第72話「ジン、生を全うする」

 マシューが新たな船出をした後、俺は人生の最後に向けて準備を始めた。日本にいる頃に聞いた“終活”という奴だ。


 子供たちの仲もよく、財産はそれほど多くないから相続争いが起きることはないだろうが、残される者たちが困らないように準備が必要だと思ったのだ。

 と言っても手元にある資料を整理し、適切な人物に渡していくだけだ。


 俺の場合、この世界に来てから料理だけじゃなく、酒造りや食材探しなどいろいろと手を広げているため、これが結構大変だった。


 料理関係はサイモンを始めとした、現役の弟子たちに渡していく。


「これは歴史的な資料です。しかるべきところで保管する方がいいと思います」


 サイモンがそう言うと、フランクたちも大きく頷いた。

 資料と言っても和食大全にほとんど書いているため、資料としての価値はあまりない。どちらかと言えば、思い出として持っていてほしいと思って渡したのだ。


「歴史的な資料ってほどでもないだろ。中身はほとんど和食大全に書いてあるんだから」


「それでもこれは残しておくべきです」とサイモンは頑なだった。


「保管すると言っても別に資料館があるわけじゃないんだ。俺としてはみんなにもらってほしいんだが……」


 そう言うと、サイモンも折れた。


「師匠がそうおっしゃるなら、大切に預からせていただきます。いずれ和食の資料館のようなものができるでしょうから」


 そんなことにはならないだろうが、料理関係は片付いた。


 日本酒造りの関係者にはマシア共和国で経験したことや料理との相性をどう考えるかをまとめた資料を渡している。

 これは王立ブルートン醸造所に寄贈した。ここにはそう言った資料が多くあり、蔵人が自由に閲覧できるようになっているためだ。


 資料が閲覧できるようになったのは産業振興局長になった長男のケンが資料館を作ったためだ。


「子供の頃、ヴェンノヴィア醸造のノウチ翁の家に泊まったことがあったけど、その時、ノウチ翁の資料が展示されていたから、それを真似てみたんだ……」


 ヴェンノヴィア醸造にはナオヒロ・ノウチ氏が滞在した建物があり、そこに半年以上滞在した。

 そこにはノウチ氏の残した資料が多く残されており、俺がこの世界の言葉に翻訳し、その後は多くの蔵人が見学に来るようになっている。


 他にも食材関係の資料は王立農場試験場に贈っている。

 王立農場試験場はバイデン地区に作られた農業研究所のようなもので、マシア共和国やマーリア連邦といった東方諸国から輸入した野菜などの試験栽培を行っているためだ。


 タブレットとスマートフォンについては、マリーが持つことになった。

 この中には多くの写真や動画が残されており、思い出がたくさん詰まっているためだ。


 大陸暦1114年の年が明ける頃にはすべての整理が終わった。


 やるべきことを済ませたという安堵感からか、その年の夏に体調を崩した。そのことを知った国王アヴァディーン陛下が自らの侍医を派遣してくれ、治癒魔術で肺炎を治してくれた。

 そのお陰もあり、秋には体調は戻ったが、自分でも何となく先が見えてきたと思うようになった。


 1115年の年が明けた。

 新年のあいさつということで、うちにも多くの人がやってきた。

 その頃、俺は完全に体調を崩し、半分寝たきりという状態だった。治癒師に診てもらったが、どうやら寿命のようで回復には至っていない。


 寝室にダスティンやチャーリー、フィルといった友人やジェイクやサイモンら弟子たちが集まった。


「すぐに元気になりますよ。同い年の私だってこの通り元気なんですから」とダスティンがおどけたような口調で言ってくる。


「そうですよ。2月には新酒が届くんですから、それを飲んで感想を聞かせてください」とチャーリーが言う。彼も商会長を息子に譲り、今では楽隠居だが、新しい商品が届くと必ずチェックしている。


