第21話「ジン、異世界で出汁を取る」
九月二十一日。
ヴェンノヴィア醸造で酒米“ノウチニシキ”を使った純米大吟醸、“オールド・ノウチ”を試飲した。山田錦のように雑味が少なく、旨みと香りのバランスがいい酒で、この世界に来て一番美味い日本酒だった。
成り行きで酒米に名を付けることになり、その縁もあってチャーリーのオーデッツ商会に卸してもらえることになった。更に他の特約店には出していない“生酒”もすんなり作ってくれると約束してくれた。
帰りの馬車で領事のコンラッド・オルグレンが興奮気味に話している。
「それにしてもあれほどサケが美味い物だとは思いませんでしたよ! 今まで飲んでいたミストガルフは何だったのかと思うほどです! キタヤマ殿のおっしゃる通り、サケに対する価値観が変わりました!」
ミストガルフはヴェンノヴィア醸造の銘柄の一つだ。
コンラッドの言葉にダスティンが賛同する。
「そうでしょう! ジンさんと一緒にいると本当に人生観まで変わる気がしますよ。まあ、私の場合、実際に人生が変わりましたがね」
「それにしても意外にあっさり“ナマザケ”を作ってくれることになりましたね。マーデュでは全く相手にされなかったのに」
チャーリーの言葉にダスティンも「確かに」と頷いている。
「まあ、酒米にノウチ翁の名を付けたのがよかったんでしょうね。それで信用してくれたという感じだと思いますよ」
そう言うとダスティンが少し首を傾げ、
「そうでしょうか? 私はジンさんがオールド・ノウチの改善点を指摘したからだと思いますが」
「改善点と言ってもあれは苦し紛れですよ。間違っているとは思いませんが、酵母を変えるのは結構大変なはずです。悪いことを言ったなと反省しているくらいですから」
日本のように微生物の管理が可能な研究施設があるなら別だが、この世界の酒蔵にそれらの施設はほとんどない。一応、高温殺菌ができる設備や保管用の恒温槽のようなものはあるが、それだけで微生物の研究は難しいだろう。
そんな話で盛り上がりながらヴェンノヴィアの町に戻っていく。
領事館に戻ったが、まだ午後四時前ということで、少しだけ時間があった。明日の出発を控え、ゆっくりしようかと思った時、コンラッドから声が掛かった。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、一品で構いませんのでキタヤマ殿の料理を食べさせていただけないでしょうか」
申し訳なさそうに頼んできたが、世話になっているので断るつもりはない。ただ、気になっていることがあった。
「暇を持て余しているので料理を作ること自体は問題ないですが、厨房の方に迷惑が掛かるのでは?」
「うちの
ヴェンノヴィアの領事館には専門の料理人がいるが、基本的に領事の家族と一部の客にしか料理を出さないため、二人しかいない。
その二人はいずれも二十代半ばと若い。
「時間もあまりありませんので大したものは作れませんが」と言って、材料を持っているチャーリーと共に厨房に向かった。
厨房では二人の若い料理人が緊張した面持ちで俺を待っていた。一人はひょろとした細身の長身で、もう一人は逆にがっしりとして背が低い。
背の高い方が頭を下げる。
「レジー・パーシーと言います。一応、ここの責任者です。三年前まで宮廷料理人をやっていました。もう一人がテリー・サールです。こいつは元王国軍の料理人です」
「ジン・キタヤマです。こっちはチャーリー・オーデッツ。では、厨房をお借りしますが、ここにはどのような材料がありますか?」
明らかに緊張しているため、できるだけ優しく声を掛ける。
「は、はい。魚がメインですが、野菜も今朝仕入れたものが……」
魚介は30センチほどの黒鯛に似たものが一尾と40センチほどの鯖に似たものが一本あり、氷の入った箱に入れてある。他にはハマグリに似た貝が二十個ほど塩水に付けて砂抜きされていた。
野菜はサツマイモやほうれん草に似た青菜、それにキノコが数種類あった。
他にも肉類が
「黒鯛は生でも食べられるものでしょうか?」
「今朝水揚げしたものをマジックバッグに入れておきましたから新鮮です。地元の人は生で食べますが、私たちはどうも……」
レジーは微妙な表情で答える。
「生は抵抗感がありますか?」
「マグロならまだいいのですが、白身はちょっと抵抗があります。恐らくオルグレン様も同じではないかと思います」
「そうですか……なら、塩焼きにしましょう」
まずは出汁を取るため、チャーリーに昆布を取り出してもらう。そして、水を張ったボウルに漬ける。
「これがコンブですか」
