第52話「ジン、頂点に立つ」

 大陸暦1082年2月26日。


“和食屋 北山”をオープンして9年が過ぎた。

 店は順調だし、子供たちもすくすくと育ち、充実した毎日を過ごしている。


 本店の手が足りなくなってきたことから、弟子を増やした。

 本店ではフランク、サイモン、ジョーの他に新たに3人、ジェイクが仕切っている問屋街店でも2人を雇い、結構な大所帯になった。


 増やした理由はフランクとサイモンがそろそろ独立してもおかしくないためだ。

 フランクは1年半ほど前の1079年8月に料理スキルが7になった。僅か23歳ということで、宮廷料理長のレナルド・サッカレー氏が驚いていた。

 レベル7は一流と呼ばれ、ここブルートンでも数えるほどしかいないそうだ。


「しかし、ジェイク君といい、フランク君といい、よい師に恵まれて羨ましい限りです。次はサイモン君ですな。ハハハ!」


 サッカレー料理長がそう言っていたが、サイモンもつい先月にレベルが7になった。彼もまだ24歳で、これにはサッカレー料理長も驚くより呆れていた。


「20代の弟子が3人もレベル7ですか!……レベル7の料理人を3人も抱えているのはこの店とトーレス王宮以外にはないでしょう。2店舗あるとはいえ、贅沢の極みですよ」


 言われるまでもなく、ありがたいと思っている。3人がいてくれるお陰で、ずいぶん助かっているからだ。


 ジェイクを含め、彼らがいつ独立してもいいように、彼らの開店資金は準備してある。安い給料で働いてくれているのだから、独立する際は退職金として渡そうと思っているためだ。


 フランクとサイモンはこの店で修業を続けたいと言っており、すぐに独立することはないと思うが、俺の経験上、勢いで店を持つということはあり得る話なので、彼らがいなくなってもいいように次の世代を育てなければならない。


 4番目の弟子であるジョーは3年半ほど前に弟子入りから地道に努力し、料理スキルレベルは5になっている。時々だが板場に立たせており、自信も付いてきている感じだ。


 弟子たちの成長に釣られたわけでもないだろうが、俺もついにレベル10になった。

 気づいたのは昨日だが、レベルが確認できるパーソナルカードを半年ほど見ていなかったので、実際いつ上がったのかは分かっていない。


 レベルが上がったことを妻のマリーに言うと、


「本当ですか! おめでとうございます! 早速お祝いを……いえ、その前にダスティンさんたちに報告ですね! 国王陛下にも……」


 本人より舞い上がり、いつもの落ち着いた感じが完全になくなっていた。


「まあ、落ち着け」と言うが、全く効果がない。


「落ち着いてなんていられませんよ! 恐らくですけど、史上初めての料理スキル10なんですから! やっぱりダスティンさんに報告しないと!」


 そう言って夜だというのにダスティンのところに行こうとしたほどだ。

 何とか説得し、朝まで待ってもらったが、夜が明けるとすぐにダスティンの家に行ってしまった。

 1時間もしないうちにダスティンがやってきて、朝の挨拶もなく、いきなり俺の両手を取り、


「おめでとうございます! ジンさん! ついにやりましたね!」と興奮気味に言ってきた。


「あ、ありがとうございます……」


 と答えるものの、俺としてはようやく上がったかという程度の感慨しかなく、興奮している彼らの姿を見て、半ば呆れているほどだ。


「では、私は内務卿閣下に報告に行ってきます! 王宮から呼び出しがあると思いますので、準備しておいてくださいね」


 それだけ言うと、俺が疑問を口にする前に走り去ってしまった。


「陛下に謁見ってことか? いくらなんでも今日はないだろう」と独り言を言うと、マリーが「そんなことないと思いますよ」と否定する。


「たかが個人のスキルレベルが上がっただけだぞ」


 俺の言葉にマリーは呆れた顔をしたが、すぐに何かに気づき、納得した表情になる。


「あなたは流れ人でしたね。そのことを忘れていました。これがどれだけ凄いことか分かっていらっしゃらなくても仕方ありませんね」


 やや冷静さを取り戻したのか、説明を始める。


「戦いや魔術に関するスキルは上がりやすいのですが、一般的な技術に関するスキルは上がりにくいんです」


「それは聞いているが」


「技術のスキルは実質的な上限は9と言われています。仕事が大好きなことで有名なドワーフの鍛冶師であっても10になったという話は聞いたことがないんです」


 ドワーフは酒を愛する種族だが、仕事も同じくらい好きな種族と言われている。特に鍛冶師は常に自らの技量を上げることに喜びを感じ、普人族ヒュームの鍛冶師では到達できない高みにまで技量を上げている。


「そうなのか? ドワーフの寿命は俺たちの3倍以上なんだろ。10まで上がってもおかしくないと思うんだが」


 ドワーフの寿命は300年ほどと言われている。15歳から働き始めるとして、200年以上働ける。ヒュームの場合、65歳まで働いたとしても50年だから、時間は4倍もあるのだ。そう考えると、上限に達する者がいてもおかしくないと思える。


