第48話「ジン、挑戦を受ける:前篇」

 大陸暦1079年8月。

 和食屋キタヤマの本店をオープンして1年が過ぎた。

 口コミの効果もあって、連日満員という状況で、和食も徐々に広まっている。


 弟子のフランクとサイモンが腕を上げ、1年前に入ってきたジョーも戦力となり、俺自身は以前より余裕がある。


 現在の弟子の筆頭であるフランクだが、僅か23歳で料理スキルのレベルが7になった。このことを宮廷料理長のレナルド・サッカレーに話すと、


「ジェイク君といい、僅か6年で2人もレベル7に育て上げるとはさすがはキタヤマ殿ですな。私のところでは10年経ってもそこまで上がりませんよ」


 そう言って絶賛してくれた。


「私が凄いわけじゃないですよ。うちの弟子たちはみんな努力家ですから」


 正直な想いだ。

 ジェイクはもちろん、天才肌のフランクも努力は惜しまないし、サイモンに至っては寝る間も惜しんで包丁を握っている。それに感化されたわけでもないのだろうが、ジョーも暇があると修行に励んでいた。


 サイモンもレベル6になっており、素人同然で仕事を始めた割には早いペースで腕を上げている。

 ジョーも1年でレベル3になっており、本当にうちの弟子たちは努力家ばかりだ。


 レベルが上がっていないのは俺くらいのもので、師匠として恥ずかしいと最近思い始めている。


 ジェイクに任せた問屋街店も順調だ。

 元々常連客が多い店だが、ジェイクが若者向けにランチのメニューを少し変えたことから、更に客が増えている。


 ジェイクが取り入れたのは和風ステーキランチと牛丼だ。


「鶏肉と豚肉は使っているんですから、牛肉のメニューもあってもいいかなと思ったんですよ」


 鶏肉を使ったランチは、鶏の唐揚げ定食と鶏南蛮定食がある。豚肉は豚の生姜焼き定食とトンカツ定食がある。

 しかし、牛肉を使ったランチメニューは今までなかった。


 特に理由はない。

 牛肉の値段が飛び抜けて高いわけでもなく、供給が不安定ということもないので、単にイメージとしてランチじゃないなと思っていただけだ。


 最初にステーキランチを出したが、その後、牛丼を出すことについても相談を受けた。


「牛丼も出そうかと思っているんですが、どうでしょうか? 意外に受けると思うんですが。ただ、賄いを出すって言うのも……」


 うちの店では夜のメニューにステーキと牛のタタキがあった。

 肉は塊で買うから、スジの部分や切れ端が結構出る。それを牛肉のしぐれ煮にして突き出しにすることもあるが、賄いとして牛丼を作ることもよくあった。

 商品にできなかったものを出すことにためらいがあるようだ。


「いいんじゃないか。賄いとはいえ牛丼は立派な料理だ。そういや、お前たちは結構気に入っていたよな」


 牛丼が賄いの日はジェイクを始め、弟子たちのテンションがいつも以上に高かった気がしたのだ。


「ええ、師匠の牛丼は旨味がありますし、コメとの相性も抜群ですから。まあ、がっつり食える料理って言うのも好きな理由なんですが」


 十代後半から二十代半ばの弟子たちが、ボリュームのある料理を食べたいというのはよく分かる。まあ、俺のように四十代になるとあっさりとしたものの方がいいんだが。


 牛丼は原価が安いからランチメニューにするにはちょうどよく、今では問屋街店の人気メニューの一つになっている。

 こんな感じで、ジェイクも自分の店を切り盛りしていた。


 本店の方も順調で、俺とフランクでカウンターを、サイモンとジョーの2人で厨房を回している。


 貴族が多く住む高級住宅地にあるから客単価が高く、高級食材をいろいろと使える。問屋街店の時にはあまり使えなかった魔物肉を使うようになった。


 魔物肉はグリーフという迷宮都市から仕入れられるが、探索者シーカーと呼ばれる専門職が命懸けで獲ってくる素材であるため、普通の家畜に比べ割高だ。最も安い部類の物でも、この辺りの家畜の倍以上はする。


 その分、味はいいし、品質は安定しているのだが、恒常的に仕入れるとなると、なかなか難しかった。


 チャーリーのオーデッツ商会もグリーフには伝手がなく、最初のうちは仕入れるのに苦労したそうだが、王宮御用達ということで何とかルートを確保したと言っていた。


 使っている魔物肉はオークとレッサーコカトリスが主だ。

 オークは二足歩行の豚の魔物で、小説などに出てくるイメージのままの魔物らしい。俺も迷宮に入ったことがあるが、割と強い魔物らしく、出会ったことはないから、実際のところは分からない。


 オークの肉は5キロの塊で金貨5枚、日本円で5万円、100グラム当たり千円もする。日本のブランド豚に匹敵する高級食材だ。これが通常種で、上位種になると2倍から3倍、最上位種であるオークキングになると、5倍以上になるらしい。


