第24話「ジン、豪華客船のディナーを味わう」
九月二十二日。
マシア共和国の港町ヴェンノヴィアからマーリア連邦の首都ダイラリオンに向かっている。
乗っている船は三本マストの帆船で、その特等船室を使わせてもらっている。地球で言えば豪華客船のスイートルームに当たり、サービスも非常に良い。
その豪華な船室で風呂上がりのビールを楽しんだ。つまみは俺が頼んだイカのゴロ焼きで、この船の料理長が自ら作ってくれたものだ。
「それにしても美味かったですね。夕食が楽しみですよ」とダスティン・ノードリーがほろ酔い加減の赤い顔で話しかけてきた。
「そうですね。でも大丈夫ですか? 結構飲んでいましたが」
「大丈夫ですよ。ランチが軽かった分、小腹がすいていたのでちょうどいい感じです」
ビールを飲み終えたのは午後三時過ぎで、夕食には三時間ほどあるから問題ないだろう。
この船だが、揺れることは揺れるのだが、不思議と船酔いしない。
まあ、乗り込んだ後の割と早い段階から酒を飲んでいるから麻痺しているだけかもしれないが、以前帆船は船酔いになりにくいという話を聞いたことがあるから、それが原因なのかもしれない。
ほろ酔い加減で椅子に座り、船尾側の大きな窓から海を見ている。青い海に白い航跡が伸び、のんびりとした時間を楽しんでいた。
これまでの移動では魔導飛空船、ゴーレム馬車、川下り用の小型船と窮屈な乗り物ばかりだったので、もの凄く贅沢をしている気分だ。
午後四時過ぎにドアがノックされた。
制服に身を固めた若いボーイが立っており、
「お寛ぎ中のところ申し訳ございません。船長より今宵のディナーをご一緒いただければとの伝言を持ってまいりました」
「船長と?」とダスティンが聞くと、
「特に珍しいことではございません。船長は特別なお客様と航海の初日に交流を図るべく、ディナーをご一緒することが多くございますので。もちろん、お客様のご要望次第ではございます」
特等船室の乗客をもてなすのも船長の仕事らしい。
ダスティンが俺たちに目で確認を取ってきたので、俺は小さく頷き、構わない旨を伝える。フィル・ソーンダイクとチャーリー・オーデッツも同じように頷いていた。
「こちらに異存はない。キンバリー船長によろしく伝えてくれたまえ」
官僚モードのダスティンが鷹揚に答える。
午後六時前、ボーイと共に船長室に向かう。一応、正式な晩餐ということで正装に着替えている。
船長室は特等船室の上にあり、リビング部分の広さと同じだ。左右のベッドルーム部分は別の用途に使うのか、扉はなかった。
部屋の真ん中には八人掛けくらいの大きなテーブルがあり、純白のクロスと深紅のクロスが掛けられている。
船長のフィリップ・キンバリーが俺たちを出迎えてくれる。
「晩餐を共にすることを快諾いただき、感謝いたします」
海の男らしく日に焼けているが、その立ち居振る舞いは一流ホテルの支配人のようだ。
挨拶を交わした後、席に着く。
二人の給仕が付き、ワイングラスを置いていく。最初の一杯は白ワインのようだ。
「ノードリー局長は食通であると伺っておりますので、お口に合うかは分かりませんが、一杯目は皆様の祖国、トーレス王国の白ワインをご用意いたしました」
白ワインはうっすらと緑かかった薄い黄金色だ。
「ノードリー局長、乾杯の音頭をお願いできないでしょうか」
「承った」とダスティンは答え、グラスを掲げる。
「快適な船旅と航海の安全を祈念して、乾杯!」
「「乾杯!」」と唱和する。
グラスに口を付けると、白ブドウのマスカットのような甘い香りが鼻をくすぐり、舌には仄かに甘みを感じた。比較的酸味が強いワインだが、よく冷やされており非常に美味い。
「これは美味い! ランチでも感じたが、この船は市井のレストランでは太刀打ちできないほど洗練されている」とダスティンが絶賛する。
その言葉に船長が礼を言っていると、一品目の料理が出てきた。
揚げ物だが、見た目は小さめの揚げ春巻きのように見える。
「チーズをライスペーパーで巻き、揚げたものです。そのまま手で持ってお召し上がりください」
ライスペーパーのパリッとした食感の後に、熱々のグリエールチーズのような素朴な味のチーズがとろりと出てくる。
白ワインを口に含むと、チーズのコクが強くなり、満足感が増す。
塩分もちょうどよく、油っぽさもなく、突き出しにはちょうどいい。
