第25話「ジン、戦争の足音を聞く」

 豪華客船のレディ・ヒルデガード号での航海は順調で、予定通り六日後の九月二十八日にマーリア連邦の首都ダイラリオンに到着した。


 マーリア連邦は五つの小国が集まってできた共和制の国家で、人口は百八十万人とアロガンス大陸ではゴイア神国、マシア共和国に次いで三番目に小さい国だそうだ。


 ダイラリオンはメティス内海に面する港町で、貿易と漁業で栄えているらしく、街は活気に溢れている。


 ここの大使館にも予め連絡が入っており、大使館員がマーリア連邦の情報を収集してくれていた。


 その情報とマッコール商会のヴェンノヴィア支店長ハンフリー・アスキスからもらった情報に従い、西にある港町バイライに行った。


 バイライへは海路を使ったが、大使館が雇った護衛二十人とともに行動したため、マシアの時のように軽いフットワークで各所を回ることが難しかった。


 それでも良質の醤油と味噌を手に入れることに成功した。残念ながら、白味噌はなかったが、良質な赤味噌と数種類の醤油が手に入り、更に米酢も見つけている。


 その後、南のヘレナに行き、枯節を手に入れることに成功している。これはハンフリーが手を回してくれたお陰だ。


 再びダイラリオンに戻ったのは半月後の十月十四日。約420キロメートルという距離を半月で回ったため、結構慌ただしい旅だった。


 これほど慌ただしく、かつ護衛が多かったのは、マーリア連邦と隣のヴィーニア王国との間で紛争が起きそうだという情報があったためだ。


 元々、マーリア連邦とヴィーニア王国はダイラリオンの対岸にあるファリラス半島で小競り合いが続いていた。これはマーリア連邦の倍の国力を持つヴィーニア王国が領土拡大を目指しているためだ。


 これまではヴィーニア王国の西隣にある大陸最大の国家、アレミア帝国の脅威があり、ヴィーニア王国は西側を警戒するしかなかった。

 そのため、東の国境では大きな軍事行動は取れなかったが、一時的に帝国との和平に成功し、東に目が向いたらしい。


 この情報が入ったのが、俺たちがダイラリオンに到着する直前らしく、当初は俺の安全を考えて、調査を断念して陸路でマシアに戻るという話も出ていた。

 しかし、俺のたっての希望ということで、バイライとヘレナに短期間だけ滞在するという条件で調査が許可された。


 ダイラリオンに戻ったが、マーリア連邦とヴィーニア王国の緊張は続いているものの、大規模な軍事衝突が起きたという情報はなく、一応の平和は保たれていた。


 ダイラリオンからマシア共和国の港町ヴェンノヴィアに戻ることになったが、陸路と海路のどちらを選択するかという問題があった。


 海路の場合、ヴィーニア王国海軍がメティス内海で商船を拿捕する可能性がある。実際にはマーリア連邦本土に近い航路のダイラリオン−ヴェンノヴィア航路までヴィーニア王国海軍が出撃してくる可能性は低いが、商船では軍船から逃れることは難しく、もしそうなった場合、俺たちも一時的だが、拘留される可能性があった。


 一方の陸路は比較的安全だが、700キロメートル以上も移動が必要であり、ゴーレム馬車でも半月以上掛かる。

 特に急いでいるわけではないが、戦争になれば、街道の行き来も制限される可能性があり、更に時間が掛かる可能性が高い。


 結局、戦争が始まる前にマシアに入る方が安全だということで、海路を使うことになった。偶然だが、行きと同じレディ・ヒルデガード号を利用でき、快適な船旅で無事ヴェンノヴィアに到着した。


 ヴェンノヴィアではハンフリー・アスキス支店長と面会している。

 マーリア連邦の情報の礼を伝えるためだが、もう一つ目的があった。


「今回のマーリアの情報と根回しには感謝する。だが、貴商会の本店には王国の依頼に対し、故意に情報を隠蔽し、更に過大な請求をしたという疑惑がある。君の尽力には感謝するが、国王陛下を軽んじたことを看過することはできない」


 官僚モードのダスティンが冷厳にそう言い切る。


「その点につきましては、既に本店に改善するよう伝えております」


「モーリス・マッコール氏が素直に聞くとは思えんのだが」


「私が直接ブルートンに乗り込むつもりでおります。最悪の場合、商会長に引退いただき、ご子息に跡を継いでもらうよう説得いたします」


 力の篭った目でそう言い切った。


「商会長を引退させるか……正直なところ、本当にできるのかと思わないでもないが、君のような真っ当な商人が覚悟を決めて挑むのなら、まだ可能性はあるのかもしれぬな」


 ハンフリーは副支店長に引継ぎを終えた後、海路でトーレス王国に向かうらしく、早くても年明け頃にしかブルートンには到着しない。

 それまでに商会長のモーリスが適切に手を打てばいいが、逆に下手を打てば間に合わない可能性がある。

 その点を指摘すると、


「それは仕方がないことでしょう。商人としての本分を忘れているのであれば、王宮との取引を行う資格はございませんので」


 思った以上に厳しい考え方に、この人物がなぜモーリスの近くいないのかが分かった気がする。

 恐らくだが、先代のやり方を知り、更に人望も実績もあるハンフリーをモーリスが煙たがったのだろう。更に先代以上に商会を大きくすることで、ハンフリーに自分の実力を見せつけたいと考えたのではないかと思う。


