枢機卿と泣き虫
エルエスト王国。
その王が住まう都市。王都エルエスト。
遷都されたのはここ100年程らしい。
王城を基点にした東西南北に大きなメインストーリートがあり、それを中心として碁盤目状に都市が区画されている。
一言で言うなら洋風の京都や中世風のニューヨークと言った風体だ。
「ふぅむ。かなり緻密に都市計画された近代都市と言った所だな。」
「ええ。ですが、それは中心街に限った話ですわ。」
ポツリと感想を漏らすとフラウ君が補足説明をしてくれる。
フラウ君の人差し指にポゥと光が灯り、宙空に四角とその外側に大きな丸を描く。
「区画整理されているのは王族と貴族が住まうこの正方形の中心街だけでその外側に広がる平民が住む外輪街は混沌としているそうです。まぁ、それでも雑多な地方都市よりしっかりはしていると聞きますが……。」
別によくある話だ。
どんなに栄華を誇った国でもスラム街はあったし、現代日本ですら高級住宅街の川1本挟んだ向こう岸があまり治安のよろしくない地域なんて事もよくあるし、山の上の住宅街と麓の住宅街で地価が全然違うなんて事もよくある。
「ある意味合理的だろう。金持ちと貧乏人を混ぜても良い事などないさ。お互い不幸になるだけだ。」
神戸の六麓〇町とか本気でやばいからな。
私は金持ちだったが所詮成り上がりだ。
あそこら辺に住んでるのは由緒ある金持ちだ。
1度あそこで別荘を買おうとした事があったが、色々地元ルールが面倒くさくて諦めてハワイの別荘を買った事がある。
あそこの町内会は普通に市や県を動かせる程の歴史のある金持ち地域だ。
何と言うか常識が違うんだよなぁ。
「そんなものですか?」
パチクりと目を瞬かせるフラウ君。
「そりゃあそうさ。持たざる者は不幸かもしれんが、持つが故の苦労はある。世は不満と不平に満ちているもんだ。」
バーバレストのお家騒動何か典型例だ。
誰が会社や家を継ぐかで揉めるのは古今東西ありふれた話である。
それを聞いたフラウ君がやはり社長にこの国を……何て不穏な事を呟きだす。
いやいや、私は単なる一般市民だからね?
「あー、社長。含蓄のあるお話の最中、大変恐縮何ですが……。」
「ここどこよ!?さっき通された扉は何!?
絶対何かの魔術が働いてたわよね!?」
アルトス君とマリーナ君が詰め寄って来る。
マリーナ君はいつもテンションが高いなぁ。
「ここは王都だよ。さっき通った扉は空間魔法を使った転移門だ。王都で商談があるから護衛を頼みたいと言っただろう?」
少しムッとした顔をしているフラウ君を諌めて私から説明する。
「魔法!?さっきのが魔法なの!?しかも空間を統べる最上位魔法……。わ、私、深淵に触れちゃった……。」
何やらよく分からない事をぶつぶつと呟き出すマリーナ君。
「ここは王都のどの辺?商人ギルドなら中心街にあったはず。外輪街はともかく中心街は中に入るのも少し面倒だったと思うんだけど。」
「レティ君はいつも冷静だねぇ。ここは王都近くに建てた小屋の中だよ。」
フラウ君の説明によると王都から1キロほど離れた場所に建てた簡易の小屋らしい。
「小屋って言うか家……いや。下手したら屋敷になると思うがねぇ。壁も魔樹やら何やらを使ってるし、下手な砦より頑丈そうだ。」
そうなのか?
