第4章 剣舞祭
第28話 とある出場者たちの放課後
――ある日の放課後。
ウィンデスタール魔法学院、第3演習場。
演習場のなかでもひときわ大きなその場所では、剣舞祭が近いこともあって多くの生徒が剣や魔法の鍛錬に励んでいた。
そのなかにブラットの弟アルベルト・フォン・ピシュテルの姿があった。
演習場を大きく陣取って側近のディノと激しく剣を打ちあわせ、試合形式の稽古で最終調整を行っているところだった。
「――はあっ!」
演習場に響くアルベルトの気合いの声。
アルベルトが声とともにディノの剣を勢いよく押しかえすと、同時にディノはうしろによろめき、体勢をわずかにくずした。
その隙をアルベルトは見逃さない。
次の瞬間には、アルベルトの剣の切っ先はディノの喉元に突きつけられていた。
勝負あり、である。
「お……お見事ッス」
突きつけられた喉元の剣を見つめ、ディノはごくりと唾をのみくだす。
アルベルトが身をひるがえして剣から血を払うような仕草をすると、まわりの生徒たちから歓声とともに拍手が起こった。
優勝候補であるアルベルトを敵情視察に来ている剣舞祭出場者たち、そして純粋にアルベルトのファンたちが観戦していたのだ。
「……今日は終わりだ」
アルベルトは観戦者たちをちらと横目に見て、ディノにそう告げた。
「え……剣舞祭が近いっていうのに、もう終わりでいいんスか!?」
「終わりだ、二度言わせるな」
アルベルトが鋭く目を細めると、ディノはヒッと怯えたように一歩後ずさる。
も、申し訳ないッス! と慌てて頭をさげるディノを一瞥したのち、アルベルトはさっさと演習場の出口へと足を向けた。
しかしその途中――
『アルベルトさま……今日も凛々しいわ。剣術も冴えわたっているようですし、やはり剣舞祭もアルベルトさまが優勝かしら?』
『しかし最近はブラットさまも負けていませんことよ。この前はアルベルトさまが苦戦した魔物を見事討伐なさったそうですし!』
『確かにブラットさまもがんばってらっしゃるわね。かくいうわたくしもブラットさま派ですもの。陛下に似た褐色の肌がものすごく神秘的でお顔がとにかくお美しく、それでいて紳士なかたですから推せますわ♡』
『わかりますわ。貧民や平民に向けた“身を切る改革”と言い、ブラットさまは万人におやさしいかたですわよね。そういえば、ブラットさまに広場で救っていただいたかたたちを中心に親衛隊も結成されたそうですわよ』
『まあ! わたくしもぜひ参加したいわ♡』
生徒たちのそんな会話が耳に届く。
(くっ、なぜだ……)
アルベルトは生徒たちに貴公子の微笑を向けつつ、内心で歯噛みする。
今日は剣舞祭が近いこともあって、ディノの言うように長時間鍛錬に励む予定だったのだ。しかしそれでも鍛錬を中断したのは、ときおり聞こえてくる彼ら観戦者の会話に心を乱されてしまったからだった。
(なぜ……兄上が評価されているのだ!?)
