第51話「閑話:フォーテスキュー侯爵」
私ネイハム・フォーテスキューはジン・キタヤマの店から屋敷に帰る馬車の中で、今日の食事のことを思い返していた。
(陛下が自慢するだけのことはある。確かに超一流の料理人であったな……)
今回、キタヤマに我が領内のワインに合う“ワショク”を作るように依頼した。
当初の目的は陛下自慢の料理人に恥を掻かせ、現在進められている新たな産業作りという政策の主導権を、我がフォーテスキュー家が王家から奪うことだった。
もちろん、不当に貶めるつもりはなかった。
私もフォーテスキュー侯爵家の当主として、そして美食家としてのプライドがある。
第一、食や酒に関する産業を興す責任者になろうというのに、正当な評価ができないという噂が立てば、新たな産業どころか、ワインの名産地と名高い我が領地の運営にも支障が出るだろう。
相手に言い訳ができないように万全の状態で料理を作らせ、誰からも後ろ指を指されることなく、批判するつもりだったのだ。
家臣の中には料理スキルレベル9という国内屈指の料理人が、批判されるようなものを作るはずはないという者もいたが、私はワショクというものを知っており、ワインに合わせることは至難の業だと気づいていたから不安はなかった。
確かにキタヤマの料理は今までにない繊細かつ大胆なものだ。しかし、ワショクにはある一定のルールがあり、それに縛られる。
そのルールとはカツオダシなどの魚介系の出汁と、ショーユなどの東方の調味料を使わねばならんということだ。
白ワインなら魚介系の出汁に合わせられるが、我がフォーテスキューが誇る赤ワインに魚介は合わない。また、ショーユやミソも独特の香りがあり、赤ワインに合わせられるとは思えない。
実際、キタヤマは晩餐会などでワインを合わせてきたことはなかった。彼自身、ワショクとワインが合わないことを知っているからだろう。
だから、当初は受けないのではないかと考えていた。予想通り、最初はワインの味が分からないからと断っている。
その答えは想定していたので、試飲用のワインを事前に送るというと、意外にあっさりと了承した。
私は彼が慢心していると思った。
宮廷料理長のサッカレーは我が家のワインを熟知している料理人で、彼の助けを借りれば何とかなると軽く考えたのではないかと、その時は思った。
その後、キタヤマとの連絡役を申し付けたバーソロミュー・ルティエンス男爵が私にこう言ってきた。
「キタヤマ殿は思った以上にワインの知識を持っているようです。貶めることだけではなく、彼の知識を活用することも視野に入れられてはいかがでしょうか?」
「ワインの知識を持っているだと? どういうことだ?」
バーソロミューは一歳違いで、私に30年以上仕えており、家臣の中では最も気心が知れている。
バーソロミューは今まで一度も確証もなく私に進言したことはなかった。
また、彼には王都の屋敷の管理を任せており、王家に関する情報収集に当たらせている。つまり、私の知らない情報を得ている可能性が高いということだ。
「あの者が陛下の推進するサケ造りに協力していることは閣下もご存じかと思います。その関係者から聞いた話なのですが、サケはもちろん、ワイン造りについても詳しく、サケ造りの職人にワインの造り方との違いを説明していたそうです」
「ワインについても素人ではないということか。そのキタヤマがこの話を受けたということは勝算があると思ったからだと言いたいのだな」
「左様です。他にもトーレス料理の料理人では思いつかぬような料理を作ってくることは間違いございません。ワインに合う新しい料理ができたのならば、それを領地の発展に役立てるべきではないかと愚考いたします」
バーソロミューの言うことはもっともだ。
貶めようとして失敗すれば恥を掻くのは私の方だ。それならば、そのような態度は見せず、領地の発展のために依頼したということにして、成功すればその成果を活用し、失敗したら貶めることに使えばよい。
そのことはバーソロミューと腹心の一部にしか告げず、一族の者や他の家臣たちには領地発展のためにキタヤマの協力を取り付けるという方針だと説明する。
これに反発したのが嫡男のノーマンだ。
「国王のお気に入りに取り入るのですか! 王国一の貴族であるフォーテスキュー家の当主である父上が!」
感情に任せてそう言ってきた。