 ヴェンノヴィアではこの他にもヴェンノヴィア醸造に行き、社長兼杜氏のハリス・ロートンと会っている。

 その際、酒造りの盛んなマーデュの酒蔵にも声を掛けてくれると約束してくれた。


「新酒ができましたら、マーデュにいく予定ですので、キタヤマ様のお考えを皆に伝えましょう。ノウチ先生と一番長く仕事をした私が説明しても納得しないようなら、先生の弟子を名乗る資格はないと言ってやります」


 好々爺のような表情だが、目だけは厳しい。


「あまり厳しく言わなくてもいいですよ。人それぞれの思いがあるのですから」


「いいえ。ここできちんと言わねば、マシアのサケが今後作られるであろうトーレスのサケの後塵を拝することになります。何といってもキタヤマ様がいらっしゃるのですから」


 どうやら俺たちがトーレス王国で酒を造ることに気づいているようだ。もしかしたら、若い蔵人を勧誘していることも知っているのかもしれない。


「三十年後にマシアの酒と肩を並べられればとは思っていますが、追い抜くことは難しいでしょうね」


「そうでしょうか? ノウチ先生の教えだけを守り続けるなら、今より成長はありません。私自身、そのことを痛感しましたから」


 詳しく聞くと、オールド・ノウチの生酒を信用できる一部の酒販店に渡した際、非常に好評で、ぜひともこの酒を譲ってほしいと懇願されたそうだ。


「彼らはこう言いました。“今までの酒も美味いが、マーデュで作られるジュンマイダイギンジョウとの差が全く分からなかった”と。つまり、個性がなかったと言われたのです。先生に“サケは蔵人の魂そのものだ。人それぞれ個性があるように、サケにも個性がある物なのだ”と教えられていたのに、そのことをすっかり忘れていた自分が恥ずかしいと思いました」


「ハリスさんは酒米の開発もやっていますし、そこまで卑下しなくてもいいのではないかと思いますが」


 俺の言葉に大きく首を横に振る。


「酒米の開発も先生の仕事を引き継いだだけなのです。自ら改善しようとしていないということですよ。いずれにせよ、このままではマシアのサケは衰退してしまいます。ですから、マーデュの連中の危機感を煽っておきます」


 そう言って大きく笑った。


 ヴェンノヴィア醸造を後にし、領事館に戻ると、出発前に約束していた鮎を焼いた。

 これが非常に好評で、領事のコンラッド・オルグレンは「これとサケがあれば、何もいらない」というほど気に入った。


 ヴェンノヴィアから首都アーサロウゼンに向かう。往路はマーデュに行ってからハディン河を下ったが、今回は内陸部を突っ切る形になる。


 これはマシア共和国の兵士たちと一緒に行動するためだ。俺たちの護衛を探していたコンラッドが偶然、首都に移動する部隊がいるという情報を得て、共和国政府と交渉した結果だ。


 この部隊だが、ヴィーニア王国軍の動きが活発ということで、マシア共和国も国境に近い首都近辺の防備を固めるために召集されたらしい。

 と言っても、大部隊ではなく百名ほどだ。元々、マーリア連邦との国境に近いヴェンノヴィアには海軍はいても陸軍は少ないためらしい。


 十月二十五日にヴェンノヴィアを出発し、軍隊と共に移動する。急ぎの移動のためかは分からないが、兵士たちもゴーレム馬車に乗っているため、一日の移動距離は30から40キロメートルほどあり、十一月八日にアーサロウゼンに到着した。


 途中の町に立ち寄る時間はほとんどなかったが、それでもいくつかの食材を見つけている。


 アーサロウゼンでは前回同様、大使のロバート・トランセル男爵の世話になる。

 男爵から戦争の可能性について話を聞いた。


「噂は本当のようです。ヴィーニア王国は以前よりアレミア帝国と不戦条約の締結に向けて交渉を行っておりましたが、帝国内で大規模な獣人の反乱が発生し、帝国も国内治安維持を優先するため、不戦条約の締結を承認したそうです」


 アレミア帝国はアロガンス大陸最大の国家で、1000万人を超える人口を誇る。その内訳だが、普人族ヒュームが約半数の550万人、獣人族セリアンスロープが400万人、小人族ドワーフが約100万人、鬼人族オーガロイドが約30万人と獣人族の割合が高い。


