第19話「ジン、枯節に出会う」
九月二十一日。
マシア共和国の港町ヴェンノヴィアで朝を迎えた。
今日は午前中にマッコール商会の支店長と会い、午後は郊外にある酒蔵を訪問する。
顔を洗い食堂に行くと、和食に近い朝食が出てきた。
アジの干物に味噌を使った魚介のスープ、キュウリとナスの漬物。そして炊いた米だ。
「この辺りの料理を食してみたいのではないかと思い、用意したのです」
領事のコンラッド・オルグレンが人好きのする笑顔で教えてくれた。
「それはありがたいです」と礼を言い、
「この料理は私の故郷の昔ながらの朝食に近い感じですね。味噌を使ったスープにはワカメまで入っていますし」
味噌汁は魚のあらを使ったもので、ワカメとネギが入っている。もっとも家庭料理というより、海辺の旅館の朝食と言った趣だが。
「この干物は美味いですね」とダスティン・ノードリーが手づかみでアジを頬張っている。
さすがにナイフ・フォークでアジの干物を食べるのは難しいようだ。
「私も早く使えるようになりたいですね」とチャーリー・オーデッツが苦戦しながら箸を使っている。
現地生活が長いコンラッドは器用に箸を使い、
「これが使えるようになると便利ですよ。特に魚を食べる時は」と言っていた。
干物は20センチほどの比較的大きめのアジで、一夜干しに近いものだ。身は柔らかく、塩味も抑え目で、大根おろしと醤油がよく合う逸品だ。
味噌汁や干物も美味いが、それ以上に美味いのは米だ。
仄かな甘みと米粒を感じながらも柔らかい食感、炊きあがったばかりの米独特の甘い香りが強い。
「しかし、この米は美味いですね。もしかして新米ですか?」と聞いてみた。
「ええ、よくお分かりですね。マーリアの
この辺りでは五月に田植えを行い、九月下旬頃に収穫するそうだが、ここより南のマーリア連邦では温暖な気候を利用し、三月下旬頃に田植えをするところがあるらしい。
「この辺りは晩夏の頃の嵐は少ないんですが、マーリア南部は八月から九月は嵐でコメがやられることが多いそうで、嵐が来る前に収穫できるコメを作っているんです。水が豊富なところでは年に二回収穫するところもあるようですが」
「二期作もあるんですね。それにしてもお詳しいですね」
俺が感心すると、コンラッドは少し照れた表情を浮かべ、
「実は聞きかじっただけの情報なんです。このコメもマッコール商会のアスキス支店長が持ってきてくれたものです。キタヤマ殿がコメ好きだと聞いて、新米を用意したと言っていました」
マッコール商会と聞いて驚く。モーリス・マッコールの行いを見ているので、こんな気遣いができるとは思わなかったためだ。
「マッコール商会のことはともかく、このコメはいいですな。香りと食感が違う。
ダスティンがそういうと、コンラッドは小さく首を横に振る。
「このコメはうちのコックじゃないんです」
「では、どなたが?」
「アスキス支店長が用意した料理人です。新米は炊くのにコツがいるそうなので」
「そうなんですか、ジンさん?」とダスティンが話を振ってきた。
「そうですね。新米は水分が多いですから、いつも通りに含水して炊くと柔らかくなりすぎることがあります。水加減と火加減を微妙に調整する必要がありますから、確かに慣れた方でないとこの味は出せないかもしれませんね」
日本の優秀な炊飯器を使っても新米を完璧に炊くには細心の注意がいる。米を洗った後の含水時間が長いと水分を含みすぎるため、含水時間と水加減の調整が非常に難しい。
「もしかして、干物とスープもアスキス支店長の提案ですか?」
「やはりお分かりになりますか」とコンラッドは笑い、
「うちのコックが泣きついてきたんです。キタヤマ殿にどんな朝食を作ればいいかと。そこでアスキス支店長に相談した結果、この料理になりました」
「なるほど。商会長とは違うようですな」とダスティンがいい、俺もそれに頷く。
「アスキス支店長の肩を持つつもりはありませんが、彼は非常に優秀な商人であり、誠実な人物でもあります。私もここに来てから何度も助けてもらっています。今回も彼から声を掛けてきたわけではなく、私の方から頼んだことなんです」
朝食で機嫌を取ろうとしたわけではなく、コンラッドの依頼に応えただけのようだ。
「悔しいですけど、本当に美味いですね」と米と漬物を交互に食べながら、チャーリーが呟く。
トーレス王国の王都ブルートンではマッコール商会に煮え湯を飲まされ続けているため、素直に認めたくないようだ。
俺もこれまでの先入観が少しだけ消えていた。
朝食を終えると、話題になっていたハンフリー・アスキスが領事館を訪れたと伝えられる。
