第71話「ジン、マシューの店に名を付ける」
大陸暦1113年3月15日。
この世界に迷い込んでから41年が過ぎた。俺も75歳になった。60歳を過ぎた頃、店をやめたが、その後もいろいろとあった。
まず和食屋キタヤマの状況だが、本店はサイモンに完全に譲った。
そのサイモンだが、10年ほど前に48歳で料理スキルのレベルが9に上がった。その際、国王陛下から直々に祝いの言葉を掛けられ、彼の名は一気に有名になった。
それを機に和食屋キタヤマの経営権を含め、すべてを譲ったのだが、名前はそのまま変えなかった。
「変えてもいいんだぞ」と言ったが、
「俺はこの店で育ちました。ですから、俺がやっているうちは、店の名前はこのまま“和食屋キタヤマ”です。変えるつもりはありません」とサイモンは言い切っている。
俺としてはそれほど拘りのある名前でもないので、残す必要はないと思っているが、この世界で最初の和食の料理屋であるので名を残すべきだと思っているらしい。
ジェイクが継いだ最初の店、和食屋キタヤマの問屋街店だが、こちらも代替わりした。今の店長は俺の次男リュウだ。
リュウはジョーの寿司屋、寿司割烹ジョースケに移った後、5年ほどで料理スキルレベルが7になり、俺が抜けて手薄になった本店に移ってきた。これはサイモンが頼み込んだ結果で、リュウ自身はジョースケで寿司を握っていたかったらしい。
サイモンがそうした理由は人手不足ということもあるが、それ以上にリュウのことを考えたからだ。
その時、リュウは23歳で寿司職人としては一流になっていたが、和食や他の料理に対する知識が比較的乏しく、危惧を抱いたらしい。リュウを和食の料理人として大成させるために、サイモン自らが教えようと考えたそうだ。
「ジョーのところでも問題ないと思ったんですが、あのままではレベル8で止まってしまったと思うんです。彼にはもっと上を目指してほしいですから……」
才能の差かもしれないが、ジョーのレベルの上がり方は同時期に修業しているサイモンやフランクに比べ遅かった。サイモンはジョーが寿司だけに打ち込んでいたから上りが遅かったと考えたようだ。
リュウに問屋街店を譲った一番弟子のジェイクだが、60歳になったことを理由に引退した。
まだまだ元気だが、俺が引退を決めた年齢に近づいたことで、後進に譲ることを考えたらしい。
「年寄りが長く居座るより、若い連中が伸び伸びとやった方がいいかなと。それに子供たちも独り立ちしていますし、のんびりしようかと思いまして……」
ジェイクも働き詰めだったのでゆっくりするらしい。
長男のケンだが、今年40歳になる。既に結婚し、3人の子供に恵まれているが、仕事の方も順調だ。
かつてダスティン・ノードリーが就いていた産業振興局長になり、国内外を飛び回っている。トーレス王家だけでなく、フォーテスキュー侯爵家やウィスタウィック侯爵家の領地でも産業振興に協力していた。
両侯爵家は王家のライバルであるため、国王から詰問されたらしいが、その際、堂々と持論を展開したそうだ。
『貴族の中には王家に対して、忠義を尽くしているとは言い難い者がいることは事実です。ですが、美食の国を目指すのであれば、フォーテスキューのワインやウィスタウィックの海産物を無視するのはいかがなものでしょうか。王国全体での発展を考えるべきと、小職は愚考いたします』
『それで侯爵家が力を持ったらどうするのだ? 特にフォーテスキューのワインは今でも充分な評価を得ておる。我らが手を貸す必要はない』
『あえて侯爵家を相手にする必要はないと考えます。酒造りの職人や料理人、漁師たちに対し、必要な支援を行えば、彼らは王家に感謝するでしょう。そう言った者たちが王家に忠誠を尽くすようになれば、侯爵家も迂闊なことはできないかと』
ケンは貴族ではなく民を味方に付けるべきと主張したらしい。
王家と貴族が支配する王国では必ずしも平民の支持は必要ないが、それでも民の力を無視することはできない。
侯爵家の常備兵力は少なく、兵力を整える場合、ほとんどが徴兵された平民となる。平民の支持がなければ、王家に反旗を翻す時に兵が集まらないことになるのだ。
国王陛下はケンの説明を受けても納得しなかったが、王太子アヴァディーン殿下が理解を示し、後押ししたことにより、陛下も認めたと聞いている。
長女のケイトもジョーと結婚した後も幸せそうで、3人の子供に恵まれている。
妻のマリーも元気で、家庭的には充分に幸せな年月を過ごすことができた。
