第53話 黒豚王子はレベルを上げる
――来るべきダストリアとエルネイドの大戦に備え、ブラットがレベリングに励んでいた期間の、とある一日のことである。
エルクの泉。
それはダストリアとエルネイドの国境付近の森のなかにある美しい泉だ。普段は獣や魔物の水場となっている閑静な場所である。
だがそんな
「――かかれ!」
現在、一頭の巨竜と騎士の一団による激しい戦闘が行われていた。
騎士の一団は、エルネイドの幻獣騎士団だ。
グリフォンに騎乗している上級騎士の姿もあり、数も百を超えている。
しかし幻獣騎士団の精鋭をもってしても、眼前の一頭の巨竜を仕留められず、むしろ逆に押されてしまっている状況だった。
(くっ……想像以上の強さね)
一団の長である真紅の髪の女騎士スヴィア・スカーレットは歯噛みする。
蒼く輝く鱗を持つその巨竜は、古よりこの泉に棲まう水竜エブラムだ。
かつては温厚な性格で泉の守り神とすらも言われていたのだが、最近になって豹変してなぜか近隣の村を襲いはじめたのだった。
スヴィアたちは城塞都市アドラスへの援軍に向かう行軍の途中、民に嘆願されてエブラムの討伐を急遽決行したのだった。
騎士たちはエルネイドの幻獣騎士団のなかでも指折りの精鋭であり、竜の一体や二体ならば短時間で仕留められると思ったのだ。
しかし水竜は思いのほか強敵で、スヴィアたちは苦戦を強いられていた。
なにしろ騎士たちの剣撃は水竜の硬い鱗に浅い傷しかつけられず、また水竜は強力な魔法耐性を持っているらしく、魔法攻撃も通らない。一方で、水竜が尾を一薙ぎするだけで、騎士の幾人かが戦闘不能になるのだ。
「スヴィアさま……このままでは!」
「しかたない……退却よ!」
スヴィアは慌てて退却を指示。
騎士たちは遁走を始める。
だが完全に戦闘態勢に入っていた水竜はそれを許さず、即座に追撃してくる。
グリフォンに騎乗する上級騎士はともかく、その他の騎士たちは逃げきることができず、水竜への応戦を余儀なくされる。
(わたしの判断がもっと早ければ……)
スヴィアは苦々しげに舌打ちし、配下を捨ておけないと戦場に引きかえす。
グリフォンを見事に操り、水竜の近くを大きく旋回することで注意を引く。
だが激昂した水竜の動きのキレが、さきほどまでよりも加速度的に上がっており、水竜の尾による一撃を避けきれなかった。
スヴィアはグリフォンから叩き落とされ、ひとり巨竜の前に投げだされる。
「いたたたた、やって……くれるわね」
普通の人間ならば、恐怖で何もできぬまま喰われてしまうところだろう。
だがスヴィアは花のように可憐な容姿をしているものの、その実は精鋭の幻獣騎士団のなかでも屈指の魔法騎士なのだった。
「――“フレアアロー・レイン”」
冷静に魔力を体内で練りあげ、第五位階の強力な攻撃魔法を放った。無数の炎の矢が、雨となって水竜に襲いかかる。
その威力自体はすさまじく、通常の巨竜の耐性を貫通しうる破壊力だった。
しかし相手は水竜。
炎での魔法攻撃は相性が悪かった。
スヴィアは強い。
相性さえ悪くなければ、同等の巨竜を討ちとれるだけの力量はあった。だが相手は相性の悪い水竜であり、どうしようもない。
スヴィアの眼前には、巨体からは想像できない敏捷さで水竜が迫っていた。
(あーあ……報酬につられて受けたのが運の尽きね。わたしってほんとバカ)
スヴィアは一団の長として、誇り高きエルネイドの幻獣騎士として、最後まで弱さを見せぬようにと雄々しく剣を構える。
ダストリアとの決戦を前に余計な仕事に手を出すだけならともかく、このような形で命を落とすことになろうとは我ながら間抜けだ。
だが戦場に身を投じる騎士というのは、常に死と隣り合わせのもの。
覚悟は、できていた。
しかし――
「……!?」
迫りくる水竜の鋭い牙が、スヴィアの体に届くことはなかった。
牙がスヴィアの体に届く直前に、水竜が何者かに背後から斬りつけられ、雄叫びとともに大きく仰けぞって動きをとめたからだ。
「あれは……?」
それは騎士団の仲間でなく、見たことのない男――いや、少年だった。
貴族のような身なりで肌は浅黒く、輝くような銀髪が特徴の少年である。
