第32話「ジン、弟子を取る」

 三月一日。

 “和食屋 北山”をオープンして一ヶ月が過ぎた。

 最初の頃の忙しさはなくなったが、この一ヶ月で常連客も増え、客足は順調だ。二月の売り上げは3万ソル、日本円で300万円ほどになり、利益も十分に出ている。


 今のところ、営業中はマリー・ベイカーと二人で何とか回しているが、仕込みや後片付けを一人でやっている身としては限界が近い。


「そろそろ人を増やしてもいいんじゃないですか?」と時々様子を見に来るダスティン・ノードリーが言っている。


 仕入れを任せているチャーリー・オーデッツもその言葉に頷き、


「住み込みで若い料理人を雇った方がいいんじゃないですか? ジンさん一人じゃ、物騒ですよ」


 結構な売り上げがあることが分かっているため、強盗に入られるのではないかと心配してくれているのだ。

 王都ということで治安はいいが、街の外れに近いため、チャーリーの懸念を笑い飛ばすことはできない。


「そうなんだけどな……若い料理人っていっても伝手も何もないから、雇いようがないんだよ」


 信用できる人物かどうかを見極めるのはなかなか難しい。日本で店をやっている時はパートタイムの女性を雇っていただけで、料理人は雇っていなかった。


「サッカレー料理長に紹介してもらいましょうか? 料理長が推薦するなら腕もいいでしょうし、身元もはっきりしていますから」


「それは大ごとすぎますよ。宮廷料理長の紹介なんて」


 宮廷料理長レナルド・サッカレーはこの国の料理界の重鎮だ。そんな人物から紹介されたら、断ることができなくなる。


「ジンさんとしては、マリーと二人だけの方がいいんじゃないですか?」とチャーリーが茶化す。


「そんなわけあるわけないだろ」というものの、そんな気持ちが全くないわけではない。


 最初の印象は儚げな感じだったが、この一ヶ月で気遣いができる素晴らしい女性だと分かっている。気心も知れてきたし、二人だけというのも悪くないと考えていることは事実だ。


「そういえば、フィルが手伝いに来ているそうですね」


「ええ、時々顔を出してくれて、帳簿のチェックをやってくれます。お陰で助かっていますよ」


 王国の役人で俺の護衛をしてくれていたフィル・ソーンダイクだが、警備状況の確認と称して三日に一度ほど様子を見に来てくれる。その際、帳簿の作成などを手伝ってくれるのだが、思った以上に経理の知識があり、助かっている。


 ちなみに帳簿はタブレットの経理ソフトを使っているが、プリンターがないこと、そのうち使えなくなることを考えて紙ベースの帳簿を正にしており、その移し替えが必要になっている。


「フィルを雇ったらどうです? 奴もジンさんの下で働きたいと言っていますよ」


 フィルからも同じ申し出を受けている。

 元々役人になりたかったわけではなく、たまたま伝手があったため、今の仕事に付いているだけで、面白い仕事があったら辞めたいと言っていた。


「そうなんですが……安定した仕事の役人を辞めてもらうほど、この店の先行きが明るいわけじゃないですから」


 少なくとも一年間は様子見だと思っている。

 マリーのようにパートタイムならまだしも、フルタイムで働いてもらうには十分な報酬が必要だ。今の売り上げなら雇うことは可能だが、売り上げが半分に落ち込んだら、給料を払えなくなってしまうためだ。


「そうなると、やっぱり弟子を取るのが一番ですよね。何といっても給料は小遣い程度でいいんですから」


 この国では最低賃金という考え方がなく、職人に弟子入りする場合は住み込みであればほとんど給料は払わない。

 雇用というより、徒弟制であり、師匠側は安く労働力を手に入れられ、弟子側はその対価として技術を得ることができる。


 結局、ダスティンたちが弟子になりそうな人物を探してくれることになった。


「そう言えば、マッコール商会のことは知っていますか?」とチャーリーが話題を変えてきた。


「いや、聞いていないが」


「アスキス支店長がようやく到着したみたいです。詳しい話はまだ分かっていませんが、どうやら商会長が引退するようですね。私としてもこれで安心できますよ」


 詳しく聞くと、マッコール商会のヴェンノヴィア支店長ハンフリー・アスキスが海路を使って、ここブルートンに戻ってきた。当初の予定では一月下旬には到着するはずだったが、アレミア帝国での内乱の影響で一ヶ月ほど遅れたらしく、つい三日ほど前に到着したそうだ。