俺自身も65歳の時に東方を巡り、食材を捜し歩いた。
今まで行けなかったスールジア魔導王国にも行き、和食に必要な食材はほとんど見つけることができた。
残念なことに流れ人であるモーゼス・ブラウニング氏に会うことはできなかった。王都シャンドゥから田舎町に移り住んだらしいが、消息を追うことができなかったのだ。
そして今日、弟子のマシューが俺のところにやってきた。
「料理スキルレベルが今日、9に上がりました。師匠のお陰です」
そう言って大きく頭を下げた。
「そうか! ついにやったか!」と言って、彼の両手を取る。
「ですが、まだまだです。これからもご指導よろしくお願いします」
マシューは今年36歳。このままいけばレベル10になるのも夢ではないが、俺が指導する必要はないだろう。
「お前に指導はいらないよ。あとはお客さんに助けてもらうくらいだな」
「お客さんにですか? 食通の方に意見を聞くということでしょうか?」
「それもあるが、お客さんに心から美味いと言ってもらうことが腕を上げることになる」
「確かに美味しいと言ってもらえるとやる気になりますね」と言うものの、あまり理解しているようには見えない。
俺が言いたいのは自分の腕に自信を失った時のことだ。俺自身、若い時に挫折し、やめたいと思ったことがある。
その時、常連客から「君の料理を食うのが俺の楽しみなんだ」と言ってもらった。その言葉でもう少し頑張ろうと思い、料理人をやめなかった。
マシューは今まで挫折したことがないから、ピンとこないのだろう。
「そのうち分かるようになると思うからあまり気にするな」
そう言った後、話を変える。
「お前も店を持ったらどうだ? 和食屋キタヤマは今ではサイモンの店だ。あいつが引退するのはまだ早い。その腕を存分に振るえる自分の店を持つべきだと思うぞ」
サイモンも50代後半になったが、まだまだ現役だ。2人の天才料理人を1軒の店に抱えておくのはもったいない。
それにサイモンもこの10年で多くの弟子を取っており、その中にはレベル7になろうという者も出てきている。
「そうですね。考えてみます」
その後、サイモンにもマシューの独立の話をしている。俺の弟子とはいえ、マシューはサイモンの右腕と言っていい存在だからだ。
「俺は大賛成ですよ。というより、以前からずっと言っていることです。俺もこの店を任されるようになっていろいろと思うところがありました。奴にも自分の店を持って、更に飛躍してほしいと思いますから」
サイモンも諸手を上げて賛成してくれた。
その後、マシューは自分の店を持つことを決めた。
ジョーの時と同じように準備には口出しせず見守っていたが、最終段階でやはり同じように相談を受けた。
「師匠に店の名前を付けてもらいたいんです。よろしくお願いします」
「分かった」と即答する。
この流れは分かっていたし、彼にピッタリの店の名は既に決まっていたためだ。
「俺の名を入れるがいいか?」と聞く。
「も、もちろんです!」と驚きながらも喜ぶ。
「店の名前は“ロス・アンド・ジン”だ」
「ロス・アンド・ジン……ですか……」と思ってもいない名だったためか、呆けたような顔になっている。
「そうだ。ロス、すなわちお前の名と、ジン、俺の名だ。意味は2つある。」
「はい」とマシューは言い、居住まいを正す。
「一つ目はお前と俺は一心同体、俺のすべてを託すという意味だ。お前なら俺を超えられると信じている」
「……」と無言で目を見開いている。
「もう一つは俺が尊敬する美食家、“魯山人”の名だ。この“魯山人”というのは俺が日本にいる時にも使っていた店の名でもある。つまり、のれん分けという意味があるということだ」
「師匠は私にそこまで……」と言葉にならない。
「俺は弟子に恵まれた。早く巣立っていった奴も多いが、ジェイク、フランク、サイモン、ジョー、そしてお前は、俺の料理や考え方をきちんと引き継いでくれた。俺の和食を定着させるという仕事はサイモンが頑張ってくれるだろう。だから、お前には俺の和食を超える料理を作り、広めてもらいたい。その思いを込めて名付けた」
プレッシャーを掛けることになるが、マシューならやってくれると信じ、あえて口にした。
「分かりました! できるかどうかは分かりませんが、私のすべてを懸けて、師匠を超えるよう努力します!」
こうしてマシューの店の名が“ロス・アンド・ジン”に決まった。
彼の店は貴族街の中にあった。
