第30話「ジン、異世界で和食店を開く」

 二月一日。

 今日はこの世界での俺の店、“和食屋キタヤマ”のオープンの日だ。

 夜明けとともに起床し、身支度を整えた後、店の前を掃き清める。

 早朝ということで、まだ歩いている人は少ないが、こんな時間から掃除をしているのが珍しいのか、遠目に見られていた。


 掃除を終えて店の外観を眺める。

 外から見ると、他の建物とほとんど変わらない三階建ての木造家屋だ。


 扉は鉄の板で補強されたしっかりとしたもので、その上に一枚板で作った店の看板が掛けてある。

 そこには“和食屋 北山”と草書もどきの崩した漢字で大きく書いてあり、その下にこの世界の文字で“キタヤマ”と書いてある。


 何となく海外の怪しい日本料理店のようだが、キタヤマと読めれば他にはないから間違うことはないだろう。


 昨日のうちに仕込みはほとんど終わっているため、店の中の掃除をもう一度しっかりと行う。これは前の店でもやっていたことで、板場の床から後ろの棚まで塵一つないように雑巾でしっかりと掃除をする。


 入口の横の棚にある花瓶に差した花を整えると、調理用の板前服に着替える。この世界の調理服とは異なるが、スマートフォンに残っていた写真を参考に洋服店で作ってもらったのだ。


