命名の義

◇◇◇◇



マイヤール・フォン・バーバレストは侯爵家の一人娘として生を受けた。


幼い頃から利発な子どもで、子どもながら自分の役割を認識しており、いつかこの家の為、婿を取るのだと考えていた。


しかし、自分とて好みはある。


いくら家の為とは言え、親子ほども年の離れた婚約者などあてがわれても困るし、ましてやその婿が家名だけのロクデナシでは目も当てられない。


そうだ。

ならば自分で相応しい婚約者を見つけよう。


歳はやはり近い方が良い。平民は論外だが、そこまで高い身分である必要もない。


戦国の世ならいざ知らず、今のエルエスト王国は安定している。


下手に同格以上の貴族と結び付くのも、それはそれで叛意を疑われ考え物だ。


そんな事を考えている時、今は亡き父に、彼を紹介された。



モーリアス・グラハルト。



代々バーバレスト家に使える騎士階級の家の少年で、その類まれな剣の才能を見込まれ、幼いながらマイヤールの護衛として採用されたらしい。


率直に言って一目惚れだった。



歳の頃は自分とそう変わらないのに、スラリとした引き締まった手足。

日々の訓練で少年から、戦う騎士の身体に作り替えているであろう筋肉などは垂涎物だし、短く整えられた灰色の髪は清潔で、荒くれ者の多い他の騎士を見比べても高評価だ。


バーバレスト家は武門だ。

剣の腕が良いと言うのも素晴らしい。


そして、何より目が良い。

彼はどこまでも真っ直ぐ前だけを見ていた。


その目からは彼、が裏表のない人である事も、その剣の腕も愚直な修練の末に手に入れた事も伝わって来る。


騎士階級はギリギリ貴族を名乗れる身分だ。

侯爵家の仕来り等を覚えてもらう必要はあるが、まだ幼い未来の旦那様を今から教育すれば良いのだ。



結論から言えば、マイヤールの思惑は成功した。


20歳を過ぎる頃には、モーリアスは領内でも並ぶ者なき騎士となり、領主たる父親の覚えも目出度いひと角の人物となっていた。



◇◇◇◇



「―――分かります!?折角!せっっかく!小さい頃から色々根回しして、既成事実を積み上げて、ようやく婚約までこぎ着けたのに!!」


「あー、うん。私も力を入れていたプロジェクトがコケた経験はあるよ。マイヤール君。」


「マイヤール。タチバナ様も困惑されている。少し落ち着こうか。」


「ふっふっふっ。楽しい奥方じゃあないか。モーリアス君。お茶のおかわりは?」


「恐縮です。」




前後左右何もない真っ白い空間。

まるで初めてタチバナが神と出会った時にいた空間の様だ。


そこにタチバナとマイヤール、モーリアスの3人が丸いティーテーブルに腰をかけ、お茶を楽しんでいる。


最初は混乱していたタチバナだったが、ここは現実ではなく、無意識に自らがチートで作り出した一種の精神世界なのだと気付いてからは、いつもの調子を取り戻した。


精神世界の意味は分からなくとも、少なくても己が起こしたことだと分かる程度には、チートはタチバナに馴染んでいた。



彼の中に宿ったチートとは、この世界を構成する因子、魔素エーテルをタチバナの望むがままに操るものである。


つまりは魔法。


この世の全てを操る力である。



「―――さて。」


パンと手を叩いてタチバナが話題を変える。


「君達はどうしたい?

私としては、このまま君達を蘇生し、雇い入れたいと考えている。業務内容は総務的な事をお願いするつもりだ。平たく言えば、行商を始めるに当たって出てくる手続き一切を任せたい。」



「……法ですか。つまり、商売を始めるにあたっての国やギルドへの各種手続きや折衝ですか?それに領地毎の関税対策とかかしら?」


「行商されるのであれば、各領地ごとの法律も確認される方が良いでしょうな。エルエスト王国は広い。地域が変われば税の対象も変わるし、領地毎に税率も変わる。他国も含めてとなるとそれはさらに多岐に渡るでしょう。」


タチバナの話を聞いて形の整った顎に手をやりながら考え込むマイヤールと、彼女の思考の補足をするモーリアス。


この国は領地毎に税率が変わる。

国の法律として一律で税がある訳ではなく、品物に対して税率が変わり、さらに領地によってもそれすら変わると言う、かなり煩雑な法律になっていた。


様々な商品を扱う総合的な商店が生まれにくい構造をしており、逆に1種類や2種類くらいの品しか扱わない専門的な店が多く、既存の商人に利益が回りやすい構造である。



「流石に優秀だな。どうだろう?2人とも部長待遇で雇おうじゃあないか。」


「……タチバナ様。この度のお話、願ってもないことでございます。しかし、貴方にお仕えするのは私だけにはなりませぬか?私ならば貴族と言えど、所詮は騎士階級。平民と変わりません。マイヤールは侯爵家に連ならる身。平民と同じく商人として働かせると言うのはあまりにも―――。」


「モーリアス。私など、所詮は当主になりそこねた単なる小娘に過ぎません。そんな私をタチバナ様は高く評価して頂いているご様子。

商人風に言うのならば、今が売り時です。」


「た、確かに今は雌伏の時!しかし、必ずや返り咲く機会は……!」


「叔父様は私と貴方の命を狙った。つまり、領内の掌握は既に終わらせていると考えるべきです。ノコノコと戻った所で殺されるのが関の山でしょう。」


タチバナは片眉を上げ、ニヤリと笑い、内心のマイヤールの評価を上げる。


ちなみに、基本的にタチバナの評価は加点主義だ。


減点主義者の様に、あらゆる事を出来て当然と考えるのは、むしろ頼んだ側の甘えであり楽天的過ぎると考えていた。



「……それに、私は貴方さえ居てくれれば、それで別に構わないのです。

貴族でも平民でも何にでもなりましょう……。


最初は単なる打算から始まった恋でした。

でも、今は貴方さえ居れば―――。」


「マイヤール……。」



「話は決まった様だな。モーリアス君。

それとも、君はまだ侯爵になりたいかね?」


皮肉を込めてた笑いを浮かべるタチバナに、苦笑を返すモーリアス。


「元より、侯爵を目指したのは、マイヤールと結婚するにはそうするしかなかったからです。

私の方こそ、奴隷になっても構いません。マイヤールと共に歩めるのであれば、私の忠誠を貴方に捧げましょう。」


満足気に大きくタチバナへ頷く。


その顔は狙った獲物を手に入れた悪魔のようであり、慈悲深い神の様でもあった。



「ふむ。となれば、早く起きて治療をしてしまおう。あ、そうだ。2人とも名前が貴族っぽくて少々長いからな。今後は、そうだな。モリーとマイヤと呼んで良いか?」


カッ!!!


タチバナが言うが早いか、一際大きくタチバナの右手が光り出す。


「こ、これは命名の義!?」


「名前の上書きだと!?『教会』の司祭でもこんな事は―――!」


「ちょっ!光が、止まらな―――!」



そうして3人の意識は暗転した。

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