第23話「ジン、異世界の船に乗る」
九月二十二日。
朝食を摂った後、世話になった領事館を出発する。
次の目的地はマーリア連邦の首都ダイラリオン。ここヴェンノヴィアからは海路で約600キロメートル。順調にいけば六日の船旅だ。
この時期は嵐が来なければ安定した風が期待できるため、遅延はほとんどないらしい。
領事館から港に向かうが、領事のコンラッド・オルグレンと妻のレイチェル、息子のダリウスとフレデリック、更には料理人のレジー・パーシーとテリー・サールが見送りのため一緒にいた。
最初は人見知りであまり話せていなかった子供たちだが、お子様プレートですっかり打ち解けている。
ちなみに二人からはソーセージの飾り切りのやり方をレジーとテリーに教えてほしいと頼まれ、タコやカニ、ウサギなど数種類の切り方を教えている。
港までは徒歩五分ほどで着いたが、既に出向の準備を始めていた。
港にある出入国管理事務所で手続きを行うが、今回は外交官待遇であるため、煩わしい手続きはなく、すぐに終わる。
港には数多くの帆船が係留されており、船乗りたちが忙しそうに働いていた。他にも船の乗客らしき着飾った人々もおり、賑わいを見せている。
今回乗る船はマシア共和国の商船で“レディ・ヒルデガード”という名だ。
三本マストのスマートな帆船で、全長は五十メートルほど。船体は真っ白に塗装されており、遠目には模型のように美しい。
商船と言っているが貨物船ではなく、客船らしい。
理由は大型の
基本的には帆走だが、最新式の魔導機関を持っているため、無風や逆風でも航行が可能になっているそうだ。
突堤に着くと、コンラッドが右手を差し出してきた。
「美味い料理をありがとうございました。よい船旅であることを祈っております」
その手を受けながら、「こちらこそ、お世話になりました」と言って頭を軽く下げる。
妻のレイチェルらとも別れの挨拶を行い、タラップを上がっていく。
タラップを上り切ったところで、金色の筋が入った袖章と肩章が付いた真っ白な制服を着た紳士が待っていた。
「ようこそ、我が船へ。船長のフィリップ・キンバリーと申します」
よく日に焼けているが、紳士らしい物腰で船乗りというよりホテルの支配人のようだ。
「トーレス王国の産業振興局長、ダスティン・ノードリーだ。よろしく頼む」と官僚モードになったダスティンが鷹揚に頷く。
「特等船室を準備しております。詳しくは案内の者にお尋ねください」
そう言うと、すぐに後ろからボーイが現れる。荷物はチャーリー・オーデッツの持つマジックバッグに入っているため、そのままボーイについて船内に入っていった。
船内は狭いが、照明の魔導具によって明るく照らされており、窮屈さはあまり感じない。
「特等船室は船尾にございます。こちらへどうぞ」
ボーイに従って船尾に向かうが、通路の左右には小さな扉がいくつもあった。
「ここも船室ですか?」と聞くと、
「ここは一等船室の区画になっております。この先に食堂がございますが、特等のお客様は船室でお食事が可能です」
そんな話をしながら磨き上げられた通路を歩いていく。
「こちらでございます」と言って彫刻が施された豪華な扉を開ける。
丸みを帯びた船尾はガラス窓になっており、港が一望できる。
「素晴らしいですね!」とダスティンが声を上げる。
据え付けられたテーブルもマホガニーを使った豪華なもので、椅子も革張りの高価そうなものだ。
「私には分不相応って感じがしますね」とチャーリーが言っている。
「俺もそう思う」と思わず頷く。
「マシア共和国の高官の方が使われる船室となっております。左右にベッドルームとトイレ、シャワールームがございます……」
特等船室というだけあって、スイートルームになっており、窮屈さは一切感じない。
「御用がございましたら、この紐をお引きください。係の者がすぐに参りますので」
そう言ってドア付近にある真っ赤な組紐を指し示す。
「出港までまだ少しお時間がございますが、甲板に出られますか?」と聞いてきたので、全員で外に出ることにした。
甲板に出ると、マストの上では水夫たちが忙しく働き、船べりでは既に乗船していた客たちが海を見たり、岸壁にいる見送りの者たちに手を振ったりしている。
俺たちも岸壁で見送っているコンラッドたちに見えるように大きく手を振った。
出発の合図の鐘が鳴り、船はゆっくりと岸壁から離れていく。出港時は帆ではなく、魔導機関を使うようだ。
港を出るとミスト湾に入ることになるが、長細い形の湾であることから波は穏やかで揺れは小さい。
