第34話「ランジー伯、電光石火の対応をする」
内務省産業振興局長のダスティン・ノードリーは貴族街に向かっていた。目的地は内務卿であるナイジェル・ランジー伯爵の屋敷だ。
既に午後九時を過ぎており、王国の重鎮の屋敷を訪問するには非常識な時間だ。そのため、伯爵家の家宰はその非常識さに眉を顰める。
「このような時間に非常識ではありませんかな」
「確かに非常識ですな」
口ではそう言ったものの、家宰が口を開く前に冷ややかな目で言葉を続けた。
「だが、明日の朝には陛下のお耳に入れねばならぬ案件なのですよ。もし、閣下に報告できねば、これより陛下に直接報告に向かいます。家宰殿はそれでもよいのですな」
その言葉に家宰は慌て、「お、お待ちください」と頭を下げると、後ろに控えていたメイドにダスティンを応接室に案内するよう指示を出す。
「ノードリー局長を応接室に!」
自身は当主であるランジー伯の部屋に向かった。
ランジーはまだ寝ていなかったが、慌てた様子の家宰の姿を見て、何ごとかと驚く。
「何があった?」
家宰は頭を下げ、
「このような時間に申し訳ございません。産業振興局長のノードリー殿が火急の用件でお会いしたいと申しております」
「ノードリーが?」と首を傾げると、
「旦那様に取り次がなければ、陛下に直接報告に向かうと申しておりました。お急ぎになられた方がよろしいかと」
その言葉にランジーは「何があったのだ」と口にするが、すぐに着替えて応接室に向かった。
応接室に入ると、ダスティンが直立不動で待っていた。
「このような非常識な時間にお騒がせしましたこと、まずは謝罪させていただきます」
そう言って大きく頭を下げる。
「そのようなことはよい。火急の用件とは何なのだ?」
「キタヤマ殿が暴漢に襲われました」
「何! キタヤマ殿は!」
「顔を殴られ、腹と背中を複数回にわたって蹴られたようです。私が到着した時には顔は腫れ上がり、憔悴した表情をしておりました……」
「何!」
「ご安心ください。負傷については、既に手配した治癒師によって完治しております」
「そ、それはよかった……」とランジー伯は安堵の表情を見せる。
「現在、フィル・ソーンダイクを護衛として残しておりますが、暴漢は“ロバーツ一家”と呼ばれる無頼の一味であり、予断を許しません。至急、対応が必要と考え、報告に参りました」
「うむ。よくやった。赤騎士団に兵士を派遣させよう」
ダスティンは硬い表情のまま「お待ちください」と言い、
「暴漢に襲われた際、赤騎士団に属する王都警備隊の兵士が現地に行ったようですが、暴漢に恐れをなし、捕らえることなく、故意に逃がしております。赤騎士団では、キタヤマ殿の安全は保証できないと愚考いたします」
その言葉にランジーは片方の眉を上げ、
「どういうことだ? たかがゴロツキ相手に警備隊の兵がなぜ恐れるのだ」
「以前より、ロバーツ一家と呼ばれる組織は貴族と繋がりがあると噂されております。この辺りは司法局にご確認いただいた方がよいかと思いますが、市井ではロバーツ一家相手に警備隊は役に立たないと言われております」
「そのようなことが……」と呆れ、
「私のところにそのような報告は来ていないぞ。司法局の者たちは何をしているのだ!」と言って怒りを見せる。
「今はそのことを論じますより、キタヤマ殿の安全をいかに確保するかが重要かと」
ダスティンの冷静な指摘に「そ、そうだな」と我に返り、
「我がランジー家の騎士を派遣しよう。ゴロツキどもが誰とつながっていようが、我が騎士たちならば怯むことはない」
「それがよろしいかと。では、私は騎士の方々とキタヤマ殿の店に戻りたいと思います」
「いや、これより陛下のところに向かう。君も同行し、陛下に直接報告してくれたまえ」
「この時間からでございますか?」と、今まで冷静だったダスティンが驚く。
帝国の侵攻や迷宮で
「陛下はキタヤマ殿のことを常に気に掛けておられる。明日の朝では遅いと叱責される可能性すらある」
それだけ言うと、ベルを鳴らして家宰を呼び出す。
「これより王宮に向かう。すぐに準備を頼む」
ダスティンはそこで初めて自分が普段着であることに気づいた。本来、伯爵に会うだけでも不敬ととられてもおかしくない格好であり、まして国王に会うことなど考えられないと思ったのだ。
「私も家に戻り、直ちに準備を……」と言いかけるが、
「時間がない。我が家にある服を用意させる」
慌てて着替えを行い、すぐに王宮に向かった。
既に午後十時を過ぎており、ゴーレム馬車の車輪と蹄の音に、何が起きたのかと慌てた様子で窓を開ける姿が多く見られた。
王宮に入ると、すぐに国王の私室に向かう。
案内する侍従長は内務卿という重鎮が慌てた様子でいることに、大きな政変ないしスタンピードが発生したのではないかと不安に思いながら静かな王宮を歩いていく。
