かつて忘れられた神の名前
「……ぬ?こ、ここは―――?」
目を開けると、そこは馬車の中だった。
窓から見える外の景色は、夕焼けに染まっており、
それなりに長い時間眠っていたようだ。
はて?確かあの白い空間でモリーとマイヤの3人で話してて、それからどうなったっけ?
まだぼんやりしている頭を振りながら、ガチャりと馬車のドアを開ける。
そこには膝まづくスーツ姿の男女がいた。
「おはようございます。社長。」
あー、えっと。誰だっけ?
ウチの社員……だよな?
男の方はかなりガタイが良い。
ログ君は細マッチョだが、コイツはプロレスラーやボディビルダーの様な体格だ。
アメコミのヒーローみたいだな。
短く刈り込んだ灰色の髪、鋼の筋肉を黒いスーツで包み、恭しく膝まづいている。
女の方は品のある美人だ。
亜麻色の長い髪を後ろで結び、空色の瞳を伏せて優雅に膝まづいていていた。
ともすれば野暮ったいシンプルな黒いスーツを優雅に着こなす姿は、女優やモデルとは一線を画す高貴な雰囲気がある。
ここらでようやくボケた頭が回答を出す。
「ん、あぁ。おはよう、モリー、マイヤ。無事に回復出来たようだな。身体に違和感はないか?」
「はい。妻と共に身も心も、魂すらも生まれ変わらせて頂き、感謝に堪えません。
我等の忠誠を生涯捧げさせて頂きます。」
「これから夫共々、頂いた名前に恥ぬ様、タチバナ総合商社の総務として微力を尽くします。」
2人の感謝の念が伝わって来る。
「あぁ。2人には期待しているよ。そもそもウチは、この国の法律や習慣には詳しくなくてね。
そうだな。もう夕方だし、これから食事にしよう。その時に皆に紹介するから。」
「「はい!」」
ふふっ。余程感謝しているんだな。
生まれ変わったなんて大袈裟な……。
……単なる比喩表現だよな?
◇◇◇◇
「め、命名の義……!?既に定められた名前を書き換えたの!?」
マリーナは開いた口が塞がらなかった。
あまりにも驚き過ぎて、手に持っていた摘んで来たばかりの山菜の束を落としてしまう。
先程、いきなり倒れたタチバナが目を覚ました。
特に身体に問題はないらしいが、起きたばかりのタチバナの体調を慮り、今日はここで野営をすることにしたのだ。
食事の用意自体はタチバナ側で用意をする契約になっていたが、ここまでほぼ何もしていないマリーナ達は流石に申し訳なくなり、せめて準備だけでも、と社員達を手伝っていた。
「えぇ。流石は社長です。今後はあの2人はモリーとマイヤとお呼び下さい。詳しくは食事の際にタチバナより紹介がある様です。」
では、食事の準備がありますので、とソフラが微笑みながら告げて立ち去る。
「え、あ、うん。呼び止めて悪かったわね……。」
マリーナはその後ろ姿を、惚けた顔で見送るしか出来なかった。
この世界では名前は魂に刻まれる一種の魔法だ。
魔術ではなく、魔法である。
神から人に与えられた数少ない世界に干渉する法。
名前を魂に刻む事で、人は人足り得る。
そうしなければ、あらゆる人族は魔素を取り込む事が出来ない。
つまり、レベル1以下の状態のままである。
野生動物達の間にも何かしらの方法で命名の義に類する行動があるとさえ言われている。
ちなみに、奴隷が家畜として扱われるのもそれが理由だ。
産まれて命名の義を敢えて行わない、もしくは擬似魔法具である『奴隷の枷』の効果で、名前を一時的に剥奪するのだ。
奴隷とは立場や役職を表す言葉ではない。
名実共に奴隷と言う名の別の種族なのだ。
しかし、マリーナをしてその魂に刻まれた名前を書き換えるなんて離れ技は聞いた事がなかった。
人が生み出した擬似魔法具『奴隷の枷』も一時的に魂の情報を誤魔化しているに過ぎないのだ。
「命名の義は『教会』の秘匿技術よ……。一体どうやって―――。」
「社長の扱う御力は魔術ではなく、魔法の力を扱われています。真名の書き換え程度、造作もない事でしょう。」
いきなり背後から声を掛けられ、ビクッと身を震わせて背後を見ると、澄ました顔でフラウと言う眼鏡を掛けたエルフが立っていた。
「これから向かうバーバレスト侯爵領等の大きな都市では都市に入るのにステータス確認が入りますからね。彼等を連れて行くならば名前は変えておく方が良いでしょう。」
澄ました顔で話してくるフラウ。
しかし、その目は1ミリたりとも笑っていなかった。
不味い。自分は確実にタチバナと言う人ではない何かの力を知り過ぎている。
再三、仲間から諫められていた。
彼女とてその理屈は分かる。
好奇心は猫を殺す。殺されても仕方ない。
しかし、魔術師としての欲求故に、彼女は止まれなかった。
「その白金紅眼、貴方ハイエルフよね?だったら分かるはずよ。アレは人ではな―――。」
ザクザクザクザクザクザクっ!!!
鋭利な刃物の様な殺気が、マリーナの全身を貫く。
足の力が抜けへたり込み、呼吸が浅くなる。
自分は間違いなく、今の瞬間殺されていた。
恐る恐る自分の身体を触り、無事を確認する。
下半身から生暖かい何かが漏れ出していた。
震える身体を抱きしめながら周りを見渡すと、先程まで野営の準備をしていた社員達が手を止めてこちらを射殺すような視線を向けて来る。
少し離れた所で仲間達が血の気の引いた顔でこちらを見ている。
「1度だけ、1度だけ警告します。あの御方を呼ぶ際は敬意を持ってお呼びなさい。貴方は社外の人間ですが、あの御方への不敬は、相応の処罰を受けて頂きます。」
無言で何度も頷くマリーナを見て納得したのか、社員達はまた自分の仕事に戻った。
「い、一体、あの御方はど、どの様な方なんで、すか?あの方からは何の魔力も感じない。私の魔力を観る魔眼には、あの方は仄暗い虚無の穴に見えます。なのに魔法を、神の力を自在に操っておられる。」
この様な目にあってもまだ懲りないマリーナにため息をつくフラウ。
「懲りませんね、貴方も。まぁそれこそが森と魔術に全てを捧げた森神の子孫。エルフの血なのでしょう。その少し尖った耳、貴方の血には我々エルフの血が流れているのでしょう?」
「……先祖返りと言われています。」
「違う森に咲くとは言え、始祖たる大樹から枝分かれした枝同士、その気持ちは分かります。」
そこで区切り、マリーナの目を見てフラウが告げる。
「貴方の言を借りれば、あの御方はこの世界に空いた仄暗い穴。穴の向こう側より流れ出る無限の魔力を己が意思で操っておられるのでしょう。」
「む、無限の魔力……!?そ、そんなの、そんなのまるで―――」
神ではないか……。
予想も予感もしていた。
だが、あまりにも当然の事のように話すフラウの言葉に、マリーナはその結論を口に出す事が出来なかった。
39名の超越者を従えた神の如き者。
その有り様は慈愛に満ちている様で、狡猾な様にも見える。間が抜けている様で、全て彼の計算の内のようにも見える。
―――あぁ、そうだ。
マリーナは遥か昔に名前すら忘れ去られた、古い古い
古代の石版で名前さえ削り取られ、たった3文字の頭文字で表された恐るべき力を持つ荒ぶる神。
その名は―――。
「
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