第46話「ジン、新たな店を開く」

 大陸暦1078年6月。


 昨年末に造り始めた日本酒は順調で、俺が名付けることになった日本酒“ブルートンホマレ”は王都ブルートンですでに人気の酒となっている。


 その理由は国王ヘンリーが非常に気に入り、晩餐会などでよく使うというのが理由の一つだが、“ブルートンホマレ”という名に“ブルートンの名誉”という意味があると知ったブルートン市民が挙って求めるようになったことも大きい。


 もちろん、うちの店にも常に置くようにしており、町を愛する客がよく注文してくれる。

 俺のところは優先的に回してもらえるから在庫が切れることはないが、他の店では奪い合いに近い状況になっているらしい。


 店の方も相変わらず順調だが、俺個人にとっても慶事があった。先月の末に俺にとって2人目の子、リュウが生まれたのだ。

 妻のマリーは長男ケンの世話があるため、ケンが生まれた一昨年の末から子育てに専念してもらっている。


 小さな子供が2人になるが、長女のケイトも7歳になり、ケンの面倒を見てくれるので、結構助かっているようだ。


 夫である俺が育児を手伝わないといけないのだが、店と酒造り、宮廷料理人たちの指導と結構忙しく、あまり手伝ってやれていない。

 仕事が理由にはならないと思っているので、マリーには本当に頭が上がらない。


 本来なら仕事を減らして育児を手伝うべきなのだが、更に仕事が増やしてしまった。

 それは新たな店を立ち上げるという仕事だ。


 以前から今の店では手狭だったが、俺の条件に合う店舗が見つからず、ズルズルと今の状態を続けていた。

 しかし、諦めたわけではなく、自分でも休みの日に不動産屋を回るなどして探していた。

 そんな日が続いていたが、2ヶ月ほど前の4月半ば頃にダスティンがいい物件があると教えてくれた。


「貴族街の商業地区に近いところで、店を畳むというレストランがあるんです。ジンさんの家からだと1分も掛からないくらいで、店の広さも今の3倍くらいになります……」


 詳しく聞くと、本格的なトーレス料理の店だったが、オーナーシェフが病にかかり、弟子たちもまだ店を継げるほどの腕になっていないことから閉めることになったそうだ。

 そのシェフは宮廷料理長レナルド・サッカレーの弟子だったため、サッカレーに相談にいき、その話がダスティンに伝わった。


「料理長に聞くと人気の物件らしく、そのシェフも苦労して手に入れたそうなんです。私も見に行きましたが、場所もいいですし、貴族街にありますから喧噪もなくて、治安もいいです。一度ご覧になられますか」


 その話を聞き、一緒に見に行ったが、今住んでいる家から本当にすぐ近くで、メインストリートから一本入った場所にあり、商業地区のような喧噪はない。


 だからといって貴族の大邸宅が並んでいるわけでもなく、閑静な高級住宅街という印象だ。

 中を見せてもらったが、中は明るく、テラス席もあり、厨房も広かった。


「確かにいい場所ですね。あとはどの程度内装をいじれるかですね。この雰囲気では和食に合いませんから」


「その点は大丈夫です。サッカレー料理長の紹介という話を不動産屋にしたら、二つ返事でどんな改装でも構わないと言ってきましたから。まあ、料理長の紹介なら間違いはないでしょうから向こうも安心なんでしょうね」


 サッカレー料理長はトーレス王宮初の料理スキルレベル9の料理長として、この町で知らぬ者がいないほどの有名人だ。その料理長が紹介する料理人なら失敗することは考えなくていいし、万が一失敗しても料理長が何とかしてくれると不動産屋は考えたのだろう。


 マリーに相談すると、「ようやく大きな店を持てるのですね」と笑顔で賛成してくれた。


「でも、従業員を集めないと大変ですね。厨房はあなたとジェイク君たちで何とかなると思いますけど、ホールスタッフはたくさん雇わないと」


「ジェイクには今の店を任せようと思っているんだ。あの店には愛着もあるし、常連客もいるからな。ジェイクにはずいぶん助けてもらったから、あいつにも店を持たせてやりたいんだ」


 一番弟子のジェイクは今年の3月に料理スキルのレベルが7になっている。28歳の若さでレベル7というのは宮廷料理人にもおらず、サッカレー料理長ですらレベル7になったのは30歳を越えてからだそうだ。