 開店の30分前、前掛けを締めたところで、チャーリーが手伝いに来てくれた。


「気合が入っていますね」と笑われるが、


「そろそろ開けた方がいいかもしれませんよ」と言ってきた。


 開店にはまだ時間があるため首を傾げると、


「もう10人以上並んでますよ。このままだと、十二時には30人くらいになるんじゃないですか?」


 慌てて外を覗くと、彼の言う通り、ずらりと人が並んでいた。見ている間にも更に2人増えている。


「少し早いですが、すぐに開けます!」


 そう言って藍色の暖簾を掛け、外扉を全開にし、内扉の格子戸も半分開いておく。

 暖簾にも“キタヤマ”と書かれており、これで何となく和食の店らしくなった。


 その間にチャーリーも俺と同じ板前服に着替えていた。


「勝手に借りましたよ。別々の服だとなんか合わない気がしたんで」


 それに答えようとしたが、すぐに一人目の客が入ってきた。


「いらっしゃいませ! カウンターの一番奥にお座りください!」


 そう言ってからすぐに茶を用意する。

 その後、次々と客が入り、カウンターは一杯になった。


「今日のメニューは黒板にある通りです。順番に注文を聞いていきますので、少々お待ちください」


 ランチのメニューは鶏の唐揚げ定食、鯖の味噌煮定食、鯛の西京焼定食、豚の生姜焼き定食、鰻どんぶりの五種類だけで、一品料理はない。


 一人目の客にお茶を出すと、


「まだ頼んでないんですけど……」と首を傾げられる。この世界では飲み物を無料で提供することがないため、戸惑っているようだ。


「お茶はサービスです。お代わりも自由ですから遠慮なさらずに飲んでください」


「そうなんですか……何を頼んでいいのか分からないので……お勧めは?」


 一人目の客は二十代半ばくらいで結構いい身体をしている。強面なので兵士などの肉体労働者だと当たりを付け、比較的がっつりとしたものをチョイスする。


「どれもお勧めですが、鶏の唐揚げ定食なんてどうでしょうか? 鶏肉に味を付けて揚げたものです」


「じゃあ、それで」


「ありがとうございます! 鶏の唐揚げ定食一丁」


「注文は私が取りますよ。ジンさんは料理の方をお願いします」


 チャーリーがそう言ってくれたので、板場の奥にある厨房に向かう。

 その間にもチャーリーの「サバの味噌煮定食一丁!」、「鰻どんぶり一丁!」という声が聞こえてくる。

 注文を取り終えたチャーリーが厨房に入ってくる。


「2番さん、5番さんがサバの味噌煮、3番さんが鶏の唐揚げ、4番さんが豚の生姜焼き、6番さん、8番さんが鰻どんぶり、7番さんが鯛の西京焼きです!」


 そう言ってメモを置いていく。


「あいよ」と答え、予め用意してある料理をマジックバッグから出していく。


 盛り付けが終わったところで、「1番さんの鶏からを頼む」とチャーリーに運んでもらうよう依頼する。


 その後、残りの7つを用意し、板場に戻っていく。


「こいつは美味いね」と鯖の味噌煮定食を頼んだ年かさの男性が話しかけてきた。


「ありがとうございます」


「チャーリーが絶対美味いから入れなくなる前に来た方がいいって言ったんだが、本当だったよ。これほど美味いサバを食ったのは初めてだ」


 どうやらチャーリーの営業活動が功を奏したようだ。

 一人目の客が食べ終え、会計を済ませる。


「看板を見て気になっていたんですけど、これほど美味いとは思わなかったです。こんな美味い飯が銀貨一枚で食えるなら、これからちょくちょく来させてもらいます」


 そう言って軽く頭を下げてから出ていった。強面だが、意外に礼儀正しい。


「ありがとうございます!」


 定食はすべて銀貨一枚、10ソルだ。日本円で千円ほどだから、東京の都心は別として、一般のサラリーマンのランチにしては割といい値段だ。


 その後も客は絶えることなく、使うつもりがなかったテーブル席まで使うことになり、午後一時を過ぎたところで、五日分と考えて用意しておいた100食が無くなっていた。


 ランチの客が全員帰ったところで大きく息を吐き出す。事前にほとんど作ってあり、盛り付けるだけだったが、それでも100食ともなると洗い物だけで結構疲れる。


「初日からこんなに来るとは思わなかったよ。それにしてもチャーリーがいてくれて助かった……」


「だから言ったでしょ。私だけじゃなく、ダスティンさんも同じ心配をしていたんですよ」


「いや、これはチャーリーの宣伝のお陰だろう」


「そうかもしれませんけど、明日からは口コミでもっと来ますよ。いや、夜も大変かもしれませんね」


 この勢いだと、確かに夜も大変そうだ。


「しかし、なんて言って誘ったんだ?」


「うちも王宮に卸すようになったじゃないですか。その関係で王宮のことを聞いてくる奴が多いんです。そこで王宮の料理が突然評判になったのはジンさんが関係しているって匂わせたんです。もちろん、スキルの話や流れ人ってことは伏せていますよ」


 年末年始のパーティの料理が評判だったという噂は市内にも流れていた。それに突然オーデッツ商会が御用商人になったこととマッコール商会が出入り禁止になったことは、商業地区でちょっとした話題になっている。

 そのため、チャーリーに話を聞きにいく者が多く、興味を持ったのだろう。


「どっちにしても、明日以降のことは考えないといけないな」


「とりあえず明日と明後日は大丈夫ですよ。イルマさん、スザンナさんが来てくれることになっていますから」


 ダスティン・ノードリーの妻イルマとフィル・ソーンダイクの妻スザンナが手伝いに来てくれることになっていた。


「客が来なかったらどうするつもりだったんだ?」


「いやいや、絶対来るって分かっていたんですよ、私たちには。信じていなかったのはジンさんくらいですから」


 そう言って笑われる。

 俺の経験から言えば、見知らぬ土地で店を始める場合、最初は知り合いが来てくれるくらいで徐々に評判になっていくことが多い。もちろん、修業した店が有名店で、大々的に宣伝すれば別だが、それでも初めての土地では、最初は苦戦しやすい。


「明日、明後日はいいですけど、その先のことはすぐにでも決めないと厳しいと思いますよ」


「そうだな。だが、チャーリーに紹介してもらった人なんだが、条件が合わなかったからな……」


 チャーリーに近隣の料理人を2人紹介してもらったが、下働きから始めるというと難色を示したので断っている。


「少し前によさそうな人を見つけたんで、この後に会ってみますか?」


「いいのか? そんな急に」


「だからこうなることが分かっていたんですって」とまた笑われる。


 午後三時頃、チャーリーがその人物を連れて店に戻ってきた。


「ジンさん、今大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だが、少しだけ座って待ってくれ」


 明日の仕込みで厨房にいたので、慌てて手を洗う。

 厨房の暖簾をくぐり、客席側に行くと、そこにはチャーリーと小柄な女性が立って待っていた。

 二十代半ばくらいに見える落ち着いた雰囲気で、白い肌にブルーの瞳が印象的な美人だが、派手な感じはない。


「マリー・ベイカーと申します。こういったお店での経験はございませんが、一生懸命働きます」


 そう言って頭を下げる。


「マリーは先日旦那を事故で亡くしているんです。そいつは私の弟のような奴でして……小さい子供もいますし、何とかしてやりたいと思っていたんです」


 彼女の夫は三ヶ月ほど前、仕入れに行った帰りに魔物に襲われて亡くなったそうだ。

 その数ヶ月前に店を開いたところで、割と大きな額の借金が残された。借金自体は親族に借りるなどして返済したが、まだ二歳にもなっていない子供がおり、特に技能があるわけでもないため、先のことを悲観していたらしい。


「この子も昔から知っているんですが、真面目な子なんです。ジンさん、身元は私が保証しますから、何とか使ってやってくれませんか」


 そう言ってチャーリーは大きく頭を下げる。それに合わせてマリーも頭を下げた。

 見た感じでは真面目そうだし、俺に断る理由はない。


「分かったよ。マリーさん、条件は今から調整するとして、明日からでも大丈夫かな?」


「はい! 今日の夜からでも大丈夫です。よろしくお願いします」


 花が咲いたような笑顔にドキッとする。


「今日の夜から? お子さんは大丈夫なんですか?」


「実家に住んでいるので母に預けています。ですから、問題はありません」


「こちらとしては助かりますが、お子さんはまだ二歳なんでしょう? 父親がいなくなって寂しい思いをしているのに、更に母親まで不在がちだとかわいそうです」


「少しでも早くお手伝いできるようになりたいんです」


「では、こうしましょう。夕方は五時に来てくれたらいいですし、八時には帰られるようにします。お子さんが寝る時間に間に合うかは分かりませんが、少しでも一緒にいる時間があった方がいいですから」


