第28話「閑話:モーリス・マッコール」
十二月六日。
マッコール商会の商会長モーリス・マッコールは不安に
(ノードリー局長たちが戻ってきた。アスキスが上手くやってくれていればよいが、恐らく我が商会が行った値上げ工作はばれているはずだ。どのような報告がされたのか……)
産業振興局長ダスティン・ノードリーと流れ人の料理人ジン・キタヤマらは昨日の夕方、スールジア魔導王国船籍の魔導飛空船に乗って王都ブルートンに帰ってきた。
その情報を得てから情報収集を行っているが、ノードリー局長が報告のために王宮に入ったことしか分かっていない。
マシア共和国のヴェンノヴィア支店長であるハンフリー・アスキスからの情報は未だに届いておらず、どのような対応をしたのか全く分かっていない。
その後、昼前にノードリーらが王宮から出てきて、キタヤマの店舗の下見に行ったことが知らされる。
「アスキスからの情報はないか」と従業員に聞くが、
「飛空船に我が商会宛ての手紙はなかったようです」
「使えぬ奴だ!」とモーリスは吐き捨てると、
「近いうちに内務省から呼び出しがあるかもしれん。それまでにキタヤマ様に話をする機会を何としてでも作るのだ」
従業員は頭を下げてからすぐに出ていった。
その日の夕方、従業員はトボトボという感じで帰ってきた。
「内務省の役人のガードが固くて近づくことすらできませんでした」
「何をしているんだ!」と怒鳴るが、すぐに対応方針を考え始める。
(最近、王宮からの注文が減っている。内務卿が指示を出しているという噂も聞こえてきている。先手を打ってノードリー局長に正式に面会するか……)
翌日、モーリスは内務省の産業振興局に赴き、ノードリーに面会を申し込んだ。
受付の職員が確認しにいき、すぐに戻ってきた。
「局長は休暇で不在だそうです」
「明日は出勤されるのでしょうか?」
「長期出張の後ですので、明後日までは休まれるのではないかということでした。面会の予約をしておきますか?」
モーリスは少し悩むが、すぐに「いえ、また出直します」と断った。
(三日後では遅すぎる。といって、自宅まで押し掛けても休暇中では役に立たん。ならば、貴族を動かすしかないか。金は掛かるが、止むを得まい……)
懇意にしている貴族を使う方法に切り替えた。
貴族たちに頼めば、必ず金を無心してくる。そのことが懸念だが、緊急時と言うことで目を瞑ることにした。
すぐに貴族街にある資金援助をしている子爵の邸宅に向かった。
子爵との面会が叶うと、すぐに本題を切り出す。
「実は困ったことになりそうなのです」
「何かあったのかね」
「実は産業振興局のノードリー局長との相性が悪く、内務卿閣下にあることないことを吹き込まれそうだという情報が入ったのです」
「あの成り上がりか」と子爵は侮蔑の表情を浮かべる。
「我々商人に対して尊大な態度を取られることが多く、露骨に賄賂を要求してくるのです。少々ならよいのですが……」
「平民らしい卑しさだな」と吐き捨てると、子爵はこれでモーリスから謝礼がもらえるとほくそ笑む。
「お気持ちは分からないでもないのですが、本当に困っておりまして……」
「で、私にどうしてほしいのだ?」とストレートに切り出した。
「局長がオーデッツ商会と不適切な関係にあると宮廷内で話を流していただきたいのです。我々が訴えるより、子爵様のような由緒正しき方の話の方が、信憑性がございますので」
「うむ」と頷くが、子爵はノードリーが内務卿だけでなく、国王に謁見していることを思い出し、
「証拠はあるのだろうな? ノードリーは陛下に気に入られたという噂がある。下手な噂を流して、私が糾弾されるのは避けねばならんからな」
モーリスは当然証拠など持ち合わせていない。しかし、自信ありげな表情を浮かべ、
「もちろんございます。局長はオーデッツ商会に対して、大型のマジックバッグを含む、数個のマジックバッグを与えております。それだけで数百万ソルにもなろうかと。それを私的に使わせていると聞き及んでおります」
「確かにその話は聞いたな。よかろう。宮廷でその話を広めようではないか。だが、そのためにはある程度の資金が必要だ」
「分かっております。既にこちらにご用意いたしております」と言って白金貨が入った革袋をそっと差し出した。
「局長は明後日まで休みを取ると聞いております。可能でございましたら、早めに動いていただけると……」
「分かっておる」と子爵は答える。本人が否定できないところで噂を広めた方が楽だと思ったためだ。
子爵はすぐに行動を起こした。
その夜開かれたある晩餐会で十数名の貴族にその話を広めると、平民が重用されたことに不満を持つ貴族たちはすぐに信じ、更に噂を広めていく。
三日後の十二月九日には王宮の多くの者が知るところになり、内務卿のナイジェル・ランジー伯爵の耳にも入った。
(ノードリーに嫉妬する者たちがいることは分かっているが、このタイミングは不自然すぎる……ノードリーが言っていたようにマッコール商会が動いたのかもしれんな……)
