第43話「ジン、寿司を握る:後篇」
国王の要望により、王宮で寿司を握ることになった。
給仕が日本酒の入ったワイングラスを並べていく。
「本日のサケはマシア共和国の港町ヴェンノヴィアのオールド・ノウチのナマザケをご用意しました。キタヤマ様のご助言によって生まれた香り豊かなものでございます」
純米大吟醸、それも協会9号系の華やかな日本酒と寿司という組み合わせになる。
本来はシャリの酸味や米の旨みに負けない純米酒くらいの方がいいのだが、初めての寿司ということで飲みやすい酒にしてみた。もっともオールド・ノウチの熟成酒なので旨みが強く、寿司にも負けないと思っている。
「このサケを作らせたことはキタヤマ殿の功績ですな」と王太子のジェームズが国王ヘンリーに話しかけている。
「左様。以前のサケは個性に乏しかったが、これは非常に華やかで、我が国の白ワインにも負けぬ個性を持っておる。今後は我が国でもこのように美味いサケを作れるようになってほしいものだ」
二人の話を聞きながら、その間にシャリを準備し、一貫目のヒラメの冊を薄切りにする。
「事前にランジー伯爵閣下よりお伝えしております通り、寿司は生魚を使います。一貫目はボスコムで水揚げされましたヒラメの生の身を握ります」
そう説明しても特に頷くだけで、誰も不安そうな顔はしていない。
シャリを掴み、空気を含ませるように握る。そして、ワサビを軽くつけ、ヒラメの身を載せて形を整える。
醤油、味醂、酒などで味を調えた“煮切醤油”を刷毛で軽く塗り、国王の前の皿の上に置く。
「寿司は摘まんで食べる料理ですので、そのまま一口でお召し上がりください」
国王は少し戸惑うが、指で摘まんで口に放り込む。
その間に王妃の寿司を握り、同じように置いていく。最初はスプーンを用意しようかと思ったが、トーレス料理でも骨付き肉などは手で食べるため、フィンガーボウルを用意した。
「これは美味い……ヒラメはオヒョウの代わりに使う魚だと思っておったが、これは旨みが深い。脂の乗りもあるが、この酢を含ませたコメとショウユとの相性が抜群によい」
「旨みが出るように熟成させております。オヒョウもヒレに近い部分は“縁側”と言って使いますが、寿司や刺身にするには大味で、私のいた日本ではヒラメの方が好まれておりました」
オヒョウは大型のカレイで、日本なら北海道や東北で使われる魚だ。ヨーロッパでは割と一般的で、フランス料理ではよく使われる。
「生の魚と伺いましたので、もっと生臭いものだと思っておりましたわ。これは生臭みなど全くなく、爽やかさを感じたほどです」
王妃がそう言って笑みを浮かべている。
「シャリとヒラメの身の間にワサビを少量入れておりますので、これが爽やかにしてくれたのでしょう」
王太子、王太子妃にも手早く出していく。
「二貫目は同じヒラメですが、ヒレの付け根部分である“縁側”の握りです。身とは違う食感と脂の乗りをお楽しみください」
ヒラメは70センチ近い大物で、縁側も十分大きなものが取れた。
「これは面白い!」と最初に食べた国王が驚き、「この食感は癖になる」と褒める。
ここまでは概ね好評だ。
「次は茹で海老です。色合いの美しさもお楽しみいただければと思います」
今回使う海老はシュリンプだが、寿司屋で使う才巻海老、すなわち車海老の小さなものより少し太く、形としてはボタンエビに近い。生で食べると、ややねっとりとしているが、火を入れることで、プリッとした寿司向きの食感に変わった。
色も才巻と同じようにオレンジの縞模様がクッキリと出ている。色を生かすため、煮切りではなく、塩を振り、スダチ代わりにレモンを少し振っている。
「茹でた海老を開いてあるのか。こういった使い方は珍しい……食感はヒラメやエンガワとは全く違うが、香りがよい……」
海老の次はしめ鯖だ。
この鯖はマシア共和国で仕入れたもので、日本の鯖に近い。
締め具合も比較的浅くしてあるが、鑑定士により寄生虫等による食中毒の危険がないことは確認している。
サイズは30センチほどと割と小型のものにしており、背中側の青と腹側の銀色が美しい。脂が乗っているため、切り口も虹色に輝いていた。
「これも生なのかな?」と国王が聞いてきた。
「酢を使って軽くマリネしてあります。上に載せてあるものはマシアのマスタードでございます。この辺りのマスタードより辛みが強いのが特徴です」
