第12話「ジン、日本酒を試飲する」
マシア共和国の首都アーサロウゼンの朝市に来ている。
朝市と言っても日本のイメージはなく、どちらかというとフランスのマルシェに近い感じだ。
野菜を売っているテントでは和食で使えそうなものを多く見つけ、更に川魚を扱っているところでは鮎を見つけた。
更にその魚屋で日本酒を売っている場所を教えてもらっている。
幸先がよかったことから、足取りも軽い。
「あそこに穀物を売っているところがありますよ」とチャーリー・オーデッツが指を差す。
台の上に米が山盛りになって売られていた。他にも麦や大豆も置いてある。
「いらっしゃい。うちのコメは
四十代くらいの恰幅のいい女性が説明を始めた。この世界には時間を止められるマジックバッグという魔導具があるので地球よりも鮮度を保つことが容易だ。
「米は一種類ですか?」
「出しているのは地元のコメだけど、ラクチュヴィンやヴェンノヴィアのコメもあるよ」
大使館の書記官ヴィンセント・シアラーが補足してくれる。
「ラクチュヴィンはノローボウ河の下流の町で、ヴェンノヴィアはハディン河の河口付近の町になります。どちらもコメの産地として有名なところですね」
話を聞いてみたが、コシヒカリやあきたこまちのような銘柄米はないらしい。
とりあえず、五キロくらいずつ買った。買い物を終えた後に味を見たいためだ。
「コメは産地で味が変わるものなんですか? 麦だとあまり気にしないと思うのですが」
ダスティン・ノードリーが聞いてきた。
「ええ、米は水と土で大きく味が変わります。もちろん、日射や気温、風の強さなんかも影響しますから、同じ米でも土地によって全く違う味になることもあるんですよ。まあ、これは麦でも同じことが言えるんですが」
「麦もですか? 小麦ならどこのものでも同じだと思っていました」
「売っている方が気にしていなければ、混じっている可能性もありますし。本来はグルテンの量なんかが違うので味も変わってくるはずなんですが」
そんな話をしながら、日本酒を売っているテントに向かう。
酒の売り場は人気なのか、結構な人だかりになっていた。
「銅貨一枚で試飲ができるようですね」とダスティンが教えてくれる。
よく見るとテントの支柱に張り紙があり、“試飲:銅貨一枚より”と書いてあった。銅貨一枚は一ソル、日本円で百円くらいだ。
人の波に乗って前に進むと、荒く砕いた氷の山に突き刺さった一升瓶くらいの陶器のボトルが見えてきた。ボトルは十本ほどあり、二十歳過ぎくらいの明るい感じの売り子の女性がお銚子に酒を注いでいる。
客が銅貨を渡すと、お銚子からお猪口に酒を注ぎ、手渡す。そのお猪口は白磁のように真っ白だ。
「蛇の目まであるのか」と思わず感心する。
蛇の目は利き酒に使われるお猪口で、酒の琥珀色が引き立つように青い二重丸が描かれたものだ。日本酒造りを伝えた日本人が同じように蛇の目も伝えたのだろう。
「試飲をしたいんですが」と銅貨を見せながら売り子の女性に言うと、
「何を飲まれますか? 今あるのは地元アーサロウゼンのものなら、“アーサロウゼン”、“マシアジマン”、“ノローボウ”、“ブラックドラゴン”の四種類です。マーデュのものなら、“オータムディア”と“ソードダイアモンド”。変わったところでヴェンノヴィアの“ミストガルフ”がありますね」
七種類もあることに驚く。
「全部純米ですか?」と聞くと、
「ソードダイアモンドとミストガルフはホンジョウゾウです。その他は全部ジュンマイですよ」
「純米吟醸や純米大吟醸はありますか?」
「お客さん、結構好きなんですね」と売り子の女性がニコリと笑う。
「ここにはないですけど、店には置いてあります。ゴードン酒店ってところです」
「お店には後でいきます。昨日この国に着いたところなんで、どんな酒があるのかあまり分かっていないんですよ。なのでお勧めをいただきたいのですが」
全部味を見るつもりだが、プロの意見は無視できない。
「そうですね」とちょっと首を傾げて考え、
