第35話「ジン、政争に巻き込まれる」

 ならず者に殴られた夜、気づくとダスティン・ノードリーやフィル・ソーンダイク、マリー・ベイカーだけでなく、二十人ほどの兵士が俺の店にいた。

 兵士は内務卿であるランジー伯爵家の騎士に率いられており、ダスティンがランジー伯と交渉し、護衛として送り込んだと教えてくれた。


「ここまで大ごとにしなくてもよかったんじゃないですか?」


 俺がそういうと、ダスティンは大きく首を横に振り、


「ことはジンさんに対する恐喝という話ではなくなっています。上級貴族を巻き込んだ政争なのです」


「ど、どういうことですか? 政争って……」と驚きのあまり言葉を失う。


「ジンさんを殴った奴はブルートンに巣食うマフィア、ロバーツ一家の者です。そいつらなんですが、ウィスタウィック派の貴族、クロトー伯爵の命令で動いているようなのです。つまり、陛下が保護すると明言されたジンさんに対し、ウィスタウィック侯爵家が攻撃を仕掛けてきたという話のようなのです」


 ウィスタウィック侯爵はフォーテスキュー侯爵と並び、大きな派閥の領袖だ。この国の権力分布だが、ざっくり言って王家35パーセント、フォーテスキュー侯爵派25パーセント、ウィスタウィック侯爵派25パーセント、その他15パーセントいう感じで、ウィスタウィック派は小さくない影響力を持っている。


 ウィスタウィック侯爵領は王国の南東に位置し、大陸最大の国家アレミア帝国に近く、何度も独立しようとした前科があるらしく、特に警戒が必要な存在らしい。


「そのウィスタウィック侯爵家が私を狙って何になるんですか? 流れ人とはいえ、ただの料理人なんですよ、私は」


「彼らの目的についてはよく分かっていません。少なくとも陛下の権威に泥を塗る行為であることは間違いありません」


「分からないでもないですけど……」


「明日というか、今日の朝にはロバーツ一家の連中を捕えるので、目的は分かるはずです。いえ、閣下が必ず解明してくださるでしょう」


 ランジー伯は国王ヘンリーの命を受け、近衛兵である白騎士団を使うらしい。

 白騎士団は近衛兵でもあるが、縁故ではなく実力でしか入れない精鋭だ。国王に対し絶対的な忠誠を誓っているから、失敗はあり得ないということだった。


 やくざが脅してきたというありふれた事件だと思っていたら、訳の分からない方向に向かっており、困惑を隠せない。


「でも、よかったです。国王陛下のご命令なら、これ以上ジンさんに何か起きることはありませんから」


 マリーはそう言って安堵の表情を浮かべる。


「いずれにしても今日は臨時休業として、店から一歩も出ないでください」


「それは構いませんが……マリーはどうしたら?」


「今日は一日、ここにいます」


 彼女の一人娘ケイトのことが気になる。


「ケイトちゃんのことは?」


 その問いに対し、ダスティンが代わりに答える。


「下手に動かない方がいいでしょう。奴らがマリーさんの家まで知っているとは思いませんが、つけられたら大変ですから。フィルに事情を説明させにいきますから、心配は無用です」