まぁ魔樹はウチの近所で採れるありふれた建材だから多用している。
今いるのは王都付近にダレン君とルーミエ君が建てた50畳くらいの大きなプレハブを組み合わせた簡易の家だ。
使用しているプレハブは大小全部で5つ。
まぁそれなりの広さの小屋となっている。
魔樹やらで造った箱を空間魔法で取り出して重ねただけのお手軽建築だ。
日本でこんな事をしたら大問題だが、この世界では勝手に家を建てても怒られはしないらしい。
いきなり王都に転移すれば良いと思うのだが、それは駄目らしい。
何でも王都は魔術的に警戒が厳重らしく転移の魔力反応を察知されるからとか何とかフラウ君が言っていた。
「私は素人なので分かってないが、ウチの魔術の先生によると王都の警戒網に引っ掛からないようにする為の物らしい。この建物の中なら転移しても外からは察知されないんだろう?」
「はい。社長。ダレンとルーミエの魔術の腕は最近メキメキと上達しています。この精度なら問題はないかと思いますわ。」
2人の弟子を褒められて嬉しいのか、ほころぶような笑顔でフラウ君が頷く。
先生……。褒められた……。等とぶつぶつ言っているがこれはスルーしておく。
この辺がフラウ君の残念なポイントだよなぁ……。
「つまりこの豪華さはついでか……。相変わらずですね。タチバナ社長。このまますぐにギルドの方に向かわれますか?」
さっきからそわそわしているアーノルド氏が言う。
何と言うか初めて大口案件を担当した新人営業マンみたいな顔をしているな。
いや、事実その通りなのだろう。
昨日何か一睡も出来なかったと言っていたし、彼の為にもさっさと終わらせてしまおう。
私としても治安のよろしくない都市に長居はしたくない。
「そうですな。そろそろダレン君とルーミエ君が戻って来るかと―――。」
「お待たせしました。社長。」
ブォンと空間が揺れてダレン君とルーミエ君が虚空から現れた。
「聖痕教会と話が付きました。王都への
「おお。それは楽で良いな!
ふふふ。偉い人とコネは作っておくものだ。」
バーバレスト領にいる聖痕教会の司祭を通じてこの国の教会に私の情報が回っているらしい。
曰く、何か面倒事があれば全身全霊を掛けて解決するから必ず教会を頼るようにと言われている。
ついさっき相談したばかりなのに早々に対応してくれるとはやはり賄賂の効果だな!
間違いなく教会は腐っていると見える。
◇◇◇◇
「急げ急げ急げ!!1秒遅れると1人死ぬと思え!」
王都の教会は正に戦場だった。
命令書を持った何人もの小姓が教会内外を走り回り、聖堂騎士と呼ばれる教会所属の騎士達がピリピリとした雰囲気で緊急出動に備えている。
執務室では醜く太った大男が声を張り上げていた。
ワイロスキー枢機卿。
エルエスト王国の教会組織を統括する枢機卿だ。
白と金糸で作られた法衣が全く似合っておらず、
本来ならゆったりとしたシルエットの服が弾け飛びそうなほど膨れ上がっている。
そんな醜悪な男が苛立ちを隠そうともせず、周りに声を張り上げていた。
「ワイロスキー枢機卿!貴族や王族への連絡はいかが致しましょう!?」
「握り潰せ!いいか!?くれぐれも世俗の人間にはこの事を知らせるな!下手に薮をつつけば出てくるのは蛇どころか邪神だぞ!」
「ワイロスキー枢機卿!こちらが予定誘導ルートになります。」
「スラムの方から王都に入れて商人ギルドに向かわせるのか。……貴様。よもやスラムの流民や貧困者なら死んでも良いと考えてはおらぬだろうな?