ノードリーは報告書とは別にマッコール商会が値を吊り上げる工作を行っていたと報告し、更に商会長のモーリスが自分とオーデッツ商会を潰しにかかる可能性があると伝えていた。
ランジーはすぐに行動を開始した。
宮廷書記官長に面談を申し込み、対応を協議した。そして、方針が決まるとすぐに秘書官を呼び、指示を出す。
「ノードリー産業振興局長は今回の調査の成果により、陛下より直々にお言葉を賜っている功臣である。また、噂にあるオーデッツ商会については国王陛下の勅命により正式にマジックバッグを貸与しているものである。この件に関し、悪意ある噂を流した者は陛下への反逆の疑いがあるとして厳正に処分すると、宮廷書記官長及び内務卿の連名で正式に各担当部署に通達せよ」
内務卿は行政の責任者であり、王宮内の役人に対し大きな権限を持つ。また、宮廷書記官長は宮廷内の人事を担当しており、貴族に対し強い影響力を持っている。
その両名による正式な通知はすぐに効果を表した。
ランジー伯の強硬な姿勢に、噂を流していた者たちは危機感を覚えた。
ランジー伯は元々国王の側近として強い権力を持っており、侯爵クラスですら遠慮すると言われている人物だ。その伯爵が一局長に関する噂に対して強い姿勢を見せたことから、この件に関与することは危険だと多くの貴族が判断する。
ランジー伯はそれだけに留まらず、更に動いた。
マッコール商会に対し、査察官を派遣することを決めたのだ。
伯爵は査察官に対し、明確な指示を出した。
「王宮に納入するマシア共和国及びマーリア連邦産の食材の劣化が激しい。マッコール商会は適切に管理していると言い張っているが、キタヤマ殿の話では本来保存食である物まで劣化しており、劣悪な環境の倉庫に保管しているのではないかということだ。マッコール商会の倉庫を徹底的に調べろ。ショウユ、ミソ、カツオブシは分かるな?」
伯爵の剣幕に査察官は及び腰になる。
「一応は……ですが、どのような保存法がよいのか分かりかねます」
「サッカレー料理長に人を出してもらう。キタヤマ殿の指導を受けた料理人なら、保存状態の良し悪しも分かるはずだ。誰か、サッカレー料理長を至急呼んできてくれんか!」
秘書官が厨房に走り、すぐに料理長が内務卿の執務室に到着する。
「至急のお呼びとのことでしたが?」と荒い息で料理長が聞くと、査察官に話したことをそのまま伝える。
料理長は伯爵の意図をすぐに察し、
「幸い既に昼食の準備はほぼ終えておりますし、晩餐はキタヤマ様がお作りになられますから、私自身がその査察に立ち会いましょう」
「それはありがたい。料理長が判断するならマッコールも反論できまい」
査察官と料理長はマッコール商会に向かった。
一方のモーリスは宮廷内でノードリーを誹謗する噂が順調に流れていることに満足していた。
(これでノードリーを排除できる。奴さえ消してしまえば、オーデッツなど物の数ではない。後はキタヤマを丸め込めばいいだけだ。腕はいいが、ただの料理人に過ぎん。ある程度金を掴ませて店を出させてやれば、簡単になびくだろう……)
商会長室でほくそ笑んでいたところに慌てた様子の従業員が駆け込んできた。
「王宮より査察官がやってきました! すぐにこちらに来られます!」
「何!」と驚くが、次の言葉を発する前に査察官とその部下数名が入ってきた。
「内務卿閣下のご命令で貴商会を査察する。目的は陛下が口にされる食材に対する品質管理の状況を確認することだ……」
その言葉でモーリスは心の中で安堵の息を吐き出す。
(マシアやマーリアの食材の管理法など、役人に分かるはずはない。これなら丸め込める……)
しかし、次の言葉で顔面が蒼白になる。
「……本査察には宮廷料理長レナルド・サッカレー殿が立ち会われる」
そう言って後ろにいる恰幅のいい男性を示す。
「サッカレーだ。この商会から納入される食材の品質には常々疑問があった。キタヤマ様より食材の保存方法、品質劣化の兆候などはしっかりと教えていただいているから、厳正に調べさせてもらうぞ」
モーリスは「は、はい……」としか答えられない。
「では、王宮に納入するマシア共和国、マーリア連邦、スールジア魔導王国産の食材を見せてくれたまえ」
査察官の言葉にモーリスは従業員に「ご案内しろ」と命令することしかできなかった。
商会長室の椅子に深々と座り、宙を見つめる。
(これほど早く動くとは……これは不味い状況だぞ……だが、どうすればよいのだ……)
ランジー伯の電光石火の対応にモーリスは頭を抱える。しかし、よい案が浮かばず、途方に暮れるしかなかった。
一時間後、査察官たちとサッカレー料理長が商会長室に戻ってきた。
その表情は硬く、モーリスは最悪の状況になったと悟る。
「保管状況を確認したが、貴商会からの報告と異なっているようだ。従業員から聞き取りした結果、商会長からの指示と確認できた。これは非常に悪質なことだ。報告と異なったこともそうだが、何より陛下が食される食材を適切に管理していないことが悪質だ。王国に対する重大な背信行為だと断定する」
