第9話「閑話:宮廷料理長レナルド・サッカレー」

 私はレナルド・サッカレー。二年前にトーレス王国宮廷料理長に就任している。


 五年前、四十二歳で料理スキルレベルが八となり、最近になってようやく美味い料理とは何かという哲学的な問題に何となく答えが見えてきたと思っていた。しかし、それがガラガラと音を立てて崩れ去った。

 流れ人、ジン・キタヤマ殿の料理を食べたからだ。


 最初にキタヤマ殿の話を聞いたのは三ヶ月ほど前の内務卿であるランジー伯爵閣下からだった。


「料理スキルレベル九という流れ人が現れたそうだ」


 レベル九と聞いて驚き、思わず「本当にレベル九なのですか?」と聞いてしまうほど衝撃を受けた。


「パーソナルカードの情報にあったと報告を受けている。間違いはないだろう」


 記録に残っている限りだが、トーレス王国でレベル九に到達した者はいない。美食の国と呼ばれるこの国の歴代宮廷料理長ですら最高はレベル八だ。


「ニホンという国から来たのでしょうか?」


「その通りだ。ニホンで料理人をやっていたそうだ」


 その言葉にその流れ人に興味を持った。

 ニホンという国は最近現れる流れ人の出身地で、飽食の国と呼ばれるほど食材に溢れ、銅貨数枚払えば世界各国の美食が簡単に味わえるという桃源郷ユートピアだそうだ。


 ここ数十年の流れ人の逸話に必ず残っている言葉がある。


『ニホンに帰って〇〇を食べたい』


 “〇〇”の部分には“ラーメン”であったり、“カツドン”であったり、“タマゴカケゴハン”であったりと様々な料理の名前が入るが、必ず“ニホンに帰って”という言葉が付く。

 最初に聞いた時には郷愁を誘われているのではと思ったが、どうやら味にうるさいところらしく、どのような料理でも最高の味を追い求める職人がいるらしい。


 先々代の料理長に直接聞いた話だが、流れ人に自分の料理を食べさせたことがあったそうだ。その時は“これほど美味いフレンチを食べたことがない”と満足したそうだが、何年後かに食べた時に、先ほどの言葉を口にしたことがあったらしい。


 理由を聞くと、“美味い料理だが、あっさりとしたショウユ味の物が食べたい”といっていたそうだ。

 ショウユはマシア共和国やマーリア連邦にある豆などを発酵させた調味料だ。独特の風味がある調味料だが、正直その美味さが分からないと言っていた。


 三ヶ月ほどその料理人、ジン・キタヤマ殿の話は聞かれなかったが、数日前に伯爵閣下が上機嫌で厨房を訪れた。


「キタヤマ殿の料理は素晴らしいものだったぞ、料理長。君には悪いが、あれほどの料理を食べたのは初めてだ」


 美食家としても有名な伯爵閣下が手放しで褒めている。

 どんな料理だったのかと尋ねたが、


「一言では言いづらいが、独特の風味と淡白でありながらも舌を満足させるコクという感じだな」


 正直なところ閣下のコメントでは全く分からない。


「明日、陛下に食べていただく予定だ。その際、君の分も用意してもらうから、食べた後で感想を聞かせてほしい」


「かしこまりました。私もレベル九の料理がどのようなものか興味がございますので楽しみです」


 正直な気持ちだ。

 料理というのは食べてみないと分からないものだ。それに自分の好みに合わなくとも、腕のいい料理人の作ったものは何かしら参考になる。


 翌日、陛下と王妃殿下、王太子殿下と王太子妃殿下という少人数の晩餐に、キタヤマ殿の料理が供された。


 料理人に過ぎない私が一緒にテーブルに着くわけにはいかないし、万が一陛下がキタヤマ殿の料理に不満を持たれた場合に私が作り直すことになるため、陛下たちの食事が終わるまでは厨房で待機し、その後に試食させてもらうことになった。


 晩餐は無事終わり、陛下を始め、王妃殿下たちも皆満足されたとランジー伯閣下から聞かされた。


 キタヤマ殿は無事に終わったことに安堵の表情を見せていたが、私の姿を見て表情を引き締める。


「では、料理長の分を出していきます」


 一品目はトマトの冷製だ。

 最初に見た時、正直がっかりしている。あまりにありきたりだし、工夫の余地がないと思ったためだ。

 しかし、一切れ口に入れると、驚きのあまり言葉が出てこなかった。


 見た目はトマトに軽く火を入れ、ソースを絡めただけのサラダに近いものだ。しかし、トマトには魚介のスープがしっかりと入り、周囲のジュレソースと一体となって一つの完成された料理になっていた。