「それはいいですわね。私もあの店がなくなるのは少し寂しかったですし、ジェイク君なら安心して任せられると思います」


「あとはあいつがうんと言うかどうかだな」


 ジェイクには何度も独立を勧めている。既にこの辺りの若手料理人の中では頭一つ以上抜き出ているので、独立しても間違いなく成功するからだ。

 しかし、俺の下で修業したいと言って首を縦に振らないのだ。


「今まで一緒に苦労してきたから、分かる気はしますけど……」


「そうだな。すぐに移転するわけじゃないから、気長に説得するさ」


 その翌日、新しい店に移転することを決めたことを弟子たちに話した。

 ジェイクはもちろん、二番弟子のフランクと三番弟子のサイモンも大いに喜んでくれた。


「それでだ。この店なんだが、俺にとっては愛着がある。だから、ジェイクに任せようと思っている。どうだ、ジェイク」


「お、俺がこの店を……まだ早いです。もう少し師匠の下で修業させてください」


「もう教えることなんてないと思うぞ。それにここには時々、顔を出すつもりだ。店の名前もキタヤマから変えるつもりはないしな」


「そ、そうなんですか……」


 本当のことを言えば、完全にジェイクに譲り、名前も好きなように変えてほしいと思っている。しかし、ジェイクの性格だとそれでは受けないと思い、こんな提案をしたのだ。


 即答はしなかったものの、新しい店を正式に借りることになった時にようやく承諾してくれた。


「守れるかは自信ありませんが、精一杯頑張ります」


 こうして俺がこの世界で初めて持った店“和食屋キタヤマ”は残ることになった。


 7月に入り、内装関係も徐々に和食屋らしくなってきた。

 新しい店はカウンターをメインにするつもりで、厨房から見て左右にそれぞれ8席のカウンターを作っている。


 片方に俺が立ち、もう片方にフランクに入ってもらう。つまり、俺が花板で、フランクが次席の脇板というスタイルだ。


 テーブル席は4人掛けが4つと8人ほどは入れる個室を作るため、結構な大箱の店になる。


 俺とフランク、サイモンの3人では手が足りない。当面はカウンターをメインにして、テーブル席は絞るつもりだが、ギリギリの人数ではやっていけなくなることは目に見えている。


 そのため、料理人として弟子を入れるつもりだが、今回もなかなかいい人材が見つからず、7月に入ってようやく1人雇うことができた。


 名前はジョー・パターソンといい、18歳の若者だ。港町ボスコムで魚の仲買人をしていた関係でチャーリーと知り合い、一度一緒に店に来たことがあり、そこで食べた寿司に感動して弟子になりたいと言ってきた。


 料理の経験はないが、仲買人をしていただけあり、魚の目利きと下処理はなかなかのもので即戦力として期待している。


 他にもホールスタッフを5人雇っており、俺の料理を覚えてもらうため、店で料理を食べさせている。

 一番若い女性スタッフ、ミランダ・レヴィはニコニコと笑いながら、


「こんな好待遇の職場は初めてです」と言っていたほどだ。


「これも仕事のうちだから。料理を覚えていないようならすぐに辞めてもらうつもりだ」


 そう言って脅すが、


「これだけ美味しい料理なら大丈夫です」と気に留めた様子はなかった。


 店の準備は順調で、8月1日に“和食屋キタヤマ本店”がオープンした。

 本当は“割烹 北山”としたかったのだが、現地の言葉では伝わりにくいので、“和食屋キタヤマ”の名を引き継ぎ、“本店”とした。


 元々あった“和食屋キタヤマ”は“問屋街店”と呼んで区別している。

 この問屋街店はジェイクが切り盛りするが、月に2度ほど俺も板場に立つつもりだ。


 本店と問屋街店は徒歩10分ほどしか離れていないため、コンセプトを変えている。

 問屋街店は比較的価格を抑えていたが、本店は夜のみ価格帯を上げ、高級志向にする。

 これは客層が問屋街と貴族街では異なると予想しているためだ。


 この方針はフィルが提案したもので、俺自身はあまり変えるつもりはなかった。


「どんな客でも同じようなものを出したいんだが」


「それでもいいと思いますが、ここは貴族街ですからね。国王陛下がジンさんのことを絶賛していらっしゃることは貴族なら誰でも知っていますし、目端の利く商店の経営者も必ずやってきます。ジンさんが望まなくても高級店というイメージを持って訪れるなら、最初から素材にこだわってみてもいいと思うんですよ」