 今のところ、通常種以外は恒常的に仕入れておらず、特別に要望があった場合だけ、入手するようにしている。

 その理由だが、グラム2千円もする豚肉を使うと、一品の値段が5千円、この世界の通貨なら50ソルほどになってしまい、一般客に出すには高すぎるのだ。


 レッサーコカトリスだが、こいつは白鳥を一回りほど大きくしたくらいの鳥の魔物で、比較的弱い部類らしく、1キロの肉の塊で5千円ほどだ。オークに比べれば安いが、これでも日本の地鶏のいい奴と同じくらいで、決して安くはない。


 こんな感じで店は順調だった。

 他にも元マッコール商会の支店長ハンフリー・アスキスがマッコール商会の最後の商会長フレッドと新たな店を立ち上げている。


 名前はH&F通商といい、マシア共和国やマーリア連邦の食材の輸入代行を行うとのことだった。

 ハンフリーの人脈を生かすことができるため、マッコール商会のライバルであったオーデッツ商会のチャーリーも試験的に輸入する食材を注文している。


 こんな感じで平和なのだが、ある依頼が舞い込み、頭を悩ませている。


 それはフォーテスキュー侯爵から店を貸し切りたいという連絡があったことだ。

 貸し切りの予約自体は特に問題はなかった。

 向こうもこちらの都合を考慮し、2ヶ月以上前に予約を入れてきたためだ。

 問題はある条件が付いたことだ。


 6月の半ば頃、侯爵家の家臣を名乗るバーソロミュー・ルティエンス男爵が店に現れた。男爵は貴族というより執事か高級ホテルの支配人という印象を受け、柔らかく丁寧な口調で依頼してきた。


「フォーテスキュー領内のワインに合う“ワショク”を食したいと我が主、ネイハム・フォーテスキュー侯爵が申しております」


「ワインですか……」


「ご存じかと思いますが、フォーテスキュー侯爵領は王国一のワインの産地でございます。特に赤ワインは世界に誇る品質で、長期熟成させたものは至高の一品と言っても過言ではございません」


 フォーテスキュー侯爵領は王都ブルートンの東にあり、ワインの一大産地だと教えてもらっている。

 宮廷料理長のサッカレー氏に何度か飲ませてもらったこともあり、ボルドーワインのような芳醇な赤ワインはフランスの特級畑グランクリュに匹敵すると思ったほどだ。


 修行していた店の大将がいろいろな料理をアレンジすることが好きなこともあり、和食の職人としてはワインを飲んでいる方だが、それでも素人に毛が生えたようなものだ。

 実際、日本の店ではそれほどいいワインは出しておらず、ワインに合わせたつまみも出していない。


「ワインはこちらで準備いたします。それに合わせたワショクをお願いしたいのです」


「持ち込みですか……」と言葉を濁す。


 和食でもワインに合う料理は結構あるからやれないことはない。

 白ワインなら日本酒の代わりにすることは可能なので、出汁が利いた料理や少しパンチを利かせた魚料理などなら充分に合わせられる。

 赤ワインも牛肉のたたきやうなぎの蒲焼など、相性のいいものもある。


 渋ったのは侯爵が飲むような高級ワインがどれほどの味か分からないことだ。

 ボルドーやブルゴーニュでも畑や作り手が違うだけで味や香りは全く違う。また、同じワインでも熟成度合いによって全く違う印象になることはざらだ。


「恥ずかしい話ですが、侯爵閣下が飲まれるような素晴らしいワインを飲んだことがありません。ですので、そのワインに合わせる料理を作る自信がございませんので、今回のお話はお断りさせていただきます」


 男爵は少し考えた後、笑みを向けてきた。


「さすがは一流の料理人ですね。キタヤマ殿のおっしゃることは理解できます」


 これで断れたと思ったら、更に話は続いていた。


「では、当日持ち込ませていただくワインを試飲用として事前にお渡しします。味と香りを確認されてから、料理を考えていただくのであれば、お受けいただけるということでよろしいですね」


 何本あるのかは分からないが、コース料理なら5、6本はある。

 侯爵が飲むレベルだから、一本数万円はする高級ワインだろう。それをすべて試飲させると言ってきたのだ。

 ここまで言われたら断りようがない。


「そこまでしていただくのにお断りするわけにはいきませんね。お受けさせていただきます」


 その後、人数や予算などの調整を行い、8月19日に来店することが決まった。


 その話をダスティンに伝えると、


「遂に手を出してきましたか……」と渋い顔をする。


「勝手に決めたらまずかったですか?」と確認する。


 王家とフォーテスキュー侯爵家はライバル関係にあり、俺自身にその認識はないが、俺は国王子飼いの料理人という扱いになっているためだ。


「その点については問題ございません。ここはジンさんのお店ですから、陛下もランジー伯爵閣下も縛りを入れるようなことはお考えではございませんので」


「なら何が気になるんですか?」


「このタイミングで接触してきた理由が分からないんですよ。ウィスタウィック侯爵家が問題を起こしたのは4年ほど前です。確かにあの時の陛下は普段と違い、非常に厳しい対応をされましたから、フォーテスキュー侯爵が警戒したことは分かるんですが……」