しめ鯖に辛子は意外に美味い。最初は生姜にしようかと思ったが、香りのいいマシア産の辛子があったため、使ってみたのだ。
マスタードと言ったが、和辛子に近いもので、国王たちに分かりやすいようにマシア産のマスタードと説明したのだ。
「うむ。確かに鼻に抜ける香りが強い。それにしてもサバがこれほど美味いとは……キタヤマ殿のサバの味噌煮や塩焼きは絶品だが、これはこれで余の好みの味だ」
サバの味噌煮は国王の好物の一つだ。
きっかけは俺たちがマシアから戻ってきた時、ダスティンから報告を受けた国王が作ってほしいと頼んできたことだ。ちょうど新米のいいものと一緒に出したので、それで虜になったそうだ。
美食の国の国王が食べる料理でもないと思うが、俺自身好きだし、美味いと思うので依頼があれば作っている。
次はイクラの軍艦巻きだ。
個人的には海苔がない方がイクラの味をストレートに感じられるので好きなのだが、食べ辛いことと、イクラの生臭さを消すのに少し強めに醤油に漬けているので、それを緩和する意味も含めて軍艦にした。
これに合わせて酒は変えてあった。
純米大吟醸ではイクラに負けてしまうので、マシア共和国の首都アーサロウゼンのガウアー酒造場のノローボウの純米生酒だ。
「これがサーモンの卵……なんとも派手な色であるな……」
濃いオレンジ色の透明な球体に国王も僅かに躊躇しているようだ。
それでもすぐに口に運び、咀嚼し始める。
「酒には抜群に合いますので、お試しください」
そう言うと、国王はノローボウに手を伸ばす。そして、軽く口に含むと、目を丸くした。
「これは……」と絶句する。
「食感は独特ですが、魚卵ですので旨みは十分にあります。醤油に漬け込んでいますので、魚卵独特の臭みも消えておりますし、ノローボウのように米の味が濃い酒とは非常に相性がいいつまみと言えると思います」
「その通りだ。余にはサケに合わせるために作られてきたとしか思えん」
この言葉にためらっていた王妃も口に入れ、満足げに頷いている。
「私も父上と同じことを感じました。キタヤマ殿、このサーモンの卵はスシにしかできぬものなのでしょうか」
「米との相性がいいので、炊いた白米と一緒でも美味しいと思います。他にも魚介系の冷製スープのトッピングにしてもよいのではないでしょうか」
そこで俺の後ろで見学していたサッカレー料理長に視線が集中する。
「サッカレーよ。一度、試してみてくれぬか。見た目のインパクトもあるし、晩餐会で出せば、必ず話題になる」
「御意にございます。キタヤマ殿のご助言を受けて、必ずやご満足のいく料理を完成いたします」
少し大ごとになった気がするが、次のネタに移る。
「ジェイク、煮蛤を出してくれ」
「はい!」と応え、
最初から出していなかったのは少し温かいからだ。
煮蛤は甘めのタレで蛤を炊いたもので、冷めた状態でも美味い。多くの寿司屋では冷たい状態で握られることが多いが、俺の好みとしては少し温かい方が香りが上がるし、甘みが柔らかくなるので、仄かに温めてから握る。
「二枚貝を茹で、甘いタレを掛けたものです」
「貝に甘いタレ……これはまた変わった趣向だな」
そう言いながら煮蛤の握りを口に運ぶ。
「この甘いショウユのタレは蒲焼きや照り焼きに通ずるものがある。貝の火入れがギリギリで柔らかい。これほど柔らかく、かつ貝の味がしっかりとした料理は出会ったことがない……」
そのコメントにさすがは美食の国の王だと感心する。
「貝は昆布や酒で軽く火を入れた後に砂糖などで薄く味を付けています。火は完全に通さず、柔らかさを残すことがこの寿司の重要なところでございます」
時期的には外れているが、物自体がよかったためか非常に旨みがあったので使っている。
次はマグロ、それも背トロだ。
背トロは小トロとも呼ばれ、背びれに近い部位で中トロのように脂が乗っている。繊維が細かく、脂と身のバランスがいいため、個人的には一番好きな部位だ。
これも煮切りではなく、塩を軽く当てる。
「生のマグロの背でございます。脂が上品で米との相性も非常に良いと思います」
国王はうっすらとピンク掛かった身を一瞥すると、すぐに口に放り込む。
「これも美味い。ショウユではなく、塩にしたのはなぜなのだろうか?」
「煮切醤油でもよいのですが、マグロの状態がよかったので香りを楽しんでいただこうと考えました」
