第11話「ジン、朝市に行く」

 八月二十八日。


 半月に及ぶ空の旅が終わり、無事マシア共和国の首都アーサロウゼンに到着した。

 心配されたアレミア帝国だったが、大きなトラブルが起きることはなかった。また、悪天候に遭うこともなく、平穏な旅だった。


 アーサロウゼンはノローボウという川の畔にある町で、上空から見た町の周囲には美しい田園風景が広がっている。


 ここでスールジア魔導王国の魔導飛空船を降りる。

 この町は比較的高地にあるらしく、八月の下旬という残暑厳しい時期であるにも関わらず、川から流れてくる風は爽やかだ。


 世話になった飛空船の船長やスールジア魔導王国の役人らにあいさつを行い、俺たちは飛空船を離れた。


 この先は俺とトーレス王国の役人ダスティン・ノードリー、護衛のフィル・ソーンダイク、商人のチャーリー・オーデッツの四人で行動することになる。


 飛空船の係留場には入国手続きを行う建物がある。

 入国の手続きは地球にある国際空港とほとんど同じだ。共和国の役人にパーソナルカードと市民カードを提示し、入国目的の確認や持ち込む物品の検査などの入国審査を受ける。


 しかし、今回は国王肝いりのプロジェクトということで、共和国に対して国書が出されており、俺たちは王室関係者として入国する。そのため、手続きはカードの確認程度で、ほぼフリーパスの状態で入国できた。

 改めて国王の期待の大きさを感じ、気を引き締める。


 係留場からアーサロウゼンの中心街に向かう。

 目的地はトーレス王国の大使館。そこで今回の旅のサポート依頼と情報収集を行うためだ。


 アーサロウゼンの町は城壁に囲まれていないため、自由に町に入ることができる。飛空船に乗っている時に聞いた話では、この町の周辺には魔物を排出する迷宮がなく、安全な土地だそうだ。