「揚げ加減もちょうどいいですし、本当に美味しいですね」と俺が言うと、
「ありがとうございます。そう言えば、キタヤマ調査官はサケにお詳しいとか。給仕係の者が驚いておりましたよ」
「たまたまです。ところで、この船の料理はトーレス料理が主なのでしょうか?」
感じていた疑問を口にする。
ランチも醤油を使っているとはいえ、焼き方は完全にポワレの手法だし、このディナーの料理の出し方もトーレスのものに近いためだ。
「その通りでございます。この辺りのお客様はトーレス料理を好まれる方が多いのです。何といっても美食の国として有名でございますから」
「なるほど。トーレス料理を基本にしながらも地元の味を加えているということですか」
ダスティンがそういうと、船長は大きく頷き、
「さすがはノードリー局長ですな。その通りです」と褒め、
「航海が六日間もございますから、純粋なトーレス料理ばかりでは地元のお客様は飽きてしまわれるのです。ですので、いろいろと工夫をしているのですよ」
「それに地元の食材には地元の調味料が合いますから、その点も考慮されているのですね」
「調査官殿のおっしゃる通りです。いやはや、いつもであれば、私が料理の説明をするのですが、皆様には教えていただくことの方が多そうです」
そう言って船長は笑う。
二品目は魚介を使った冷製スープだ。香草をふんだんに使ったフュメドポワソンのような濃い出汁に生クリームが加えられ、その上にカニの身が載っている。
「濃いスープですね。カサゴとカニ、二枚貝も使っているのですね。キノコもいろいろと使っているようですし。香草に大葉、いえ、シソの葉を使っているでしょうか。この爽やかさはトーレスのものとは少し違う気がしますが」
船長は俺の問いに少し困った顔をし、給仕に声を掛ける。
「済まないが料理長に確認してくれないか」
慌ててそれを止める。
「あっ! 気にしないでください。独り言のようなものですから」
「いえいえ。私も気になりましたので」と取り合ってくれない。
「私も気になります。ジンさんのおっしゃる通り、いつもの香りと違う気がしたので」
ダスティンまで乗ってきてしまった。
その間に給仕は部屋を出ていき、しばらくすると戻ってきた。
「魚は地元のカサゴで、具と同じ渡り蟹を使っております。更にアサリのスープを少量混ぜているとのことでした。香草でございますが、キタヤマ様のご指摘通り、青いシソの葉を使っております。シソの葉は刻んだものを濾す直前に加え、香りだけを加えているそうです」
「さすがはジンさんですね。私では貝が入っていることすら分かりませんでしたよ」
「貝の香りが仄かにしたので、この時期ならアサリだろうと当たりを付けただけですよ。魚もフュメドポワソンにカサゴは一般的ですし、カニの身を浮かべればガラを使って出汁を取るのは普通の話ですから」
「いやいや、普通は分かりませんよ。キタヤマ様は料理人でもあるのですかな?」
船長が聞いてきた。
「ええ、今回の調査の手伝いで調査官を拝命しただけで、本職は料理人です」
「それにしてもシソの葉まで気づかれるとは思いませんでした。トーレス王国ではシソの葉を使うことはあまりないと記憶しているのですが」
「そうですね。ですが、マシア共和国では普通に使っていましたし、私も今回大量に買い込んでいますから」
そんな話をしていると、次の料理のための酒が用意され、少し安堵する。
「次は皆様がお持ちになったオールド・ノウチのジュンマイダイギンジョウのナマザケでございます」
うっすらと濁った日本酒が大振りのワイングラスで供される。
口を付けた船長が目を見開く。
「こ、これは……失礼しました。あまりの美味さに驚きを隠せませんでした」
「そうでしょう! 我々もこれに出会った時には同じように驚いたものです」
ダスティンがそう言って胸を張る。
「私もオールド・ノウチは飲んだことがあるのですが、これは全く違う印象です。先ほど“ナマザケ”という説明でしたが、私の記憶ではオールド・ノウチのナマザケはなかったと思ったのですが?」
豪華客船の船長だけあって、日本酒にも詳しいようだ。
「社長のロートン氏に掛け合って、我々だけに特別に売ってもらったものですからな」
「さすがは美食の国の方々ですな。これほどのサケを僅かな期間で見つけられるとは」
