第52話 黒豚王子は準備を進める


 謁見を終えたあと――


「エルネイドに使者を出すぞ」


 カスケードはジャスパーをともなって、皇城の回廊を足早に歩いていた。


「いかように?」


「もちろん城塞都市アドラスを早急に明け渡せ、とな。もしも応じぬようならば、もはや交渉の余地はない。力ずくで奪いかえす」


 カスケードはそう命じながらも、エルネイドがアドラスを明け渡すことが決してないだろうことが内心ではわかっていた。


 アドラスを落としにかかった時点で、エルネイドは本気だ。そして実際に落としてしまった以上、後戻りする気はあるまい。


 それを理解しながら交渉の機会を設けようとしているのは、キャロルやリデル、そしてブラットの考えに感化されたわけではない。


 ダストリアが交渉の機会を設けようとした事実を、他国に示すためだ。


 ダストリアはただでさえ印象が悪い。


 エルネイドがダストリアを邪悪な国だと主張し、他国に増援を求めるようなことがあれば、ダストリアは四面楚歌になるかもしれない。


 だからダストリアが話ができる国だと示すことで、エルネイドの攻撃の正当性を薄れさせる必要があった。ダストリアが一方的に悪だという事実がなければ、他国も迂闊にエルネイドに援軍は送れないはず。


(エルネイドには、かの三色騎士もいる。彼奴らだけでも厄介だからな)


 交渉しようとした事実が大事なのだ。


「はっ! 手配いたします」


 ジャスパーはうなずく。


「例の魔法の準備も頼むぞ」


「例の、魔法……でございますか?」


 ジャスパーは眉をひそめる。


「忘れたか、おまえらしくないではないか。攻城用の儀式魔法のことだ」


「ああ……申し訳ございません。なにぶん捌く仕事が増えておりまして。早急に準備を整えますので、おまかせください」


 ジャスパーの様子にわずかに違和感を覚えながらも、カスケードはうなずく。


「エルネイドよ……悪いがダストリアの未来のために滅びてもらうぞ」


 淡々とそうつぶやいた。


 これまでもダストリアの前には、大勢の障壁が立ちはだかってきた。そしてそのすべてをカスケードは圧倒的な力で蹂躙してきた。


 今回もそうなるだろう。


 しかし、そのときだ。



「ぐっ……」



 カスケードは急に足から力が抜けてしまい、ふらりとよろめいた。


「陛下!?」


 ジャスパーが慌てて歩み寄る。


 だがその瞬間、カスケードは嗚咽をもらしながら血塊を吐きだした。


「案ずるな……すぐに収まる」


 カスケードは片手で血を受けながら、もう一方の手でジャスパーを制する。


「陛下、御薬を……」


「ああ……助かる。吾輩もそう長くはない。吾輩が生きているうちにエルネイドを滅ぼさねばならない。ダストリアの未来のために」


 カスケードは薬を飲み、息荒くも前を見る。


 自身に時間があるのなら、カスケードも別の道を模索できたかもしれない。


 自身が目を光らせることで、キャロルたちの提示した理想をともに追えたのかもしれない。そういう未来もあったのかもしれない。


 しかし残された時間にかぎりがある今、悠長なことはしていられない。


 もしもエルネイドとの決着がつく前にカスケードが亡くなれば、ダストリアはカスケードなしでエルネイドとの戦に挑むことになる。


 そうなれば勝機は薄い。


 エルネイドに敗北し、ダストリアはそのまま滅びの道をたどるだろう。


 それだけは避けねばならなかった。


(たとえこの身が朽ちようとも……)


 それが混沌としたこのデルトラ半島の住人たちをまとめあげるために多くの血を流し、ダストリアという国を建てたものの責任。


 平和と共存という“理想”を人々に見せたカスケードという男の責任なのだ。



「……」



 そんなふうに――


 自身の体、そしてこの国の未来のことで、頭がいっぱいだったからだろう。


 そのとき、腹心の宮廷魔術師がこれまで浮かべたことのないような薄暗い笑みを浮かべていたことに、カスケードが気づけなかったのは。






     ✳︎






血のブラッディ……奉仕者サービス?」


『はい、ブラットさマに奉仕する下僕たる我々にふさわしい名前かト』


 謁見から数刻後。


 ブラットは交信石を通じ、スカイマウンテンのロードと連絡を取っていた。


 そしてブラット軍団(仮)の正式名称が、ロードふくめた七人の幹部“七魔剣”の合議で決定されたという報告を受けたのだった。


(中二病すぎて恥ずかしい……死ねる)


 しかしロードがあまりにうれしそうに語るものだから、嫌だとも言いづらい。


(まあ……名前なんてなんでもいいか)