「トマトからこれほどの旨味が出るとは……」


 部下たちにも少しずつ味を見させる。すると、私と同じように目を丸くしていた。


「差支えない範囲で結構なのだが、この料理はどのように作ったものなのだろうか」


「東方の調味料で“鰹節”というものがあります。マグロに似たカツオという魚を塩茹でし、燻製させて乾燥させたものですが、それを削って出汁、つまりスープを作ります。その中にトマトを丸ごと入れて軽く煮込み、冷ましながら味を馴染ませ、冷蔵庫で冷やしました。周りのソースはジャガイモから取ったデンプンで軽くとろみをつけています。レシピは……」


 キタヤマ殿は更にレシピまでこと細かく教えてくれた。


「では二品目です。陛下たちにはスプーンに載せて出しましたが、時間が掛かるので皿に並べさせてもらいますね」


 そう言って海老やマグロ、タコなどの海鮮を並べていく。そして、それぞれに別々のソースを掛けた。


 これも最初はサラダの具にしか見えなかった。しかし、素材とソースの組み合わせが絶妙で、全く別の五種類の料理が並んでいるかのようだ。


 海鮮については“焼く”、“煮る”が基本で、味付けもそれほどバリエーションがないと思っていた。もちろん、焼くにしても味付けでいろいろな工夫はできるし、煮るにしても他の素材との組み合わせは千差万別だが、これほど海鮮にスポットを当てる料理は初めてだった。


 三品目の大爪鳥クロールースターの照り焼きにも驚いた。

 大爪鳥は安価な魔物肉で、王宮では滅多に使わない食材だ。ここで使われる鶏肉は通常“レッサーコカトリス”で、特別な料理の時に“コカトリス”が使われる。

 その大衆的な肉を使っているにもかかわらず、満足度はコカトリスにも引けを取らない。


「照り焼きはいろいろな食材に使えるので結構便利なんです。豚肉でもいいですし、魚でも種類によっては美味しいですね。ただ、これも調味料が足りなくて簡易版でしかないんですが」


 これで簡易版なら本格的なものはどれほどの味になるのかと唖然とする。


 四品目は蕪のスープ煮だ。

 蕪は私にとっても馴染みのある野菜で、スープや煮込み料理の具材としてよく使う。ただし、蕪自体が主役になることはなく、何かの付け合わせとしてしか使わない。


 一口食べると、これほど美味い野菜だったのかと驚く。


「蕪の甘みを上手く引き出していますが、これにも“カツオだし”なるものの効果でしょうか」


「はい。ダシを上手く含ませると野菜の旨味が上がるのです。こちらの料理のポトフでも同じようにされているのではありませんか?」


「確かにその通りですね」と答えるものの、ポトフから肉を取り除いて出したとしても、これほど完成した料理になるとは思えない。


「この上に載っている茶色いソースは何なのでしょうか」


「これも東方の調味料で“味噌”というものです。豆を発酵させたもので、それに酒と砂糖で味を付けています」


 三ヶ月前に調味料が足りないから満足いくものができないと言っていた意味がよく分かった。


 五品目は目の前で揚げる“テンプラ”という料理だ。

 揚げ物自体は私も得意な方だが、その衣の付け方や形への拘りに作っている手を目で追ってしまう。


「その衣の付け方にも意味はあるのですか?」と弟子の一人が質問する。これは私も気になっていたことだ。


「ええ、衣は混ぜすぎるとグルテンができてしまってサクッとした食感にならないんです。ですから、よく冷やした水で粉が残っているくらいに軽く混ぜます。油に入れる時に花が咲くように衣を開かせると見た目も美しく、食感もよくなるのでそこに気を使いますね」


 我々の作るフリットではそこまで気にしない。衣にビールを入れて食感を変えるなどの工夫はしているが、見た目に関しては精々形が整うように並べるくらいだ。


「それにしても陛下の前で調理されたそうですが、出来立てを食べていただくためですか」


「それもありますが、料理人が作っている姿を見ながらというのも楽しいと思いませんか? こうやって作るのか、あの食材がこうなるのかと目でも楽しんでいただくためにお客様の前で調理しました。特に天ぷらは動きも音もありますから」