アルベルトは内心で叫ぶ。
ついこの前までは“黒豚”とバカにされ、自分の引きたて役でしかなかった兄ブラット。それがいつのまにか人々に認められ、自分と比べられるほどになり、さらには自分よりも評価されつつあるではないか。
それも一部の人間の話ではない。
この学院の生徒だけにとどまらず、宮廷の人間や民衆にいたるまで、ブラットを再評価しようという空気になりつつあるのだ。
意味が、わからなかった。
ブラットは散々これまで高慢な立ち居振るまいをしてきのだ。それがこの数ヶ月のあいだ少し改心したように振るまっているだけで、人々のこの見事なまでの手のひらがえしはどういうわけだと思う。
(……認めざるをえないのか、その手腕を)
演習場を出たところで壁に手をつき、うなだれるアルベルト。
ブラットは“黒豚”と呼ばれてバカにされていた最底辺の状況から、たった三ヶ月ほどで劇的な変化を遂げて民心を掌握しつつある。
私財を投げうって教育や医療事業に投資をすることで“身を切る改革”として民衆の注目を集めはじめた当初は、アルベルトもいまさらそんなふうに民衆に媚びを売っても遅いと小馬鹿にしていたのだ。
しかし、民衆も現金なもの。
ブラットがどこからか集めてきた膨大な資金をふんだんに追加投資しつづけると、疑心暗鬼だった民の心はいつしかほぐれ、ついにブラット支持を表明するものが現れはじめた。そして民心は流れに乗るように一気に動き、結果この短期間でブラットは多くの民の心をつかむにいたっているのだった。
民だけではない。
貴族たちもだ。
貴族というのは地位的には民よりも上なのだが、そのスタンスや立ち居振るまいというものは、民心に大きく左右される。
つまりはブラットが民心をつかんだことで、貴族も行動方針を考えるうえでブラットを再評価せざるをえなくなったわけだ。
そしてブラットの昨今の行いを見て、ブラットの人気が上辺だけのものでなく、中身のともなったものであると貴族の多くが判断した。結果、民だけでなく貴族の心までもブラット支持へと動きつつあるのだった。
学院の生徒についても同じだ。
親である貴族が評価しつつあることもあり、このブラットの変化を好意的に受けいれるものが大半だった。“黒豚”と呼んで小馬鹿にしていたものは居心地が悪そうだが、その多くが手のひらをかえしつつある。
(これもすべて……想定通りなのだろうな)
あの中庭での試合を思いだす。
実力では完全にアルベルトが勝っていたというのに、それでもブラットに引きわけへと持ちこまれた。それだけではない。ワンチャンスをつくられ、危うくアルベルトは敗北を喫するところだったのだ。
あの底知れない知略を見ると、すべてここまでブラットの計画通りなのだろう。アルベルトがコツコツと築きあげてきたものを、兄はその卓越した頭脳で一瞬で手に入れつつあるのだ。すさまじい手腕である。
(そして、なによりあの力……)
先日、広場に出現したワーウルフロード。
あれはとてつもない強さだった。
熟練の騎士たちをものの一撃で薙ぎたおし、さらにはアルベルトも歯が立たないほどのバケモノだった。それをあのブラットはたったの一撃で討伐してしまったのだ。
一撃だったのは騎士や自分が弱らせていたからこそだろうが、数ヶ月前までのブラットとは比較にならぬほどに強くなっている。
(……まるで、以前の兄上みたいだ)
アルベルトは幼少期の兄を思いだす。
実は幼少期、ブラットはアルベルトよりも優秀だった。むしろアルベルトのほうが出来が悪いと言われていたぐらいだったのだ。
そしてアルベルトは物心ついたころからそんな優秀な兄に強い憧れを抱き、親鳥を追うヒナのようについてまわっていたものだ。
憧れの兄に追いつくため、剣術にしろ魔法にしろ必死に努力していたのだ。
(兄上……なぜ変わってしまったのだ)
しかし兄弟ふたりでそのまま切磋琢磨して成長していければよかったのだが、そうそう現実はうまくはいかなかった。
ある日のことだ。
ブラットが努力をやめてしまったのだ。
学院入学前ぐらいだったろうか。ブラットはいきなり剣術も魔法も学業もサボりがちになり、努力を拒むようになったのだ。
なにが原因かはわからない。
アルベルトや周囲の人々が何度も原因を訊いたものの、ブラットはただ「面倒になった」とこたえるだけだったからだ。
