第47話「閑話:弟子ジェイク・スティール」

 俺の名はジェイク・スティール。

 流れ人の天才料理人ジン・キタヤマさんの一番弟子だ。


 今から5年ほど前の1073年3月に師匠に弟子にしてほしいと頼みにいった。その時は断られるんじゃないかとドキドキしながら扉をくぐった記憶がある。


 その頃の俺は料理の経験もほとんどなく、どのくらい包丁が使えるのか見せてほしいと言われた時に駄目かもしれないと思ったほどだ。


 一応、オーデッツ商会のチャーリーさんに話を聞いており、


「ジンさんは真面目で熱意のある奴なら受け入れてくれるよ」と教えてもらったが、あまり信じていなかった。


 俺が師匠の弟子になりたいと思ったのは開店初日に鶏の唐揚げを食ったからだ。

 その当時、俺は近くの安いパブで働いており、毎日揚げ物を作っていた。そのほとんどはポテトだったが、たまに鶏も揚げていたので、こんなに美味く作れるのかと愕然としたものだ。


 この店の最初の客は俺だが、あの時はどうして30分以上も前から並ぼうと思ったのか、よく覚えていない。チャーリーさんから美味い料理が食えると教えてもらったことと、たまたま休みだったことが理由だと思うが、それまで並んでまで飯を食おうと考えたことはなかった。

 それが結果として今の俺につながっているのだが、不思議なことだと今でも思っている。


 鶏の唐揚げを食べてから、時間と金がある時には師匠の料理を食べに行った。

 料理の質から言ったら物凄く安いのだが、それでもその当時の俺の給料だと、3日に1回が限界だった。それもランチか、夜に1品か2品食べて、酒を一杯飲んで終わりという感じだ。


 食べれば食べるほど、師匠の料理にはまった。

 それで勇気を振り絞って弟子入りしたのだが、最初は大変だった。


 まず、“出汁”というのがよく分からなかった。

 もちろん、魚や肉から出汁が出ることは知っていたが、木のようなカツオブシと黒い板のようなコンブからあんなに薫り高いスープが作れることが信じられなかった。


 出汁というのは取ろうと思えば誰でも取れる。

 但し、それが美味いかどうかは別の問題だ。少しでもタイミングを間違えると、香りが弱くなったり、えぐみが出たりする。


 タイミングだけで覚えてしまうと、カツオやコンブの状態や水の温度が変わった時に対応できない。そのため、日々師匠が取る出汁の味を見て、どうやったら美味い出汁が取れるのか試行錯誤を繰り返した。


 今でこそ、お客さんに出せるほどの味になったが、それでも師匠の繊細な出汁とは全く違う。


 出汁も難しかったが、焼き物も煮物も難しかった。

 火の入れ方ひとつで、ここまで料理の味が変わるとは全然思っていなかったのだ。


 師匠はこの世界の料理人とは違い、丁寧に教えてくれる。それでも満足いく料理が作れるようになったのはつい最近のことだ。


 この世界の料理人はサッカレー料理長のような超一流の人から、俺に揚げ物を教えてくれたパブの料理人まで幅広くいるが、基本的には“見て覚えろ”というスタイルだ。

 しかし、師匠は手を動かしながら、なぜこの順番なのか、この作業で味がどう変わるのかなどを一つ一つ丁寧説明してくれる。


 そのため、俺のような物覚えが悪く、不器用な者でも料理スキルのレベルが7になれたと思っている。


 弟弟子のフランクは俺より才能があり、まだ22歳だが、既に料理のスキルレベルは6だ。あと1年もしたら7になるはずだ。これほど早くレベル7になったという話は聞いたことがないので、やはり師匠の教え方がいいのだろう。


 そのフランクだが、奴は師匠やサッカレー料理長とは違う意味で天才だと思っている。

 元々料理屋の家で育っていることもあるが、包丁捌きも速くて正確だし、味付けも師匠に教えてもらった通りにできる。

 いつも奴に追い抜かれるんじゃないかと気が気ではない。


 と言っても奴とは仲良くやっている。

 ギスギスした関係を師匠が嫌うということもあったが、奴はマイペースな男で勝ったとか負けたとかということを意識していない。

 何となく、師匠に近い感じがして、その点も妬ましく思ってしまう。


 もう一人の弟弟子のサイモンは俺に少し似ている。

 元々兵士だったこともそうだが、フランクのような器用さはなく、一つ一つ丁寧に教えて初めてものにできるからだ。


 俺との違いはその生真面目さだろう。

 師匠に教えてもらう時は一瞬たりとも見逃さないという気迫をもって聞いている。俺の場合、フランクが入るまでの一年ちょっとの間、師匠と2人だけだったから、何度も同じことを聞いていた。