船長の指示があったのか、三本のマストに帆が次々と広げられていく。その様子は壮観で、俺たちを含め、乗客たちは拍手を送っていた。
すべての帆が広げられると、レディ・ヒルデガード号は白波を立てて走り出した。
「思ったより速いですね! それに風が気持ちいい!」と護衛のフィル・ソーンダイクが話しかけてきた。
内陸部に住んでいる関係で初めて海を見たため、普段無口な彼にしては珍しく、興奮しているようだ。
「そうですね」と答えるが、俺自身、帆船に乗るのは初めてなので落ち着きがない。
出港して三時間ほど経ち、昼食時間が近づいてきたところで、ボーイが俺たちの船室を訪れた。
「昼食でございますが、こちらでよろしかったでしょうか? 今日は天気がよいので、甲板で海を見ながら食事をされてはいかがでしょうかと船長が申しておりますが」
「外で食事ができるのですか! ジンさん、どうしますか?」
「外が楽しそうですね」
おっさん四人では優雅なランチとは言い難いが、ダスティンが笑顔で聞いてきたので、彼も外で食べたいのだろう。
甲板に出ると、眩しい太陽が照り付けているが、秋の爽やかな海風が吹き抜け、思ったより涼しい。
ボーイが現れ、テーブルやいすをセッティングしていく。こういったことは普通にあるらしく、手際がいい。
席に着くと、ボーイが説明を始めた。
「本日のランチでございますが、アカハタのポワレ、マーリア風がメインでございます。お酒はいかがなさいますか? サケはアーサロウゼンとノローボウのいずれもジュンマイギンジョウがございます。白ワインはトーレス王国のセオール河沿いの軽めのものがございます」
「ジンさんに任せます」とダスティンが丸投げしてきた。フィルとチャーリーもその言葉に頷いている。
「せっかく地元風の味付けなので、サケでいきましょう。では、ノローボウを四人分お願いします」
グラスに入った日本酒が用意される。
すぐに料理も出されるが、さすがに船の厨房という制約があるため、コースではなく、ランチプレートになっていた。
真ん中に赤い皮の魚、アカハタが載っている。
皮目はパリッと焼かれ、仄かに醤油の香りがすることから、“マーリア風”というのは醤油を使ったということらしい。
よく冷えたノローボウを口に含む。生酒ではないが、軽めの白ワインのような優しい味で、乾いた喉に美味い。
アカハタのポワレを口に入れる。
オリーブオイルでパリッと焼かれた皮がハタの香りを引き出し、心地いい香ばしさが口に広がる。身を噛むと、下味に使われている醤油の複雑な旨みと塩味がハタの身を甘く感じさせる。
「美味しいですね。船の厨房で作ったとは思えないほどです」
俺がそういうと、ボーイが「ありがとうございます」と言って頭を下げ、
「当船には特等のお客様と一等のお客様で特別料理をお求めの方のための厨房がございます。一流のレストランで修業した料理人が担当しており、料理は当船の自慢の一つでございます」
その話を聞きながら、ノローボウを口に含む。
さっぱりとした酸味がオリーブオイルの油をきれいに流し、ハタの旨みが更に引き立つ。
「この組み合わせはいいですね。さすがはジンさんです」とダスティンが褒める。
「偶然ですよ。まあ、ノローボウは醤油味の魚に合いそうだとは思いましたが」
「オールド・ノウチはどうなんですか? あれの生酒なら料理にも合いそうですが」とチャーリーが聞いてくる。
「どうかな。確かに火入れの純米大吟醸より味は濃いからいけるかもしれないが、ヴェンノヴィア醸造の酒ならハディンリバーの純米の方が合う気がするな」
俺たちの話をボーイが真面目な顔で聞いている。目が合うと、少し恥ずかしそうな表情になり、
「お客様たちはトーレス王国の高官の方と伺っていたのですが、まさかサケにまでお詳しいとは思っておりませんでした。さすがは美食の国の方たちだと、仕事を忘れて聞き入ってしまいました。申し訳ございません」
「気にしないでください」と笑いながら答えておく。
「そういえば、この船では酒の持ち込みは可能かね?」とダスティンが確認する。
「もちろん問題ございません。持ち込み料も不要でございます」
詳しく聞くと、特等は料理と酒の料金が含まれているとのことで、今回頼んだ酒の料金も発生しないらしい。
ファーストクラスだと思えばおかしくないのだが、いつまで経ってもこの待遇に慣れない。
昼食を終え、船室に戻り、休憩した後、シャワーを浴びる。
帆船なのにシャワーがあるのは“浄化”の魔導具があるためだ。この魔導具を使えば、ふんだんにある海水を真水に変えることができるので、狭い船内とは思えないほど水は贅沢に使える。