 獣人族と鬼人族は部族ごとに暮らしており、独自の文化を持っている。そのため、獣人族と鬼人族は絶えず独立運動を起こしており、政情は不安定らしい。


「今回は100万人近い獣人族が反旗を翻したようで、帝国政府も本腰を入れざるを得ず、ヴィーニアとの不戦条約を認めたようです」


「そうなると、帰りの航路が不安ですね」とダスティンが愁いを含んだ顔で話す。


 今の予定では行きと同様にスールジア魔導王国の魔導飛空船を利用する予定で、十一月末頃にアーサロウゼンに立ち寄る船に乗るつもりでいた。

 その航路が獣人族の支配地域と被るため、内戦に巻き込まれる可能性があった。


「それについてはスールジアの船長の判断次第ですね。彼らも情報は仕入れるでしょうから、危険な地域を飛ぶことはないと思います。それよりも飛空船自体が来るのかという問題の方が大きいと思いますね」


 スールジア魔導王国からトーレス王国に行くにはアレミア帝国を突っ切るしかない。地理的には北のベレシアン帝国を通過するというルートは存在するが、移動距離が三割増しになること、中継地点がなく補給が困難なこと、魔人族がいると噂されるストラス山脈に近づくことから、航路として使うことは現実的ではないそうだ。


「帝国の情勢が落ち着くまで様子を見る可能性があるということでしょうか?」


 俺がそう聞くと、男爵は大きく頷く。


 海路を使うという選択肢もあるが、アレミア帝国の港に入る必要があり、状況は空路とあまり変わらない。


「一ヶ月ほどここで待ってみて、飛空船が来ないようなら海路を使うか、帝国の情勢が落ち着くまで待つかを見極めた方がいいでしょう」


 男爵の提案に俺たちは頷くしかなかった。


 アーサロウゼンで待つことになったが、無為に時間を潰すのももったいないと、ゴードン酒店と情報交換を行い、更には市内の料理店などを回るなどしてマシアの食文化を探ることにした。


 その結果、過去に訪れた流れ人によって、多くの日本の料理が再現されていることが分かった。


 まず、うどんやそばといった麺類が思った以上に高いクオリティで再現されていた。また、ラーメンもあり、懐かしさを感じながら食べている。


 食材に関しては味醂と白味噌を見つけることができ、これで料理のバリエーションが増やせると安堵している。


 アーサロウゼンに到着してから五日後の十一月十三日、吉報が舞い込む。


「スールジアの魔導飛空船が現れました! トーレスに向かうそうです!」


 外交官のヴィンセント・シアラーがいつもの冷静さを忘れたように興奮して伝える。


「本当か!」とダスティンは喜び、


「船長と話をしましたが、紛争地域を外した航路を使うそうです」


 その後、ダスティンとトランセル男爵が飛空船の船長と話をし、二人は安全が確保できると判断した。


「反乱が本格的に広がる前に帝国を突っ切った方が危険は少ないという話でしたね。船長は帝国の事情に詳しいようで、どの部族がどこにいて、反乱が起きやすいところがどこか、きちんと把握していました」


「ジンさん、ここに残るか、トーレスに戻るかを決めなければなりません。私としてはスールジアの船長の情報を信じて出発する方がいいと考えていますが、ジンさんが反対するなら、ここで状況が落ち着くまで待ってもいいと思っています。ただ、ヴィーニア王国の動きが分かりませんので、ここに留まることが必ずしも安全とは限りませんが」


 帝国の内乱が大きくなれば、ヴィーニア王国がマシア共和国とマーリア連邦の双方に軍事行動を起こす可能性は否定できないそうだ。

 そうなると、安全な国はスールジア魔導王国だけで、陸路を1000キロメートル以上移動しなければならなくなる。戦争が起きそうな状況ではマシア国内の治安も不安定になるから、ゴーレム馬車での旅も危険が伴うことは容易に想像できる。


「いずれも安全とは言い難いのでしたら、トーレスに戻る方がいいですね。ダスティンさんの判断を信じます」


 ということで、魔導飛空船でトーレスに向かうことになった。


 二日後の十一月十五日、トランセル男爵らの見送りを受け、魔導飛空船に乗り込んだ。


 ヴィーニア王国に入るが、思ったより緊迫感がなかった。俺たちはあまり動けなかったが、魔導飛空船のクルーたちが仕入れた情報では、王国はアレミア帝国の内乱は早期に収束すると予想しており、大規模な軍事行動を起こすとしても年明け以降になるらしいということだった。


 アレミア帝国に入ると、打って変わって緊迫した状況だった。

 これも飛空船の船長から聞いた話だが、中部から北部で大規模な戦闘が発生しており、帝国軍の主力が北に向かうことが決まっていた。

 飛空船は遠回りになるが、南部域を通過するため、影響を受けることはないと船長は語っていた。


 船長の言う通り、南部域は比較的落ち着いていた。今回は帝国内で商売することなく通過することに専念したため、4000キロメートル近い距離を僅か二十一日で移動した。


 十二月五日、魔導飛空船は無事トーレス王国の王都ブルートンに到着した。

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