 その後、条件の調整を行い、ランチタイムと夜の早い時間だけ手伝ってもらうことになった。


 夜の営業も盛況だった。

 ディナータイムは午後五時から九時までだが、常に満席状態だった。

 板場で料理を作り続け、チャーリーとマリーがいなければ、せっかく来てくれたお客さんを待たせ、評判を落としたところだ。


 約束通り、八時にはマリーを帰し、チャーリーにも最後の客が帰ったところで賄いを出し、それで引き上げてもらった。

 後片付けもやると言ってくれたが、彼にも自分の店があり、朝は結構早い。


 今日の売り上げは3千ソル、日本円に換算すると30万円ほどだ。一品の値段設定は低く設定している割には大きな売り上げがあった。

 午後九時から片付けと明日の仕込みを始めたが、結局終わったのは日付を跨いだ時間で、明日からの営業に不安が残る。


(明日は人数を制限した方がいいかもしれないな。俺一人じゃ、ランチで50食、夜は10組くらいにしないと体を壊してしまう。一ヶ月くらい様子を見て、料理人をもう一度募集した方がいいかもしれないな。下拵えだけでもできれば、ずいぶん助かるから……)


 新しい料理ということで、できる限りいろいろな人に食べてもらいたいと思っているが、限界がある。


(それにしてもマリーさんは当たりだな。真面目だし、何といっても華がある……)


 マリーだが、飲食店での経験はないということだが、亡き夫と商売をやっていたため、人当たりがいい。また、物覚えがよく、一度言ったことはきちんと守るため、こちらがストレスを感じることはほとんどなかった。


 翌日も大盛況で、ランチは十二時半には完売し、夜も七時には満席でそれ以上の客は断っている。

 二日目の売り上げは初日とほぼ同じだった。人数を絞ったが、日本酒が美味いという話を聞いた者がおり、酒による売り上げが大きくなったためだ。


 それでも五日を過ぎると客の入りは落ち着いた。

 物珍しさで来ていた人が多かったようだが、それでも毎日通ってくれる客も現れており、何とかなりそうだと安堵する。


「ようやく落ち着いたようですね」と様子を見に来たダスティンが定食を食べながら話しかけてきた。


「ええ、最初は物珍しさで押し寄せただけみたいですね」


「そうなんですか? 私が聞いた感じでは評判はいいようですが? 特に唐揚げと生姜焼きは人気があると聞きましたよ」


「確かにその二つは若い人に人気ですね。ビールと単品だけ頼む客が増えていますから」


 この辺りの労働者が相手であるため、どうしても油っぽい料理とビールという組み合わせが多くなる。特に唐揚げは人気で、ビールと唐揚げを頼み続ける客がいるほどだ。


 俺にとっては微妙な感じだ。

 確かに唐揚げや生姜焼きは美味いが、もう少し和食らしいものを食べてもらいたいと思っているためだ。しかし、客が来てくれないとそんなことも言っていられないから、客の嗜好に合わせる必要はあると割り切っている。


「もう少し上流階級の方をターゲットにしてみませんか? ジンさんの料理なら貴族街でも十分にやっていけると思うんですが?」


 高級志向に転換してはどうかと提案してきた。

 俺自身、その考えが全くないというわけではない。しかし、貴族街は家賃が高く、経費が掛かりすぎる。


 ざっくりとした数字だが、日本では家賃の10倍の売り上げが必要だと言われている。それを当てはめると、今の場所なら家賃は月に1千ソル、10万円だから、月の売り上げは100万円が目標となる。


 五日目の売り上げは20万円ほどだから、月二十五日営業するとして、1000万円の売り上げになる。この計算からいけば貴族街に店を出しても問題なさそうだが、今は回転率がいいからこの売り上げになっているだけで、いつ飽きられるか分からない。


「今のままで十分ですよ。お客さんは美味しいと言って食べてくれますし」


「欲がないですね。ところでマリーさんはどうですか?」


 唐突な問いに「どうとは?」と首を傾げる。


「ジンさんも今年35歳になるんですよ。残してきた奥さんがいるわけでもないんですから、そろそろ身を固めることを考えてはと思ったんです」


 何を言うかと思えば、結婚相手にどうかということだった。


「いやいや、彼女は旦那さんを亡くして、まだ三ヶ月も経っていないんですよ。それに歳が離れすぎています」


「10歳しか違わないじゃないですか。向こうは再婚なんですから、誰も気にしないと思いますよ」


「いずれにしても今はそんなことを考えている時じゃないですよ。店を軌道に乗せないといけないんですから」


 その話はそれで終わらせたが、翌日から彼女のことを意識するようになってしまった。

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