国王はガウン姿で二人を迎えた。
「何が起きたのだ?」
その問いにランジーが静かに答える。
「キタヤマ殿が暴漢に襲われました」
その言葉に国王は思わず立ち上がる。
「幸いキタヤマ殿は軽傷で、連絡を受けたノードリーの手配した治癒師によって完治しております」
「それはよかった」といってソファに座る。
「襲った者はブルートンに巣食うロバーツ一家なる無頼の徒とのことです」
「ならば、その者らを捕えよ。流れ人に危害を加えることは重罪。厳正に処分せよ」
「お言葉なれど、ことはそれほど単純ではございません」
ランジーの言葉に「どういうことなのだ」と説明を求める。
「まずはことの経緯をノードリーより説明させます。ノードリー、陛下にご説明せよ」
ダスティンはランジーに語ったことを繰り返した。
説明が終わったところで、ランジーが引き継ぐ。
「誰かは分かりませぬが、貴族が絡んでおります。まずは背後関係を洗い出し、なぜキタヤマ殿を襲ったのかを突き止めねば、再びこのようなことが起きるのではないかと危惧しております」
そこで国王は暫し沈黙し、
「分かった。ゴロツキどもを処分しても元から断たねばならぬということだな。それにしても誰が裏で糸を引いているのだ? フォーテスキューにしてもウィスタウィックにしても、キタヤマ殿を襲う意味はない……」
政敵であるフォーテスキュー侯爵やウィスタウィック侯爵を真っ先に疑ったが、すぐに考えを改める。
「今はそれを考えている時ではないな。調べればわかることだ。ランジーよ。本件に関して全権を委ねる。白騎士団を使うことも許す。徹底的に調べるのだ」
「はっ!」とランジーは頭を下げる。
「ノードリー。此度の対応、褒めて遣わす。よくやった。今後もキタヤマ殿のことを頼んだぞ」
「はっ! 我が身に代えましても!」
ランジーとダスティンは国王への謁見を済ませると、そのまま内務省に向かった。
当直の役人が慌てて出迎えるが、二人は無言のまま内務卿の執務室に向かう。
残された役人は「何があったんだ……」と呆然と見送っていた。
執務室に入ると、すぐに協議を始めた。
「まずはロバーツ一家なるゴロツキどもを捕えねばならん。白騎士団には明朝、陛下のお言葉を伝えるが、奴らの情報が分からんと動きようがない」
「司法局であれば情報を持っていると思いますが、この時間では……」
日付が変わる直前であり、ダスティンはいないと言おうとしたが、ランジーはその言葉を遮り、
「ならば局長を呼び出せばよい」と言って、机の上にあるベルを鳴らす。
当直の官僚が現れ、「御用でございますか?」と聞くと、すぐに司法局長を呼び出すよう命じた。官僚はランジーが国王に謁見したことから重大な案件だと判断し、聞き返すことなく出ていった。
「司法局長が来るまで時間がある。それまでに明日の計画を立ててしまうぞ」
そう言って話し始めた。
「まず、王宮内に内通者がいるという前提で計画を立てねばならん。誰がそのロバーツ一家なる、ならず者どもとつながっているか分からぬのだからな……」
ランジーとダスティンが協議を始めて1時間ほど経った時、司法局長が息を切らせて入ってきた。
「緊急の案件と聞きましたが」
「うむ。最初に言っておくが、今回のことは陛下より直々に命じられた最重要案件である。そのことを肝に銘じて対応せよ」
その言葉に司法局長は居住まいを正す。
「流れ人であるジン・キタヤマ殿がロバーツ一家なるゴロツキどもに襲われた。幸い、ノードリーが適切に処置をしたからキタヤマ殿の命に別状はないが、もしキタヤマ殿が命を落とすようなことがあれば、王都の治安に関係する者すべてが厳罰を受けたことだろう……」
司法局長は一瞬怯えた表情を見せたが、すぐに「ごもっともなことかと」と頷く。
「まずはロバーツ一家なる者らについての情報を教えてくれ。奴らがどこに巣食い、誰とつながっておるのか」
その問いに対し、司法局長は困惑の表情を浮かべる。
「ロバーツ一家なる者たちは商業地区の一画、貴族街との境辺りに拠点を設けております。しかしながら、誰とつながっているかとのご下問に対して、どうお答えしてよいものやら……」
「知っていて答えぬのか。それとも知らぬのか。いずれだ?」
「そ、それは……」
そのやり取りにダスティンは司法局長が知っていると直感する。
「このままでは局長も処断の対象となりますぞ」と言って脅す。
同じ局長とはいえ、平民の出で格下であるダスティンに高圧的に言われ、司法局長は顔を赤くする。
「貴様に言われる筋合いはない!」
「いや、ノードリーの申す通りだ。司法を担当する局長がならず者と関わっている者を庇うのであれば、厳正に対処せねばならん。これは陛下の勅命でもあるからな」
ランジーにそう言われて、司法局長は諦めの表情を浮かべ、
