初めての奴隷
「さっきまでここを使っていたんだ。詰所に部屋が一部屋しかなくてな。」
部屋が汚れていて申し訳ないな、と彼は言う。
まだ死んではないが、顔が分からなくなるほど腫れ上がり、涎と涙と糞尿を垂れ流すこれを、下卑た顔で見せつけるわけでも、罪悪感のある顔で隠すわけでもなく、なんでもない様に部屋が汚れていて申し訳ないとこの騎士は言ったのだ。
彼にとってはごく当たり前の事なのだろう。
どうやらこの世界は血と暴力、死が身近に存在しているようだ。
存外、文化の差は大きそうである。
「あー、犯罪者か何かで?」
「いや、奴隷さ。ほら、首輪をしているだろ?
脱走したんだ。確か3度目だったかな?
飼い主は怒り心頭で、もう要らないからこっちで処分しといてくれってさ。全く。たまったもんじゃないよ。」
ほう。この世界には奴隷がいるのか!
奴隷制度。
洋の東西を問わず、どの国でも使われてきた非人道的であり、ある意味効率的な制度だ。
有名所だと古代ローマの奴隷、植民地政策によって太陽が沈まないと謳われる程に版図を拡げたスペインやイギリス等など。アメリカにも奴隷はいたし、日本でも穢多非人と言う制度があった。
奴隷という労働力自体、有り触れた手っ取り早い富国強兵カードだ。ブラック企業経営者である私としてはこれは否定するつもりは毛頭無い。
だってそうだろう?
薄給で重労働を課せられるブラック社員と奴隷に如何程の違いがあるのか!
……いや、流石に逃げただけでこんな目に合う奴隷の方が酷いな。
と言うか、逃げた奴を必死に捕まえるより新しい人材を探す方が楽だと思うのだが違うのだろうか?
日本では履いて捨てるほど人がいたからな。
人口が違うのかもしれん。
ふむ。まぁ物は試しだ。
「良ければ私がこの奴隷を買い取りましょうか?
まぁ宝石の売れ行き次第ですがね。」
「そいつは助かる!正直、3度も脱走した奴隷なんて引き取り手もいないから殺処分するしかないからな!譲渡契約の方が手間も少ない!」
ペットかなにかかな?
まぁ人権も何もない世界っぽいし、さもありなん。
「それに買取は心配するな。なんせドライセル男爵は俺の父親だ。それにこの奴隷の飼い主も結局は親父だしな。悪い様にはしないさ!」
おおぅ……。お貴族様でしたか。
◆◆◆◆
よくよく考えれば、治安維持部隊たる騎士団は当然体制側の人間だし、領主の近親者や関係者が多くて当たり前だろう。
領主の息子だったのはたまたまだが、この事は今後も覚えておいて損は無い情報だな。
領主の息子は、家の人間を呼んでくる!と俺と倒れた奴隷の女を放置してどこかへ走り去って行った。
ちなみに勝手に外に出て町をぶらつくのは自由だが、面倒事になっても知らんからなと脅された。
手持ち無沙汰だったので何ともなしに倒れた女を見る。
顔は……、うん。
ジャガイモみたいに腫れ上がり目や口、鼻から色んな液体が流れている。
覆われた布をめくって見ると身体の方も痣と血と泥、糞尿でぐちゃぐちゃだ。
局部を隠す程度のボロ布と身分を示すゴツイ首輪だけを身につけている。
「ふぅむ。切り傷はなく打撲だけか……。骨も派手に折れてはいないな。まぁヒビくらいは入っているだろうが……。」
チートで湿布とか出せないだろうかとカバンをゴソゴソ漁る。
別にカバンはなくてもチートは発動するが、人に見られない様にカバンは必須だろう。
「ど、奴隷は働、けないと……価値が、ないか、らね。」
あぁ、なるほど。
奴隷は飼い主の財産だし、あくまでも働き手。
殺さない程度に加減はされているのか……って!?
起きてたのか!?
「はな、しは聞いてた……。も、う放、っておいて。わ、私、はこのま、ま……死に、たい。」
腫れ上がった肉の隙間から見える瞳は暗く、ボロボロの身体も相まって、生きる事を拒絶しているのが伝わってくる。
あぁ、この暗い目は覚えがあるな……。
中学生の時、父に捨てられた母が自殺する前にこんな目をしていた。
背伸びをして入った進学校で、ついていけなくなって虐められていた時の私も同じ様な目をしていた。
私の嫌いな目だ。
「……気に入らんな。」
◇◇◇◇
そう言い放つとこの異邦の行商人はカバンから白い布を取り出して私に貼り付けた。
身体の感覚なんてとうになかった筈なのに、一瞬ひんやりすると、暖かい何かが身体に染み込んでくる。
「何故お前はこれをチャンスだと思わない。そんなボロボロになるまで逃げ出したかったんだろう?」
チャンス―――?
何を言っているんだろう?
こんな半死半生の私がどんなチャンスを掴んだと言うのだろうか……。
「私は見ての通り独り身で、行商人だ。この町にいるよりも遥かに逃げ出すチャンスがある。私に買われた方がより有利だと思わんのか?」
……は?
どうやら私は死にかけて耳がおかしくなったらしい。
「目的の為なら手段を選ぶな。取り入れ。騙せ。油断を誘え、利用しろ。泥を啜ってでもチャンスをもぎ取れ。そしてチャンスを掴んだのなら石にかじりついてでも物にしろ!」
患部に白い布を貼り付けながら淡々と、でもどこか熱っぽくこの人は語る。
布を貼り付けられた所は冷たいのに、胸の奥がジワジワと熱くなる。
まるで、この人の熱が私に宿って来る様な―――。
「お前はどうしたい?」
熱い。
あれ程殴られた痛みは既になく、次第に胸の熱さが身体中に伝わって来る。
これは、魔力……?
まるで天地開闢に匹敵するかの様な膨大な魔力が私の中に渦巻いている。
熱に浮かされながら目を開くと、あの人の顔が見えた。
少し癖のある短い黒髪。
破魔の力を宿した
歳の頃は3、40代くらいだろうか?
私よりも遥かに幼いだろう。
どこか冷たく、でも真摯な、青炎のような視線が私を射抜く。
「死にたく、ない。ここいても殺されるだけ。だから、貴方と共に―――!!」
抑えきれない莫大な熱が外に漏れだし。
私は光に包まれた。
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