第3話「ジン、異世界の料理を食う」

 俺はトーレス王国の役人ダスティン・ノードリーと彼の部下フィル・ソーンダイクと共に役所の近くの食堂に向かっている。


 どんな料理が食べられるのか楽しみだが、俺が名人級という評価が気になる。

 自分の腕に自信がないわけじゃないが、日本には俺より美味いものを作れる料理人が数え切れないほどいた。


 つまり、この世界の料理の水準は日本に比べれば遥かに低いということだ。唯一の望みはここブルートンが美食の都と呼ばれているということだけだ。


「この時間にやっている店は少なくて……役所の若い者や兵士たちが使う定食屋なんですが、お口に合うかどうか」


 正確な時間は分からないが、太陽の角度から午後二時くらいだろう。この時間に選択肢が少ないのは当然だ。


「別に構いませんよ。私も普段は大衆食堂によく行きますから」


「ですが、ニホンという国は美食で溢れたところだと聞いたことがあります。流れ人の方たちは皆、故郷の食べ物を思い出して、“あれが食べたい”とおっしゃり懐かしんでいたとか」


「美食というほどのことはないと思いますが」


「そうなのですか? 文献によれば、“ふぁみれす”では二十四時間いつでも世界各国の料理が食べられ、“こんびに”に行けばいつでも手軽に美味しいものが手に入るとか……」


 過去の流れ人がファミレスやコンビニを懐かしむ気持ちは分からないでもない。

 料理人の俺から見ても、ファミレスやコンビニの料理はよくできている。他にもチェーンの牛丼屋やラーメン屋も素人に毛が生えたようなスタッフが作る割には美味いと思っている。


「確かにそうですが、料理人としては新しい土地の料理に巡り合えることは楽しいことなんです。ですから気になさらないでください」


 これは正直な気持ちだ。

 もちろん不安がないと言えばうそになるが、元々知らない土地の店に入るのは結構好きだった。外れが多かった気がするが、地元の食材を知ったり、新たな料理法を学んだりと新たな出会いが楽しかった。


 すぐに目的の定食屋に到着する。

 周りの家と同じレンガ造りで、小さな看板に皿とスプーンの絵が描かれていなければ、通り過ぎてもおかしくないほど目立たない。

 よく見ると小さく、「レストラン・ロブジョン」と書かれている。


「ここが“ダニエルの定食屋”です」とダスティンが説明してくれた。


「“レストラン・ロブジョン”と書かれていますが」と聞くと、


「そんな名前だったかもしれませんが、昔から“ダニエルの定食屋”としか呼んでいないですよ」


 昼食の時間が過ぎてからずいぶん経つが、まだ中には客がいるらしく、話し声が聞こえていた。


 中に入ると四人の若い男女がテーブルを囲み、料理を食べていた。カウンター六席に四人掛けテーブルが四つとこぢんまりとした店だ。

 メニューを探すが、どこにもない。


「この店にはメニューがないんです。特に昼は二種類だけなので」


「二種類だけですか……」と呟くと、


「ええ、あるのは牛肉のビール煮込みと羊の野菜煮だけなんです」


 ダスティンがそう説明すると、カウンターの奥から「羊は売り切れだ」という声がした。


「選択の余地はないようですね」と笑いながら、


「牛肉の方を一人前で!」とダスティンが頼む。


 三人前ではと思ったが、「私たちはさっき食べたばかりなんです」と教えてくれた。


 カウンターの奥からコック帽を被った五十前の男が顔を出す。


「珍しいな。お前さんが食わんとは」といい、奥に引っ込む。


 しばらくすると、割と大きな深皿とカンパーニュのような田舎風のパンが出てきた。深皿にはよく煮込まれた牛のすね肉らしき肉と茹でたジャガイモ、飴色に炒めた玉ねぎが入っている。


「いただきます」といってから、肉をナイフとフォークで切る。


 よく煮込まれているため、切るというより裂く感じだ。肉の繊維質に含まれるゼラチンがジュワッと流れ、仄かに香るホップの香りが食欲をそそる。

 口に含むとシンプルな味付けながらも肉の旨味が口いっぱいに広がる。しかし、ビールの苦みと肉の処理の甘さが雑味となって、牛肉の臭みを強く感じてしまう。


(悪くはないが……肉の処理がもう少し丁寧なら……)