「それにしてもみんな年を取ったな」


 ダスティンもチャーリーもフィルも七十代後半で、よぼよぼの爺さんだ。

 ジェイクら弟子たちもマシューを除けば50歳を越えている。

 妻のマリーも若い頃の面影は残っているが、70歳を過ぎた。


「それだけの歳月を過ごしたということですよ」とマリーが言い、全員が頷いている。


「そうだな。俺がこの世界に来てから43年になる。当たり前だな」


 そう言いながら昔のことを思い出す。


「少し疲れた」というと、マリーを残して他の者たちは部屋を出ていった。


「この世界に来て本当によかったと思っている」


「私もあなたが来てくださってよかったと思っていますよ」


「唯一残念なのはお前に俺の故郷、日本を見せられなかったことくらいだな」


「そうですね」と言って微笑む。


「お前と出会っていなければ、俺は多分結婚していなかった。ありがとう」


 そう言って柄にもなく感謝の言葉を口にした。この機会を逃すと言わずにあの世に行く気がしたためだ。


「私も同じ気持ちですよ。生まれ変わってもまた一緒になりたいですね」


 そう言って昔と変わらない優しい笑みを浮かべる。


「ああ。次も一緒だ。今度は日本でもいいな。俺の故郷で……」


 それからとりとめのない話をした。


■■■


 大陸暦1115年1月10日。

 流れ人の料理人、ジン・キタヤマは77歳でその生を終えた。

 彼はレベル9という料理スキルを持って、飽食の楽園ニホンから突如現れ、美食の国トーレス王国に革命的な料理の発展をもたらした。


 その偉業は和食文化の定着に限ったものではなかった。

 彼の偉業のうち、最も評価されたものは計量方法の統一であった。料理が“技術”となったにより、トーレス王国の料理人の技量は一気に向上したと言われている。

 また、トーレス王国だけでなく、隣国のハイランド連合王国、彼と深い関わりのあるマシア共和国でも計量器が一般化され、その2国の料理も飛躍的に発展した。


 他にも日本酒サケを世界的に普及した功績も称えられるべきものだろう。

 それまでマシア共和国とマーリア連邦でしか飲まれていなかったサケがトーレス王国だけでなく、ハイランド連合王国にも広がった。


 また、彼が行った味の多様化により、酒好きで知られる小人族ドワーフたちがサケのとりこになった。

 全世界に広く住んでいるドワーフが求めるようになったことにより、サケはワインやビールに並ぶ醸造酒として世界に広がったのだ。


 その結果、スールジア魔導王国やアレミア帝国などにも輸出されるようになり、多くの醸造メーカーが生まれることになった。


 その功績はマシア共和国の酒造りの偉人、ナオヒロ・ノウチ氏を凌駕すると言われている。


 ジンはトーレス王国を含め、いずれの政府からも爵位や称号等を受けていない。

 これは彼が固辞したためだが、その理由は自分が神格化されることを恐れたと言われている。


「ノウチさんのように神様扱いされたら困りますから。私は一介の料理人に過ぎませんし、自分では天才でも何でもないと思っています。目標にされるのならまだしも、崇められるようになったら、和食自体の進化が止まってしまいそうなので……」


 彼の言葉は妻のマリーや最も長く共に時を過ごした弟子サイモン・ハウエルから伝わり、死後も神格化しないように注意していたと言われている。



 彼の弟子たちのその後だが、一番弟子のジェイク・スティールはジンが最初に開いた店、和食屋キタヤマの問屋街店に近いところで、子供や孫たちに囲まれた穏やかな晩年を過ごした。


 ジンの最初期を知る人物ということで、ジンの功績を知りたがる者たちが多く訪れたが、ジンの遺言でもある神格化しないようにということを守り、「師匠は凄い人でしたよ。それにとてもいい人でした」としか言わなかった。