ノーマンはまだ23歳で、いささか思慮が足りぬ。頭自体は悪くないのだが、感情が先行してしまうのだ。
「取り入るのではない。利用するのだ。お気に入りが我が領の発展に寄与したと知れば、陛下はさぞ複雑な思いをされるだろうな」
そう言って息子を宥めるが、納得した様子がない。
「成功すれば我が家に益があり、失敗しても陛下が恥を掻くだけだ。何も問題なかろう」
「ならば、恥を掻かせるように動くべきではありませんか!」
「それで得られるものは何だ?」と聞くが、顔を赤くしているだけですぐに答えが返ってこない。
「感情に任せて敵対しても得られるものは少ないぞ。それどころか、漁夫の利を狙われるかもしれんのだ」
漁夫の利という言葉で、「ウィスタウィックか……」と呟くが、一度熱くなった感情はすぐには収まらないらしく、不機嫌そうな顔をしている。
ウィスタウィック侯爵家が介入してくる可能性は高くないが、6年前の失態を取り返そうと動く可能性は否定できない。そのことに気づいただけでもよしとしよう。
「成功すると決まったわけではないのだ。渡したワインを思い出してみろ。あれだけのバリエーションのワインにまともに合わせられるとは思えん」
「父上は最初からそれを狙っておいでなのですか」と絞り出すような声で聞いてきた。
「そのような大人げないことはせぬよ。ただ、できずともおかしな話ではなかろう。トーレス料理の料理人であれば別だが、スールジア料理の料理人でも半数も合わせられぬと思っておるだけだ」
スールジア料理はバリエーションに富んでいるが、ワインだけに特化されると合う料理は限定される。そのため、コース料理にしようとすれば、かなり苦労するはずだ。ワショクのすべてを知っているわけではないが、王宮で味わった限りではそれほど種類があるとは思えない。
そして当日を迎えた。
店に入ると、今までにない作りに純粋に感心した。特に目の前で料理をしたものをそのまま出せるというスタイルはトーレス料理にはない斬新さだ。
そのことにノーマンが文句を言っていたが、侯爵家の嫡男としては狭量すぎると眉をひそめてしまった。
料理が出されるが、それ以前にホールスタッフの動きが洗練されていることに驚く。恐らくサッカレー辺りが手を回したのだろうが、気配りはほぼ満点で、少し話をするだけでも十分な知識を持っていることが分かった。それ以上にキタヤマのことを心から敬っている感じがヒシヒシと伝わり、それだけでもこの店の評価は高いと思ったほどだ。
料理については正直脱帽した。
晩餐会などで何度も食べているスシやテンプラはもちろん美味かった。しかし、それ以上に感心したのは、濃厚な白ワインに合わせた焼き魚だ。
あの白ワインは罠と言っていい。
普通に合わせるなら豚やオークの肉か、ムニエルのようなバターをたっぷり使った魚料理になる。つまり、メイン料理に合わせることになるのだが、そうなると、我がフォーテスキューが誇る赤ワインと被ってしまう。
赤ワインをメインから外すという選択肢もあるが、それはそれで難しい。
何といっても今回は我が領内でも最高品質のものを選んでいる。前菜に合わせるにしても濃厚なテリーヌやパテ、もしくはローストビーフになる。
和食でそれに該当するものは牛肉のタタキという料理だが、あれはローストビーフよりあっさりとしたソースを使うから、今回の赤ワインに合わせることは難しいはずだ。そうなると必然的に赤ワインはメイン料理に合わせることになる。
つまり、あの白ワインは今回使えぬと予想していたのだ。
しかし、“鯛のサイキョウヤキ”なる料理に合わせてきた。
サイキョウヤキはミソで漬けた魚を焼く料理だそうで、脂ののった白身の魚にミソの塩気と甘さが加わり、思った以上に濃厚だった。
そのため、あのどっしりと重く樽の香りが強い白ワインに負けることなく、香りと味を引き出していた。
バターのコクではなく、魚本来のコクを引き出してワインに合わせてきたことに驚嘆したのだ。
モツニコミなる料理にも驚かされた。
最初は内臓と聞き、思わず眉をひそめてしまったが、あれほど美味な料理だとは想像もできなかった。それだけではなく、渋みと酸味が強い若い赤ワインに見事に合っていた。
そして、最後に出てきた貴腐ワインのあては想像もつかないものだった。
キタヤマの作る料理のデザートはほとんどの場合、フルーツだったから、スパークリングワインを出してくると思っていたのだ。
