第69話「王太子、キタヤマに行く:後篇」

 大陸暦1099年5月15日。

 特に何もない一日だと思っていたが、王太子アヴァディーン殿下が突然お忍びで訪れた。

 今のところ、俺しか気づいていないが、次期国王に何かあったらと気が気ではない。


 ただ、何となく予兆はあった。

 今日の予約は一見の者が多く、王太子殿下が来店するまでに店に入っている。早く来た割にはほとんど酒を頼まず、軽めの料理をつまむだけでおかしいと思っていた。


 それ以前にも予兆はあった。昼過ぎから店の周りに鋭い目つきの男たちがウロウロしていた。最初は町のゴロツキたちが何か仕掛けてくるのかと思ったが、うちの警備担当でもあるフィル・ソーンダイクに聞いてみると、


「きちんと訓練を受けていますね。恐らくどこかの貴族の私兵でしょう」と言っていた。


 リストン伯爵の関係者が予約したので、伯爵本人が来るのかと思ったが、想像以上に大物だった。


 アジの骨せんべいを頼まれた時には次期国王に出していいのかと一瞬考えたが、料理としては美味いものなので、そのまま出している。


 王太子殿下は最初緊張気味だったが、酒も入り、少しリラックスしたのか、骨せんべいのような王宮では出さない変わったものが食べたいと言ってきた。


 注文を聞いた妻のマリーが「ご身分のある方のようですが、どうしましょうか?」と聞いてきた。彼女も元国王や侯爵などを相手にしているため、話をすれば、ある程度の身分の高さが分かるようになっている。


「気にしなくていい。あのお客さんはこっちで対応する」


「ややこしい方なのですか?」と不安そうにしたので、「そんなことはないから大丈夫だ」と言いながら、料理を作っていく。


 作る料理は湯通ししたイカのエンペラを軽く湯がいたアサツキに混ぜ込んだ“ぬた”だ。酢味噌は予め作ってあるので、ほとんど時間は掛からない。作りながら脇板のマシューに次の料理の指示を出し、ぬたを完成させる。

 出来上がったぬたを王太子殿下の前に置く。


「お待たせしました。ぬたでございます」


「ヌタ? スミソアエは食べたことがあるが……」


「酢味噌は同じですが、素材が異なります。いつも食べていただいているものは貝やタコ、イカなどの身を使ったものが多いですが、今回はイカのヒレ部分、エンペラを使っております」


 王宮で出す場合はエンペラではなく、身を使う。個人的にはエンペラ部分のコリっとした歯切れのいい食感も悪くないと思うのだが、さすがに国王陛下に出す料理に使ったことはない。


 王太子殿下は「ヒレ部分か……」と言いながら、ぬたを口に運ぶ。


「イカにしてはねっとりとした食感がないな。これはこれで美味い」


 そう口にしてから、ぬる燗の盃を呷る。


「ブルートンホマレのヌルカンによく合う。さすがだ」


 そう言って満足そうな表情を浮かべていた。


 俺は次の料理を作るため、焼き台に向かった。


「イカゲソは残っているな」と言いながら、手早く塩を振り、炙っていく。


 マリーを呼び、「酒はまだありそうか」と聞くと、「そろそろ次のお酒を注文されそうです」と答える。


「燗でもいいか聞いて、よければソードダイヤモンドの本醸造をぬる燗で出してくれ。冷やがいいということなら、オーガキラーの純米吟醸で」


 マリーはすぐに聞きにいく。


 ソードダイヤモンドはマシア共和国のマーデュ地区の辛口の酒だ。以前は安酒というイメージだったが、ヴェンノヴィア醸造で修業した若い蔵人が生まれ変わらせた。キレがありながらも米の旨みを感じさせるいい酒で、燗にしても冷やでも美味い。


 オーガキラーはうちの店で働いていたオリバーが作った酒だ。ブルートンの北にあるリストンという町で作ったもので、こちらもキレがあって飲みやすく、和食によく合う。リストン伯爵の名で予約しているので候補にした。