 検問もないため、入市税は取っておらず、交易が盛んだと聞いている。


 町の中の建物は灰色かかった石壁に濃い灰色のスレート屋根で、全体に華やかさに欠けるが、落ち着いた雰囲気で、映画などに出てくるドイツの田舎の街並みを思い出す。

 交易が盛んというだけあって町には活気があり、多くの商店が軒を連ねていた。


「珍しい食材がいっぱい並んでいますね」とチャーリーが物珍しそうにキョロキョロと周囲を見ている。


「あとでじっくり見られるから、今は注意散漫にならないように気を付けてくれ」とダスティンに注意されている。


 マシア共和国は治安がいい国だと聞いているが、外国人である俺たちは警戒が必要だろう。


 呼び込みを避けながら三十分ほど歩くと、町の中心近くにあるトーレス王国の大使館に到着する。

 大使館は庭付きの邸宅で、立派な門の前には厳めしい表情の兵士が立っていた。

 ダスティンが兵士に事情を説明すると、すぐに二十代半ばの身なりのいい若者が現れる。

 ダスティンはその若者に身分証明書と国王の署名の入った命令書を見せながら、説明を始めた。


「産業振興局長のノードリーだ。国王陛下の勅命により、この国に派遣された。大使のトランセル男爵に面会したい。すぐに手配してくれたまえ」


「こちらへどうぞ」とすぐに中に通される。


 一旦、ロビーにあるソファーで待つように言われるが、五分も経たずに迎えがきた。


「大使閣下の執務室にご案内します」


 こう言ったことに慣れていない俺とチャーリーは緊張しながら、大使館の中を歩いていく。


 執務室は品のいい部屋で、俺と同年代くらいの長身でダンディな男が笑顔で待っていた。


「ロバート・トランセル男爵です」


 そう言ってダスティンに右手を差し出す。


「産業振興局長のダスティン・ノードリーです。こちらは流れ人のジン・キタヤマ殿。国王陛下が賓客として遇されている方です」


 大仰な紹介に困惑するが、「ジン・キタヤマです」と言って右手を差し出した。

 男爵は笑顔のまま握手し、「歓迎いたします」と言って、大きく頭を下げた。


 フィルとチャーリーの紹介が終わると、ダスティンは国王の命令書を男爵に見せ、実務の話を始めた。


「ここに来た目的は陛下よりキタヤマ殿の食材探しをサポートするようにと命じられたからです。トランセル殿にも是非とも協力いただきたい」


「もちろん全面的に協力いたしますよ。しかし、食材探しと申されたが、どのようなものをお探しなのですかな」


 最後は俺に向かって質問を投げてきた。

 ダスティンに俺が答えると目で合図する。


「まずは米です。この国では米が多く取れると聞いております。その中に私の目指す料理に使える物がないか、探したいと考えています」


「コメですか……」と困惑したような表情を浮かべ、


「確かにこの辺りの主食ですが、それほど美味なものとは思えませんが?」


 乗り気でない男爵にダスティンが首を小さく横に振ってから話し始める。


「キタヤマ殿の料理を食べていないからです。陛下はキタヤマ殿のコメを使った料理を大変気に入られ、更に美味くなるなら是非とも食したいと仰せでした」


「陛下がコメを絶賛されたと……それほどの料理になるとは……」


 トーレス国王は美食家として有名で、当然男爵もそのことに思い至ったのだろう。


「あまり公にできないのですが、キタヤマ殿の料理スキルはレベル九。サッカレー料理長より腕の立つ料理人なのです」


 ダスティンが小声で説明すると、男爵は「レベル九ですと!」と驚きの声を上げた。


「ええ。ですから、キタヤマ殿の要望に沿ったものがあれば、陛下もご満足いただけるでしょう」


「なるほど」と男爵は笑顔で大きく頷く。どうやら一気にやる気になったようだ。


「他に探しておられる食材は何でしょうかな」


「食材ではないのですが、日本酒、いえ、サケを探しております」


「サケですか。それならばこの町でも作っていたはずです」


「ブラックドラゴンという銘柄のサケがあったはずですが、ここで作られているのでしょうか」


「申し訳ありません。分かりかねます」と申し訳なさそうに頭を下げる。


「では、人を使って探していただけまいか」とダスティンが依頼する。


「了解しました。こちらで探してみましょう」と快諾する。


 その後、野菜や乾物類などについても情報が欲しいと頼むと、


「ここアーサロウゼンはマシアの食材が集まる町でもあります。もしよろしければ、毎朝、マーケットが立っておりますから、そこで直接探されてはいかがでしょうか」


 詳しく聞くと、町の商業地区に近隣の農家や露天商たちが集う広場があり、そこでは多くの食材が売られているらしい。


「見に行きたいですね」と俺が言うと、ダスティンは大きく頷き、


「案内の者を付けていただけまいか」


「もちろん」と男爵は笑顔で承諾すると、「ヴィンセントを呼んでくれ」と秘書官に指示を出す。


 すぐに先ほど門で顔を合わせた青年が現れる。


「お呼びでしょうか?」


「うむ。陛下の勅命を受けたノードリー局長に協力してくれ。具体的にはノードリー殿とそちらのキタヤマ殿の指示に従ってくれればよい」


「承りました」と頭を下げると、俺たちに向けて爽やかな笑顔を向ける。


「書記官を務めておりますヴィンセント・シアラーと申します。何なりとお申し付けください」


 その後、男爵とヴィンセントを交え、細かな協議を行った。

 当面の間、大使館を拠点としてアーサロウゼンで情報収集を行いながら食材を探す。その後はその情報を基にマシア共和国内を回りながら、次の目的地であるマーリア連邦に向かうことになった。


 翌朝、朝食を摂った後、五百メートルほど離れた朝市に向かう。

 歩きながらヴィンセントが朝市について説明してくれた。


「この辺りは寒暖の差が大きく、よい野菜や果物が採れると言われています。特にこの季節には多くの野菜がマーケットを賑わすと聞いております……」


 朝市の場所に近づくに従い、早朝であるにもかかわらず、人の数が増えていく。


「凄い人ですね」というと、


「ええ、この町の食材のほとんどがここで仕入れられますので」とヴィンセントが教えてくれる。


 入り口に到着すると、祭のような人の多さで、大きな声の売り口上が聞こえてくる。


「うちのは朝採りの最高に美味いナスだぞ! 焼いてよし、煮てよし、漬物にしても最高に美味いぞ」


「このスイカを見ておくれ! こんなに大きくて詰まったものは他じゃ手に入らないよ!」


「うちのナマズはきちんと泥抜きしてあるからすぐに使えるぞ!」


 などという威勢のいい声で満ちていた。


 中に入ると、色とりどりのテントが並び、その中にさまざまな商品が並べられていた。朝市というよりフランスの市場マルシェに近い感じだ。


 テントとテントの間が狭い通路には多くの人がいるが、オッサン四人と貴公子然とした若者の組み合わせは異質で、自然と避けてくれるため、意外に歩きやすい。


「兄さんたちは何を探しているんだい」という声が掛かり、つい覗いてしまう。


 そのテントには色とりどりの野菜が並べられていた。


「カボチャにナス、オクラもあるのか……これはズッキーニだな……」


 日本にありそうな野菜が多く並んでおり、思わず顔が緩む。


「このカボチャは甘いですか?」と店主である四十代くらいの女性に聞くと、


「うちのカボチャは火を入れるだけでも充分に甘いよ。これを食べてみな」


 そう言って焼いたカボチャを試食させてくれる。

 日本のカボチャほどは甘くないが、十分に美味しいカボチャだ。


「確かに甘いね。じゃあ、これはどんな感じなのかな……」


 俺が店主と会話していると、後ろでダスティンがチャーリーに話しかけていた。


「チャーリー、ジンさんの気になる物は手あたり次第買っておいてくれ」


「分かりました。ジンさん、どれがいりますか?」


 予算的にはとりあえず五千万円ほどあるから、野菜を買うくらいは問題ない。もっとも、足りなくなったとしてもトーレス王国の在外公館に行けば、ある程度の金額は融通してもらえることになっており、金に困るようなことはない。