 彼の言っていることは間違っていない。

 既に俺の噂は広まっているし、問屋街店はあまりに庶民的な場所ということで行きづらかった貴族たちがやってくることは目に見えている。


 そうは言っても銀座の高級店のような感じにするつもりはない。

 トーレス料理の店ではドレスコードがあるが、俺の店ではそんなルールを作るつもりはない。気楽に食べに来られる店にしたいためだ。


 ちなみにドレスコード自体を否定する気はない。

 店の雰囲気に合わない客は他の客の迷惑になる。それを未然に防ぐ意味で、ドレスコードはあってもいいと思っているからだ。


 オープン初日から大盛況だった。

 噂を聞き付けた貴族や大手の商人たちが予約を入れたからだ。その中で一番の大物はランジー伯で、オープンの日が決まる前から予約を入れている。


 現役の閣僚ということで個室を用意したが、帰りにわざわざカウンターのところまで来て声を掛けてきたため、彼を知っている客たちが驚いていた。


「キタヤマ殿の料理を自由に食べられるようになったことは重畳ですな。これからも時々、楽しませてもらいに来るつもりです」


 他にもサッカレー料理長も来てくれたため、国王が絶賛している料理人と言う噂が本当だったということになり、翌日以降も満席の状態が続いた。


 問屋街店の方も順調だ。

 本店に貴族がよく来るという話が広まり、今までの常連客がそのまま問屋街店に来てくれるためだ。


「ジンさんの料理は食いたいんですけどね。伯爵様や子爵様なんていうのがいるところじゃ、落ち着いて酒なんて飲めませんよ。それにジェイクの料理も俺にとっちゃ十分すぎるほど美味いですから」


 常連客の1人がそんなことを言っていた。


 ジェイクは見た目こそ強面だが、気が小さいところがあり、その点だけが不安だった。また、今までは俺だけでなく、フランクとサイモンがいたため、下拵えや後片付けの負担は少なかったが、まだホールスタッフ以外の従業員がおらず、ワンオペの状態だ。


 しかし、最初のうちこそ不安な表情を見せていたものの、半月もすると慣れたようで、堂々とした店主になっていた。


「自分で全部やるのは思った以上に大変ですけど、楽しんでいます。それにこの店にはいいお客さんがいっぱいいますから、助かっていますね」


「それはよかった。お前も早く弟子を取れよ。それだけの腕はあるんだから」


「弟子ですか? まだ早いですよ」


「お前は俺なんかより人に教えるのが上手いんだ。それに弟子を取った方がお前の成長にもつながる」


 これは正直な気持ちだ。

 実際、サイモンの最初の手解きは彼が行っている。もちろん、ある程度基礎ができたところで俺も指導しているが、我慢強く丁寧に指導する姿に感心していたのだ。


「そんなことはないですよ」と照れている。


「お前が弟子を育てたら、うちに回してくれ。そろそろフランクにも店を持たせてやろうかと思っているんだから」


 こっちは冗談のつもりだったが、ジェイクは本気で受け取ってしまう。


「確かにそうですね。それに俺がある程度教えたら師匠のところに行かせた方がそいつのためになります」


「おいおい、今のは冗談のつもりだったんだが」と苦笑するが、ジェイクは真面目な表情を崩さない。


「才能がない俺が今の腕を持てたのは、すべて師匠のお陰なんです。俺の弟子になる奴も師匠に仕込んでもらった方が確実に腕を上げられます。だから、師匠には迷惑を掛けることになるかもしれませんが、そいつのためにも是非とも受け入れてやってほしいと思っているんです」


「言いたいことは分かるが……」


 俺が困った顔をしたら、ジェイクは相好を崩し、


「まあ、俺が弟子を取るのはまだ先ですし、そいつが師匠のところに行っても恥ずかしくなるようになるのは更に何年も先ですから、その時にまたお願いしますよ」


「そうだな」と答え、


「まあ、その頃にはお前の腕も更に上がっているだろうしな」


 実際、この真面目な男なら更に腕を上げていくだろう。


 弟子が成長するというのは楽しいものだと思っていた。

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