第49話「ジン、挑戦を受ける:中篇」
大陸暦1079年7月20日。
フォーテスキュー侯爵家からややこしい依頼が来た。
自領の特産のワインに合う和食が食べたいというものだ。
フォーテスキュー侯爵領はワイン造りで有名なところで、味見用に10種類ものワインが送られてきた。
定休日である今日、そのワインの試飲を行う。
参加するのは俺と弟子のジェイク、フランク、サイモン、ジョーに加え、妻のマリーとオーデッツ商会のチャーリーの計7人だ。
マリーは女性の意見を聞きたいため、チャーリーには食材の仕入れで意見をもらいたいため、参加してもらった。
事務長のフィルと産業振興局長のダスティンにも声を掛けたが、二人とも辞退している。
ワインは10種類でそれぞれ2本ずつある。
今回は試飲だけに留めるつもりなので、それほど量を飲むつもりはない。余った分は
ワインの試飲だが、一応合いそうなものは用意している。
と言っても、手の込んだものではない。
「まずはスパークリングワインからだな。白ブドウだけの方からいってみるか」
「僕が注ぎます」と言ってフランクがボトルを持つ。
フランクの実家はビストロだ。うちの店に来る前には実家で手伝いをしていたので、ワインの扱いは心得ている。
慣れた手つきでコルクを開け、グラスに注いでいく。
ちなみにうちの店だが、ワインも扱っている。
もちろん主力は日本酒なのだが、日本酒は輸入品ということで値が張ることと、日本酒を飲みなれていない一見の客がいることから、ビールとワインは常備している。
問屋街の頃には割とリーズナブルなものだけを扱っていたが、高級住宅街に本店を出してからは程々いいワインも置くようにしている。
そのため、グラス類もそれに合わせた形のものを揃えてあった。
「いい香りですね。さすがはフォーテスキュー侯爵家のものです」
そう言いながらグラスに注ぎ、俺の前に置いた。
それを手に取り口元に運ぶ。上がってくるミストに含まれる香りは爽やかで、シャンパンに詳しくない俺でも上質のものだと分かるほどだ。
口に含むと、グレープフルーツのような柑橘の酸味にシャープさを感じた。
「確かに美味いスパークリングワインだな。これなら予定通りのものでも大丈夫そうだ」
マリーたちもグラスを傾け始めていたので、用意しておいたつまみを出す。
「天ぷらでもよかったんだが、天ぷらは別のワインに合わせたいから、こいつにしてみた」
俺が作ったのは蟹の
蟹は近海で獲れた渡り蟹で、卵白と片栗粉で一口サイズにまとめ、柔らかく蒸しあげてある。
本当はつなぎに山芋を使いたかったのだが、未だに見つけていないので片栗粉で代用した。もっとも片栗粉もジャガイモから作ったデンプンなので、厳密な意味ではこれも代用品だが。
「これ合いますね!」とチャーリーが声を上げ、マリーも頷いている。
「確かに美味いと思いますが」とフランクは少し不満があるようだ。
話を聞く前に俺も味わってみる。
旨みは十分に感じられたが、少しだけ蟹の臭みを感じた。
「臭みが残るな。やっぱり揚げた方が美味いかもしれんな」
俺の感想にフランクも頷き、
「僕もそう思います。サケならどれでも旨みに変わると思うんですが、白ブドウの香りが臭みにしている気がしますね」
ジェイクは「そう言われれば確かにそんな気がするな」と納得するが、サイモンは別の考えを持っていた。
「出汁に入れたらどうでしょうか? 臭みは消えると思うんですが」
「確かにそれが一番美味いだろうな。だが、椀物にするとスパークリングワインに合わんぞ」
「そうですか……」とサイモンは落胆する。
「目の付け所は悪くない。だが、今回の主役はワインだということを忘れちゃいけない」
サイモンはトーレス料理の経験が少なく、ワインと合わせるところまで頭が回っていないようだ。
「ショウユを掛けてはどうでしょうか?」と一番若いジョーが恐る恐るという感じで発言する。
「それは悪くないが、こいつは突き出しとして出すつもりだし、次のことを考えるとあまり強い味にしたくはないんだ」
「駄目ですか」とジョーも落胆する。
「料理は組み立てだからな。一つ一つが最高に美味くても、最後まで食べた時に満足できるかと言えばそうでもないんだ。強すぎる味や香りのものばかりを続けて出されると、飽きが来るし、味覚や嗅覚も鈍感になってしまう。だから、五味のバランスを上手くとって全体としていいものに仕上げないといけない」