だから、貴腐ワインを出してくることはあるまいと思っていた。
しかし、貴腐ワインが出され、更に豆を甘く煮たものに小麦粉を付けて焼いたものと聞かされた時には、どのような味になるのか全く想像できなかった。
その意外性にまともなコメントができなかったほどだ。
キタヤマを貶めるということに固執しなくてよかったと心底思った。もし、そんなことをしたら恥を掻いたのは間違いなく私の方だ。
他に客はいないとはいえ、従業員は見ているし、内務卿の腹心、産業振興局長のノードリーとキタヤマは
まず間違いなく陛下の耳に入るから、何かの折に皮肉の一つでも言われたかもしれない。
そう考えると、我が領内のワインに合う新たな料理の可能性を探るということにしたことは僥倖だった。
彼の知識と料理センスは世界でも有数のものだ。そのような者と知遇を得られたことは十分に今回の成果と言える。
息子のノーマンはともかく、私に対する彼の印象は悪くないはずだ。今後、この店に顔を出し、少しずつ接近していけば、王家から我が家に鞍替えさせることも可能だろう。
馬車に揺られながら、不機嫌そうな顔のノーマンに料理についての印象を聞いてみた。大した理由はないが、結局最後まで美味いと言わなかったので、実際どうなのか聞いてみようと思ったのだ。
「どう思った、キタヤマの料理は」
息子は僅かに顔を歪めると、私の予想していなかった言葉を発した。
「あれほどとは思いませんでした。我が家にぜひとも招きたいと思ったほどです」
「招きたいと思った? それにしては不機嫌そうな顔だが」
「父上の言葉を信じればよかったと思って反省しているのです。自分の狭量さに嫌になっていると言ってもいいかもしれません」
息子はキタヤマに対する態度の取り方を間違えたことを気にしているらしい。しかし、プライドが邪魔をして素直になれなかったことを後悔しているようだ。
「ならば、また食べに行けばよいではないか。あの男は恐らくそれほど気にしておらんぞ。まあ、弟子や従業員は気にしているだろうがな」
「そうでしょうか?」
「あの者はプロの料理人だ。お前が美味いと思っていたことも分かっていよう。それに他の客に迷惑を掛けたのなら別だが、あの者は狭量ではない。素直に美味いものを食したいといって店に行けば、受け入れてくれるはずだ」
バーソロミューの調査で分かったことだが、キタヤマは思った以上に器の大きな男だ。
弟子だけでなく、他の料理人にも惜しげもなく自分の技術を教えていると聞いた。また、客が味付けに不満を言っても、気にすることなく、別の味付けや調理法のものを少量出して好みを確認するそうだ。そのため、客たちも割と好き勝手なことを言っているらしい。
そのことを教えると、ノーマンは表情を緩めた。
「そうなのですか。ならば、近いうちに一度行ってみようと思います」
「その時は私も一緒に行くぞ。何といってもサケに合わせたワショクを食さねばならんのだからな」
それから半月ほど経った頃、再びキタヤマの店に行った。予約は入れたものの貸し切りではなく、店に入ったのは私とノーマンの2人だけだ。
さすがにカウンターではなく、個室に案内されたが、そこで食した料理は至高のものだった。
「陛下が手放さないというのも分かりますね」と、サケの入った小さな器を口に付けながらノーマンが言ってきた。
「そうだな。何とか我がフォーテスキュー侯爵家に来てもらいたいものだが、難しかろう。こちらから顔を出して、懇意になる方がよいかもしれんな」
「その役目、私にさせていただけませんか」と言ってきた。
しかし、私は首を横に振る。
「駄目だ。私とて彼の料理を味わいたい」
「父上も同じことを考えていたのですね」と笑った。
その後、サケについていろいろと聞いた。
「我が領内でもサケが作れると思うか?」
私の問いにキタヤマは「見てみないことには分かりません」と答えたので、
「一度来てくれぬか。ワインの醸造所も見せてやるぞ」と誘ってみた。
「いつか機会があればお願いしたいですが、今は店と酒造りで手一杯なもので……」
見事に断られた。
それでも諦めるつもりはない。
我がフォーテスキューが美食の町と呼ばれるようにするためには、この男の力が必要だからだ。
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