「まずは変わったところで、ミストガルフなんてどうでしょう」と言ってきたので、銅貨を渡す。
俺以外にもダスティンとチャーリーも銅貨を渡していた。護衛のフィル・ソーンダイクと案内役のヴィンセントは飲まずに見ているだけのようだ。
「スッキリ辛口のライトなお酒です。この辺りではあまり食べませんが、生の魚に美味しいそうですよ」
蛇の目を受け取り、色を確認する。
ろ過してあるのか、濁りは全くなく、ほとんど色も付いていない。
「お客さん、同業者ですか?」と売り子が聞いてきた。
俺が首を傾げていると、
「色を見る人ってほとんどいませんから」
「これでも料理人なんです。だから気になるんですよ」というと、
「そうなんですか!」と驚かれる。
酒の色や濁りを見ることで、熟成加減やろ過の状況がある程度分かる。日本酒を使う料理人なら見てもおかしくはないはずだ。
「料理人が色を見たら変ですか?」
「いえ、サケは大衆酒場で飲まれることが多いんで、料理を作る人もあまり細かいことを気にしないっていうイメージなんです」
「ということは安いんですか?」
「ええ、このボトルで十五ソルですから、ビールと大して変わりません。こっちの方が
「確かに安いですね」
「でも酒精のことを言ったら、ショウチュウが一番お得かもしれませんけど」と笑う。
そんな話をしながらも蛇の目に口を付ける。
香りはさほど強くなく、爽やかな酸味と米の旨味を感じるが、アルコール添加されている分、全体に軽い印象を受ける。
美味い酒というより飲みやすい酒という感じで、刺身にも合いそうだ。
「飲み飽きない感じの酒ですね。確かに醤油とも相性がよさそうですし、これなら刺身にもいけそうです」
俺の感想に売り子の女性は大きく頷いている。
「次は町の名前を冠したアーサロウゼンです。どうですか?」
特に説明もなく、勧められた。どうやら試すつもりらしい。
銅貨を支払い、蛇の目を受け取る。
今度の酒は薄い琥珀色で僅かに気泡と濁りが見える。
口に含むと微炭酸の軽い刺激と原酒らしいアルコールの強さによって辛口の酒に感じるが、米本来の甘さとコクが口に広がる。
「米の旨味がきちんと出ていて美味い酒ですね。純米の無濾過の生原酒ですか?」
「ええ、冬に絞ったものをマジックバッグで保管しておいたものです」
説明しながらも呆れているようにも見える。
「さすがはジンさんですね。前に飲んだブラックドラゴンと何が違うのか私には分かりませんよ」
ダスティンがそう言いながら、蛇の目を呷っている。
「次をお願いします」と言って銅貨を渡すと、既にお猪口に注いであった。
「では、次の酒はノローボウです」
今回も説明はなく、利き酒大会のようになってきた。
色はアーサロウゼンより更に濃く、古酒か貴醸酒に近い色合いだ。
香りは思ったより優しく、古酒のような味醂や紹興酒のような匂いは全く感じない。口に含むと、まろやかな甘みが広がるが、甘口というほどでもない。
「このまろやかさは二年ものくらいの氷温熟成ですか? いや、それにしては色が濃い。この時期だから、“ひやおろし”という可能性もあるか……」
ひやおろしは九月頃に出荷される酒で、春先に一度だけ火入れして殺菌し、樽ごと蔵で熟成させたものだ。そのため、まろやかでコクがあるものが多い。
氷温熟成は零度より少し低い温度まで下げてゆっくり熟成させる方法で、一年から二年程度寝かせることが多い。低温で熟成させるため、一般的には常温熟成より色が付かない。
「本当によくご存じですね。これは純米のひやおろしです。但し、常温ではなく、低温で熟成したものです。お客さんの方が私より詳しい気がしてきたわ」
売り子の女性だけでなく、ダスティンたちも俺のことを尊敬のまなざしで見ている。
「たまたまですよ。結構分かりやすい酒を出してくれたから何となく分かっただけです」
それから残りの酒の味を確認した。
マシアジマンは華やかさが特徴で、生酛造りらしい酸味を強く感じた。脂の多い魚や肉料理に合いそうな酒だった。