どのコース料理でも言えることだが、全体のバランスが悪い料理はどれほど一品がよくても印象が悪くなる。
「なら、素材を変えたらどうですか?」とチャーリーが言ってきた。
「素材か。魚だと弱いし、エビだと他の料理と被るから難しいんだが」
「いえいえ、カニをもっと繊細なものにしたらという意味ですよ。例えば、
リッパークラブはセオール川にいる巨大な蟹の魔物で、甲羅の幅は1メートルを超える。
身はタラバガニに近く、高級食材として珍重されている。
「確かにそれならいいかもしれないな。だが、手に入れるのが難しいんじゃなかったか?」
水中にいる魔物ということで積極的に狩ることはなく、漁師たちから依頼があった時だけ駆除し、その身が食用に回される。値段が高く、安定的に手に入らないため、チャーリーも滅多に扱わないと言っていたはずだ。
「大丈夫です。まだ時間はありますし、10日前までには確実に仕入れてみますから」
王都で最大手の食品卸会社の社長が断言するのだから任せることにした。
その後、試飲と試食が続いた。
スパークリングワインのもう一つはしっかりとコクのあるタイプで、リンゴのような爽やかな酸味とほのかに蜂蜜のような甘さを感じるものだった。
白ワインのうち、ライトな2年物はライトと言いつつも意外にしっかりとしたボディで、和食に一番合わせやすそうなものだった。
重厚な感じの5年物はチリやアルゼンチンのシャルドネを彷彿とさせた。
微発泡の白ワインはドイツワインに近い感じだ。それもリースリングを使った軽めのもので、最初の印象より使いやすい感じだ。
甘口は完全に貴腐ワインだった。これを和食に使うとなると、一つしか思いつかない。
赤ワインはボルドーかカリフォルニアのいいシャトーのカベルネソーヴィニヨンに近い気がする。もっとも俺自身、高級ワインはあまり飲んだことがないので、間違っているかもしれない。
試飲を終え、ある程度の方向性は決まった。
「方向性は決まったが、相手の人数が結構多い。天ぷらはジェイクにも手伝ってもらうぞ」
「俺が揚げるんですか?」とジェイクが驚く。
「ああ、今回は全部16人だ。カウンターで食べてもらうが、天ぷらだけは目の前で揚げたい。そうなると、8人が限界だ。片方のカウンターはお前に任せるつもりだからな」
本店はL字型のカウンターが2つあり、普段は俺とフランク、サイモンの3人で回している。
「侯爵家の方の目の前ってことは俺が説明するんですか? 無理ですよ」
「お前だって立派な店主なんだ。それに何事も経験だ。もちろん、フランクとサイモンも脇に立ってもらう。ジョーは厨房からよく見ておけよ」
今回のことで弟子たちに経験を積ませるつもりでいる。
今でも王宮にいく時にはフランクかサイモンを連れていっているが、国王陛下を含め、王宮の人たちは基本的にやさしい。
また、うちの店に来る客も基本的には国王のお気に入りである俺に気を使っているため、面倒なことは滅多に言わない。
しかし、今回の客は俺を試そうというややこしい客だ。そういった手合いの客とどう向き合うかを実地で学んでもらうのだ。
ジェイクはいきなり1人ということになるが、問屋街店でクレームの対応はしているだろうし、侯爵本人は俺が対応する。侯爵本人もそうだが、クレーム紛いのことを家臣が言ってくることは考えにくいから、それほど気にしなくてもいいはずだ。
それからホールスタッフについてもみっちりと仕込んだ。
と言っても俺に本職のようなワインのサーブはできないから、サッカレー料理長に頼んで、宮廷の給仕を講師として派遣してもらった。
その際、「しかし、面倒な依頼を受けられたものですな」とサッカレー料理長に同情された。
「まあ、いつかこういった話は来ると思っていましたし、この国に昔からある酒にどこまで合わせられるのかというのもやってみたかったですから」
「さすがはキタヤマ殿ですな。私も見習わなければなりませんな」と真剣な表情で頷かれてしまった。
ホールスタッフの教育だが、思った以上に大変だった。
うちではワインを含め、追加の酒は新しい器で出すようにしている。そのため、酒は厨房で入れてから客の前に持っていくが、今回はその場でグラスに注ぐことになる。客の前で酒を注いだ経験がなく、また、トーレス料理の高級店にいったことがない者がほとんどだったため、一から教育しないといけなかったのだ。