 別にそういったこだわりはない。


 それならば配下のものが少しでも気分よく過ごせるように振る舞うのが、模範的な上司――いや、支配者というものだろう。


 前世で中間管理職をしていた経験からすぐにそう判断し、咳払いするブラット。


「すばらしい名前だな。まさにおまえたちにふさわしい名前だと思うぞ」


 ブラットがそう言うと、魔石からすすり泣くような声が聞こえてくる。


「ど、どうかしたか·····?」


『いえ·····申し訳ございませン。ブラットさマに褒めていただき、あまりに感無量で。皆で寝ずに考えた甲斐がありましタ』


「そ、そうかそうか。すばらしい働きだった。俺もうれしいよ。ありがとう」


『うぐっ……皆もよろこぶかと思いまス。先の御命令さえなければ、ブラットさマに褒めていただいた記念に祝宴を開くところでス……』


 号泣しているらしく、震え声のロード。


「それはともかく……リオネッタたちとアリエッタの二人は馴染めているか?」


『はっ! お二人とも毎日元気に過ごしておられまス。リオネッタ殿には協力を仰ぎ、メイジの講師も務めていただいておりまス』


「おお、それはいいな。せっかくだからどんどん教えてもらうといい」


『はっ!』


 集団としての力を出すためには、魔法の力は絶対に必要なものだ。そして魔法に関し、リオネッタの右に出るものはそういない。


 魔王軍の魔将として過ごしていたことを考えると、闇の魔法にかぎって言えば、あのマーリンにも引けを取らないはずだ。


 リオネッタが一時的とはいえ、味方になってくれているのは心強い。


 ブラットのテイムした魔物たちは、軍として考えるとやはり数が少ない。いざとなれば、魔法でそこを補うことも可能だろう。


(悪くない……いや、良い)


 ブラットへの忠誠心にくわえ、魔物としての元の肉体の強靭さもあり、魔物たちのレベリングは予想以上に順調だという話だ。


 ロードふくめた一部には、最上位種の“魔人種デーモン”に進化したものもいるとのこと。


 “魔人種”へと進化できるレベルは種族によって様々だが、原作を思いだすと低いものでもレベル30後半ぐらいは必要なはずだ。


(あれ……? でもこのままいったら……こいつら俺より強くなるんじゃ?)


 ブラットは常に修行をできるわけではない一方で、ロードたちは愚直にレベリングを続けているのだ。差はどんどん縮まっている。


(ゲームでは裏切りなんてありえないが……この世界でもありえない、よな?)


 もしも彼らがこのままブラットよりも強くなって、ブラットを裏切ったらと想像すると、ブラットはぞっとしてしまった。


 この世界の人や魔物の常識的な強さを考えると、ブラットのドーピングもあって、ロードたちはもはや最上位レベルの強さだ。


 それが群れを為して裏切れば、もはやそれは新たな魔王軍の誕生である。


(もしかしたら俺……まずいことしてる?)


 かと言って、強くなるなというのも違う。


 この世界には魔王軍をはじめ、ブラットを脅かす存在がまだ多く存在する。


 明確に敵意を向けてくるそれらに対抗する手段として、やはりロードたちには強くなってもらわねばならないのだった。


 強くなってもらえばもらうほど、いろいろとできることも増えてくるのだ。


(俺自身もそのぶん強くなればいいか)


 自分が圧倒的に強くなれば、それだけ裏切りの心配もなくなるのだから。


「それじゃロード……話は以上だ。先の件は頼んだぞ。早急に隊を組織して動いてくれ。初陣になるが、長として皆への指示を頼む」


『……かしこまりましタ。しかし想定通りだとギリギリになるやモ』


「それはしかたないが、できるかぎり急いでくれ。間に合わせたい」


『偉大なるブラットさマのおおせのままニ』


 ブラットは交信を終了した。


 魔石をふところにしまうと、ブラットは皇城のとある一室に足を向けた。


 その瀟酒な一室で待っていたのは、ダストリアの皇女キャロルなのだが――



「――なぜいつも全裸なんだ!?」



 例のごとく、キャロルは一糸纏わない生まれたままの姿であった。


「ブラットよ、冷静になれ。むしろなぜ自室で服を着る必要があるのだ?」


 キャロルは均整の取れた裸体を惜しげなく晒し、仁王立ちで答える。


「冷静になったよ。だがやはり服は着たほうがいいと思う。人前では特に」


「ふむ、確かにわたしのこの美貌でおまえが興奮して乱心したら困るか」


 キャロルはしかたなしと外套をまとう。


「それはともかく……アルベルトの件、心当たりのあるものはいたか?」


 キャロルに勧められて卓につくなり、ブラットはそう訊ねた。


 謁見のときには話題に出す余裕がなかったので、キャロルにあらためて貴族たちから情報を集めてもらっていたのだった。


 しかしキャロルは首を横に振る。


「残念ながら……」


「そう、か」


 ブラットは肩を落とす。


 簡単に見つけられるとは思っていなかったが、手がかりひとつないとは。


(だけど……このデルトラ半島に来ていることはおそらく間違いないんだ)