全ての人間種は神の御名の下平等なのだぞ?例えそれが奴隷であろうともだ!」
ギロリと神父を睨むワイロスキー枢機卿。
見た目はどう見ても生臭坊主だが、ワイロスキー枢機卿はとても信心深く慈愛精神に満ち溢れていた。
「ま、まさか!ただ、スラム街の住人なら炊き出し等を理由に避難誘導させやすいと考えまして……」
「―――なら良い。炊き出しは大々的にせよ。どうせ邪神対策として本部から予算を引っ張れるからな。ついでにスラムにいる身体がよくない者に対しても無料で治療をしたら良いだろう。」
「すぐに手配致します!」
「わ、ワイロスキー枢機卿!」
「今度はなんだ!?」
「あ、あのしゃ、社員と名乗る少年と少女が……!」
刹那。
虚空から黒い人ではない何かが現れた。
「お忙しい所大変恐縮です。ワイロスキー枢機卿。
お迎えに上がりました。」
ダレンと名乗る黒い何かはまるで人間の少年のような姿をしている。
しかし、その身体から発せられる魔力も力を帯びた目も、その立ち振る舞いも何もかもが、彼を人ではない何かだと証明しているようだった。
「うむ。CEO……いや、タチバナ殿と言ったか。
何にせよ案内は私がしよう。」
「枢機卿おひとりでですか?」
ダレンの言葉に憤慨した様子を隠すこともなくワイロスキー枢機卿が吠える。
「不足とは言わせぬぞ!人外の者よ!私こそは畏れ多くも教皇を支える13人の枢機卿が1人。
慈愛のワイロスキーだ!他の者を巻き込まないで頂こう!」
ワイロスキー枢機卿は心底タチバナ総合商社を信用していなかった。
神を頭目とした超越者の集団。
彼等が何気なく拳を振るえば村は灰になり、町が吹き飛び、都市が崩れる。
彼等と相対するという事は、腹を空かせた魔獣の前に差し出された豚と同義だ。
他の者に任せる訳にはいかない。
彼からすると全ての信徒も民も己の子に等しい。
死ぬのなら親である自分からだ。
ワイロスキー枢機卿は死を覚悟した瞳でダレンとルーミエを睨みつける。
「構わないわ。むしろ有象無象が社長の手を煩わせる事などあってはならないもの。社長はお優しいから……。」
「ふん。優しいだと?あんな強力な魔剣を大量にばら撒く邪神がか?戦争でも引き起こすつもりとしか思えんな。」
「何ですって……?」
ルーミエの殺気で空気が冷える。
「落ち着きなよルーミエ。ワイロスキー枢機卿。貴方もだ。社長のお言葉では万人に力を持たせる事は即戦争にはなり得ない。むしろ、お互いが力の行使に躊躇する様になる。冷戦と言うらしいけどね。」
「はっ!相互に監視し合う世界という訳か。地獄の様な平和だな。正に混沌を振り撒く者に相応しい言葉だ!愛なき世界に救いなどない!」
ルーミエの殺気を一身に受けても、ワイロスキー枢機卿は怯まずにタチバナを批判する。
「―――っ!」
あまりの剣幕にルーミエが鼻白む。
「……愛。愛ね。貴方の言う愛が万人に降り注ぐのなら文句はないさ。」
ポツリとダレンが口を開く。
「でも、薄汚い脱走奴隷だった僕の腹を満たし、病気だった母さんを助けてくれたのは社長だ。
行くところのない皆に仕事をくれたのも社長だ。
暖かい寝床も!服も!人としての尊厳も!何もかもを社長がくれたんだ!それをあんたなんかに否定は絶対させない……!」
ダレンが放つ魔力が教会を包み込む。
ステンドグラスにヒビが入り、巨大な柱が揺れる。
その目には光がなく、どこまでも冷徹に、無機質に万象を圧殺する魔力圧を放つ。
黒い魔力を撒き散らすその姿はまさに神話に出てくる悪魔の様だ。
しかし、ワイロスキーにはその姿が大切なものを貶されて泣き出す子どもに見えた。
「―――ふん。邪神と言うのは撤回しよう。どうやらタチバナ殿にも愛はある様だな。」
難しい顔をしてワイロスキーがポケットから飴を取り出しダレンとルーミエに手渡す。
「ならばタチバナ殿は我等が信仰する神の1柱。相応の敬意を持って接しよう。……それで良いか?」
「……ええ。分かれば良いわ。」
「僕も文句はない……です。」
泣く子には勝てんとぶつぶつ文句を言いながらワイロスキー枢機卿が声を張り上げる。
「早く案内せい!泣き虫ども!ワシを歩かせる気か!」
慌ててワイロスキーを追い掛ける2人は年相応の子どもに見えた。
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