 言わんとすることは分かるので、それ以上何も言わないことにした。


 夜が明けたが開店準備をする必要もなく、することがない。


「護衛の皆さんに食事でも作ろうか」と弟子のジェイク・スティールに声を掛ける。


「分かりました!」


 それに対し、マリーが「昨日の怪我は大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いてくる。


「大丈夫だ。治癒魔術で完全に治っているし、一晩寝たから疲れもない」


「分かりました。では、何を作りますか?」


「そうだな。今日出す予定だったランチ用の定食でも出すか。朝飯にはちょっと重いが、若い人が多いから大丈夫だろう」


 ということで準備していた定食を作っていく。

 ご飯は昨夜使う予定だったものが収納袋マジックバッグに入れてあるため、今から炊く必要はない。


「隊長さんに数人ずつ食事に来てくださいと伝えてきてくれ」


「分かりました!」とジェイクが元気に店を出ていく。


 隊長である二十代後半の騎士が「我々は任務中ですので」と断ってきたが、


「休憩がてらに食べてください。私の感謝の気持ちでもありますから」


 そう言うと、ダスティンも俺に加勢する。


「せっかくだから食べた方がよいですよ。ジンさんの料理は陛下が絶賛されるほどのものなんですから」


「そ、そうですか……では」といい、外に出ていった。入れ替わるように五人の若い兵士が入ってくる。


「マリー、お客さんにお茶を出して」


 五人の兵士がテーブル席に座ったところで、


「何にしますか? がっつりしたものでも大丈夫ならチキン南蛮定食を出しますが」


「チキンナンバン? よく分からないけど、それで」


 最後の仕上げに揚げたての鶏もも肉を甘酢ソースにくぐらせる。独特の甘酸っぱい香りと揚げた鶏の香りが厨房に広がる。

 食べやすく切った後、千切りキャベツの上に置き、たっぷりのタルタルソースを掛ける。

 ご飯と味噌汁と共にテーブルに運ぶ。


「チキン南蛮定食です。鶏のもも肉を揚げて甘酸っぱいソースにくぐらせてから、タルタルソースを掛けたものです。ライスに合いますから、ご一緒にどうぞ」


 兵士たちは初めて見る料理に戸惑っているが、空腹にチキン南蛮の香りは効くようで、すぐにスプーンを持った。


「こいつは美味い!」と一人の兵士が声を上げる。


 他の兵士たちも美味いと言いながら食べていった。

 二十人の護衛全員が食べ終えた後、騎士が礼を言いに来た。


「実に美味でした。夜中にいきなりここに行くように言われて、外れの任務だと内心思っていましたが、これを食べられたので、大当たりの任務に変わりましたよ」


「そう言ってもらえると作った甲斐があります」


 そんな話をしていると、ダスティンが「私にも作ってもらえると嬉しいんですが」と言ってきた。


「じゃあ、我々の賄いと一緒に別の料理を作りましょう。兵士の皆さんよりは軽めのものを用意します。フィルさんもご一緒にどうぞ」


 そう言ってから出汁巻を作っていく。

 出汁巻ができたところでマジックバッグに保管してある豚汁を出し、お椀に盛る。


「豚汁定食です。豚汁はお代わりがありますから、言ってください」


 マシア共和国で手に入れたごぼうとこんにゃくがたっぷりと入った豚汁で、三十代半ばの俺にはこれくらいが朝食にはちょうどいい。


「美味いですね! 出汁巻とご飯っていうのもいいもんです」


 そう言いながら、ダスティンが満足そうに食べている。


 朝食を食べた後、ダスティンが「様子を見てきます」と言って、店を出ていった。大丈夫なのかと思わないでもないが、ランジー伯爵家の兵士が護衛に着くということで送り出している。


 やることがないので翌日の仕込みをしていく。昨日は反対したマリーだが、俺に問題がないと知って特に何も言わなかった。


 午後になり、ダスティンが戻ってきた。


「少なくともロバーツ一家は全員捕まえたようですね。暗黒魔術の使い手が尋問していますから、すぐに背後関係が分かるでしょう」


「暗黒魔術ですか」とそのオドロオドロしい響きに眉をひそめてしまう。


「どうせ処刑されるか、犯罪奴隷に落とされる奴らですから、少々手荒く扱っても問題ないんです」


 犯罪者に対する人権はないようだ。


「ゴロツキどもは一掃されましたから、マリーさんは家に帰っても問題ありません。ただ、ジンさんについては護衛がいなくなるのは不安なので、引き続きフィルに居てもらいます」


 これで何とかなりそうだと安堵する。


■■■


 ナイジェル・ランジー伯爵はロバーツ一家に対する取り調べに立ち会っていた。内務卿という閣僚がマフィアの取り調べに立ち会うこと自体異常だが、国王の勅命と言うことで誰も疑問に思っていない。


 彼の命令で暗黒魔術を使った尋問が行われ、多くのことが分かってきた。

 まず、ロバーツ一家のボス、エリオット・ロバーツは噂通り、ウィスタウィック侯爵派の重鎮、デューク・クロトー伯爵とつながっていることが確認された。


 エリオットはクロトー伯の権威を巧みに使って、日本の警察に当たる王都警備隊に強い影響力を持ち、自分たちに逆らう正義感の強い兵士を排除していた。

 警備隊を手中にしたロバーツ一家は用心棒代と称して多くの商人から金を集め、その大部分をクロトー伯に献上した。


 クロトー伯もロバーツ一家の力を利用し、男爵以下の下級貴族に圧力を掛けていた。特に若い娘がいる家に対しては、ロバーツ一家のならず者に娘を傷物にされたくなければ、ウィスタウィック侯爵に忠誠を誓うように脅している。