 あの“大賢人ワイズマン”マーリンが言っていたのだから、そこは信頼してもいいだろう。


(今はできることをやるしかない)


 シャドウには引きつづきアルベルトの行方を追ってもらっている。


 心配ではあるが、この件は前世の知識にもない状況なので、さがす当ても正直まったくない。これ以上は現状どうしようもない。


 足跡が見つかることを信じて、自分は自分のやるべきことをやろう。


「役に立たなくてすまなかった」


 キャロルは申し訳なさそうに頭を下げる。


「いやいや、こちらこそ陛下をまったく説得できなくて申し訳なかったよ。キャロルはこれからどうするつもりだ?」


「わたしはギリギリまで父上の説得を続けるつもりだ。こんなことは間違っている。無駄な血が流れるのを見過ごせない」


 そうか、とうなずくブラット。


 謁見の様子を見るかぎり、カスケードが停戦に応じるとは思えない。しかし可能性はゼロではない。試みる価値はあるだろう。


「俺は俺で動いてみるよ」


「おまえは……ピシュテルに帰ってもいいのだぞ? 同盟関係にあるとはいえ、今のダストリアの立場は危うい。魔すらも内に取り込んだダストリアは元々嫌われ者で、隣国は皆エルネイドの味方だ。ダストリアのために無理をしても益はないだろう」


 こちらの立場を慮ってくれるキャロル。


 しかしブラットは首を振る。


「魔と人間の架け橋として、この大陸でダストリアは唯一無二の存在だ。万一ここで亡くなってしまいでもしたら困る。できるかぎりのことはするよ。そもそもここでアルベルトを探さないといけないからな」


 現状だと魔物は忌避される存在であり、ブラットが魔物を手懐けていることが明るみに出ると、対外的によろしくない状況だ。


 ダストリアがさらに発展することで、もしものときのためにブラットへの風当たりを和らげたいという打算もあった。


 ブラットが微笑みかけると、キャロルは端正な顔をゆがませる。


 涙をにじませながら、


「ありがとう、この恩は忘れない」


「恩なんて……まだ何もしていないだろう?」


「いや、それほどにこの国を想い、この国のためにその身を危険に晒してくれているのだ。恩を感じずにはいられない。ありがとう」


 リスク回避に動いているだけなのだが、なにやら異常に感謝されている。


(俺そんなに善人じゃないんだけどなあ……)


 基本の行動原理は保身である。


 まあいいように解釈されるのは問題ないが。


 ブラットはキリとした表情を作ると、キャロルの肩にそっと手を置く。


 キャロルはきょとんとブラットを見る。


「戦を、とめよう」


「……ああ!」


 二人は力強くうなずきあった。


 このままファイナルクエスト作中の通りに行けば、ダストリアは滅亡する。


 ダストリア滅亡後、デルトラ半島は以前の混沌とした状態へと元通りだ。それはブラットにとってもよろしくない状況である。


 そして人間の負の感情は、多くの魔力を産む。魔王軍はそれもねらっているはず。戦によって魔王復活が早まってしまうのも避けたい。


(下準備は一応した)


 キャロルは説得を続けるようだが、一方でブラットは戦になったときを想定し、被害を最小限に済ます準備を進めていた。


(両国それぞれをバラバラに説得しても、現状だと焼け石に水だ。結局は両国が同じ立場になり、足並みがそろわないとな)


 あくまでももしものときのもので、突貫工事だから上手く行くかはわからないが、もはやなるようにしかならないだろう。


(あとできるのは俺自身がもっと強くなって、時が来るのを待つぐらいか)


 現在のブラットのレベルは56。


 この世界では英雄の域に達しつつある。


 だがこのデルトラ半島でさらなる強者と戦いになることも考えられる。レベルは高いに越したことはない。力をつけるべきだろう。


(ベルゼブブ……やつは早く仕留めないと)


 作中を思いかえすと、ベルゼブブはこれからも多くの悲劇を巻き起こす。


 できれば早いうちに倒しておきたい。


 そして、接触する機会がもしかしたらこのデルトラ半島でも訪れるかもしれない。


 そのために今のままでは心許ない。もっともっと強くなっておきたい。



 来るべき日に備えて――


 狩場へと移動し、さらなる高みを目指してレベリングを開始するブラット。

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