オータムディアも生酛造りの熟成タイプだった。濃厚なボディと後から上がってくる華やかな酵母の香りと相まって、シャルドネの白ワインのような味わいがある。
ソードダイアモンドは本醸造の熟成タイプで切れとコクのバランスがいい酒だった。冷やで飲むよりぬる燗くらいで飲む方が味が安定するのではと思っている。
ブラックドラゴンは以前ブルートンで手に入れたものより味が濃く、上品さより力強さを感じる物だった。
「とりあえず、全部一本ずついただきましょうか。どれも個性的で美味しかったですから」
俺がそう言うとチャーリーが既に金を支払い始めていた。
邪魔になるのでテントから離れようとした時、売り子の女性が声を掛けてきた。
「私はシェリー、シェリー・ゴードンっていいます。イーストタウンに近いところにお店がありますから、ぜひ来てくださいね」
そう言って手書きの地図を手渡してきた。
「ジン・キタヤマと言います。ぜひとも寄らせてもらいます」
そう言って地図を受け取り、その場を後にした。
■■■
私シェリー・ゴードンは朝市での仕事を終え、早めの昼食を摂っている。昼食を食べながら朝の出来事を思い出していた。
今日は珍しいお客さんと出会った。
そのお客さん、ジン・キタヤマさんは熟成方法まで言い当てるほどサケに詳しい人だった。
この辺りの人でもジュンマイとホンジョウゾウの違いなんてほとんど知らないし、知っていても味で判断はできない。
本人は料理人だから分かるみたいなことを言っていたけど、この辺りの料理人はサケの味にこだわる人なんてほとんどいない。サケはワインと違って安酒っていうイメージが強いから。
それでも五十年くらい前に比べれば、サケを楽しむ人が増えたらしい。お爺ちゃんが若い頃にはサケ自体が少なかったと教えてもらっている。
その頃に流れ人の“ナオヒロ・ノウチ”という人が現れて、サケが劇的に美味しくなった。
このナオヒロ・ノウチという人は異世界でサケを作る“クロウド”の“カシラ”という仕事をしていたらしく、今ある銘柄のほとんどはナオヒロの手によると言われているくらい凄い人だったらしい。
ジンさんの話に戻すけど、結構偉い人じゃないかと思っている。
料理人と言いながら身なりは
それも私たちが使うような安物じゃなく、容量が大きくて頑丈な鍵が付いたマジックバッグを使っていたから。
不思議なのはどこでサケのことを学んだのかということだ。
この大陸で最もサケ造りが盛んなのはここマシア共和国。マーリア連邦やスールジア魔導王国でもサケは作られているけど、マシアほど有名じゃない。
ジンさんは昨日初めてマシアに来たと言っていた。
この町アーサロウゼンは国境から150キロメートルほど離れているから、昨日この国に到着して、この町にいるのであれば、スールジア魔導王国の魔導飛空船に乗っていたのだろう。
だとすると、トーレス王国かアレミア帝国の人ということになる。もしかしたらハイランド連合王国の可能性もあるけど、いずれにしても、サケ造りがそれほど盛んなところじゃない。
そうなると可能性が高いのはナオヒロと同じ流れ人。
私の予想が当たっているなら、物凄い上客になる可能性がある。だって、どの国でも流れ人は優遇されているし、全部の銘柄をためらいもなく買っていたから。
そう考えて、慌てて昼食をかき込んだ。
早く店に帰って準備をしなくてはいけない。お父さんではサケの良さを伝えきれないから、ジンさんが呆れて帰ってしまう可能性がある。
うちの店にこれほどサケがあるのは私が好きだから。それも蔵元に直接買い付けに行くくらい好きで、アーサロウゼンでも一番の品揃えだと自負している。
だから、私が接客すれば、ジンさんに蔵元を紹介することができる。あれだけの知識を持った流れ人なら、今以上にサケを美味しくしてくれる可能性もある。
私は朝市の撤収を手伝いの子に任せ、急ぎ足で店に戻っていった。
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