その少年は人間としても決して大柄とは言えないその体躯で、自身の何倍もの体躯を誇る巨竜に真っ向から挑んでいった。
「まずい……殺されてしまうわ」
少年の身をあんじるスヴィア。
だがなんと、少年は圧倒的な速さで水竜の攻撃を
「嘘……信じられない」
少年の身のこなしももちろんだが、その卓越した戦闘技術に目を奪われる。
そして少年は水竜にダメージを継続的に与えたあと、水竜が弱って動きが鈍ってきたところで、すかさずとどめの一撃を放つ。
「――“ペネトレイト・スラッシュ”!」
水竜は腹部を大きく斬り裂かれ、それが致命傷となってぐらりと倒れた。
そしてそのまま動かなくなった。
スヴィアたちが苦戦していた水竜を、少年はあっという間に倒してしまったのだ。
「なんて強さなの……!?」
スヴィアは状況も忘れて、少年の凄まじい剣技の余韻に浸り、だがすぐに我にかえって、腰を抜かしたまま負傷者の手当を指示する。
「……ご無事ですか?」
気づくと少年がにこりと微笑み、スヴィアに手を差しのべてくれていた。
スヴィアは今度は少年の整った顔立ちと、輝くような笑みに見惚れてしまう。
(ハァ? 強いだけじゃなくて紳士なわけ? 何このイケメン……好き)
脳内では盛大にうろたえながら、乙女な感想をもらしてしまうスヴィア。
だが一団の長としてそれを表に出すことはなく、真面目な顔をつくってごほんと咳払いをし、少年の手を借りて立ちあがった。
それから少年は重傷の騎士たちをしばしながめたかと思うと、よかったらと高価そうな
「……わたしはこの一団の長を務めるスヴィア・スカーレットというものです。この度は窮地を救っていただいた上、回復薬まで」
心から感謝を申しあげます、とスヴィアはこれ以上なく深々と頭を下げる。
スヴィア自身の命はもちろん、この場の騎士たちの命を救ってもらったのだ。少年には感謝してもしきれなかった。
「当然のことをしたまでですから。何もお気になさらずともけっこうですよ」
だが、少年は本当になんでもないことだとばかりに微笑とともに首を振る。
なんと器の大きな少年なのか。
「いえ、命を助けてもらったのです! 戦時なのですぐにとはいかないが、礼のひとつもさせていただかねば。お名前をお聞きしても?」
「いえ、本当にそういうのは大丈夫なので! 用がありますのでこれにて!」
スヴィアは慌てて呼びとめたものの、少年の逃げ足はあまりに早かった。
少年は名前すらも名乗らないまま、森のなかへと姿を消してしまった。
(ああ……名前すら聞けなかった、鬱だわ)
スヴィアは悲しみに打ちひしがれる。
少年を追いかけたかったが、スヴィアはなにしろこの一団の長だ。今回の激戦で崩壊しかけている隊を立てなおす責務があった。
しばしあって騎士の大方の応急処置が終わり、側近の騎士が眉をひそめる。
「相性が悪かったとはいえ、“赤の騎士”スヴィアさまですら苦戦していた巨竜を打ち倒してしまうとは……何者なのでしょうか?」
「……さあね。名のある方だとは思うけれど」
若くしてあれだけの実力を持っている上、あの容姿と気品のある立ち居振る舞いだ。無名のものとは考えがたかった。
(ああ……せめて名前だけでも聞ければよかったのだけど! でも……なんでだろう。近いうちにまた縁がある気もするのよね)
イケメンだったなあ、と。
スヴィアは少年の凛々しさを思いかえし、普段の麗しい面差しからは想像できないほどに、ニヤニヤと弛緩した表情を浮かべる。
側近にいぶかしげな視線を向けられつつ、
(……その後、騎士スヴィアは少年と運命的な再会を果たして熱い抱擁を交わし、そしてついには恋に落ちて……うふふふふふふふふ♡)
キャッ♡ と乙女な嬌声をあげ、くねくねと身をよじりだすスヴィア。
剣技と魔法の双方で秀でた才を持ち、容姿も端麗である一方で、夢見がちで妄想癖があるのが玉に瑕な女騎士スヴィアであった。
✳︎
(……ああ、また史実を変えてしまった)
偶然にも通りすがって水竜を倒してしまった少年ことブラットは、スヴィアと別れたあとで大きなため息をついていた。
あのエルネイドの騎士の一団は、本来ならあそこで命を落としていたはず。
人命を助けられたのはもちろんいいことで、後悔は一切ない。ただ、本来のファイナルクエストの世界では起こらないことをすればするほど、自分がこの世界の流れをつかめなくなる。それは正直困りものだった。