「クロトー伯爵が関与しているとの噂をよく耳にいたします。しかしながら、あくまで噂であって、証拠がございません」
「クロトー伯か……」とランジー伯は呟く。
デューク・クロトー伯爵はウィスタウィック派の重要人物で、ランジーも以前から悪い噂を耳にしていた。商人たちから不正に金を集めているという話や男爵以下の下級貴族に対し、法外な利息で金を貸し、領地の運営権や子女を奪っているという話だった。
噂を耳にしていたものの、被害者に確認するが、誰もが口を噤み、糾弾することができなかった。
また、トーレス王国内の三大派閥の一つ、ウィスタウィック侯爵の娘婿であり、証拠不十分なまま不用意に告発すれば、手痛い反撃を受ける可能性があり、手を出すことを躊躇していた。
「今回の件は王家への、いや王国への反逆に等しい。陛下が賓客として遇するとされた有用な流れ人を害そうとしたのだからな」
そこで司法局長の目を鋭く見る。
「ロバーツ一家なる者どもを一網打尽にする。実行は白騎士団にやってもらうが、君には捕えねばならん者のリストを作ってもらう。期限は明日の朝八時、いや、既に日付が変わっておるから、今日の朝八時だな。大至急取り掛かれ!」
「あ、朝八時まででございますか! 時間が足りません!」
「当直の者に担当者を呼び出させよ。遅れれば敵に気づかれる。必ず間に合わせるのだ!」
「しかし!」
「貴様もならず者の仲間として処分されたいのか! 今回の件は司法局の失態でもあるのだ! グズグズ言わずにすぐに取り掛かれ!」
普段温厚なランジーが激怒しており、司法局長は「直ちに!」と言って逃げるようにして執務室から出ていった。
「そなたは下がってよい。この件は私が直接指揮を執る」
ダスティンは自分の権限外のことであり、頷くしかなかった。
「何かあれば、すぐに閣下に連絡できるよう、私はキタヤマ殿のところで待機いたします」
「うむ。それがよいな。では、キタヤマ殿のこと、頼んだぞ」
ダスティンは執務室を出ると、その足で家に立ち寄り、妻イルマに事情を説明する。
「……というわけで、夜が明けても家を出るな。ここまで被害が及ぶとは思わないが、相手はマフィアだ。何をするか分からんからな」
それだけ言うと、着替えなどを持ち、ジンの店に向かった。
夜が明ける直前の午前六時前。
ランジー伯の下にロバーツ一家に関する情報が次々と届けられる。司法局の担当者がロバーツ一家を潰す機会が来ることを願い、集めてあったものだった。
その情報にはロバーツ一家のボス、エリオット・ロバーツに関する情報が事細かに書かれていた。
エリオットは元
「よろしい」と満足げに頷くと、
「白騎士団に捕まえさせるが、相手は一応民間人だ。権限は君にあるのだから、司法局からも人を出してもらうぞ。今のうちに人選を済ませておくのだ」
それだけ言うと、白騎士団の詰所に向かう。
白騎士団は近衛兵ということで、王宮内に詰所があり、団長であるアンドリュー・チェンバース子爵はそこに泊まることが多いと知っていたためだ。
夜が明けたばかりの時間に内務卿という国家の重鎮が現れたことに当直の騎士は驚く。
「団長はおられるかな。おられれば、早朝で申し訳ないが、火急の用件でランジーが来ていると伝えてもらえぬか」
「はっ!」と敬礼し、白騎士は奥に向かう。
五分ほどで三十代後半の偉丈夫、チェンバース子爵が現れた。
「火急のご用件と伺いましたが」と切り出すと、
「国王陛下に弓を引く愚か者を討伐せねばならん」
「陛下に弓を引く者ですと!」と大声を上げて立ち上がる。
「まあ、落ち着いてくれたまえ。詳しく話そう……」
そう言って事の経緯を話していく。
「……というわけで、今回はウィスタウィック派が絡んでおる。陛下のご意向を無視する
最初はゴロツキを捕まえるために近衛兵たる自分たちがなぜ出動しなければならないのかと納得できなかったが、国王が白騎士団以外には任せられないと言ったと伝えると、「なるほど」と言って大きく頷いた。
「赤騎士団が役に立たぬから、陛下の盾にして剣である我ら白騎士団が選ばれたということですな」
「その通り。陛下も貴公らならばと、絶対の信頼を置いておられた」
「謹んでお受けします。すぐに出動準備を行います」
チェンバースは部下の大隊長を呼び、200名の精鋭を用意させた。
そして、司法局の役人と共にロバーツ一家の拠点を急襲する。
元シーカーや傭兵を50人以上も擁する武闘派のロバーツ一家だったが、精鋭である白騎士団による奇襲になすすべもなく捕らえられるか、抵抗して斬り殺された。
ボスであるエリオットはレベル380の
ブルートンで最も厄介なマフィアと呼ばれたロバーツ一家は僅か一時間で壊滅した。
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