 ロバーツ一家の構成員にはレベル350を超える猛者が多数おり、男爵家程度の家臣では全く太刀打ちできない。また、隠密に長けた優秀な斥候職もおり、屋敷の中ですら安全とは言い難い状況だった。


 それでもウィスタウィック侯爵派に与することをよしとしない硬骨漢もいたが、その家は襲撃を受け、娘が拉致される事件まで起こしていた。

 襲われた側が告発すれば発覚したのだが、娘の身を盾に取られては膝を屈するしかなかった。


「ならず者から金を受け取っていただけでも許しがたいのに、そ奴らを使って恐喝まで行っていたとは……直ちにチェンバース団長に連絡し、クロトー伯を捕縛させよ! 伯爵が何を言おうが、証拠は揃っているから無視せよとも伝えよ!」


 更に尋問を続けていくが、肝心のジンに対する襲撃の真相が判明しない。エリオットは魔術に耐性が低い鬼人族オーガロイドではあるが、レベル380と魔銀級ミスリルランクの上位に位置する元シーカーであり、暗黒魔術がほとんど効かなかった。


 他の幹部クラスに尋問を行った結果、クロトー伯からジンを脅せと命じられたことが判明した。しかし、その意図については誰も知らなかった。


 エリオットに対する尋問が続けられる中、クロトー伯が連行されてきた。

 クロトー伯は三十代後半のスマートな感じの美男子だが、いつも浮かべている笑みを消し、ランジー伯を睨みつけている。


「ランジー殿、これは一体どういうことなのか!」


「貴殿がゴロツキどもを使って王国に対する反逆行為をしたことは明白。素直にすべてを話せば、クロトー家の取り潰しだけで済ませられるが、反抗するようならウィスタウィック家にも累が及ぶと思っておいてもらおう」


「王国への反逆行為だと! 何のことを言っているのだ!」


 無実を訴えながらも後ろ暗いことが多すぎて、声が裏返っている。


「あくまで白を切るなら、陛下およびウィスタウィック侯爵の前でこちらの証拠を見せるが、それでもよいのだな? 陛下はウィスタウィック侯爵の関与も疑っておられるが」


「侯爵閣下は関係なかろう!」と反論するが、


「関係あるかどうかは陛下がお決めになることだ。では、侯爵を呼び出してもよいというのだな」


 そこでクロトー伯は「ま、待て!」と焦りを含んだ声で止める。どの案件かが分からない状況では言い訳すらできないためだ。


「認める気になったのか?」


「王国への反逆とはいったい何のことを言っているのだ。王国の上級貴族、伯爵家の当主としてこれまで尽くしてきたと自負している。せめて、どのような容疑が掛けられているかを説明してもらわねば納得できん」


「王家が保護する流れ人を殺害し、王家に損害を与えようとした罪だ」


 クロトー伯はすぐにジンのことだと気づくが、殺すつもりなど全くなかったため、「冤罪だ!」と叫んだ。


「ロバーツ一家の主だった者が貴殿からキタヤマ殿の殺害を依頼されたと証言している。それでも白を切るつもりか」


 ランジー伯はあえて殺害という点を強調した。その言葉にクロトー伯が反応する。


「そのようなことは命じていない!」


「ほう、殺せとは命じていないが、他のことは命じたと認めるのだな」


 ランジー伯の詭弁に「い、いや、何も命じていないと……」と僅かに挙動不審になる。


「何も命じていないのであれば、やましいことは何もないはずだな。伯爵家の当主に暗黒魔術を使うのは遠慮していたが、陛下より許可をいただいているからいつでも使えるのだが」