(まあ……今さらか)
サイクロプス討伐から始まり、すでにブラットは本来のファイナルクエストからは逸脱した動きをあまりにしすぎている。
もはや気にするだけ無駄なのだろう。
そうは思っているのだが、いちいち細かいところが気になってしまうのは、前世からの器の小ささが出ているのかもしれない。
(名乗りすらしなかったから問題ないだろう。レベルもひとつ上がったし)
一応、ピシュテルはダストリアと友好関係にある。ダストリアとエルネイドの現状を考えて、名乗ることもしなかったのだ。
問題も起こりようもないだろう。
そんなことを考えていたときだった。
「……?」
木陰から漆黒の全身鎧をまとった騎士が飛びだし、眼前にひざまずく。
それはダストリアの暗黒騎士が常用している鎧なのだが、中身はダストリアの騎士ではない。ブラットすぐにその正体を看破する。
「シャドウか、びっくりしたよ」
それはブラットが情報収集に放っている“
シャドウは影が実体の魔物だが、上位種のシャドウナイトになると、こうして人間の鎧に取り憑いて自身の体のように動かせるのだ。
「申し訳ございませン。交信石で定期報告をしようと思ったところ、偶然ブラットさマの反応が近所にあったため、直接にト」
「アルベルトについて何かわかったのか?」
「いえ……そちらではなク、ダストリアの皇帝について気になることがありましテ」
気になること? と首をかしげるブラット。
「はい、ブラットさマとの謁見後にかの皇帝をつけていたのですガ……」
カスケードが謁見後に血塊を吐いて倒れたことについて話すシャドウ。
「カスケードが……何か病を患って?」
「完全に判断はしかねまスが……苦しんでいる様子を見たかぎりだト、病というよりは毒か呪いといった線が濃厚に思えまス」
ブラットはうむとうなる。
カスケードは原作開始前に亡くなっていたので、やはり情報が少ない。何が理由であれ、現在カスケードは万全ではないということか。
あのグラッセに近い強さなので、大戦であっても易々と死ぬはずはないとは思っていたが、そういう理由があったということか。
(何者かによる毒や呪いだとすると……)
裏で糸を引いているものとして、考えられるのはやはりベルゼブブだ。
しかしカスケードほどの英雄に、強力な毒を仕込むのは困難なはず。皇妃も毒殺だったという話だが、それも簡単ではあるまい。
考えられるのは――
「……とにかく報告ありがとう。助かるよ。引きつづき各所で情報を集めてくれ」
「な……なんト、わたくしめなどにお褒めの言葉ヲ!? 身にあまる光栄! わたくしめはサイクロプスの支配からブラットさマに救わレ、ブラットさマに奉仕する身。当然のことをしているだけでございまス!」
斥候らしい冷静な様子から一転し、鼻息荒く食い気味に声をあげるシャドウ。
それからシャドウはブラットの素晴らしさを早口で朗々と並べたて、ブラットをすさまじい勢いで称賛しはじめる。
ブラットは苦笑しながら、
「俺も修行で忙しいからそれじゃ……」
適当に話を切りあげる。
そしてシャドウと別れたあと、デルトラ半島において今回狩場として世話になっているダンジョン、カダル都市遺跡へと歩を向けた。
このカダル都市遺跡の第七層には、侵入者からこの遺跡を守護するモンスター――オリハルコンゴーレムが鎮座している。
このオリハルコンゴーレムはオリハルコンシリーズのオリハルコンスネークと同様に、経験値とドロップアイテムが桁外れにうまい。簡単に言うと、オリハルコンスネークの上位互換のような存在なのである。
しかも中ボス的な扱いでありながらも、倒して一定時間経つと
完全にこの遺跡を攻略してしまうと、
(……ふふふ、ゲーマーの血が騒ぐ)
響きわたるレベルアップの効果音、見る見るうちに増えていく数字、そういったものを想像するだけで、ついよだれが垂れてしまう。
そんなこんなで通りすがりのエルネイドの一団の窮地を救い、今日もカダル都市遺跡でレベリングを開始するブラットなのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。