「その話なら私も聞いたぞ」とダスティンが話に加わる。


「アスキス氏は商会長のモーリスと全面的に対決したそうだ。アスキス氏はこのままモーリスが引退しなければ商会が潰れると従業員たちに訴え、更にこのままなら自分はマッコール商会を辞めて新たに商会を立ち上げると言ったそうだ。それで主だった従業員たちはアスキス氏を支持したらしい」


 産業振興局長をやっているだけあって、詳しい情報が入ってきているようだ。


「そうなると、チャーリーは安心できないね。あのアスキス氏が商売敵になるんだから」


「確かにそうですけど、正々堂々の勝負なら負ける気はないです」


「東方に行って自信を付けたみたいだな。あのアスキス氏と正面からやりあって勝てると言い切るんだから」


 俺がそういうと、チャーリーは大きく頷くが、次の言葉で俺とダスティンはひっくり返りそうになった。


「正面からやって勝てるわけないじゃないですか。こっちにはジンさんがいるんですから、負ける要素はないと思っているだけですよ」


「なんだジンさん任せか」とダスティンが呆れる。


「いずれにしても、アスキス氏は本店に復帰するらしいですから、ここにもあいさつに来るんじゃないかと思いますよ」


 チャーリーの予言通り、その翌日ハンフリーが店を訪れた。


「遅ればせながら、開店祝いを持ってまいりました」と言って、一束の昆布を置いた。


「スールジアの最高級のコンブだそうです。もちろん、今後の仕入れルートも確保しておりますので、いつでもご用命いただければ」


 しっかりと宣伝もしていく。しかし、すぐに表情を引き締め、


「前商会長がご迷惑をお掛けしました。今後は今までのような不当な商売は決していたしません」


 そう言って大きく頭を下げた。


「すぐに信用することはできませんが、時々店に寄らせていただきます。よいものがあれば、もちろん買わせていただくつもりです」


 この人物は誠実だし信用できる。

 当然のことだが、チャーリーのオーデッツ商会を排除する気はない。しかし、マシアやマーリア、スールジアに多くの伝手を持っているから、今後のことを考えればよい関係を築いておいて損はない。