コンラッドとダスティンと共に応接室に向かう。
護衛のフィル・ソーンダイクは安全な領事館ということで同行せず、領事館職員からここヴェンノヴィアの治安の状況などを確認する。
チャーリーは同業者ということと、商会長から嫌がらせを受け続けていることから、遠慮してもらった。
応接室に入ると、白髪交じりの壮年の男が燕尾服のような正装を身に纏い、直立不動で待っていた。その顔は日に焼けているが、整えられた髭と隙のない仕草で、有能な執事のようにも見える。
「マッコール商会ヴェンノヴィア支店を預かっております、ハンフリー・アスキスと申します。此度はお忙しい中、お時間を頂戴し、感謝の念に堪えません」
やや低いがよく通る声でそう言うと大きく頭を下げた。
「産業振興局長のダスティン・ノードリーだ。こちらはジン・キタヤマ殿。既に知っていると思うが、陛下が賓客として遇すると宣言された流れ人だ。そのつもりで対応してくれたまえ」
ダスティンはいつもの温厚さを消し、官僚モードで俺を紹介する。
「ジン・キタヤマです。朝食には大変感銘を受けました」
そう言って右手を差し出した。
ハンフリーはその手を取り、軽く握り、
「お口に合ったのであれば幸いでございます。高級なものでなく、心苦しく思っておりましたので」
「いや、あれは素晴らしい食材でした。料理人の腕もさることながら、食材の選択、保管がよかったのでしょう」
「そう言っていただけ、心が軽くなりました」
挨拶を終え、本題に入った。
コンラッドがハンフリーに「ノードリー局長とキタヤマ殿にお会いしたいと聞いているが、用件は何かな」と話を振る。
「お恥ずかしい話ですが、我が商会の中にキタヤマ様のご依頼を理解できない者がおり、ご迷惑をおかけしたと本店より連絡が入りました。ですので、キタヤマ様のご要望に可能な限り添えるよう、お求めの品を探して参りました」
どうやら危機感を持った商会長がハンフリーに指示を送ったようだ。
「それで見つかったのかな? 正直なところ、私、いや王国政府はマッコール商会に失望しておるのだ。あれほど見つからなかった“コンブ”や“シイタケ”がアーサロウゼンに到着した翌日に見つかったのだからな。他にもキタヤマ殿が探しているものの多くが、よい状態で安く売られていた。陛下の勅命を軽んじていると言わざるを得ん」
ダスティンが厳めしい顔で牽制する。
「それにつきましてはお詫びすることしかできません」と言って大きく頭を下げる。
「で、どのようなものが見つかったのだ?」
「本日、一部をお持ちしております。この場でご覧になられますか?」
ダスティンが俺に視線を送ってきたので小さく頷く。
「では見せてもらおうか」
「ありがとうございます」といい、後ろに置いてあったマジックバッグを取り、真っ白な手袋をつける。
「では、まずは“カレブシ”を……」
「枯節が見つかったんですか!」と思わず声を上げてしまった。
ハンフリーは俺の驚きに笑顔を向ける。
「はい。先日見つけることができました」と言いながら、マジックバッグから茶色かかった灰色の流線型の物体を取り出した。
「か、枯節だ」と思わず声が出る。
「これがジンさんの探していた和食の決め手となる枯節ですか。まるで木のようですな」
「おっしゃる通り、普通のカツオブシより硬く、このように高い音がします」
そう言ってもう一本取り出し、打ち合わせる。
カンカンという拍子木のような高い音が応接室に響く。
「本当に硬いのですな。これをどのように使うのですか?」とコンラッドが聞いてきた。
「
「これと普通のカツオブシの違いは何なのですか? 硬さが違うことは分かるのですが、以前見せてもらったカツオブシはもっと黒く、もう少し魚の形状が残っていたように思うのですが?」
ダスティンが質問してくる。
俺が答えようとした時、ハンフリーが「私からお答えしてもよろしいでしょうか。もし間違っておりましたら訂正していただけますか」と言ってきた。
きちんと調べていることをアピールしたいらしい。俺が頷くとすぐに説明を始める。
「私が聞いた話ではございますが、通常のカツオブシは魚の味と燻製香が強く、味、香、色ともに濃くなります。一方カレブシはカツオの旨みだけが抽出できるため、色は薄く、全体に優しい感じになります。これで合っていますでしょうか?」
「ええ、出汁の取り方でも変わりますが、一般的にはアスキスさんの説明で合っています。強いて言うなら、枯節の方が酸味が少ないという特徴もありますね」