 しかし、サイモンは一度聞いたことはできるまで何度も繰り返し練習し、次に師匠に見てもらうまでに確実にものにしている。

 その凄まじいまでの執念に戦慄したことが何度もあった。


 サイモンがそこまでするのは師匠に認めてもらいたいからだが、フランクの存在も大きい。二人はこの店に入った時期こそ違うが、同い年なのだ。


 フランクは店に来た時から十分な能力を見せていたが、サイモンは兵舎の厨房で働いていたものの、素人同然だった。

 そのため、最初はホールスタッフとして働いており、最近になってようやく客に出す料理を作らせてもらえるようになったところだ。


 ライバル関係というには力の差があり過ぎるし、フランクはあんな性格だから対抗心などないだろうが、サイモンの方は違う。

 師匠にフランクと同じように認めてもらいたいと必死なのだ。


 そんな二人と一緒に働いていたので、俺自身も結構努力した。

 何といっても宮廷料理長が弟子入りしたいと言った天才の一番弟子なのだ。そして、二人の弟弟子が俺の背中を追いかけてくる。


 ここで彼らに抜かれたら、師匠の弟子と名乗れなくなる。そんな危機感を持っていたから、俺のような凡才が曲がりなりにも一流と呼ばれるスキル7にまで上げることができたと思っている。


 師匠が新しい店を立ち上げる時、俺に今の店を任せたいとおっしゃった。

 驚いたが、意外ではなかった。師匠は以前から俺に独立を勧めてくれていたからだ。

 俺自身、独立を考えたことがないと言ったら嘘になる。自分だけの力で料理を作り、客に喜んでもらえたらといつも思っているからだ。


 しかし、俺の実力はまだまだだ。

 ジン・キタヤマの“弟子”として自分の店を持つほどの腕にはなっていない。これは俺だけの思いじゃない。フランクも同じようなことを言っていた。


「師匠の料理を食べた人に、僕の料理だと胸を張って出せる日が来るんですかね」


「そうだな。俺もワショクとして出す勇気はないな」


 そんな会話をしたことがある。


 料理自体は俺もフランクも店で出していた。もちろん、師匠が確認し、問題ないものだけだが。

 正直なところ、師匠の確認を受けずに客に出すというのが怖かった。これは“キタヤマの料理じゃない”と言われたらどうしようかと思ってしまうからだ。


 そして、今の店を任せると言われた時、最初に思ったのが、そのことだった。

 師匠がいないところで料理を出しても大丈夫なのかと。


 正式に新しい店がオープンすると決まった日、そのことを正直に師匠に打ち明けた。

 師匠は最初驚いた顔をしていたが、すぐに笑い出した。


「ハハハ! 気にし過ぎだ! お前の料理は充分美味い。それに言っては悪いが、俺の料理とお前の料理の違いが分かるのはサッカレー料理長とランジー伯くらいだ。国王陛下でも分からないと思うぞ」


「そんなことはありませんよ。常連のお客さんなら絶対に気づきますって」


「なら賭けてみるか? 今日の出汁巻は全部お前が作れ。それで一人でも俺が作っていないと気づいたら、お前の勝ちだ。店を任せるという話はなしにする。だが、誰も気づかなかったら、この店を任せるからな」


「いくらなんでも分かりますよ。師匠の出汁巻は絶品なんですから」


 そう言ってしまったほどだ。

 師匠の出汁巻は和食屋キタヤマの人気メニューだ。最初はなかなか受け入れてもらえなかったが、出汁の美味さを知った客がリピートするようになり、今では毎日結構な量が出る。