 マリーが注文を確認してきた。


「オーガキラーだそうです」


「分かった。今から料理を持っていくから、すぐに用意してくれ」


 そう言いながら、炙ったゲソを一口大に切っていく。

 切ったゲソを皿に載せ、マヨネーズと七味を皿の端に盛り付ける。


「お待たせしました。イカのゲソ焼きです。塩味は付いていますが、マヨネーズと七味を少し付けても面白いと思います。お好みでどうぞ」


 そのタイミングでマリーが酒を出す。


 厨房に戻り、マシューに次の料理の進捗を確認する。


「どうだ?」


「ほぼ完成です。味を染み込ませているところです。ですが、このまま出していいんでしょうか。食べ辛いですが」


「あのお客さんなら大丈夫だ。それにお客さんの要望でもあるからな」


 他の客の料理を作っていると、王太子殿下が「次の料理を頼みたいのだが」と言ってきた。


「分かりました。すぐにお出しします。お酒はまだ大丈夫ですか?」


「次の酒も頼みたい。店主に任せる」


 いいペースで飲んでいるが、まだ大丈夫のようなので、「分かりました。次はマシア共和国のオータムディアの純米をご用意します」と言って、マリーに指示を出す。


 オータムディアもマシア共和国のマーデュ地区の酒だ。

 ソードダイヤモンドとは全く違い、酸味と甘みが強い個性的な酒だ。これをぬる燗にして出す。


 その間に次の料理の仕上げに掛かる。

 味を確認するが、マシューが完璧に仕上げているので、特に手を加えることなく、盛り付けていく。


「マグロのカマの煮付けです。少し食べにくいので、手を使っていただいても構いません。おしぼりはいくらでも替えますから」


 出した料理はマグロのカマの煮付けだ。

 照り焼きにしようか迷ったが、骨せんべい、イカゲソ焼きと来たので、煮物にしてみた。


「カマとは何なのだろうか?」と王太子殿下が食べながら聞いてきた。


「頭の後ろ、胸ビレから下の部分になります。見ての通り食べ辛いのと、数が揃わないので、晩餐会などではなかなか出せないですね」


「なるほど。しかし、これはよい。この食感と脂ののり加減は癖になる」


 これも気に入ってくれたようだ。


 その後、うなぎの肝串や鮭のハラス焼きなどを食べ、最後にのり茶漬けで締めた。


「今日はいつも以上に満足した。お爺様がおっしゃっていた意味が分かった気がする。また、よろしく頼む」


 そう言って、王太子殿下は帰っていった。


 店が終わった後、マリーが「どなただったのですか?」と聞いてきたので、「王太子のアヴァディーン殿下だ」と答えると、目を見開いて驚いていた。


「よろしかったのですか? 安い食材が多かったですが」と横で聞いていたマシューが心配そうな表情を浮かべる。


「いいんじゃないか。高級食材は王宮で食べられるんだから、こういったものの方が面白くて」


 俺の言葉にマシューが微妙そうな顔をしていた。


■■■


 キタヤマの店を出ると、馬車が待っていた。

 アンドレアス・リストンが「帰りは我が家の馬車を用意しました」と言ってきた。


 気持ちとしてはこのまま歩いて帰りたいところだが、護衛の者たちにこれ以上手間を掛けさせるわけにはいかないと諦める。


 馬車に乗ると、アンドレアスが「それにしてもいろいろとございましたな」と言ってきた。


「うむ。王宮で食する料理もよいが、今日のような変わった食材の料理もよい」


「ええ、私はイカゲソが気に入りました。我がリストン伯爵領の酒、オーガキラーにもよく合いましたので」


 普段沈着冷静なアンドレアスが思った以上に陽気な感じだ。かなり酔っているようだ。


「私はマグロのカマが一番気に入ったな。テリヤキにもできるらしいから、次はそれを食べたいものだ」


 そんな話をしながら王宮に戻る。

 アンドレアスとは門のところで別れ、護衛の騎士と共に宮殿に向かって歩いていく。既に午後九時になっており、警備の騎士がいるだけでひっそりとしていた。


 宮殿に入ると、侍従長が待ち構えていた。


「陛下がお待ちです」と厳しい表情で告げる。


「分かった」と言って侍従長の後について、父の私室に向かった。


 こうなることは覚悟していた。

 一応、私付きの侍従にキタヤマの店に向かうと伝えているが、それも出発の直前であったため、父や侍従長が聞いたのは出発した後になる。


 事前に相談しても反対されるだけであり、後悔はしていないが、父から叱責を受けることになるから気が重い。美味い料理と美味い酒で高揚した気分が一気に消えていく感じだ。