 そんなことは考えたことがなく、どう言っていいのか分からない。


 最後に食べた“ウナギドンブリ”なる料理はどう表現していいのか困惑する。

 独特の食欲をそそる香ばしくて甘い香り。ウナギは蕩けるように柔らかく、それでいて皮の僅かな弾力が噛むという行為を楽しませてくれる。

 それ以上にコメとの相性のよさだ。


 コメは私も使っている。但し、使い方としては具材の一つとしてとろみ付けに使う程度だ。正直、それほど美味い食材だとは思っていなかった。

 しかし、このウナギドンブリを食べた時、この料理の主役はコメだと思ったほど強い味を感じた。


「この米はマシア共和国のものだそうです。この辺りで出回っている長細いものと比べると、丸みを帯びています。味もこちらの方が甘みを感じると思います。といっても日本の米はもっと美味いのですが」


 すべての料理を食べ終え、キタヤマ殿の料理の凄さだけが印象に残った。


「さすがはレベル九の料理人ですね。脱帽です」というと、キタヤマ殿は小さく首を横に振り、


「珍しい料理だから美味く感じただけです。和食の技法というほどのものを使っているわけではありません」


「ですが、故郷とこれほど環境が違う中でこれほどの料理を出されたのです。これはあなたの腕が素晴らしいからだと思います」


「ありがとうございます」と言って、キタヤマ殿は少し照れていた。


 その後、キタヤマ殿がトーレス王家の賓客として扱われると聞かされたが、当然のことと納得した。



 翌日、ランジー伯閣下から呼び出しがあった。


「陛下がキタヤマ殿の料理の感想をお聞きになりたいそうだ。今から陛下の執務室に向かうぞ」


 いきなりのことで驚くが、陛下のご命令とあらば仕方がない。

 執務室に入ると、陛下が待っておられた。


「早速で悪いが、感想を聞かせてほしい」と陛下がおっしゃった。


「素晴らしいという言葉しかございません。異世界の桃源郷、ニホンで腕を磨いた料理人とはあれほど凄いのかと思い知らされました」


「うむ。その気持ちは余も痛いほど分かる。ランジーが今まで食べた料理で一番だったと言った時にはそんなことはないだろうと思ったが、今では昨夜食べた料理が一番であったと断言できる。料理長たるそなたには悪いが」


 陛下は私に気を使い、軽く頭を下げられた。


「い、いえ。陛下のおっしゃる通りかと」と慌てる。


「そこでそなたに聞きたいことがある」


「どのようなことでしょうか?」


「キタヤマ殿にここブルートンの料理の質を上げてもらおうと考えておる。そのためにランジーに必要な予算、人員などを手配するように命じたが、具体的にどうすべきか、料理人であるそなたの意見を聞きたい」


 突然言われても意見などすぐには出ない。しかし、陛下のご下問に対し、答えないという選択肢はなかった。


「まずは調味料などの食材を探す必要がございます。昨日、キタヤマ殿と話した際に満足な調味料がなかったとしきりにおっしゃっておられました。マシア共和国やマーリア連邦に食材探しの人材を派遣すべきと愚考します」


「うむ。確かにそうだな。他には何かないか」


 そう問われて思いついたことが一つあった。


「キタヤマ殿に我ら宮廷料理人の指導をお願いしたいと思います。ご存じの通り、宮廷料理人は私のように料理長まで務める者もおりますが、そのほとんどが独立し、ブルートンの街に店を構えます。キタヤマ殿の教えを受ければ、同じ料理でなくとも確実に腕を上げることができ、市井の料理店のレベルは確実に上がることでしょう」


「それはよい! だが、キタヤマ殿が受けてくれるかが問題だな……ランジーよ、彼はこの話を受けてくれると思うか?」


「はい。間違いなく」


「それはなぜだ? 普通に考えれば、自らの技術を秘匿すると思うのだが」


「キタヤマ殿は義理堅い方とお見受けしました。陛下からの要請であれば、受けてくださると確信しております」


 そこで私も意見を述べた。


「昨夜の料理につきまして、キタヤマ殿は私どもにレシピを教えてくださいました。他にも調理の際のコツなども。非常に度量の大きな方であり、伯爵閣下のおっしゃられる通り、受けてくださると考えます」


「そうか。では、ランジーよ。この件、そなたに一任する。報酬、地位、称号など必要なものがあれば、最優先で相談せよ」


 陛下の執務室を後にし、厨房に戻りながら、この先のことを考えていた。


(料理長を辞めてキタヤマ殿に師事してもよいかもしれないな。そうすれば私もレベルを上げられるかもしれない……)


 そのことをランジー伯閣下に相談すると、大いに驚かれた。


「そなたがそこまで言うとは! しかし、それは認められぬ。宮廷の料理の質を下げるわけにはいかぬのだからな」


「しかし……」


「キタヤマ殿に指導してもらえるように頼むのだ。毎日というわけにはいかぬが、それで我慢してくれ」


 伯爵閣下に頭を下げられ、それ以上言えなくなった。

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