「そうですけど、レベル8でほとんど止まってしまうそうなんです。それに寿命のことを言ったらエルフの方が長いんですけど、それでもレベル10に達した人がいるという話は聞いたことがありません」


 エルフの寿命は千年と言われており、ヒュームの10倍だ。森で暮らしているイメージが強いが、意外に町で暮らしている者が多いらしい。その中にはウイスキー造りの職人もいるが、彼らのレベルも9に上がることすら稀なことらしい。


「そう考えるとレベル10っていうのは、何か別の要因があるのかもしれないな」という感想が口を突く。


「だから、神様が特別に授けるんじゃないかって言われているくらいなんですよ!」とマリーに言われてしまう。


 そう言われても俺に実感はなく、レベル10になったから劇的に腕が上がったとも思えない。日本にいた方が恐らくもっと腕を上げられただろうなと思うくらいだ。


 店に行くと、マリーに話を聞いた、弟子やスタッフたちが祝福してくれる。

 更に問屋街店のジェイクもわざわざ来てくれ、祝いの言葉を掛けてくれた。


「おめでとうございます! こんな凄い師匠に教えてもらえて、本当に光栄です!」


 俺としては未だに理解できないが、とりあえず感謝の言葉を返していく。


「ありがとう。だが、このことはできるだけ広めないでほしい」と頼む。


「なぜですか?」と弟子のサイモンが聞いてきた。


「俺の料理をレベルで判断してもらいたくないんだ。美味いか不味いかは人それぞれだ。数字を聞いて美味いと思われても全然嬉しくないからな」


 俺の言葉に皆が呆れていたが、それでもマリーが「そういうことでしたら、できるだけ言わないようにしましょう」と言ったので、渋々ながらも納得してくれた。


 そろそろ仕込みをしようと思った午前10時頃、店の前に馬車が止まる音がした。

 内務卿のランジー伯爵が興奮した顔で店に入ってきた。


「聞きましたぞ! ついにレベル10になられたとか! 誠にめでたい!」


「あ、ありがとうございます。しかし、そのためにわざわざ来られたのですか?」


「何をおっしゃるのだ! 歴史的な偉業なのですぞ! 既に陛下にも報告しております。陛下も大層お喜びで、お時間があれば是非とも王宮に来ていただきたいとおっしゃっておられましたぞ!」


「陛下に謁見ですか……すぐに行った方がいいんでしょうか?」


「可能であれば、是非ともお願いいたしたい」


 ランチの営業はフランクとサイモンに任せ、俺は正装に着替えて、ランジー伯とダスティンと共に王宮に向かった。


■■■


 国王ヘンリーはランジー伯からジンの料理スキルがレベル10になったという報告を聞き、「真か!」と言って驚く。


「ノードリーがキタヤマ殿より直接確認しております。ノードリーによれば、キタヤマ殿は淡々とそのことを認め、さほど重要だと考えておらぬようです。キタヤマ殿の性格と合わせて考えるなら、間違いないかと」


「これほどの偉業であるにもかかわらず、そのことに気づいておらぬのか……キタヤマ殿らしいと言えばその通りなのだが」


 そう言って国王は苦笑するが、すぐに表情を切り替え、興奮気味にランジー伯に命じた。


「この事実は大々的に公表せねばならん。史上初の料理スキル上限到達者が我が国で生まれたことを国内のみならず、各国に通達せよ。美食の国、トーレス王国の名声を更に高めるのだ!」


「御意にございます」とランジー伯は頭を下げるが、すぐには動かなかった。


 そして顔を上げ、「キタヤマ殿に謁見いただき、彼の意向を確認した方がよいのではないでしょうか」と提案する。


 そこで国王も興奮が少し冷め、


「確かにそうだな。彼は目立つことを嫌う。ここで心証を悪くして我が国から出ていかれては困るからな」


 ランジー伯はそれに「御意」と頭を下げると、


「これよりキタヤマ殿に会ってまいります。書記官長には午前中の予定はすべてキャンセルするよう伝えますが、よろしいでしょうか」


「構わぬ。本件が最優先事項であるからな」


 ランジー伯が出ていくと、国王はこれからの戦略を考え始めた。


(彼の名声を活用し、美食の国、美食の都としての地位を確固たるものにせねばならん。そのためにすべきことは何か……うむ。国内の貴族、各国の大使を集め、披露パーティを行ってもよいかもしれぬな……問題は受けてくれるかということだな……)