そう言ってから立ち去ろうとした。
「待ってください!」とモーリスは縋ろうとするが、それ以上言葉が出ない。
査察官は立ち止まり、モーリスを睨みつける。
「これだけの証拠があっても、まだ言いたいことがあるなら聞いてもいいぞ」
「あ、あの……これには……」
「聞くべきことはないようだ。王宮の調達部門だけでは済まない案件だ。内務省の担当部署に引き継ぐまで拘束はしないが、査察官の権限で王都から出ることを禁ずる。追って沙汰があるまで謹慎するように」
査察官はそれだけ言うと商会長室を出ていった。
残っていたサッカレーはモーリスに対し、無表情で言葉を投げる。
「キタヤマ様から改善の要望があったはずだ。その時に適切に処置していれば、このようなことにはならなかった。あれほど酷い保存状態のものを見せられたのだ。今後、この商会から私が食材を仕入れることはありえない。君は僅かな利益を求め、大きな信用を失ったのだ」
それだけ言うと査察官の後を追った。
残されたモーリスはがっくりと肩を落とし、嗚咽を漏らし始めた。
査察官からの報告を受けたランジーはノードリーを呼び出した。
三日ぶりに出勤したノードリーは部下から状況を教えられたが、未だにこの急展開に頭が付いていけない。
「マッコール商会から御用商人の資格を剥奪する。この件を公表するか否かについて、君の意見が聞きたい」
ノードリーは心情的には公表したいと思っていたが、即答せず、頭の中で状況を整理していた。
(公表したいが、これは王家のスキャンダルにもなりうる案件だ。美食の都の主が長期にわたって品質低下を見逃していたのだから……しかし、公表しないわけにもいかない。どうしたらいいのだろうか……)
考え込むノードリーに対し、ランジー伯は何を悩んでいるのか即座に理解した。
「フォーテスキュー侯爵辺りが何か言ってくることを懸念しているのだな」
「その通りでございます。王家の評判を落とすことにならないかと懸念しておりますが、あの商会を放置すればどんな手を打ってくるのか分かりません。このままでは駄目だとは分かるのですが、よい思案が浮かびません」
「抜き打ちの査察で不適切な状況を確認したと発表するしかないか……」
「それでは巻き返してくる可能性がございます。商会長個人の責任として処分するのが最も確実かと思うのですが……こうしてはいかがでしょうか。納入品に対して不当に利益を上乗せした上、それが発覚しそうになり、調査を行った役人、つまり私を陥れることで逃れようとした。これであれば、品質の問題というより商会長個人の不正として裁けるのではないかと」
「それでもよいが、マッコール商会の処分は難しくなる。私としてはあの商会を潰した方がいいと思っているのだ」
「それは早計かもしれません」
「どういうことだ?」
「報告書にも記載いたしましたが、アスキス支店長は誠実な商人であり、今回の調査でも積極的に協力してくれました。彼は本店を改善すべく、
ランジー伯は暫し悩むが、
「よかろう。マッコール商会は商会長の不正により、三ヶ月間取引停止とする。その間に適切に対応しなければ、御用商人の地位を剥奪する。これでよいな」
ノードリーはそれに頷き、マッコール商会への処分が決定した。
その処分を聞いたモーリスは首の皮一枚で助かったと安堵する。
(何とか助かった。しかし、どうしてなのだ? 査察官の言葉では完全に潰しに来ているようだったのだが……まあいい。貴族たちを使って巻き返しを図ってやる。今度は慎重にやらなければならないが、やられたままで大人しくするのは性に合わん……)
そんな彼の下にノードリーがやってきた。
「今回の処分は一時的なものだ」
「どういうことですかな?」とモーリスは余裕の表情で問う。
「来月にはアスキス支店長が戻ってくる。彼に時間を与えたにすぎんということだ」
「アスキスが……」とモーリスは呟くが、すぐに冷静さを取り戻し、
「命令に反して戻ってくるのなら、彼は我が商会から去らねばなりませんが」
「好きにするがいい。少なくとも料理長が認めねば、何をしようが王宮との取り引きはできんし、そのことを大々的に公表するだけなのだからな」
それだけ言うと、ノードリーは立ち去ろうと入り口に向かう。
「肝に銘じましょう」と余裕を見せる。
そこでノードリーは振り返り、
「貴族たちに期待するならやめた方がいいぞ。今回、君から金を受け取った者たちだが、内務卿閣下は既に全員を把握しているそうだ。内々ではあるが、その者たちは陛下から直々に叱責を受けることになっている。今後、君から金を受け取るような者は現れんだろう」
そこでモーリスの笑みは固まり、それ以上何も言えなくなってしまった。
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