 買った物についても収納袋マジックバッグを複数用意しており、買える物を手あたり次第買っても持ち運ぶことは可能だ。


「では、これと、これと、これを……それからあの白ナスもほしいですね」


「豪気だね。こんなに買ってくれるなら、これもサービスさせてもらうよ」


 そう言って店主が青い瓜のような野菜を差し出す。瓜にしては細く、キュウリにしては滑らかで、加賀太きゅうりに近い感じがした。


「瓜かな? それともキュウリの一種かな?」と聞くと、


「キュウリだよ。そのまま食べてもまあまあだが、軽く塩漬けにすると炊いた米によく合うよ」


 やはり加賀太きゅうりに近いもののようだ。


 他の店も回ると、岩魚や鱒などの川魚を売っているテントを見つけた。


「岩魚に川鱒……これは!」


 美しい黄金色のスマートな魚が目を引いた。鼻を近づけると独特の香りがあった。


「鮎がいるのか!」


 二十センチを超える大きさで、落ち鮎のようだが、確かに鮎だ。


「この季節に鮎は欠かせないだろ。見かけない顔だが、外国の人かい」


 年かさの店主が聞いてくる。


「ええ、昨日ここに着いたばかりで……鮎はたくさん獲れるのですか?」


「ああ、そこのノローボウ河でこの時期たくさん獲れるんだよ。こいつの塩焼きとサケがあれば他には何もいらないってくらい美味いぜ」


 関西で和食屋をやっていた関係で、四国や和歌山の天然鮎を扱うことが多かった。特に塩焼きは大好物で、鮎釣りが解禁になる五月末から八月一杯は、入荷されれば必ず買っていたほどだ。


「これはトーレス王国にいない魚ですよね」とチャーリーに聞くと、


「ええ、私は初めて見ました。同じような魚も見たことはないです」


 鮎は日本とアジアの一部だけに生息する魚だから、この世界でも似た感じなのだろう。


「あるだけ買いましょう。親父さん、何匹ありますか?」


 俺の勢いに「お、おう」とたじろぐが、


「十五匹はあったはずだが、全部買うのか? 全部で銀貨三枚になるが?」


 一匹当たり二百円で養殖並みの安さだが、この時期なら簗を使えば結構楽に獲れるから安いのかもしれない。


「もちろんです。もし明日も入るなら二十匹ほど買わせていただきますよ」


 俺がそう言うとチャーリーが「前金でとりあえず銀貨二枚払っておきます」と言って金を渡す。


「前金はありがたいね。明日もここでやっているから取っておいてやるよ」


 大量に買った理由だが、トーレス王国にいない魚であり、時間停止ができるマジックバッグがあれば鮮度が落ちることなく、持ち帰ることができるためだ。


 チャーリーが鮎を受け取っている間に情報収集を行う。


「塩焼きにサケと言っていたけど、どこのサケが美味いのかな」


「俺が飲むのはこの町の名が付いた“アーサロウゼン”だが、人気なのは“ブラックドラゴン”か、マーデュの“オータムディア”だな。ブラックドラゴンはきれいすぎて俺の好みじゃないがね」


 マーデュという地名を聞き、ヴィンセントが地図を出して「ここですね」と示す。


「ここからだと街道を進んで三百二十キロというところでしょうか。その後はハディン河を下れば、コメの産地に入りますし、港があるヴェンノヴィアの町にも通じています」


 マーデュはマシア共和国の中央部にある高原地帯で、ここより更に標高が高い寒冷な土地だそうだ。また、ハディン河の源流に当たるため、水がきれいで酒づくりが盛んな場所らしい。


「マーデュのサケが欲しいなら、この市にも売っているぜ。試飲もさせてくれるから、後で覗いてみな」


 そう言って大体の場所を教えてくれた。


「では、次はサケですか?」とダスティンが聞いてきた。


「その前に米を探しましょう。酒が入ると、探せなくなるかもしれませんから」


 試飲程度で飲み過ぎることはないと思うが、まずは米を探すことにした。

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