結果、ブラットは学院に通う以外は部屋に引きこもるようになり、いつしかあの“黒豚”の姿になってしまったのだった。
アルベルトはショックだった。
憧れの兄が醜悪な姿になって落ちぶれていくのを見るのもだが、なによりアルベルトの必死に求めた地位や名誉を兄がゴミのように容易に捨てたというその事実が。
これまでの自分の努力を、自分のすべてを否定されたような感覚だった。
アルベルトも最初はブラットをどうにか説得しようとしていたのだ。だがブラットがふたたびやる気を取りもどすことはなく。
無様に落ちぶれていく兄にアルベルトは次第に幻滅し、ついには顔を合わせるたびにケンカをするような関係になっていった。
もはや以前の兄は戻らない。憧れだった兄は消えてしまったのだ。
いまとなってはそう思っていたのだが――
(なぜいまさら……)
なぜいまさらやる気を取りもどし、以前の憧れの兄の面影を見せるのか。
ブラットのことを考えるたびにいろいろな感情がアルベルトのなかでないまぜになって暴れまわり、心がひどくかき乱されていた。
(……いや、理由なんてもはやどうでもいい。兄上がおれの前に立ちふさがるというのなら、全力で叩きつぶすだけだ)
アルベルトはそれを振りはらうように、ぶんぶんと首を振った。
(剣舞祭で教えてやる)
いまさらやる気を出しても、もう遅いということを。兄がサボっているうちに自分は兄の数段さきにいっているのだということを。
しかしそう決心したそのとき――
『――本当に勝てるのかしら?』
声が、聞こえた。
どこか妖艶な女の声。
静かな――だが聞きいってしまう声だ。
「……?」
アルベルトはあたりを見回す。
しかし、女の姿は見当たらない。
幻聴だったのかと眉をひそめると、しかしその心を読んだかのようなタイミングで、女は艶のある声で言葉をつむいだ。
『……広場での魔物との戦いぶりを見たでしょう? 貴方の兄は以前と比較にならぬぐらいに強くなっている。以前に戦ったときは引きわけだったみたいだけれど、成長したいまの彼に貴方が勝てると思う?』
まるで耳元でささやくように、アルベルトに語りかけてくる。
ふたたび周囲に視線をめぐらせてみるが、やはり女の姿はない。
アルベルトは目を細め、
「……黙れ、貴様は何者だ?」
『わたくしが何者かなんてことは取るにたらない些細なこと。それよりも……本当は兄に勝てないと思っているのでしょう?』
アルベルトは忌々しげに舌打ちする。
姿も見当たらず、何者かも判然としない。
心に直接語りかける魔導具か魔法かを用いているのだろうが、ブラットの信奉者の誰かが自分をからかっているのだろうか。
「……ほざけ、勝てるに決まっている。確かに兄上は強くなったようだが、しょせんその力は数ヶ月の鍛錬による付け焼き刃だ。おれはこれまでコツコツと力をつけてきた。戦の神はおれに味方するだろう。黙って兄上が地を舐めるところを見ておけ」
『あら……ならばなぜ、貴方の心はこうもかき乱されているのかしら? 本当はわかっているのでしょう? いまの自分ではあの兄には勝てないということが』
嘲笑するような女の声に――
「――黙れと言っている!!!」
アルベルトはついに声を荒らげた。
声とともにアルベルトの体から魔力があふれ、それが波動のように広がる。強烈な魔力の波動がびりびりと空気を震わせた。
常人ならば震えあがるその威圧を受けてなお、女は微笑をやめない。
『フフフ……まるで強がって威嚇する
力を貸す? と眉をひそめるアルベルト。
『そう……力。あなたには兄に負けないぐらいの才能があるわ。ただ、あなたは使い方がわかっていない。だから教えてあげる』
「……失せろ。何者かもわからぬものの力など借りられるか。そもそもおれは兄上などに負けん。兄上の信奉者だろうが、これ以上の狼藉を働けばこのアルベルトをおちょくったことをその身をもって後悔させてくれる」
アルベルトが恫喝するように吼えると、女は愉しげに笑った。
『あらあら……それは恐ろしいこと。貴方は意固地みたいだから、今日のところは引きさがろうかしら。ショーを盛りあげるために、ほかにも準備をしなくちゃいけないことがあるの。あ、でも助けがほしかったらいつでも言ってちょうだいね? わたくしはいつでも貴方のことを見ているから』
そう告げるなり、女の気配は幻だったかのように消えてしまった。