 その日の夜、10人の客が出汁巻を頼んだが、皆満足そうに食べており、誰一人首を傾げる者はいなかった。

 最後の客にだけ、俺が作ったと言ってみた。クレームが来るかと思ったら、全く違った。


「凄いじゃないか! 大将のものと全く一緒だったよ」


 そう言って満足そうに店を出ていった。


「だから言っただろ」と師匠がニヤニヤして俺の肩をポンと叩く。


「師匠がいらっしゃるからですよ。俺だけなら美味くないって言われると思います」


「そうかもしれんな」と師匠は頷いたが、


「だが、それは仕方がないことだぞ。うちに来る客は俺の味を求めて来るんだからな」


「そうですよね。やっぱり俺には無理です」


「それは違う」


 何が言いたいのか分からず、「どういうことですか?」と聞いてしまった。


「お前の料理を認めさせればいいんだ。お前の料理を食いたいと客に思ってもらう。そのためには創意工夫が必要だ」


「創意工夫ですか?」


「そうだ。俺の味を盗むのは一向に構わんが、俺を超えることを考えるんだ。師匠の真似ばかりしていると、それ以上に美味いものは作れんのだから」


「師匠を超える……そんなの無理ですよ」と正直な想いが漏れる。


「当たり前だ。そう簡単にお前らに超えられてたまるか。俺も日々精進しているんだからな。だが、その気概は忘れるなってことだ」


 確かに師匠はいつもいろいろなことを試している。

 今のままでも十分すぎるほど美味いのに、いつも納得していないのだ。

 今まではどうしてだろうと思っていたが、ようやく理由が分かった。


「分かりました。では、店を任していただくお話ですが、私でよければ受けさせていただきます」


 そう言って頭を大きく下げる。


「そうか。うん」と言って、もう一度俺の肩をポンと叩き、


「まあ、気負い過ぎずに肩の力を抜いてやってみてくれ。分からないことがあれば、いつでも聞いてくれたらいいからな」


 師匠は月に2度くらい顔を出すといってくれた。

 新しい店を軌道に乗せる大切な時期だし、今やっている酒造りでも結構忙しいのに、まだ面倒を見てくれるというのだ。

 その想いに涙が出そうになった。


 8月1日、“和食屋キタヤマ本店”がオープンした日、俺は“和食屋キタヤマ問屋街店”の厨房を一人で切り盛りした。

 その日は朝から必死に仕事をこなし、結局最後の客が帰るまで何をしていたのかはっきり覚えていない。


 翌日、朝の仕込みの最中に師匠が様子を見に来てくれた。


「どうだ、こっちは」といつも通りの笑顔で声を掛けてくる。


「一杯一杯でほとんど覚えていませんよ。まあ、トラブルはなかったですし、お客さんも満足して帰ってくれたみたいなんで、問題はなかったようですが」


「そうか。手が足りないようなら、人を雇えよ。そう言えば、ホールスタッフを雇ったんだったな」


「ええ、若い子を2人雇いました。と言っても素人なんでまだまだですが」


「まあ、うちのマリーも最初はそうだったからな。で、どうなんだ?」


 そう言いながらニヤニヤと笑っている。


「何がです?」と聞き返すが、何となく言いたいことは分かっている。


「気になるはいるのか?」


 予想通りだった。


「そんな余裕はありませんよ! それに店の手伝いに来ている子に手なんて出しませんよ」


 そう言うものの気になる子はいる。そのため、少し強めに言ってしまった。


「俺はそうだったんだがな」と師匠は苦笑する。


「そういう意味じゃないですよ」とちょっと焦るが、師匠は気にすることなく話を続けていく。


「俺自身がそうだったから当たり前だが、うちの店は店内恋愛を禁止していないぞ。真面目な話、お前には早く身を固めてもらいたいと思っているんだ」


 確かに俺の歳で結婚していないのは、不安定な仕事の探索者シーカーや傭兵くらいなものだ。

 俺自身も結婚したいと思っているが、もてるような顔をしていない。


「もうちょっと給料を上げてやるか」


「給料は充分もらっていますよ」


 実際、俺の給料は悪くない。

 住み込みだし、食費もまかないで済ましているからほとんど掛からない。

 それなのに月に2千ソルももらっている。他の店の見習いなら、小遣い程度しかもらえないから、俺の十分の一もないだろう。

 それなのに使うのは、包丁などの調理器具を買うくらいだから、貯まる一方だ。


「まあ、この店の店長だからな。給料は上げるつもりだし、売り上げに応じてボーナスも出す。家族を養うことができる額をな」


 師匠は俺に結婚する気がないと思っているらしい。


「だから相手がいないんですよ」


「そうか。なら、チャーリーに頼んでみるか。何と言っても顔が広いし……」


 チャーリーさんは確かに顔が広い。オーデッツ商会はマッコール商会が潰れてから王都で一番の食材専門店だ。

 それに昔から面倒見がよく、慕っている人も多い。俺もその一人だ。

 だが、今では大店の社長だ。簡単に頼んでいい話じゃない。


「忙しいのに悪いですよ」というと、


「そうだな。いつも俺のために飛び回ってくれているからな……なら、ダスティンさんに頼むのもありだな」


「もっと駄目ですよ!」と悲鳴を上げてしまう。


 ダスティン・ノードリーさんは今では王国でも指折りの官僚だ。

 産業振興局長として国王陛下肝いりの酒造りだけでなく、食材の輸入や自国での開発を指揮している。

 国王陛下のお気に入りの官僚として、伯爵クラスの貴族でも遠慮すると言われているほどだ。


「そうか? 確かに忙しそうだが、お前のためなら一肌脱いでくれると思うが」


 師匠はこういうところが少し抜けている気がする。しかし、俺のためにいろいろと考えてくれることに心から感謝している。


「自分で探しますから大丈夫です」と言い切り、何とかその話をやめることができた。


 最近来てもらっているエセルという娘が気になっている。

 と言っても、まだ働き始めて数日しか経っていないので、仕事の話しかできていない。


「そうか。いつでも相談に乗るからな。と言っても、この分野じゃ、俺にアドバイスできることは限られているが」


「そうですね」と言って二人で笑った。


 俺は師匠の弟子になれて本当によかったと思っている。

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