本店に比較的近いということもあり、開店当初から貴族や大商人たちが足しげく通い、経営は順調のようだ。
俺もマリーや子供たちと一緒に何度か食べに行っているが、本店で腕を振るっている頃より伸び伸びと料理を作り、以前俺がやったような和食以外の食材も多く取り入れている。
特に驚いたのは中華風の香辛料を使った料理があったことだ。
和食と中華は相性が悪いわけではないが、刺激が強い中華系の香辛料を使うと、和食の良さが消えることがある。
彼の料理ではその部分を上手く調整しており、ラー油をアクセントにしたり、
中華風、この世界で言えばスールジア風を取り入れた理由は、ここブルートンにはスールジア料理の店が多く、味に馴染みがあるためだ。
スールジアの香辛料だけでなく、トーレス料理の手法も多く取り入れていた。
「サッカレーさんに教えてもらいましたし、レシピ集を見ながらいろいろ試しているんです」
マシューも短期間とはいえ、元宮廷料理長レナルド・サッカレー氏の教えを受けている。これは俺の料理本、和食大全を作る際に意気投合したためで、サッカレー氏のトーレス料理のレシピ集作りでも手伝っていた。
そのサッカレー氏だが、5年ほど前に80歳で他界した。
亡くなる数日前まで昔のメモを見ながら、改善の余地があると言っていたほどで、料理に対する情熱は全く衰えていなかった。
彼の葬儀にはその数ヶ月前に即位した現国王アヴァディーン陛下が側近を派遣するほどで、多くの料理関係者が弔問に訪れていた。
生前の人柄がよく表れていると思ったが、同じ料理人として偉大な先輩と会えなくなったことに強い寂しさを感じた。
■■■
マシュー・ロスは“ジン・キタヤマの最後の弟子”と呼ばれているが、正確な表現ではない。彼の後にもジンの教えを受けた料理人は存在するからだ。
伝説の料理人ジン・キタヤマの弟子を名乗るには、直接教えを受けただけでなく、彼の下で料理スキルのレベルが7以上になることが必須と言われていた。
これはそのレベルに達していなければ、ジンの料理を受け継いだと言えないためで、和食屋キタヤマで修業した料理人たちが暗黙のうちに決めたルールと言われている。
そのため、マシューが“ジン・キタヤマの最後の弟子”と呼ばれるようになったのだ。
そのマシューの和食店“ロス・アンド・ジン”は開店当初から客で溢れていた。
その多くが和食屋キタヤマからの常連客で、彼の料理に魅せられ、ロス・アンド・ジンに足を運んだのだ。
しかし、開店から一年ほど経つと、客たちから不満の声が聞こえ始めた。
「キタヤマの料理のようなシンプルなものがいいのだが」
「昔食べたジンさんの料理のようなものがいいのだが」
マシューの野心的な挑戦はジンの料理を知っている者から反発された。そして、その多くがサイモンの料理を絶賛する。
「サイモンさんは師匠の教えをよく守っている」
「これこそワショクだ。トーレスやスールジアの料理なら別の店で食べればいいんだからな」
その言葉をマシューも聞いていた。しかし、彼はジンの教えを守り、自らの信念に従って料理を作り続けた。
その結果、以前の客は減り、ジン・キタヤマの最後の弟子の料理を食べたいと、一見の客が増えるようになった。
しかし、一見の客はマシューの料理に感動するものの、必ず「ジン・キタヤマの料理が食べたい」と言った。
マシューも客の要望に応え、ジンから引き継いだ料理を出した。
その料理は絶賛されるが、彼の考えた料理はなかなか受け入れられなかった。
そのことに悩んだマシューはジンに相談にいった。相談というより愚痴の方が多かった。
ジンはその愚痴を聞き、彼にある言葉を贈った。
「どんな高い山でも頂上はある。だがな、俺たち職人には頂上なんてものはないんだ。そこに辿り着いたと思ってもまだまだ先はある。だから、常に挑戦し続ける心を持ち続けるんだ……」
その言葉にマシューは勇気づけられた。
しかし、ジンが存命中は挑戦を続けられたが、彼がこの世を去ると、次第に野心的な挑戦は減っていった。
マシューの心が折れたのだ。
そのことを心配した兄弟子やジンの妻マリーが励ますが、師という大きな壁にぶつかり、彼は店を閉めてしまう。
そして、自分のことがあまり知られていない、迷宮都市グリーフでひっそりと新たな店を開いた。
その後も順調とは言い難かったが、ある人物と出会うことで、彼の人生は大きく変わることになった。
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