ここで言っているカツオブシはいわゆる“荒節”のことだ。荒節は茹でた鰹を燻製し、一ヶ月ほど乾燥・熟成させた鰹節だ。普通に売っている“花かつお”はこれを削った物だ。
一方の枯節はこの荒節の表面にある燻製で付いたタール分などを丁寧に取り除き、特殊なカビを使って熟成させる。熟成期間も半年以上と長く、鰹の脂肪が分解されて旨み成分が凝縮されている。
「なるほど。これがあれば本物のワショクが作れるというのはカレブシの繊細さが必要ということなのですね」
ダスティンの言葉に大きく頷く。
「その通りです。今まで使っていた鰹節では魚の味が強すぎて田舎臭い、洗練されていない味しか出せませんでした。ですが、これとよい昆布があれば、本物の出汁が取れるんです」
枯節に出会えたことで俺のテンションは上がりっぱなしだ。
「それはよろしゅうございました。このカレブシでございますが、マーリア連邦の南部にあるヘレナという町で作っております。残念なことに知り合いの商人から譲ってもらっただけですので、どの程度の量が取引できるかなどはまだ分かっておりません」
「ちなみにこれは売ってもらえるのでしょうか? いえ、是非とも売っていただきたい」とハンフリーに詰め寄る。
「もちろんでございます。ご迷惑をお掛けしたので、原価でお譲りいたします」
「ちなみにおいくらなのでしょうか?」
「金貨一枚、百ソルとなります。まだ数量が非常に少なく、出来のいいものは非常に高価だと聞いております」
一本百ソル、日本円で一万円だ。
高級な枯節ならあり得る値段なので問題はない。しかし、マッコール商会を信用していないダスティンが疑問を呈する。
「原価? 本当に原価なのかね? マーリア連邦では魚介類は非常に安価と聞いている。これまでマッコール商会には輸送費を考えてもあり得ない値段で買わされているのだ。本当に信用していいのか?」
「もちろんです。話は変わりますが、商人にとって信用が最も重要と私は考えております。本店がご迷惑をお掛けしたことは誠に申し訳ないと思っておりますが、今の言葉に嘘偽りは一切ございません」
そう言いながらダスティンの目を真っ直ぐに見ていた。
「なるほど。ただではなく、原価で譲るのも商品に対する責任があるからということですか?」
俺がそう聞くと、ハンフリーは驚いたような表情を一瞬浮かべ、
「その通りでございます。キタヤマ様は商人の気持ちも分かっておいでなのですね」
「私も商売人の端くれでしたので。お金をいただく以上はそれに見合った質の物を提供するという責任が生じます。少なくともいただいた金額以上の満足感を与える料理を出したいと常々思っていましたので」
これは正直な思いだ。
もちろん常連にサービスで料理を出すことはあるが、お金をもらった料理に対しては常連だろうと一見だろうと、その金額に見合った満足感を与えて初めて商売が成り立つと思っている。そうは言っても必ず満足してもらえるわけではないが、その気概だけは忘れないようにしていた。
「私も同じ思いでございます。本店には今のキタヤマ様のお言葉を必ず伝え、改善させます」
見た目以上に熱い商売人魂を持っているようだ。
その後、醤油や味噌、乾燥ワカメ、干し桜エビなどの食材を見せてもらった。
「素晴らしいです。これだけあれば、私の料理が作れます」
「そのお言葉を聞き、安堵しました。ですが、ここにあるものは突貫で入手したものでございます。この先、マーリアに向かわれるのであれば、ここに書いてある場所を訪れていただければ、更に良いものが見つかるのではないかと」
そう言いながら数枚の紙を手渡してきた。
そこにはマーリア連邦の町の名と名産品、更には生産者に関する情報がびっしりと書かれていた。
「この情報の対価はいかほどかな? それとも我々と行動を共にしたいということかな?」とダスティンが警戒する。
「いえ、情報の確度も確認できておりませんので、これはあくまで参考情報であり、当商会といたしましても保証しかねます。ですので、今までの迷惑料とお考え下さい。同行についてでございますが、今回はオーデッツ商会が同行していると聞いております。商人の仁義に
思った以上に真摯な対応に本当にマッコール商会なのかと違和感が拭えない。
「分かった。君が誠実な商人であることは間違いないようだ。しかし、商会長が今のままでは王宮との取引はできなくなると思っておいてくれ」
ダスティンも俺と同じようにハンフリーのことを見直したようだ。
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