 二番目の弟子フランク・ポッターは居酒屋“ポットエイト”をチェーン展開し、彼が存命中にトーレス国内で20店舗、マシア共和国に5店舗を出している。


 これほど多くチェーン展開した店舗は流れ人月島風太の“ウインドムーン・シルバーオクトパス”グループしかなかった。


 ポットエイトは低価格高品質を売りに子供から老人まで、幅広い世代に愛され、日本の食文化を発信していった。



 三番の弟子サイモン・ハウエルは“和食屋キタヤマ”を継いだ後、1121年、64歳の時、ブルートン近郊に作られた“アンブロシウス美食アカデミー”の和食部門の主任講師に就任した。


 当初、サイモンは断るつもりであったが、国王アヴァディーンが自ら声を掛けたため、承諾している。

 その際、アヴァディーンがサイモンに言った言葉は以下のようなものだった。


『君の師であるキタヤマ殿は食文化の発展に大いなる貢献を果たした。その中でも人材育成に力を入れ、君やロスのような優秀な人材を育て上げた……師の志を継ぎ、次の世代の料理人を育ててはくれまいか。それこそが、キタヤマ殿の望んでいることだと余は思う……』


 サイモンはその後、75歳になるまで後進の指導を続け、多くの和食の職人を世に輩出した。



 四番目の弟子であるジョー・パターソンは“寿司割烹ジョースケ”を開いた後、寿司に関しては師であるジンですら、彼には敵わないと言わしめたほど腕を上げ、ブルートンで“寿司”という料理を定着させた。


 また、ジンの次男リュウを始め、多くの若い寿司職人を育てている。その中にはマシア共和国やマーリア連邦など東方諸国の職人もおり、1110年代にはそれらの国で寿司ブームが起きている。



 この4人に加え、マシュー・ロスが“ジン・キタヤマの弟子”と名乗れると言われている。

 彼ら5人はいずれも料理スキルのレベルは8以上と、宮廷料理長に匹敵する腕の持ち主であった。しかし、レベル9以上に至ることができたのはサイモンとマシューの2人のみである。


 この事実に対し、晩年のマシューが自身の考えを語ったことがある。


『師が一人しかいない場合、その師を超えることは難しいでしょう。私の師匠ジン・キタヤマさんが常々言っていたことですが、別の分野の料理の勉強は非常に重要であるということです。私もその考えに賛成ですね。私の場合、別の料理の修業をしたわけではないですが、元宮廷料理長レナルド・サッカレーさんの指導を受け、いろいろと思うところがありましたから……』


 その考えが正しいのかは不明だが、その後に現れたレベル9の料理人は複数の師の指導を受けている。

 そして、その多くが優秀な講師が揃う美食アカデミーの出身者だ。


 その結果、アンブロシウス美食アカデミーの門をくぐることは一流への最短距離と言われるようになった。料理人を目指す者たちは挙ってアカデミーを目指すことになる。


 その美食アカデミーにはジンが弟子たちに贈った資料が収められている。これはサイモンが発案し、他の弟子たちもそれに賛同したためで、アカデミーには“ジン・キタヤマ資料館”がある。


 そこにはこのような一文があった。


『どれほど高い山にも頂上はある。だが、職人の道に頂上はない』


 ジンを知る者は生涯挑戦し続けた彼らしい言葉だと納得したという。


■■■


 埋葬の時、彼の妻マリー・キタヤマは墓前に花を供え、両手を合わせて祈っていた。この作法はジンがよくやっていたもので、この世界ではあまり見られないものだ。

 誰にも聞こえないほどの小さな声でジンに語り掛ける。


「行ってしまわれましたね……あなたは今どこにいらっしゃるのですか? 私もそこに行けますか?……」


 周囲には風の音だけしかなかったが、彼女は不意に顔を上げた。彼の声が聞こえたような気がしたためだ。


 その声が何を語ったのか、マリーは誰にも言わなかった。

 ただ、その時の彼女の顔は春の日のように温かく晴れやかだった


 もしかしたらマリーはジンから“日本に帰る”と聞いたのかもしれない。そのことは誰にも分からなかった。


 ただ、彼女が息を引き取る直前、うわ言で「今から行くわ」と言っている。

 そして、家族に見守られながら息を引き取った時、幸せそうな笑みを浮かべていた。


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