「なるほど。確かに魚独特の香りが楽しめる」
シャリが冷めてきたため、ジェイクに取り換えてもらう。
寿司飯の酢と米の香りが鼻をくすぐる。
次は蛸で煮切ではなく、煮詰めを塗る。煮切でもいいのだが、次のネタへの繋ぎとして、甘い“ツメ”の方がいいためだ。
蛸も思った以上に好評だった。
特にジェームズ王太子は気に入ったようだ。
「タコと言えば硬いイメージが強かったのですが、これは適度な歯ごたえで旨み自体もしっかりと残っています」
次のネタはマグロの赤身のヅケだ。
マグロは湯を掛けて霜降りにし、軽く漬け込んである。
表面は茶色だが、中は赤黒く、マグロの赤身の異名“羊羹”を彷彿とさせる。
「マグロの表面にさっと湯を掛け、醤油ベースのタレに軽く漬け込んだものです。先ほどの背の部分との違いをお楽しみください」
「これも興味深い色をしている。味は……思った以上に酸味を感じる。キタヤマ殿、酢や柑橘を使ったのだろうか?」
「いいえ。この酸味はマグロの赤身が持つ味です。火を通すとこのような酸味は感じにくいですが、生に近い形で食べるとこのように素材本来の味を感じることができるのです」
俺の説明に国王は「なるほど」と頷き、王妃も「先ほどの背の脂の甘さとは全く違うのですね」と感心していた。
ここで再び酒を変える。
次もガウアー酒造場の酒でブラックドラゴンの純米大吟醸だ。こちらは生酒ではなく、火入れしたものを用意している。
「最後の寿司に合わせてみました。マーティン・ガウアー氏の息子で若い蔵人であるニック・ガウアー氏が手掛けたものです。今までの生酒よりあっさりとしていますが、オールド・ノウチと同じように酵母を変えており、以前より華やかさが増しております」
そう言いながら、最後の締めの玉子を握っていく。本来ならかんぴょう巻も出したかったのだが、かんぴょう、すなわち夕顔の実が見つからなかったのだ。
「出汁巻かな?」と国王が聞いてきた。
「以前にもお出しした伊達巻に近いものです。海老のすり身を入れ、甘めに味を付けた上でじっくりと焼いています。それをしっとりとさせるために冷やしたものになります」
厚めの玉子焼きの真ん中に切れ目を入れ、屋根のような形の“鞍掛”という握り方で出す。
「このように甘いものでも寿司になるのだな……実に興味深い料理だ……」
「寿司には先ほどの貝のように甘いタレを付けるものが多くあります。他にも本日は出しておりませんが、海苔を使った巻寿司というものもございます。いずれ機会がございましたら、それらもご賞味いただければと思っております」
「期待しておるぞ、キタヤマ殿」
国王は満足げな笑みを浮かべていた。
「そういえばノードリーが申していたが、“サシミ”なる料理もあるそうではないか。次はぜひともそれも食したいものだ」
「刺身は生魚に醤油を付けて食べる料理なのですが、問題ございませんか?」
「スシを食した感じでは全く問題ない。いや、逆に興味を持った。ノードリーは非常に美味で、サケのつまみに最適だと言っておったのでな」
「分かりました。では、次は刺身も考えておきます」
こうして国王たちの食事が終わり、次は厨房で宮廷料理人たちに振舞う。
人数が人数なだけに、サッカレー料理長以外は事前に握っておいたもので勘弁してもらう。
ジェイクとサイモンが寿司を盛った皿を並べていく。
「これは美しい!」という声が上がる。
鮮やかな色のネタが並び、マシアで手に入れた笹の葉を飾り切りにしているためだ。
「陛下に悪い気がしますね」とサッカレーが言ってきた。
「宴会で出すときはこういった飾りを付けますが、本来寿司は握り立てが一番美味いですから」
「そういうものですか。ですが、この技法は素晴らしいですな」
その後、料理人たちが寿司を食べながら次々と質問してきた。
「このサーモンの卵はトーレス料理にも使えるものなのでしょうか?」
「色合いの美しさというのは分かるのですが、どうすればきれいに見えるのでしょう?」
「生の魚を出すときの注意点があればご教授いただけないでしょうか」
捌ききれないほどの質問が来るが、それに一つ一つ答えていく。
その様子をサッカレー料理長は満足そうに見ていた。
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