 そう思いながら、ジャガイモを口に入れる。

 日本で使っていた男爵やメークインなどに比べ、甘みは少なく、独特のえぐみがある。


(芽が出てしまったのかな? それともこんな品種なんだろうか……)


 玉ねぎは炒め過ぎで苦みが出ている。

 全体的なバランスは悪くないが、一つ一つの仕事が雑な感じだ。

 パンは天然酵母の酸味のあるタイプだが、スープに浸して食べると、肉の臭みが気にならなくなり、これはこれでありだと思えるようになった。


(値段がどの程度だが……日本なら安い米国産や豪州産を使っても千円はするだろう……美食の都というから高いんだろうか……)


 そんなことを考えながら黙々と食べていった。

 二十分ほどで完食し、「ごちそうさまでした」と言って手を合わせる。


「いかがでしたかな」とダスティンが聞いてきた。隣にいるフィルも気になっているのか、俺を見つめている。


「十分に美味しかったです。ありがとうございました」


 俺の言葉にダスティンが安堵する。


 店を出る時、ダスティンが銅貨を五枚、カウンターの上に置くのが見えた。さっき聞いた説明だと、大体五百円くらいだ。チェーン店ならともかく、個人経営の定食屋だと考えると、日本では滅多に出会えない店だろう。


 店を出た後、「あの量で銅貨五枚なのですか?」と聞いてみた。


「ええ、ダニエルの店は安さが売りなんです。五ソルであの量を食べられるので、若い者には人気の店なんですよ」


「よくやっていけますね。やはりこの辺りは食材が豊富で安いんでしょうか?」


「確かに食材は豊富ですね。値段の方はまちまちだったと思いますが、私も詳しいわけではないので何とも言えませんが」


 彼の仕事は市役所の住民課に近いそうなので、物価や市場に詳しくないというのは理解できる。


「店では言いにくいでしょうからここでお尋ねしますが、率直な感想を聞かせていただきたいのですが」


 ダスティンとしても、行きつけの店の中で別の料理人の感想を聞きにくかったのだろう。


「五ソルであの味なら十分美味しいと思います」


「それは値段とのバランスという意味ですね。では値段を無視したらどうでしょうか?」


「難しい質問ですね。食材をよくして時間を掛ければ値段は上がります。いかに安く提供するかということに力を入れているようですから、値段を無視した評価というのはフェアではない気がしますが」


「確かにそうですね」と納得するが、


「ダニエルさんの腕はどう思いますか?」


 これも答えづらい質問だ。

 ダニエルという料理人だが、腕自体はそれほど悪くないと思う。

 なぜなら原価百五十円くらいの食材を使っているにもかかわらず、全体のバランスは悪くない。


 惜しむらくは仕事が雑だという点だ。手間をかける時間がないというのが理由だろうが、もう少し丁寧に仕事をすれば劇的に美味くなるはずだ。手間を惜しんでいるのか、生まれつきの性格なのかが分からないので何とも言えない。


「腕自体は悪くないと思います。全体のバランスはよかったですから。もう少し丁寧に仕事をすればもっと美味くなるのにとは思いますが、私は評論家でもなんでもないので、これ以上言うつもりはありません」


 ダスティンはまだ何か聞きたそうだったが、俺がこれ以上言うつもりはないと宣言したことで何も聞いてこなかった。


■■■


 ダスティン・ノードリーはランチから役所に戻る道で、不思議な格好をした小柄な男を見つけた。

 見たこともない素材の上着に不思議な模様が描かれた背嚢バックパック、革ではなく布が素材の靴。

 そんな恰好をした男が路地とはいえ、道の真ん中で立ち尽くしていたのだ。


(どこから来たんだろうか? 見たことがない格好だが……)


 ブルートンは王都ということで他国から訪れる者も多く、変わった服装をしている者は大して珍しくない。しかし、明らかに見たことがない素材であり、興味を引いた。


 そして、ポケットから手帳のようなものを取り出し、表紙を開いた。しかし、それは手帳ではなく、ガラスでできた小さな板だった。


(あ、あれは! “すまほ”じゃないのか!)


 彼は以前、王宮に保管されているスマートフォンを見たことがあり、その特徴と同じものを見て確信する。


(間違いなく、流れ人だ。私にも運が向いてきたぞ!)