潮風でねばついていた髪や体がさっぱりすると、ゆっくりと揺れる船の動きに睡魔が襲ってくる。
椅子に座って窓の外を見ながらうつらうつらしていると、シャワーを浴び終えたダスティンが「ジンさん、一杯いかがです?」と声を掛けてきた。
ちょうど喉が渇いていたので、ちょうどいい。
「いいですね。でも何があるんですか?」
「よく冷えたビールがあると教えてもらったんですよ。夕食までには時間がありますし、どうです?」
そう言ってジョッキを掲げる仕草をする。
「それはいい! フィルさんとチャーリーが出てきたら、みんなで一杯やりましょう! そうだ。ちょっとしたつまみがあってもいいですね」
そう言ってドアの横にある呼び出し用の紐を引く。
すぐに担当のボーイが現れ、「何か御用でしょうか?」と聞いてきた。
「ここでビールを飲もうと思うのですが、つまみを作るために厨房を貸していただけませんか? 食材と調理器具は持っていますので、魔導コンロと造水の魔導具だけ貸していただければ助かるのですが」
「おつまみも簡単なものでしたら、こちらでご用意いたしますが」
「フライパン一つで十分ちょっとでできる簡単なものを作るだけですから、お手を煩わすのも……」
「ですが……」とボーイは考え込む。
確かに客が作ったもので食あたりにでもなったら責任が取れないので、渋るのも理解できる。
船旅でテンションが上がり、ちょっと軽率だったと反省する。
「すみません。そちらにお願いしようかと……」と言いかけたところで、ダスティンが話に割って入ってきた。
「ジンさんが作ろうと思ったものの、レシピを渡してはどうですか? 簡単なものならここの料理人の腕なら美味しく作ってくれるでしょう」
「いや、大したものじゃないので、わざわざ作ってもらうのも……」
「いや、ジンさんが作ろうとしたものなら興味はあります。君、それなら問題ないだろう?」とボーイに確認する。
「はい。それでしたら問題ございません」
夕食の下拵えをしている料理人を煩わすのは気が引けるが、作ってもらうという流れに完全になってしまった。
仕方なく、レシピを書き、食材と共にボーイに渡す。
「では、三十分後にビールと共にお持ちいたします」
フィルとチャーリーがシャワーを浴び終えたタイミングで、ドアがノックされる。
「お待たせいたしました。ビールとキタヤマ様のご指示のつまみをお持ちいたしました」
ボーイが入ってきた瞬間、海鮮を焼いた香ばしい香りが船室に広がる。
テーブルに木製のジョッキが並べられ、中央に皿が置かれる。
「これはイカですか? それにしてもよい香りですね」
ダスティンがいうと、フィルとチャーリーも頷いている。
「イカのゴロ焼きと呼ばれる料理です。新鮮なイカを内臓ごと輪切りにしてバターとニンニクで炒め、醤油で香りを付けたものです。イカは領事館の料理人から餞別にもらったものです」
出発前にレジーとテリーから「仲買人からこの辺りの海の幸を多めに仕入れましたので、お持ちください」と言って渡されたもので、イカだけでなく、鯛などの地元の魚にタコやカニ、ロブスターなど、木箱に一杯分受け取っている。
一切れ口に入れると、バターニンニクの香りとイカの香ばしさが広がり、その後に醤油が仄かに香ってくる。
そこでビールを呷ると、バターニンニクがいいアクセントとなり、更にもう一口飲みたくなるほど美味い。
「こいつはいいですね! ビールに最高に合いますよ!」とダスティンがビールをグビグビ飲みながら叫ぶ。
「確かにこれは美味いです! イカのオリーブオイル焼きとビールよりこちらの方が好きですよ!」
トーレスの港町にはオリーブオイルで魚介を焼く料理があり、イカも割と食べられる。チャーリーは俺の注文で港町まで買い出しに行くことがあり、そこで食べたことがあるようだ。
「イカの内臓ごと焼くのがポイントなんです。内臓から旨みが出てきますから、そこにバターとニンニクのコク、醤油の香ばしさが加わって更に旨みが増しますから」
そこでボーイに顔を向け、
「味付けはもちろん、焼き加減も完璧です。料理人の方にお礼をお伝えください」
「ありがとうございます。料理長もこの料理には驚いておりました。醤油は使い慣れているのですが、内臓ごと焼くという発想はなかったと申しておりました」
内臓は捨てるか、魚醤の材料にするくらいで料理にはほとんど使っていなかったらしい。
あっという間に一杯目のビールを飲み終えてしまい、結局もう一杯飲むことになった。
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