 父の部屋に入ると、侍従長は出ていった。

 父ジェームズ王はソファに座り、厳しい表情で私を見つめている。


「王宮を抜け出したそうだな」と父が確認してきた。


 私は立ったまま、素直に答えた。


「はい。キタヤマの店に行くため、秘かに王宮を抜け出しました」


 そこで父はパンとテーブルを叩き、立ち上がった。


「そなたは王太子なのだ。次期国王としての自覚はないのか!」


「自覚はあるつもりです。安全には充分に配慮しておりますし、市井の状況を見ることは統治者として必要なことだと信じておりますので」


 私の言葉に父は更に怒りを強くする。


「分かっておらん! 確かに安全についてはリストンが手配しておるだろう。だが、国王にならんとする者が安易に民と交わるなど、王家の威厳を損なうことだと思わぬのか!」


 父の考えにはいつも付いていけない。

 父は王家は敬われることはもちろんだが、畏れられることが重要だと考えている。そのため、貴族だけでなく、民に対しても毅然とした態度で臨むべきだと思っているのだ。


「王家は民と共にあるべきです! 民が王家に親近感を持ってこそ、国難に際して王家の言葉を聞いてくれるでしょうし、貴族派の台頭も防ぐことができるのです」


 これは私の持論だ。

 民との距離を縮められれば、アレミア帝国の侵攻や迷宮の魔物暴走スタンピードなどの非常時にも民は素直に従い、結果として国力の低下を防ぐことができる。


「そなたは何も分かっておらぬ! そのような理想論では侯爵らに付け込まれるぞ!」


「そのようなことは……」と言いかけるが、興奮した父は「黙って聞け!」と私を一喝し、


「ウィスタウィックは26年前に失った領地を取り戻そうとなりふり構わず陰謀を画策しておる。少しでも隙を見せれば、何をしてくるのか分からぬのだぞ」


 私が生まれる前の1073年に、当時のウィスタウィック侯爵の娘婿デューク・クロトー伯爵が王都のマフィアを使い、様々な悪事に加担した。その結果、クロトー伯爵は処刑され、ウィスタウィック侯爵は2割に及ぶ領地を失った。


 それだけではなく、ウィスタウィック侯爵自身も隠居せざるを得ず、若い嫡男に爵位を譲らざるを得なかった。

 その結果、ウィスタウィック派の力は一気に落ちた。


 その後、祖父が玉座にある間は力を取り戻すためか、比較的大人しくしていたが、父に代わった15年ほど前から再び暗躍し始めた。


 王となった父はそのウィスタウィックと、もう一つの派閥の領袖フォーテスキュー侯爵との政争に明け暮れることになった。


 フォーテスキューは王家派を切り崩そうと、手を変え品を変えて揺さぶってくる。特に祖父が始めた美食に関する政策については、賛意を示しながらも自分たちに有利になるよういろいろと画策していた。

 そのため、隙を見せたくないという気持ちも分からないでもない。


 しかし、フォーテスキューやウィスタウィックは民を軽視する傾向にある。彼らは貴族だけが国を動かしていると思っているが、民の支持無くしては国を動かすことはできない。

 そのことを説明するが、父は聞く耳を持たなかった。


「いずれにせよ、今後このようなことは二度とするな。これは父としてではなく、王としての命令だ」


 王が命じたことを破ることは王家に生まれた者としてはできない。父が王位にある間はもちろん、私が王位を継げば、町を自由に歩くことはできない。つまり、あと30年は王宮という鳥かごの中にいなければならないのだ。

 そのことが私には残念で仕方なかった。


■■■


 アヴァディーンの予想は覆った。

 21年後の1120年、未曽有の災厄を乗り切った後、彼は迷宮都市を自らの足で歩くだけでなく、路上で料理や酒を楽しんだ。


 その際、彼に対し、多くの民が心からの笑顔を見せた。

 そのことを彼は一生忘れなかった。


「あの日は余にとって最良の一日であった。飲み友達ともと盃を交わす、ただそれだけのことが余に幸福感を与えてくれたのだ……」


 その後もアヴァディーンはさまざまなところに顔を出すようになった。

 特に魔王国が資金提供してできた“アンブロシウス美食アカデミー”のイベントには必ずと言っていいほど出席し、多くの料理人の卵たちと交流することになる。

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