 三月五日、ランチタイムが終わったところで一人の若者が店を訪れた。


「この店で見習いを探していると聞いたのですが……」と強面でプロレスラーのような体格の若者が扉から顔を出す。


 一瞬、マフィアか何かのように感じて身構えたが、話し方は丁寧であり、気を取り直す。


「ええ、希望者ですか?」


「はい……」と言うが、中に入ってこない。


「中にどうぞ」というと、ゆっくりと入ってきた。


 見上げるような体格で、兵士か、探索者シーカーの方が似合いそうだが、物怖じする性格なのか、オドオドとした表情で椅子にちょこんと座る。


「ジェイク・スティールって言います」


 何度かランチを食べに来ていることを思い出した。話しにくそうにしているので、できる限り気さくに聞こえるよう口調を変える。


「ジン・キタヤマだ。そう言えば、何度かうちに食べに来てくれていたね」


「は、はい……開店の日に最初に入ったのが私です」


「なるほど。唐揚定食を食べてくれたお客さんだね。その後も何度か夜に来てくれている」


 店に来ている時もほとんどしゃべらず、あまり強い印象は残っていない。


「はい」と言って安堵の表情を見せた。


「ところで料理の経験はあるのかな?」


「はい。近くのパブで料理人をやっています。ここの揚げ物が美味くて、どうしても習いたくて……」


「なるほど。ただ、うちは揚物屋じゃないから、他の料理も覚えてもらうことになるが、それでいいんだね」


「もちろんです! 他の料理も信じられないくらい美味かったです!」


 やる気はあるようだし、見た目より真面目そうだ。


「まずは皿洗いや下拵えなんかの下働きになるけど、それでいいかな?」


「構いません! それに料理人って言ってもポテトを揚げているだけですから」


「なら、まずはどのくらい包丁が使えるか、見せてくれないかな。自分の包丁は持っているかい」


 持っているということなので、今やっているキャベツの千切りをやらせてみる。

 トントントンとリズムよく包丁が動く。それほど早くはないが、切り方は丁寧で太さも一定だ。


「それで十分だ」というと不安そうにこちらを見る。


「いつから来られるかな?」というと安堵の表情を浮かべる。


「4、5日いただければ」


「分かった。正式に弟子にするかは勤務態度を見てから決めさせてもらうが、それでよければうちに来てほしい」


「ありがとうございます!」と言って大きく頭を下げる。


 この世界には履歴書がないため、どんな人物か分からないが、この町に詳しいチャーリーに聞けば、彼のことはある程度分かるだろう。

 その日の夜、チャーリーがやってきた。


「ジェイクが来たそうですね」


「知っていたのか?」と聞くと、


「ええ、ジンさんの料理に感動したからどうしても弟子入りしたいと言って、私のところに来たんです……」


 ジェイクはこの辺りでも一番安いパブで働いているが、その前は王国軍の兵士だったそうだ。ただ性格的に兵士に向いていないため、3年ほど前に軍を辞め、パブで働き始めた。

 最初はホールスタッフだったが、あまりに強面であるため、厨房での仕事になったらしい。


「真面目そうな青年だから採用しようと思うんだが、問題はないということだな」


「見た目はあんなんですが、根はいい奴なんです。それは私が保証しますよ」


「分かった。だが、最低半月は様子を見させてもらう。チャーリーの言葉を信用しないわけじゃないが、合う合わないっていうのはあるからな」


「それでいいと思います。気になることがあったら連絡してください。内気な奴なんで」


 5日後の三月十日の朝、ジェイクは自分の調理道具などを持って店にやってきた。


「お世話になります。師匠と呼んでもいいでしょうか」


「師匠か……照れくさいが、そう呼びたいならそれで構わない」


「ありがとうございます! では、何をしたらいいでしょうか!」


 やる気になっている姿に、こちらも気を引き締める。


「まずは店の前の掃除からだ。それが終わったら店内の拭き掃除……」


 初めての弟子、ジェイクに仕事を教えていく。

 前の店と全く違うやり方に戸惑いが見えるが、心構えなどを話していくうちに次第に戸惑いは消えていった。


 十一時になると出勤してきたマリーとの顔合わせだ。

 既に昨夜のうちに話してある。


「夕べ話したジェイクだ。今日から厨房で手伝いをしてもらう。こっちはさっき話したマリーだ。給仕と会計をやってもらっているから、さっき教えた伝票のやり取りで分からないことがあったら聞いたらいい」


「分かりました、師匠。よろしくお願いします。女将さん」


「「お、女将さん!」」と俺とマリーが同時に叫ぶ。


「あれ? チャーリーさんからそのうち女将さんになるから慣れておけって……違いました?」


 どうやらチャーリーのいたずらだったようだ。


 その日の営業で常連客にジェイクを紹介していく。

 既に何度も客として見ているので驚かれるものの、好意的だった。


「頑張れよ」


「この店の味を覚えたら一流だが、焦らずにな」


 そんな感じで激励されていた。


 一人増えたことで俺の負担は一気に減った。

 特に後片付けは深夜に及ぶか、下手をすると翌朝に回すことすらあったが、ジェイクと手分けして行うことで閉店後、二時間ほどで終わるようになった。


 まだ、下拵えを完全に任せられるほどの腕はないが、包丁使いは悪くないので、キャベツや玉ねぎの下処理などは任せられる。これだけでもずいぶん楽になった。


 2日後、店の休業日を利用し、彼の歓迎会を行った。

 ジェイクの知り合いであるチャーリーだけでなく、ダスティン・ノードリーやフィル・ソーンダイクの家族も参加し、和気あいあいとした雰囲気だった。


 酒も入り、少し酔ったジェイクがチャーリーに絡む。


「マリーさんが女将さんになるっていうから、最初にそう言ったら師匠とマリーさんに絶句されたんですよ」


 チャーリーは意に介さず、ニヤニヤ笑いながらジェイクの肩に手を置く。


「ちょっと早いだけだ。そのうち、そう言わないといけなくなるから慣れておいた方がいい」


「そうだぞ。今のうちから慣れておいた方がいい」とダスティンまで悪乗りする。


 マリーは娘のケイトと参加しており、真っ赤な顔になっていた。


「ママ、“オカミサン”って何?」とケイトが聞くため、更に赤くなる。


 10日後、ジェイクはうちで住み込むことになった。

 店をオープンして二ヶ月、順風満帆だ。

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