好奇心旺盛なのか、若い方のテリーが覗き込んでくる。
「ええ、これで植物性の旨み成分を抽出できるんですよ。これに動物性の旨みである鰹節を加えた出汁は大抵の料理に使えます」
話をしながら、黒鯛と鯖を三枚に卸していく。
「動物性の旨みは何となく分かるんですが、植物性の旨みというのがよく分かりません」
「トーレス王国でよく使われるものだとトマトですね。他にもチーズでも近い味を補うことはできます」
「トマトですか……なるほど……」
「テリー、キタヤマ様の邪魔をするんじゃない」
「構いませんよ。このくらいの会話なら店では普通にしていましたから」
「会話をしながら料理をしていたのですか!」とレジーに驚かれる。
「ええ、こちらでも屋台の料理人なら普通に話しながら作っているのではありませんか?」
その言葉に二人が顔を見合わせる。
その間にも魚の処理は継続している。黒鯛は塩焼きだが、鯖は味噌煮にする。鯖は二枚卸の方が美味いのだが、箸が上手く使えないと食べ辛いため、仕方なく中骨を外した。
そこでチャーリーが話に加わってきた。
「ジンさん、普通の料理人は話しながら料理は作りませんよ。屋台は基本的に焼くだけですから、話はできますけど、あれを同じ括りにしたら料理人がかわいそうです」
「そうかな?」と首を傾げる。
繊細な作業の時はともかく、下処理の時でも弟子と話はするし、板場に立てば客と会話をしないわけにはいかないので実感がない。
「せっかくなので今日手に入れた枯節を使ってみましょうか。枯節と削り器を出してくれ」
チャーリーに今朝買った枯節と荒節用に持っている削り器を出してもらう。
「そうやって使うんですね。でも、本当に木を削っているみたいです」とテリーが不思議そうに見ている。
シャシャという音が厨房に響く。いい感じに削れたところで、塩焼きの準備を行っておく。
「チャーリー、済まないが、炭火の用意を頼む」
「分かりました」と言って、マジックバッグからコンロと木炭を取り出し、厨房の裏口に向かった。
チャーリーを見送った後、昆布を漬けた鍋を確認する。出汁の出方がいまいちなので、次の料理に手を付ける。
まずは鯖の味噌煮を作っていく。
鯖の臭みを消すため、熱湯を表面に回しかけて霜降りにし、血合いなど臭みの元を丁寧に取り除く。
「酒はありますか? 安いものでもいいので」
「ミストガルフのホンジョウゾウならありますが」とレジーが陶器のボトルを取り出す。
「それで構いません」
鍋に水、砂糖を入れ、そこにミストガルフの本醸造をたっぷりと回し入れる。
「結構入れますね」と、二人が興味深そうに見ている。
「味醂があれば、ここまで入れなくていいんですが、コクを出すために少し多めに入れているんですよ」
ひと煮立ちさせたら、鯖と生姜を入れる。
火加減を調整し、アクを取ったら味噌を溶かし込み、しょうゆで味を調えてから落し蓋をする。
煮込んでいる間に米を炊く準備に入る。
米を丁寧に洗い、ザルに上げて水を一旦切っておく。
「ジンさん、コンロの準備ができました。火を着けますか?」と言って、チャーリーが戻ってきた。
「お疲れ様。もう少し後で頼む」
そう言いながら味噌煮の状態を確認し、一旦火を止めて放置する。そのまま、次の作業に入ろうとした時、テリーが「冷めてしまいますが?」と聞いてきた。
「味を染み込ませるために冷ますんです。最後に仕上げをしますから、大丈夫ですよ」
「なるほど」と三人は納得していた。
昆布から出汁が出たので、それを火に掛け、沸騰直前に昆布を取り出す。沸いたところで火を止め、削った枯節を投入し、一分ほど待つ。
荒い目の布で丁寧に濾し、取り終わった出汁から粗熱を取る。
「少し味見をさせてもらってもいいですか」とレジーが遠慮気味に聞いてきた。
「もちろん構いませんよ」と言いながら、手近な小皿に少量の出汁を入れる。
「塩は入れていませんから、味はほとんどないと思います。香りと旨みを感じてください」
そう言って一番出汁を渡す。
最初に口を付けたレジーが「確かに香りはいいですね」というが、
「旨みの方はよく分かりません。確かに味はするのですが、これが旨みと言われても……」
「それでいいんですよ。出汁だけで美味かったら、料理にした時に濃すぎて逆に美味くありませんから」
テリーもレジーと同じように首を傾げている。
その後、米を炊きながら、黒鯛を焼き、鯖の味噌煮の仕上げを並行して行っていく。出来たものは盛り付けてからマジックバッグに保管する。
「出汁は何に使うのですか?」とテリーが聞いてきた。
「茶碗蒸しを作ろうかと思っています」
「チャワンムシですか?」