 6年前の大陸暦1073年の騒動で、ウィスタウィック侯爵の娘婿、クロトー伯爵が処刑され、領地を没収された。その事件で国王がいつになく厳しい対応を取ったことから、貴族からのアプローチはほとんどなくなった。

 フォーテスキュー侯爵も宮廷内でいろいろと手を打とうとしていたらしいが、その事件を機に動きを止めたそうだ。


 結局、考えても分からないということで、内務卿のランジー伯に報告だけするということで落ち着いた。


「それにしてもフォーテスキュー侯爵家秘蔵のワインを試飲できるんですか。凄いですね」


「ダスティンさんも飲みにきますか? 合いそうなつまみを作るつもりですから、意見が欲しいですし」


「私の意見ですか! いや、そんな重大な話なら遠慮させていただきますよ」


「そんな大ごとじゃないんですが」と正直な思いを伝える。


「いやいや、今回のことは国王陛下も気にされておりますから、私が変な意見を言ったと伝わったら大変なことになりますよ。ワインは気になりますが、遠慮します」


 ルティエンス男爵が店を訪れてから半月ほど経った7月の初旬。

 フォーテスキュー侯爵家から木箱に入ったワインが届けられた。

 木箱は2つあり、ワインがそれぞれ10種類ずつ入っていた。ぱっと見た感じでは、両方の箱に入っているのは同じもので、片方が予備のようだ。


「全部使えってことなんですかね」とフランクが聞いてきた。


「この中から合うものを選べって、ことなんだろうな。ここから試されているってわけだ」


 俺の言葉に弟子たちの表情が硬くなる。師匠が試されたということが気に入らないのだろう。


「そんなに気にするな。向こうにしたら、俺のワインの知識がどの程度なのか、分からないんだからな。まあ、俺自身、こっちのワインについてはほとんど分かっちゃいないが」


「そんなことないです!」とサイモンが声を上げる。


 目で分かったと伝え、ボトルを一本ずつ出していく。

 入っていたのはスパークリングワインが2種類、赤ワインが4種類、白ワインが4種類だ。

 中にはご丁寧に説明が書かれたメモまで入っていた。


 スパークリングワインは白ブドウだけのいわゆる“ブラン・ド・ブラン”と黒ブドウと白ブドウのブレンドで、いずれも辛口と書いてあった。


 赤ワインはすべて侯爵家所有の畑の最高級のものらしく、3年、5年、10年、15年と熟成年数が違うだけらしい。


 それに比べ、白ワインはライトな2年熟成のものと、やや重い5年熟成のもの、微発泡のやや甘い香りのもの、甘口の貴腐ワインと書いてある。


「これは本当に試されているなぁ」と苦笑が漏れる。


「どういうことですか?」と好奇心が強いジョーが聞いてきた。


 俺に代わってフランクが答える。


「スパークリングワインはいいとして、赤ワインは同じ畑で熟成度合いだけが違う。つまり、若いものはタンニンが強くて使いづらいし、熟成したものはそれ自体の美味さに勝てる料理にしなくちゃならないってことなんだ」


 フランクは実家がビストロだけあってワインに詳しい。


「なら、白はどういう意味なんだ?」とサイモンが質問する。


「一番問題なのは貴腐ワインだね。フォーテスキューの貴腐ワインは高級ワインとして有名なんだ。それに合わせられるかっていうことなんだと思う。師匠、これで間違っていないですよね」


「ああ、付け加えるなら、微発泡の白も曲者だな。やや甘口で微発泡だとブドウの香りが勝ちすぎる。一応、料理に合わせられないこともないが、難しいものばかりを選んだって感じだな」


 こちらのことを調べているようだが、和食の料理人としては正直勘弁してほしい。

 俺の個人的な意見だが、和食は日本酒とのマリアージュを前提に発展してきた料理ではない。日本酒自体、江戸時代から昭和に入る頃まで、甘口のものが多かったし、料理に合わせやすい日本酒が一般に広まったのは戦後くらいだったはずだ。


 更に言えば、料理との組み合わせを意識し始めたのは20世紀の後半だろう。まあ一部の蔵人はもっと昔から考えていたのかもしれないが、日本酒全体としてみれば、それほど昔じゃないはずだ。


 一方のワインは地球でも19世紀には料理とのマリアージュが考えられているし、フランス料理に近いトーレス料理は700年ほど前に現れたフランス系の流れ人によって作られたという話だから長い歴史を誇る。


 そう考えると、ワインに和食を合わせてくれという注文は、フランス料理並みのマリアージュを目指そうとすると非常に難しいことなのだ。


「まあ、気楽にやるさ。向こうも完璧な料理を期待していないだろうし、もし美味い和食を食いたいなら、こちらに任せてくれと言ってやるつもりだから」


 嫌がらせに近い注文だが、受けた以上やるしかないと腹を括った。

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