そんな話をしていると、三品目が出てきた。甘いようなバターの香りが広がる。
「魚介のメイン、エイのムニエルでございます。骨に沿ってナイフを入れていただきますと簡単に身は外れます。ソースと合わせてお召し上がりください」
エイはヒレ部分のようで軟骨が見えている。珍味などで使うエイヒレ部分をムニエルにしたようだ。
「エイですか。珍しいですね」とチャーリーがナイフで身を外しながら船長に聞いている。
「メティス内海では比較的よく食べられる魚です。ただ、新鮮でないと匂いが出てしまうそうで、よいものはなかなか手に入らないと聞いております」
給仕に言われた通り、骨に沿ってナイフを入れると、プルプルの身が簡単に外れる。
香草で香りを付けたバターと絡めて口に運ぶと、バルサミコ酢の香りの後に爽やかな柑橘の香りを感じる。エイ独特の臭みは全くなく、口に入れると、表面の小麦粉とバターがよく絡み、思った以上に酸味とコクがあった。
「これは美味いですね。火の入れ加減も完璧ですし、バターの焦がし加減もいい。ビネガーソースに醤油を使っているのですね」
「これにも醤油ですか?」とダスティンが聞いてくる。
「ええ、ランチの時ほどではないですが、ほんの少しだけ使っていますね。焦がしバターに醤油はとても相性がいいんですよ」
エイの旨みを感じながら、オールド・ノウチを口に含む。
純米大吟醸にムニエルはどうかと思ったが、汲み立ての生酒独特の微炭酸がバターの脂とエイのゼラチンをきれいに流し、爽やかな香りだけが残る。
「このオールド・ノウチにこの料理を組み合わせたのはさすがです。純米大吟醸にムニエルは結構冒険だと思うのですが」
俺がそういうと、給仕の一人が答えてくれた。
「料理長も悩んでおりました。これほどのサケに合わせる料理は難しいと。元々、エイのムニエルは決まっていたのですが、オールド・ノウチの酸味と旨みに賭けたと申しておりました」
「確かにトーレス料理に純米大吟醸を合わせるのは難しいですね。ライトな白ワインとして扱うのが無難ですが、このオールド・ノウチは味がしっかりしているので、濃い目の白に近い感じです。ですが、米とブドウでは香りが全く違いますから、そこが非常に難しい」
日本酒は和食以外にも合わせることが可能だが、純粋なフランス料理に合わせるのは結構難しい。
吟醸酒ならソーヴィニヨンブランのような酸味と味がライトな白に近いと言えなくもないが、日本酒独特の香りと味はワインとは別物だから、単純に置き換えることはできない。
エイのムニエルを食べ終えると、肉のメインが出てきた。
「鴨胸肉のロースト、ワサビソース添えでございます。マーリア産のワサビと醤油を使った少し刺激のあるソースとなっております」
「鴨にワサビですか。それは楽しみです」
鴨にワサビと言えば魯山人の逸話が有名だ。個人的にはあの逸話は店に失礼だと思うが、ワサビ醤油とレアの鴨肉はとても相性がいい。
「鴨と言えばオレンジソースだと思うんですが、ワサビが合うんですか?」
ダスティンがそう聞いてきた。マシアに来てから何度かワサビを食べているが、あまり好みではないためだ。
「オレンジソースも美味いですが、ムニエルの後では甘くて重さを感じますから。その点、ワサビソースなら鴨肉の味をストレートに感じられますし、味もライトでいいと思いますよ」
鴨肉と並行して酒が用意される。
「ハディンリバーのジュンマイでございます」
「赤ワインではないのかね?」とダスティンが聞く。
「赤ワインよりワサビとの相性のよいサケにいたしました」
給仕ではなく、キンバリー船長が答える。
鴨肉はスライスされており、美しいロゼ色だ。それにワサビソースを絡めてから口に運ぶ。
ソースは鴨肉を焼いた時の脂に赤ワインを加え、醤油とワサビで味を調えたもののようだ。
鴨の脂と赤ワインの香り、そこに醤油とワサビが香り、少しだけ鼻にツンと来る。
鴨肉の滋味深い香りに醤油とワサビが絶妙に合う。
「美味い。このソースも絶妙ですね」
そこでハディンリバーを含むと、鴨鍋を食べているような錯覚を起こすほど和食らしくなった。
「確かに赤ワインよりこちらの方が合いますね」とダスティンも納得していた。
デザートを食べた後、食後酒を楽しみながら航海初日の夜は更けていった。
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