それでも1ヶ月で最も若いミランダを始め、どの店でも通用するほどの手際になった。
食材の方も問題なく揃えられた。
今回はリッパークラブを始め、魔物を使うことを考えていたので、仕入れ担当のチャーリーにはずいぶん頑張ってもらった。
特に魔物の肉を仕入れるために何度も迷宮都市に足を運んでもらい、王宮でも普段はあまり使わないコカトリスという魔物の肉を仕入れてもらった。
コカトリスはほとんど入荷がないらしく、必要な量を入手するのは大変だったようだ。
「ダスティンさんが宮廷書記官長直々の命令ということにしてくれたんです。まあ、それがなかったら集まらなかったんですが、大掛かりな晩餐会でもあるのかって何度も聞かれて閉口しましたよ」
チャーリーは王室御用達の商人ということで、晩餐会や園遊会で使う食材の手配もやっている。そんな彼でも宮廷書記官長という王国の重鎮の名を出さないと仕入れられなかった。
「それは済まなかったな。そんなに大変だとは思わなかったよ」
「今回は俺より王宮の方が、気合が入っていますからね。最初はブラックコカトリスを仕入れろって言われたんですが、さすがに年に一回くらいしか手に入らないようなものは無理だと断ったんですよ」
今回の件は王家とフォーテスキュー侯爵家の政争という側面もあるらしいが、俺にはあまり関係ないと思っている。
そんな感じで準備が整い、8月18日を迎えた。
18時頃に従業員総出で店の前で出迎える。ここブルートンは日本と違い、真夏の夕方でも湿度が低く過ごしやすいため、あまり苦にならない。
馬車は全部で5輌。先頭のものは金色に輝くゴーレム馬に牽かれた豪華なもので、後続のものも黒塗りの高級そうな馬車だ。
先頭の馬車が止まり、すぐに執事らしい人物が扉を開ける。
降りてきたのは4人の男女で、いずれも上級貴族らしい豪華な服を身に纏っていた。
俺たちは一斉に頭を下げた。
「そなたがジン・キタヤマか?」と若い男が聞いてきた。
顔を上げて、「ようこそお越しくださいました。この店の店主、ジン・キタヤマと申します」と答える。
侯爵らしい壮年の男性は笑みを浮かべて頷き、
「今宵を楽しみにしておった。王宮で食すような見事な料理を期待しておるぞ」
ネイハム・フォーテスキュー侯爵は宮廷の晩餐会などで俺の作った料理を何度も食べている。
「私はそれほど期待していない。我がフォーテスキュー家のワインに合わせた料理が作れるとは思えんのでな」
二十代前半くらいの若い男がそう言ってきた。
自己紹介がないが、恐らく嫡男のノーマン・フォーテスキューだろう。
突っかかってくるような言い方に思うところはあるが、ここで話をする必要はないと、「では、中にどうぞ」と言って中に案内する。
店に入ったところで、カウンターに案内するが、そこでもノーマンはひとこと言ってきた。
「このような場所で食べねばならんのか!」
このことは事前にバーソロミュー・ルティエンス男爵に伝えてあり、侯爵の了承を得ていると聞いている。
「ルティエンス男爵様にお伝えしておりますが、問題でしょうか?」
「料理人を見ながら食えというのか!」
オープンキッチンスタイルの店は少なく、高級店で調理場が見えることはない。逆に安い店は構造的に調理場が近く、そのことが頭にあったようだ。
しかし、こんなところからトラブルとは思っていなかった。
ルティエンス男爵の姿があったので、「テーブル席に変更は聞いておりませんが」と伝える。
男爵も想定していなかったようで、いつもの落ち着いた雰囲気が消え、焦っている感じが見えた。
「ノーマン様、閣下も了承されておるのです。ここはこの店の流儀に従っていただけませんか?」
「何!」とノーマンは気色ばむ。
「もうよい。言われた通りに座るのだ」と不機嫌そうな侯爵の声が響くと、大人しくなった。
「キタヤマ殿、すまぬな」と侯爵は謝ってきた。
「気にしておりませんので」とだけ伝え、席に案内する。
何とか全員が席に着いたが、料理を出す前からこれでは先が思いやられると内心で思っていた。
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