性がないという話で自分が何に不安を感じていたのか分かった気がします」


「なるほど。今でも美味いがこのままでいいのかと思ったと」


「はい。マシアのサケはこの国以外では隣のマーリア連邦くらいでしか飲まれません。トーレス王国やアレミア帝国、スールジア魔導王国にも売ろうとしたのですが、見向きもされない感じなんです。蔵の人たちはそれでも別に構わないとおっしゃっているのですが、私は駄目じゃないかと思っていたんです」


 ただの酒好きの店員だと思っていたが、思った以上に日本酒を愛しているようだ。


「まだこの国に来て二日目です。今すぐには方法は見つかりませんが、私も考えてみましょう」


「でしたら、蔵元を見に行くのはどうでしょうか? ゴードン酒店うちの紹介なら蔵元も無碍には扱いませんから」


「蔵元の見学ですか……ダスティンさん、どうですか?」


 一応、このグループの責任者はダスティンであり、彼の了解が必要だと考えたのだ。


「ジンさんが望まれるなら構いませんよ。それに私も見てみたいです。今後、トーレス王国でもサケを作っていきたいと思っていますから」


 トーレス王国は和食の普及だけではなく、日本酒造りも視野に入れていたらしい。


「なら、お願いしたいと思います。私も見てみたいですから」


「では、明日でいかがでしょうか? 私も“流れ人”の料理人の方の意見を早く聞きたいので」


「私が流れ人だと?」と惚けるが、


「すぐに分かりましたよ。それだけのお酒に関する知識を持っている方はトーレス王国にいらっしゃらないと思います。それにトーレス料理の料理人の方がサケに興味を持つことはないでしょうし、大使館の方がサポートに付くことも考えられませんから」


「なるほど」と俺は納得するが、ダスティンと護衛のフィルは苦虫を噛み潰したような顔になる。


 流れ人はどの国でも保護の対象だが、それだけ人材として求められるということだ。マシア共和国はそこまで強硬な手段を採る国ではないが、拉致という手段を採らないとも限らない。


「このことは内密に。ジンさんの安全に関わりますので」とダスティンが釘を刺す。


「もちろん分かっています。でも、お酒の話をすれば、気づかれる可能性は高いと思います。私くらいの知識でも“ナオヒロ・ノウチ”の再来だって思ったくらいですから」


「ナオヒロ・ノウチという方は昔の流れ人ということですか」


「はい。今から五十年くらい前に現れた酒造りの職人で、マシアでは“酒造りの神様”と言われるほど崇拝されています。ここアーサロウゼンの酒蔵も指導を受けていますが、酒造りが盛んなマーデュでは銅像が飾られ、仕込みの最初にお参りするくらい崇拝されているんです」


 詳しく話を聞くと、ナオヒロ・ノウチという人は五十年ほど前の大陸暦一〇二〇年に現れた日本人で、日本酒造りの職人だったらしい。年齢的にも四十前で、知識と経験が豊富な職人で、マシア共和国のサケを劇的に向上させた人物だそうだ。


 十年ほど前に他界したそうだが、杜氏として多くの蔵の指導を行っており、吟醸酒の作り方を指導したらしい。


「なるほど。ですが、それだとおかしいですね。それほどの腕の杜氏、いえ、職人が同じ味の酒を造るように指導するはずはないですから」


「そう言われるとそうですね。すみません。私もこの仕事を始めてまだ三年くらいなので、詳しいことは分からないんです」


 シェリーは二十歳くらいだから、伝聞でしか知らなくてもおかしくはない。


「蔵に行って直接聞いた方が早いですね」


 こうして明日の午前中に“アーサロウゼン”という名の酒を造る醸造所を訪問することになった。

 ちなみに純米吟醸二本と純米大吟醸三本、大吟醸一本を購入した。これは今日の夜にトーレス王国の大使であるトランセル男爵たちに振舞うためだ。


 試飲と購入を終え、少し早いが大使館に戻ることにした。今から夕食の準備をしなければならないためだ。

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