 ランジー伯がそう言って凄むが、クロトー伯はできないと高を括り、


「やましいことは何もない」と言い放つ。


「ならば、暗黒魔術を使うことに同意するということだな。クロトー殿が自ら進んで疑惑を晴らしたいというのであれば、やりたくはないが致し方ない」


 そこで罠にはめられたことに気づき、「ま、待ってくれ」と慌てる。

 これまではウィスタウィック家との関係を巧みに使って言い逃れができたが、今回のランジー伯の対応は今までと大きく違った。そのことが彼に墓穴を掘らせた。


「暗黒魔術を使え。キタヤマ殿のことだけでなく、不正についてすべて吐かせろ」


 こうしてクロトー伯に暗黒魔術が使われ、厳しい尋問が行われた。

 自白した事実をエリオットに伝え、観念したエリオットはすべてを話した。

 ランジー伯はその結果を持ち、国王のところに向かう。


「クロトーがすべて吐きました。キタヤマ殿を脅して王都で店を出せなくさせ、ウィスタウィックに勧誘しようという策だったようです」


「ウィスタウィックに連れていくだと……侯爵は関与しておるのか!」


「残念ながら、クロトーの独断だったようです。詳細でございますが……」


 判明した事実は以下のようなものだった。

 クロトーは配下であるロバーツ一家を使い、ジンに対し嫌がらせを行わせる。


 ジンが素直に金を払えば、その後も執拗に金を要求し、店が成り立たないようにさせる。素直に払わなくても嫌がらせを続け、客が寄り付かないようにする。


 いずれにしても警備隊を掌握しているから、店は成り立たなくなり、ブルートンから出ていかざるを得なくなる。


 そこで自分が手を差し伸べ、港町であるウィスタウィックに勧誘する。ウィスタウィックは水産業が盛んなだけでなく、貿易港でもあることから食材は豊富で、ジンが気に入る可能性が高いと考えた。


「……このタイミングになったのはキタヤマ殿の性格を調べていたためのようです」


「性格を? どういうことだ?」


「キタヤマ殿は義理堅い性格であることは陛下もご理解されているかと思います」


「うむ」


「そこでクロトーはキタヤマ殿を助けた上で、ウィスタウィックの名産品である魚介類を使った料理を考えてほしいという話を持っていくつもりだったようです。そのために実際に食材を取り寄せておりました。キタヤマ殿なら助けてくれた人物が食材まで用意していたら、断ることは考えられないでしょう」


 クロトーはこの他にも多くの犯罪に関わっていることを自白した。しかし、ウィスタウィック侯爵の指示を受けたとは言わなかった。


「これだけのことをよくもやれたものだ……」と国王は呆れるが、すぐに表情を戻し、


「これは王国に属する貴族すべての責任である。貴族はその生まれによって平民より高い身分が保証されているが、それには大きな責任が伴っている。そのことを理解せぬ者は王国貴族とは認めぬ。ランジーよ、この事実を大々的に公表し、綱紀の粛正を図れ」


「はっ!」と応え、頭を下げる。


 クロトー伯爵家の当主デュークは処刑され、伯爵家は取り潰された。

 ウィスタウィック侯爵に対しては関与がなかったことが判明したが、娘婿が起こした犯罪行為に対して監督責任を問われ、当主が隠居した。また、クロトー伯爵家の領地が王家に召し上げられたため、派閥自体の力を大きく落とした。


 ロバーツ一家の主だった者たちは戦闘奴隷とされた。その多くが迷宮探索に使われ、次々と命を落としていく。


 当初、関与を疑われたマッコール商会の前商会長モーリスだが、クロトー伯爵、ロバーツ一家の双方と関係はあったものの、今回の襲撃事件には一切関与していなかった。

 そのことを問われたモーリスは以下のように答えたという。


『キタヤマ様に関わる企てが成功するはずがない。国王陛下が全力で対処されるのだから。私は同じ過ちを二度は繰り返さない』


 今回のことは“クロトー事件”と呼ばれ、王都ブルートンでは警備隊の刷新と合わせ、治安が向上した。これに対し、民たちは喝采し、王家の評判は今まで以上に上がった。


 また、貴族たちはジンに対して接触することをためらうようになった。

 これはウィスタウィック派やフォーテスキュー派だけでなく、国王派の貴族たちも含まれている。


 今まで温厚だと思われていた国王ヘンリーだが、内戦になることを恐れて手を出さなかったウィスタウィック侯爵に対し、その娘婿に禁忌に近い暗黒魔術を用いた尋問を行い、処刑している。


 その強硬な手段をためらいなく行ったことに、貴族たちは驚きを禁じ得なかった。

 そして、下手にジンに接触して国王の逆鱗に触れたら、身を守ることができないと考えたのだ。


 これは貴族だけでなく、大商人たちも同様だった。それまでは何とか伝手を作ろうと考えていたが、今回の件でジンに対するアプローチが危険であると思い至った。


 その結果、ジンは貴族や大商人からの干渉を受けることがなくなった。

 ジンはその後、平穏な日々を手に入れることになる。

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