 流れ人を保護すると、王国政府から少なくない褒賞金が出る。これまで十五年以上にわたって下っ端役人をしていたが、上司である貴族からの無理難題と書類の山の処理に明け暮れ、今の仕事に疲れていた。

 その生活が変わる切っ掛けになるのではないかと、ダスティンは期待したのだ。


 驚かさないように声を掛けると、思った以上に理知的な人物であり安堵する。生活が変わる切っ掛けはほしいと思っているが、ややこしい人物の相手はしたくないからだ。


 更に話を聞くと、宮廷料理長を凌ぐ凄腕の料理人であることが分かった。

 ここブルートンは美食の都と呼ばれており、料理人の需要は多い。特に腕のいい料理人は尊敬の対象であり、よい人物と巡り会えたと神に感謝していた。


 王家による保護の手続きを行う必要があり、上司である内務卿に報告に向かった。

 ダスティンは文官とはいえ平民であり、伯爵であり閣僚の一人である内務卿に直に会ったことは今まで数えるほどしかない。しかし、今回は腹を括って内務卿に面会を申し込んだ。


 秘書官である男爵はダスティンに対し、「面会の予約がなければ無理だ」と門前払いしようとしたが、ダスティンはそれに怯まなかった。


「流れ人、それも料理スキル9という逸材を見つけたのです。内務卿閣下に報告しなくてもよろしいのですか? 何かあったら秘書官殿が責任を負ってくださるなら、この場から立ち去りますが、それでよろしいのですね」


 今までの彼ならそんな脅迫紛いのことをすることはなかったが、何としても早急に手を打っておく必要がある。


「しかしだな。閣下もお忙しい身なのだ。既にご予定は埋まっているのだが……」


「分かりました。私も流れ人を待たせておりますので、ここで退散いたします。お願いがあるのですが、秘書官殿が断ったという一筆をいただけませんか? 私が報告を怠ったことになるのは避けたいですから」


 その言葉に秘書官も自らの責任問題につながると考え、「少し待っていてくれ」と言って内務卿の部屋に入っていった。

 一分ほどですぐに戻ってくると、


「五分だけお時間がいただけた。一緒に来てくれ」と言って内務卿の部屋に入っていく。


 内務卿は重大さを感じていたのか、すぐに報告を求めた。

 ダスティンはこれまでのことを掻い摘んで説明する。


「うむ。状況は理解した。君の判断は賞賛に値する」と褒めると、


「すぐに王家の保護下に入れるよう手続きを済ませてくれ給え。それから当面の間、君は私の直属扱いとして、そのキタヤマという男の世話をするように。必要な経費はすべて王国が持つから、できる限り心証をよくしておいてくれ」


 そう言いながら、キタヤマに関する権限をダスティンに与えたと証明する書類を作っていく。


「かしこまりました。護衛として私の部下であるソーンダイクを付けたいと思います。彼は元白金級プラチナランク探索者シーカーですので打ってつけだと思いますから」


「よかろう」


 内務卿の許可を得た後、大急ぎで執務室に向かい、フィルを見つけて簡単に説明を行った。

 フィルは驚くものの、「楽しそうな仕事ですね」と笑う。

 市民カードの作成を終えたところで、食事に向かった。


 行き先は“ダニエルの定食屋”だが、この店を選んだのには理由があった。


 まず、ジンがどの程度の知識を持っているかを確かめようと考えた。ダニエルの料理人としての腕は可もなく不可もないという認識だが、安さという点では官庁街でも一、二を争う。


 当然、素材は安く手間もあまりかけていない。そのことに対してジンがどう評価するかを聞きたかったのだ。


 しかし、ジンは人の批評を行うことを嫌い、明確に答えなかった。それでも値段と味のバランスという点で答え、経営にも通じていることが分かった。


 自分から仕向けたのだが、他人を安易に批評しないという姿勢に好感を持った。

 スキルレベル9ということは元の世界でも一流ということだ。当然、自分の腕に自信を持っているだろうし、味が気に入らなければこき下ろすことも十分に考えられた。


 しかし、自分が食べても大したことがないと思っている料理に対しても、ジンは批判的なことは言わず、改善点だけを述べている。


 今後、王国の料理に新たな風を吹き込んでもらうためには、この国の料理人たちと上手くやっていく必要がある。協調性のない独善的な性格の者であれば、せっかくの腕や知識が伝えられないことも考えられる。


 その点、ジンはダニエルという料理人に対し、敬意を持っているように見えた。これは得難いことだとダスティンは安堵するとともに、今後に期待できると思った。

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