 そんなことを考えていると、王太子ジェームズが執務室に現れた。


「午前中の政務をすべて取り止めたと聞きましたが、何かございましたか」


「キタヤマ殿がついにやってくれた。料理スキルのレベルが10になったのだ」


「なんと! それは真でしょうか!」


「間違いないようだ。今、ランジーがキタヤマ殿を迎えにいっておる」


 国王の答えに王太子は「私も同席させていただいてもよろしいでしょうか」と確認する。


「無論構わぬ」


「ありがとうございます。ところで、この事実をどのように活用されるおつもりか、お聞かせいただけないでしょうか」


 その問いに先ほど考えていた国内外への大々的な披露を考えていると答えた。

 その答えに対し、王太子は表情を僅かに硬くする。


「断られるのではありますまいか。キタヤマ殿はそういったことを好まぬと思いますが」


「その点はランジーも心配しておったし、余も同じ懸念を持っておる。それでどうしたものかと考えておったのだ」


「なるほど。それでキタヤマ殿を呼んだのですね」


「何かよい考えはないか」と国王が問うが、王太子にも良い案はなかった。


 午前11時頃、ランジー伯がジンを伴って執務室に戻ってきた。


「此度はスキルレベルが10に達したと聞く。誠にめでたい」


「ありがとうございます」とジンは自然体で答える。


「そこで相談があるのだが」と言って国王は切り出した。


「記録が残っている大災厄以降、料理スキルの上限に達した者は誰もおらぬ。貴殿が成し遂げたことは歴史に残る偉業なのだ。そのことを大々的に公表したいのだが、考えを聞かせてもらえぬだろうか」


 ジンはその話を聞き、表情を曇らせる。


「皆様が非常に喜んでくださることは大変ありがたいことですが、私にとってスキルレベルはそれほど重要なものとは思っておりません」


「重要なものではない? それはどういう意味かな?」


「お恥ずかしい話、スキルレベルが上がったことに気づいたのは偶然なのです」


「偶然?」と国王は思わず聞いた。


「はい。久しぶりにパーソナルカードを見て、上がっていたことに気づきました。最後に見たのは半年ほど前ですので、いつ上がったのか全く分からないのです。その間に劇的に腕が上がったり、お客様が前より満足されたりといったことはございません。ですので、私にとってはあまり意味のあるものとは思っておりません」


 そこで王太子が会話に加わった。


「しかし、陛下のおっしゃる通り、歴史的な偉業。誇るべきことだと思うのだが」


「私にとってスキルというのはあくまで数字であって、料理を食べていただくお客様に満足していただくことは別であると思っております」


「流れ人と我々との価値観の違いか……」と王太子は呟く。


「話を戻すが、大々的に公表という話は遠慮したいということかな」と国王が確認すると、ジンは大きく頷く。


「その通りでございます。私としましてはスキルレベルが9というだけで、数字に幻惑されておられる方が多いと感じております。この事実が公表されると更に増えるでしょう。ですので、できれば内密にしていただきたいと考えております」


「内密にか……」と国王は思惑が外れ、落胆の表情を浮かべる。


 ランジー伯が「よろしいでしょうか」と発言を求めた。国王がそれに頷く。


「キタヤマ殿の名は出さずに公表してはどうでしょうか? 我が国に料理スキル上限到達者が生まれたことは事実。その事実のみを公表するのです」


「それではキタヤマ殿だと分かってしまうのではないか?」と王太子が言うと、


「我が国にはサッカレーもおります。王都ではキタヤマ殿の名は知られておりますが、宮廷料理長がレベル9に上がったことは既に公表済みですので、何も言わなければ、サッカレーが上がったのだと思うのではないかと」


「うむ。サッカレーがレベル9になったのは確か5年ほど前であったな。我が王宮の料理は世界一であると大々的に公表しておる。確かに名を伏せておけば、勝手に勘違いするであろうな」


 国王はそう言って頷いた。


「これでいかがか」と王太子がジンに聞いた。


「サッカレー料理長にご迷惑が掛かるのではありませんか」


「迷惑とはならんだろう。それに貴殿の意向に沿う話だと言えば、あの者も喜んで協力してくれるのではないかな」


 国王にそう言われ、ジンは少し考えた後、


「私のわがままで皆様にご迷惑をお掛けします。ですので、私のできる範囲で協力させていただきたいと思います」


 そう言って頭を下げた。


 その後、サッカレーに話がいったが、ランジー伯からジンを守るためと言われ、即座に了承している。


「キタヤマ殿を守るためでしたら、私に異存はございません」


 後日、トーレス王国は国内外に向けて、料理スキル上限到達者が生まれたことを大々的に公表した。

 しかし、その名は公表されなかった。

 各国の大使から問い合わせが行われた際、ランジー伯はこう答えた。


「その者は我が国の至宝。勧誘はともかく、拉致などの犯罪に巻き込まれる可能性が否定できぬ以上、安全を考慮し公表は差し控えたい。一つだけ言えることは、我が王宮でその料理は味わえるということである。これ以上はどのような問い合わせにも応じられぬ」


 この言葉で多くの者がランジー伯の思惑通り、サッカレー料理長だと勘違いした。

 一部の貴族はジンがレベル10に達したと気づいていた。それでも下手に動いて国王の逆鱗に触れることを恐れ、静観を貫いた。

 これらのことにより、ジンに対する過剰な反応はほとんどなく、平穏な日々は守られた。

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