しばし待ってみたが、ふたたび女の声が聞こえることはなかった。
本当に立ちさったようだ。
「……ふう」
アルベルトは一仕事終えたあとかのように一息つき、その場にうなだれる。
やけに精神力を削がれてしまっていた。
(いったい、なんだったのだ……)
それなりに修羅場を乗りこえてきたアルベルトが、これほどに気疲れするほどの存在感を持つものはそうそういないはずだが。
ブラットの信奉者が自分に悪質なイタズラをしかけただけだろうとは思いつつも、どこか引っかかる感覚があった。
(……まあいい。おれは誰かの助けなんてなくても、兄上に勝つ。さすれば、この胸のわだかまりもおのずと消えるだろう)
アルベルトは拳を握りしめ、あらためてそう決意するのだった。
*
一方、アルベルトが去ったあとの第3演習場には、まだアルベルトの側近ことディノ・シュヴァルツァーの姿があった。
しかし鍛錬にはげんでいるわけではなく、すでに鍛錬用の衣服から着替えを終え、さっさと演習場を出ていくところであった。
(
ディノは鍛錬にはげんでいる生徒たちを鼻で笑い、演習場を出た。
まったくよくやるよ、と思う。
一日や二日で自分の実力が変わるわけでもないし、たとえ変わったとしても才能のある人間には結局勝てるわけがないというのに。
(おっと……帰る前に日課日課)
ディノはふと思いだし、校舎の階段を弾む足取りで駆けあがる。
やってきたのは、屋上だった。
そこは大勢の生徒でにぎわっている。
ほかの演習場が基本的に許可をとって予約をしないと利用できない一方で、第1演習場は常に全生徒に解放されているので、敷居が低いというのがあるのだろう。
(……ウヒョ〜! ジェシカちゃん相変わらず、えっちい体してるッスね~! いや、ミラちゃんのお尻もたまんねえな~!?)
ディノの視線の先にいるのは剣舞祭でライバルになりそうな屈強な男子生徒――ではなく、可憐な女子生徒たちだった。
ディノは放課後、この屋上から演習場で汗水たらして鍛錬にはげむ可憐な女子生徒たちを見ることを日課にしているのだった。
しかもふつうに見るだけでは飽きたらずに視力強化の呪文までも使い、鍛錬にはげむ女子生徒たちに鼻の下を伸ばして下卑た視線を向けているものだから救えない。
「あ〜……剣舞祭優勝したら、モテてああいういい女を侍らせられるんだろうなあ! 間違って優勝できねえッスかねえ!」
そんな馬鹿げたことをつぶやき、舌打ちした――そのときだった。
「――おまえ、剣舞祭に出場するのか?」
突然、横合いから声がかけられる。
ディノはびくっと身を震わせ、慌てて声のほうに視線を向けた。
そこにはひとりの男子生徒がいた。
中肉中背の特徴のない男子生徒だ。
強いて言えば、すべてにおいて平凡すぎることが特徴と言えるだろうか。そう言ってしまうぐらいにこれといった特徴がない。
ディノも貴族の端くれ。生徒の顔と名前はおおむね覚えているはずなのだが、その平凡すぎる男子生徒には見覚えがなかった。
「……ん、そうッスけど? ていうか、このディノ・シュヴァルツァーさまをおまえ呼ばわりとは舐めてるのか? 見たことない顔だから新入りかは知らねえけど、口のききかたには気をつけたほうがいいッスよ?」
「剣舞祭に出るのならちょうどいい」
ディノが脅しをかけるものの、男子生徒はそれを聞こえていないかのように無視し、不気味な微笑とともにこちらに近づいてきた。
「な……なんだよ、おまえ?」
ディノはその男子生徒の妙な雰囲気にのまれ、一歩後ずさる。
そしてその場面になってようやく、すべてにおいて平凡に見えた男子生徒の体に、平凡とは程遠い特徴をいくつか発見する。
まずは、耳だ。
頭部にあきらかに通常の人族のものではない獣耳がひょこと生えている。
次に歯、そして目だ。
口元にのぞく犬歯は異常なほどに尖り、琥珀色のなかに黒点の瞳孔が浮かぶその瞳は人族のものよりも鋭い輝きを放っていた。
それらの特徴を見て、ディノはその男子生徒の正体を推測する。
「おまえ……獣人だったッスか? いやしかし、さっきまでは――」
ディノがいぶかしげな声をあげた瞬間。
男子生徒の口の端が裂けるように不気味に広がり、直後に鳩尾にすさまじい衝撃がきて、ディノの意識は一瞬で吹きとばされた。
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