「ええ、玉子を使った蒸し物です。ミルクや生クリームは使いませんが、“フラン”という料理が一番近いのではないかと思います」
「フランですか。デザートではありませんよね?」
フランにはプリンも含まれるため、聞いてきたのだろう。
「はい。キノコを使ったものになります」
しゃべりながら玉子液を作り、鶏肉と素焼きにしておいた黒鯛の切り身、しいたけのようなキノコの薄切り、三つ葉に似た香味野菜を準備する。
それらを用意しておいた蓋付の器に入れ、借りた蒸し器で蒸していく。
十五分ほどで茶碗蒸しも完成し、そのタイミングで米も炊き上がった。この他にも二番出汁で作ったサツマイモの甘煮とほうれん草に似た青菜のお浸し、デザート用にゼラチンを使った芋羊羹を作ってある。更に子供が二人いるので、別メニューも用意している。
時間にして二時間弱。時刻は五時半くらいで夕食にはちょうどいい時間になった。
「結局全部作っていただいてしまいました。すみません」
レジーがそう言って頭を下げると、テリーも同じように頭を下げる。
「構いませんよ。久しぶりに出汁を取れたので、ちょっとテンションがおかしくなって作っただけですから。逆にお二人の仕事を邪魔したのではないかと」
「とんでもないです! キタヤマ様から教えてもらえて本当に勉強になりました」
「では、配膳の準備を始めましょうか。料理は青菜のお浸しと芋の甘煮を最初に出してください。次は茶碗蒸し、黒鯛の塩焼き、鯖の味噌煮と続けてください。鯖の味噌煮には米が合いますので、土鍋ごと出していただけば、私の方で対応します。酒ですが、最初はオールド・ノウチを白ワイン用のグラスで、次は……」
俺の指示を二人は必死にメモに取っていく。
「では、よろしくお願いします」
久しぶりに枯節を使え、とても満足していた。
■■■
ジンを見送ったレジー・パーシーとテリー・サールの二人は同時に顔を見合わせた。
「それにしても凄かったですね」とテリーが言うと、レジーも大きく頷き、
「宮廷料理長が弟子入りしたいと言った話は嘘じゃなかったと実感したよ」
レジーは王宮の厨房で働いていたこともあり、宮廷料理長レナルド・サッカレーのことをよく知っている。もっとも下働きに近いレジーが料理長と話す機会はほとんどなかったが。
サッカレー料理長の話は領事であるコンラッド・オルグレンから聞いたのだが、天才と呼ばれていた料理長が教えを乞いたいと言ったという話に驚きしかなかった。
「しかし、あれは美味かったな。特に鯖があんなに美味くなるとは思わなかったよ」
ジンは二人に味見をさせていた。勉強のためというより、料理人や給仕は出す料理の味を知っておくべきだという考えからだ。
「本当にそうですよね。鯖は領事が好きだから買っておいただけで、あの匂いはあんまり得意じゃなかったんです。だけど、キタヤマ様の作った料理は全然臭みがなくて、脂の乗った美味い魚料理になっていてびっくりですよ」
「熱湯で洗うなんて考えたこともなかったな」
「それも驚きましたけど、俺はチャワンムシが一番びっくりしましたよ。あの“ダシ”っていうのがあんなに美味いものだとは思いませんでしたね」
「ああ、あれは私も驚いた。フランは嫌いじゃないが、全く別物だった。あんなにやさしい味でありながら旨みと香りが凄かった」
「俺なんてフラン自体、ここに来て初めて知ったくらいですから、どれほど違うかは分からないですけど」
レジーと違い、テリーは王国軍の兵営で料理人をしていたため、本格的なトーレス料理を学んだことはない。
「それにしてもものすごく器用でしたね。しゃべりながらあんな速度で魚を捌くし、三つくらい並行して料理を作っていましたよ。それにほとんど片付けも終わっていますし……キタヤマ様は“気を遣うところのタイミングを外せば難しくないよ”とおっしゃるけど、絶対に無理ですよ」
「俺も同感だ。サッカレー料理長も調理中は一切しゃべらなかったし、私たちも話しかけないようにしていた。そのくらい集中して料理をしていたんだが、キタヤマ様はあれだけの料理を簡単に作っていた。さすがはレベル9だよ」
二人は同時に溜息を吐き出す。
「私と五歳も違わないのに……どうやったらあれほどの腕になれるんだろうな」
「同感です。弟子入りしたらできるようになるんですかね」
「どうだろうな」
そこで一瞬の間が空く。
「さて、料理は作っていただいたが、やることはある。仕事に戻るぞ」
「了解です」
二人は仕事に戻っていった。
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